終章:忌じき欲望の末-19
今回は区切りが良いので少し短めです。
未だ蛇の子供相手に混乱気味な私を呼んだのは、先程も頭の中に突如として響いてきた声。
恐らく、本来のワールドスキルの持ち主でない私が《禁断の果実》を有した事に関して、何かしらの監視者のような存在から〝おはなし〟があるのだろう。
鬱陶しい、と思わなくもないが、どれだけ私が進化を致そうと相手は十中八九超常の存在。下手な逆らい方をすればどんな目に遭わされるか分かったものではない。
故に早急にその存在と邂逅し、どうにか事態を終息させねばならないのだが……。
『パパっ! ママっ! あそぼっ! あそぼっ!』
……私とロリーナは今、腕に巻き付いて離れようとしない赤子蛇に物理的に絡まれ、身動きがとれないでいる。
『あそぼっ! あそぼっ!』
無理矢理引き剥がす事も出来るだろう。蛇は全身が筋肉の塊ではあるが産まれたての赤子。それほど発達はしていない。
だがそんな筋肉云々などよりも……。
『パパ? ママ?』
この愛らしく私達を呼ぶ声音と瞳に、どうしたって乱暴な解決をしようという気が起きない。
そもそも私は基本的に動物は好きなんだよ。ましてやこんな可愛らしく私達を「パパ、ママ」と呼ぶ子蛇に無体なマネなど出来よう筈もないだろうが。
「ど、どうしましょうクラウンさん……」
「う、む……」
──私は前世で、子には恵まれなかった。
一応は養子という名目で優秀な才能を持つ子を何人か養いはしたが、赤ん坊の扱いや世話などは未経験……。
知識や技術はひと通り頭に入ってはいるもののそれらは全て〝人間〟を基本としたもの。《精神感応》を使い私達にコミュニケーションを図ってくる魔物の子蛇の対処法など誰が分かるっ!?
『……あ、あのう』
「む?」
そう私達が子蛇の対処に悩んでいると、ずっと趨勢を見守っていた主精霊が何やら言い辛そうにしながら小さく声を上げる。
「なんだ。言っておくがお前への用事は済んでいないぞ? これからシセラと微精霊を呼び出し霊力を──」
『実は一つっ! 言い忘れていた事が……』
「……」
『その蛇……実は卵だった頃に、だ、大精霊を一体、吸収していまして……』
「……なに?」
大精霊を、吸収だと?
『はい。先程貴方方も体験したように、その蛇にはどうやら周囲のエネルギーを吸収する力を持っているようでして……。私達精霊のようなエネルギー体に近しい存在も例に漏れず、その対象のようなのです』
「……成る程」
『加えてこれは推測になるのですがっ! 女皇帝ユーリは手ずからその卵を運び入れていました』
「そうだな。何せ彼女しかこの霊樹天宮には入れないのだから」
『はい。つまりその……。女皇帝ユーリの魔力も、その卵は吸収していたと思われます』
「ユーリの……」
考えてみればそれもそうだな。産まれた今、その吸収能力は鳴りを潜めているようだが、卵だった時は無差別無制限に周囲からエネルギーとなり得るものを吸収していたのだろう。
それならばユーリの魔力──いや、下手をすれば親であったニーズヘッグの魔力や、その兄弟蛇であった二号から七号までのエルウェの使い魔であった蛇達……そしてエルウェ本人の魔力も吸収していたかもしれん。
言ってしまえばこの子蛇は、卵時代に身近にいた存在全ての力を吸収していた。
量としては微量ではあったろう。
しかし、その吸収した力の種類はこの世界でも類を見ない程に多種多様なものになっている筈だ。
「……」
『むぅ?』
私が子蛇に改めて視線を送ると、子蛇は可愛らしく小首を傾げた。
──この子には、私ですら計り知れない膨大な可能性を秘めている。それこそ、手塩に掛けて育て上げればこの世で唯一無二の蛇へと成長する事必至だ。
元々捨て置くつもりもなかったが、これは……。
「……ロリーナ」
「は、はい」
「名前を、付けようか」
「──っ! な、名前、ですか」
「ああ。今はまだ子蛇だが、この子は間違いなく将来とんでもない存在になり得る」
私が指を出し、子蛇の顎あたりを優しく撫でてやると、子蛇は気持ち良さげに口を半開きにしその大きな瞳を細める。
「とんでもない? 珍しく曖昧な言い方ですね」
「それほどまでに、この子には計り知れない可能性が眠っているという事だ。最初こそ悪態を吐いてしまったが、今はこの子に愛おしさすら感じている」
「それは、私もそうです」
「然らば、私がこの子の面倒を見ようと思う。先程成長後の大きさの話はしたが、まあ、なんとかしよう。この子を今更他へ預けるなりするのは無しだ」
「はい」
「君も協力してくれるか? 一応、この子にとって君は母親に見えているらしいからな」
「それは、言われるまでもありません」
「そうか。ありがとう。まあ、流石にパパ、ママ呼びは改めさせるかもしれんがな」
子蛇にこの先もそう呼ばれるのはな。色々な意味で──
「え。変えさせてしまうのですか?」
「……え?」
「ああいえっ! ……私は、その……」
ロリーナが顔を真っ赤にして目を逸らす。
これは、まあ……〝そう〟思ってくれている、という事なのだろう。
戦前に子供云々の話を一度した故に、この手の話で変に冗談として処理出来なくなってしまっている感じもあるな。
私としても、冗談で片付けるつもりは毛頭ないのだが、ここは真面目に返答しよう。
「……パパ、ママ呼びは」
「はい……」
「……将来に、とっておかねば、ならないからな」
「──ッ!!」
顔を赤らめたまま私の顔を見上げてくるロリーナ。瞳も、若干潤んでいるように思える。
「明確な事は、ちゃんとした時に、な? 思わせぶりにはさせないから、安心してくれていい。前にも言ったがそう遠くない内に、私からしっかりした言葉で伝えるから」
「は、い……」
「……」
「……」
『……あ、のぅ……』
……見つめ合う私達の間に挟んでくるとは無粋な……。
だがまあ、こんな場所でいつまでもこうしているわけにはいかんか。
「ふむ。少々グダついてきたし、仕切り直すか」
「は、はい」
「取り敢えずは……。シセラ」
私はシセラを呼び、胸中から赤黒い光球と小さな白い光球が飛び出し、光球はいつもの猫形態のシセラと微精霊の姿へ変容する。
「クラウン様。今更なのですが」
「む? なんだ?」
「以前、森のコロニーにて主精霊が言っていた「閉じ込められ力を利用されているコロニー」とは、ここの事だったのではないですか?」
そういえば、そんな話をあの主精霊がしていたな。役目自体は果たしているが嘆いていた、と……。
「……ふむ。確かにそうだな。その閉じ込められていたコロニーとはここで間違いないだろう。図らずも解決した形になるな」
「私自身少し気掛かりでしたので、これで一安心です。では……」
シセラは朗らかな笑顔を見せると微精霊を共にし、主精霊の元へと歩み寄った。
『おや、貴女は……』
「事情を説明します。この微精霊は──」
後はシセラが自分から済ませるだろう。私達はこの間に子蛇に名前を付けてやらなければ。
「ではロリーナ。何かアイデアはあるかい?」
「アイデア、ですか……」
ロリーナは子蛇を見遣り、悩まし気に少しだけ首を傾ける。
「正直なところ、私のセンスではクラウンさんのものを超えられるか怪しいのですが……」
「うむ」
「……〝ドーサ〟。というのはどうでしょうか?」
「ほう。どういった由来だ?」
「以前に《神聖魔法》の練習をした後に、少しだけ〝欲神〟について勉強した事があるんです」
「ふむ」
「調べた本に欲神の分神についても載っていたんですが、その中に〝毒神〟と呼ばれている神様について載っていたんです」
──毒神は、そのまま〝毒物〟を司る神ではなく、人間にとって毒となりえる煩悩をそう例え呼ばれている分神だ。
毒の煩悩とは貪欲・瞋恚・愚癡の三種を表していて、大昔の盗賊や山賊なんかに信奉され、主に鶏や豚なんかを象徴とする動物としてシンボルに掲げていたという記録があのだが、中でも最も主流だったのが……。
「成る程。毒神の主な象徴は〝蛇〟だものな」
「はい。そしてその守護神としていたのが蛇の魔獣・ドーサ。遥か昔に毒神の信奉者であった初代嫉妬の魔王に仕えていたとされ、霊樹トールキンの根に齧り付いて力を奪っていたとされています」
「成る程、成る程……」
これは……もう決まりだろう。
「ふふ、ふふふふ」
「あ、変……でしょうか?」
「ああいやすまない、違うんだ。かつて霊樹トールキンから力を奪い、エルフ族を窮地に追い遣った初代嫉妬の魔王の魔獣が、今回は霊樹天宮の中で新たに生まれたのだと考えると皮肉が過ぎていてな。実に素晴らしい」
「では……」
「そうだな。決定だ。君以上のアイデアは私では思い浮かばんだろう」
記録によればかつての魔獣ドーサは、トールキンの守護神であるシェロブによって食い殺されたとされていて現存はしていないらしい。
故にこの子蛇が、実は本当にその魔獣の生まれ変わりなんて可能性も無くはないかもしれんな。
魂と霊力を循環させる霊樹トールキンの元での出来事なのだ。そんな事が起こっても不思議ではない。
まあ、何にせよこれ以上相応しい名もないだろうさ。
「では──」
再び私は子蛇に向き直り、その眼を見ながら真摯に告げる。
「これからお前の名は〝ドーサ〟。その身にあらゆる物を吸収し、飲み込み、己が糧とする魔の毒蛇……。私達に、期待させてくれよ」
『どー、さ? ぼく?』
「ええ。あなたの名前。よろしくね、ドーサ」
『どーさ……。ぼくドーサ! ぼくドーサっ!!』
子蛇改めドーサは与えられた名を嬉しそうに連呼しながら蛇とは思えないような見て分かる笑顔を浮かべ、より強く私達二人を抱き寄せるとそれぞれの頬へ頭を擦り付けてくる。
「ふふふ。こそばゆいです」
「ふふ、そうだな。……さて──」
私は擦り寄るドーサの頭を指で優しく突いてやり、こちらへ向くように促す。
「ドーサ。私は少しだけ用事があるんだ」
『ようじ?』
「ああ。だがお前が絡まっていてはそれが果たせそうにない。すまないが私から身体を離し、ロリーナと共に待っていてくれないか?」
『ろ、りーな?』
あ。そうか……コイツまだ私達の名前もちゃんと認識していないのか……。うぅむ……。
「お──」
『むぅぅ?』
「おかあ、さんと……ママと、待っていてくれないか? すぐに戻るから。な?」
うぐ……。言っていて居心地が悪い……。ロリーナからの複雑な感情の視線も相まって、気持ちが乱れる……。
『ママと、まつ?』
「そうだ。お前はお利口だから、出来るな?」
『……』
「……」
『……うんっ! ぼくママとまつ! おりこうにしてる!』
ドーサは努めて勇しそうに表情を変えると、私の腕に絡めていた身体を解き、余った身体をロリーナに更に巻き付ける。
「ドーサ。パパの用が終わるまでちゃんと待ってようね」
『うん! おりこう! おりこう!』
「き、君……はは。ドーサの呼び方、変える気ないだろ?」
「うふふ。そんな事は。ではいってらっしゃいパパ♪」
『いってらっしゃいっ! パパっ!!』
別にそんな遠出するわけではないんだがな。というかすぐそこなんだが……。ま、ここは言っておかねばな。
「ああ。いってきます」
霊樹天宮の少し奥。そこには眼を閉じていても尚、眩しく感じてしまう程の光量を放つ場所がある。
それはこの霊樹トールキンが魂と魔力を霊力へと昇華させている正にその場所であり、トールキンの溢れんばかりの生命力を司る所謂心臓部──霊樹心系が丁度トールキンの中心に位置するように一本の細い柱として存在する。
仮にトールキンを枯らすとすれば、この霊樹心系を破壊すれば立ち所に齎されるだろうな。まあ、やるつもりは微塵もないが。
「恐らくはここだろうな」
観測者からの場所指定はなかったが、相応の存在と邂逅を果たすならばこの場以外に無いだろう。
「私をわざわざ呼び出したんだ。実りのある対談でなければ承知せんぞ」
私は痛いほどの光を放つ霊樹心系を前にし、触れる。
直後、ただでさえ強かった霊樹心系からの光がまるで私を包み込むかのように増長し、とうとう私の視界を飲み込む。
私の周りの景色は四方上下を真っ白な空間が支配し、最早距離などあってないような圧倒的な白色の無が広がっていた。
……。
ふと自身の状況状態を確認しようとしたが、気が付けば肉体を動かす感覚が一切消失していた。
それどころか五感も、スキルを使う感覚もまるで無い。
あるのはそう、漠然とした意識のみ。
これは……いつの間にか魂だけになっているな。
まるで私が前世で死んだ直後、迷い込んでしまったあの神域に似ている。永遠に彷徨い、気が狂いそうになったあの場所に。
魂が霊樹心系と直接リンクしたのか、はたまあ私の肉体に直接何かしらが乗り込んできたのか……。
何にせよ心地の悪い事だな。
「── やうやう来たりや。遅かりきな」
声が響く。
先程までの脳内に響くようなものではなく、魂に響いてくるような重々しく、ハッキリとした声。
幼い少女のような。柔らかい女性のような。老獪な老婆のような。そんな女性のあらゆる世代の声が一切の乱れや誤差もなく重なり、混じり合っているような声だ。
……しかし。声だけで姿を現さないとは、呼び出しておいて随分な歓迎だな?
「おや? よくもまあ、さる口が利くべきものかな? 我が誰なりか吟味はつくらむ?」
見当がついているだろと? 言葉が古過ぎて聴き取りづらいなまったく……。
……で、だ。正直なところ候補はあるが確信はしていない。 何せ私の知識など書物や資料のものだけだからな。
今会話している存在が本当にそんなものに載っているようなものかなど、信じ切るには余りにも頼りない。
「実に。では汝のその候補を確信に変ふとせむ。有り難がれ人族」
そう響いた瞬間。ただ真っ白で先の不明な筈だった景色に、影が差す。
そして影は次第に広がっていき、巨大な何かが私の上を通過。目の前に現れたのは──
「心し見よ。我がさま、我が色を」
大きさなど、最早計り知れない。
分かるのは私が今まで見てきたあらゆる景色……。草原や森、山や川、海や空……その全ての景色を繋ぎ合わせても足りない程に巨大で、甚大で、絶大な大きさをしているという事。
「我は天下の生と死司り、栄枯盛衰を宿す理の柱」
その身体は宛ら大蛇。何処まで続いていて終わりなく、幾本もの二対の腕が等間隔に鉤爪を携えて並んでいる。
全身を所狭しと樹木草花が生い茂っており、それが絶えず芽吹いては枯れ、また芽を出してを繰り返していた。
頭部には二本の角と思しき大樹。片側が光を吸い込むような漆黒を湛え、もう片方が……見覚えのある木──霊樹トールキンが立っている。
「光栄に思へ人族の子よ。我がさまを見し者は人族には汝が初めてなり」
目が、私を見詰める。
現実の感覚で言うならば空を覆うような、そんな大きさの新緑と黄金の入り混じったような瞳が、ただ一人私だけを……。
「よく聞き、覚えよ。我が名は「エデン」。天下の理司りし、転生神様より定められし〝龍〟なり」
ドーサの名付けに使った貪欲・瞋恚・愚癡の所謂〝三毒〟という仏教の概念は、本当はまだまだ先──というか次回作にでも使えたらいいなと思っていたものだったりしました。
ただ今回のドーサの名前を考えるにあたり、設定と図らずも良い具合にマッチしてくれたので採用した感じです。
本当なら三毒には蛇だけというよりも貪欲が鶏、瞋恚が蛇、愚癡が豚、という形の象徴になっているのですが、そこはコチラの都合の良いように改変させて頂きましたね。
他の作家さん達って、私のこういう「誰が手を出すねん」って設定採用している人いるんですかね? 前は確か《三学》とか自然学芸やらでしたが、今回も色々と捻くれてるなと自負しています。
あとこれ、仏教関係ってどこからか怒られたりしますかね?
実は《欲の聖母》の採用にもちょっとビクビクしていたんですが……。なんとかなってくれないかな……。




