終章:忌じき欲望の末-12
ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、本作を別のサイト──「カクヨム」にも投稿し始めました。
内容は変わらず、多少の修正や展開に関わらない程度の加筆をしての投稿なので、別に読まずとも余り支障はありません。
ただ今後、何かの思い付きで大幅な加筆をする可能性も無くはないので、その際は追ってご連絡いたします。
カクヨムでもどうぞ、当作品をよろしくお願いします!!
ユーリの目の前に、クラウンが着地する。
その様は自由落下にしては余りにも不自然で、床に近付くにつれ徐々に落下速度が落ちていき、足が床に触れる頃には着地時の音は全くしなかった。
体重が軽いとか、身のこなしや体捌きが上手いなんて次元のものではない。
明らかに謎の浮力を利用して落下速度を殺し切った……そんな人間離れした挙動を、彼女は目の当たりにしたのだ。
(くっ……)
充分実感しているつもりでいた。
あの三色三角形の重瞳と、自然体でも滲み出る圧倒的で凶々しい威容……。例え数百メートル離れていようと確かに感じていた筈なのだ。
だからこそ死力を尽くし、トールキンを操ってまで全身全霊でクラウンを潰そうと躍起になった。
だが、それが悉く潰された。
しかも部下達の助力を得る事で効率的に──低燃費を貫いたまま悠々と、トールキンの素材まで確保しながら突破され、目の前に辿り着かれた。
ただでさえ厄介で、強力で。
進化した筈のユーリをして冷や汗が止まらぬような化け物に成り上がった存在が、最低限の損耗で眼前にいる……。これほど絶望的な状況もそうあるまい。
「……なんだユーリ? 歓迎してくれないのか?」
そう呑気に話し掛けて来る彼の声音にはしかし、どれだけ穏やかに聴こえようと明確な敵意が滲んでいる。
それは宛ら獲物を前に舌舐めずりする捕食者のそれ。睨まれたらば奇跡でも起きぬ限り決して逃してなどくれない……。
そんな事を思わせる不穏な気配だ。
「それにしても……。ふむ」
ユーリに少しだけ歩み寄ったクラウンは一度止まると、何やら興味深気に小さく唸って顎に指を添える。
その目には好奇心の光が宿っていた。
「……なんだジロジロと、気持ちの悪い」
「いやなに。私はてっきり森聖種に進化したらばダークエルフの特徴は消えるとばかり思っていたからな」
「……」
「それなのにどうだ? 今までの不健康そうだった黒い肌は健康健全な美しさへ昇華し、燻んでいた銀髪は月明かりのように静謐で魅力的な輝きを湛えている……。この変化は予想外だ」
──ダークエルフは呪いの象徴。
かつて初代「嫉妬の魔王」がその力を手に入れた代償としてその身を汚し、霊樹トールキンの恩恵の一切を受けられなくなる〝罪〟の証だった。
しかしその血は残酷にも種族間に広まり、何の罪も咎も無い筈の者達にまでその特徴が伝播。
〝加護から外れし者〟〝逸脱の烙印〟〝魔王の残穢〟……。
エルフ族にとってのダークエルフとは、間違いなく呪いの象徴であった。
だが、今のユーリは違う。
トールキンからの恩寵を拒むかのように濁っていた黒い肌は透き通り、漆黒にまで至った様はまるで黒水晶のような艶やかで、吸い込まれるような深さを備えたものに。
黄金の光を拒絶するかのように燻み、ただ鈍い発色をするだけの銀髪は飛び切りの煌びやかさを持ち、本物の銀を丁寧に一本一本紡いだような圧倒的なまでの存在感を放っている。
それは既存の森聖種とは違った、ある種の別存在。森聖種は森聖種でも、また一つ道の逸れた先にある新たな形。
ダークエルフという呪いの先にある、新たなる可能性の姿と言えよう。
「最早森聖種」とは呼べまい。言うなればそうだな……。森深種、と呼べようか?」
「……だから、なんだ」
「重要な事だぞ? 何せこれからお前は「人族と友好を結びたい森聖種」として私に担がれるんだ。その有様はより神々しく、威容溢れる存在であれば尚、良し」
「チッ!!」
「森聖種に進化した時はどうしたもんかと苦心したが、担ぎ上げるのにこれほど好都合な事はないっ! お前は大人しく──」
クラウンはより一層笑みを深く顔に刻むと、左右の手にそれぞれ淵鯉を抜き出して構える。
「都合の良い煌びやかな宝石として、人族とエルフ族の架け橋になってくれ。ユーリ女皇帝様?」
「ッッざっけんなァァッッ!!」
ユーリは青筋を立てながら鬼の形相で魔力を跳ね上げる。
すると彼女の周りの床が数箇所盛り上がり、それがそのまま鋭利に尖ると一斉にクラウン目掛けて殺到した。
「二番煎じだな。さっきの木の根と大差ないぞ?」
「勝手にそう思ってろッ!!」
──彼等が今居るのは「霊樹拝礼の前」。どこよりもよりトールキンの恩恵を受け易い神聖な場である。
つまりここはアールヴの女皇帝であるユーリにとって、120%の力を発揮出来るこれ以上にないフィールドとなっていた。
加えてこの場は、言ってしまえば霊樹トールキンの体内とも取れる場所。周囲一面が食物を淡々と消化する胃袋のようなものである。
その一挙一動は先程の外での攻防とは比にならない威力と頑強さを誇り、膨大な魔力を内包した一撃は触れただけで人体など容易に粉砕するだろう。
そして飛び散った肉片等は余す事なくトールキンの養分として吸収されてしまい、二度と戻らぬどころかその分が還元されユーリの力となる……。
この「霊樹拝礼の間」で女皇帝である彼女と戦うという事は、そんな圧倒的状況差で戦うという事に他ならない。
「アタシのことォ、ナメ過ぎなんだよォォォッッ!!」
今までの一撃とは一回りも二回りも違う凶撃がクラウンを襲う。
……が、しかし。
「だから──」
クラウンは淵鯉に魔力を送り込みながら片手で構えると、眼前にまで迫って来た鋭利なトールキンの槍を迎え撃つかのように突きを繰り出す。
その刺突は正確無比であり、鋭利に尖った先端の真正面を一切のブレなく突き返す事で向こうの槍を引き裂いた。
更に間断なく襲い来る鋼鉄よりも尚硬いトールキンの槍を、目にも止まらぬ連続刺突による淵鯉の驟雨が如き猛攻で次々と同様の刺突により撃砕していく。
「二番煎じだと言っているっ!」
確かに、「霊樹拝礼の間」でのユーリの優位性は破格だ。敵う敵など居よう筈もない。
だが、そんな彼女の目の前に居るのは例外中の例外。
ダークエルフを超え森深種とも言える特別な森聖種へと至ったユーリよりも遥かに異様な、常軌を逸した存在である。
「──ッ!! ぐ……ゔぅぅッッ!!」
絶対的に有利な筈の自分の攻撃が、先程と変わらずいとも容易く打ち砕かれている……。それは想定よりも遥かに絶望的な現実だった。
その目を覆いたくなる事実にユーリは一瞬顔色を悪くし、脳裏に不安が過る。
このまま、また自分はヤツに床に縫い付けられるのか?
また痛め付けられ、精神を削られ……。
何の抵抗も出来ぬまま〝今の自分〟が殺されるのか?
……。
…………。
…………が、すぐさまそんな弱者の弱音を吐く自分を叱責するように奥歯を強く噛み締める。
(アタシはァ……エルフの女皇帝だッ!! 腐った出自だろうとッ! 呪われた身の上だろうとッ!! 皇族の血を引く霊樹トールキンの恩寵を受けし女王だッ!!)
──大罪スキル《嫉妬》を失った彼女に残るのは、人族に対する憎悪と復讐心。
例え同族を犠牲にしようと、例え国を踏み台にしようと果たさなければ収まらない、煮えた金属が如き歪み、熱を持った醜き邪念……。それだけは決して消えはしなかった。
されど……されどだ。
まるで《嫉妬》を失った大きな穴を埋めるかのように、ユーリの奥底から湧いてくる由来も分からぬ感情が、徐々にだが湧き出していたのだ。
それは失ったものを補う為か。
はたまた森聖種や森深種のような上位存在へと至った事による目覚めか……。
答えなどは分かりはしない。
だがそれでも、知らず知らずのうちに沸き続けていた小さな〝プライド〟は、散々踏み躙られたユーリの心身を新たな形で奮い立たせる。
「アタシはァァ……──」
「む?」
今更どの口が……などと、今の彼女の心にそんな無粋な文言は通じない。
誰が何と言おうと、ユーリは霊樹トールキンが認めし──
女王なのだから。
「アタシは女王だァァァァッッ!!」
「──っ!」
トールキンの槍の勢いが、増す。
威力は当然その連撃の速さも増し、それに合わせてクラウンの淵鯉も威力と速度を上げた。
しかし──
「あ゛あ゛ァァァァッッ!!」
「──ッ!! ほう、これはっ!?」
クラウンの淵鯉がユーリの攻撃に合わせて威力と速度を上げた直後、それを上回るようにしてトールキンの槍の攻勢が増す。
それにも合わせるようにしてクラウンが更に淵鯉を強く、速く動かすも、そんな事は許さぬとばかりにまた上回る強さと速さで猛攻を繰り出した。
「がァァあ゛あ゛ァァァァッッッッ!!」
「ふははッ! 中々に面白いッ! ならばこれはどうだ? ユウナッ!!」
クラウンが部下であるユウナの名を呼ぶ。
するとほぼ同時にクラウンの背後へ呼ばれたユウナが姿を現す。
「手を貸しなさいッ!」
「は、はいッ!!」
若干慌てながらも元気の良い返事をすると、ユウナは《読書家の万物図書館》を発動。
背後に黒檀調の本棚が出現し、そこに納められていた青色の装丁がなされた本がユウナのもとへ浮遊し、そのまま彼女の手元で開かれる。
書物の名は「水理」。数多ある《水魔法》の魔術が記された魔術書であり、ユウナはそれに魔力を通すと一つの魔術がページの真ん中から溢れ出した。
「激流の水線ッ! 「水勢の進む先」ッ!!」
その魔術は、攻撃する為のものではない。
他の魔術や水属性の攻撃に対し後付けで水による推進力を与え、更なる攻撃力を発揮させる魔術。
故にその魔術の矛先はユーリにではなく、クラウンの淵鯉であった。
「な゛ぁッ!?」
「頑張ったようだが、所詮は付け焼き刃の意地……。身内を大切にしなかった者の限界など高が知れているッ!!」
淵鯉に辿り着いた「水勢の進む先」は、内包していた魔力と結び付く事で凄まじい推進力を獲得。
先程まで少しずつ上がっていた攻勢はその勢いを数段跳ね上げ、トールキンの槍を迎え撃つのではなく徐々に駆逐し始める。
「ぐっ、あ゛あ゛ァァァァッッ!!」
「仲間など甘えか? 孤独が己を強くするか? 絆など弱者の思考と捨て置いたか? 片腹痛いわ愚か者ッ!!」
「──っ!?」
「私に言わせれば身内の助力を理由を付けて借りぬ者など愚物の所業ッ! 他者との関係を上手く構築出来ぬ者の下らん言い訳に過ぎんッ!!」
「なに、を……」
「単純な話だ。どれだけ私自身が強くなろうが関係無い──」
攻勢の増した淵鯉がトールキンの槍を制圧し、一瞬だけ間が開く。
そしてその一瞬の隙にクラウンは淵鯉を腰だめに構え、魔力を限界まで流し込み、放つ。
「仲間が多い方が、強いに決まっているだろう?」
刹那、淵鯉による神速の突きがトールキンの槍に向かい、突進。数万にも及ぶ刺突の嵐がトールキンの槍を悉く粉砕する。
跡には淵鯉によって削り取られ抉れた床のみがユーリの前に広がっていた。
「──ッッッ!!?」
技の名を《瀑雨万貫》。全てを粉砕する激流が如き連続刺突の極技である。
「孤独の限界だ。個と多を両立する私に、どうして勝てようよ……。む?」
──バキンッ!!
大技を放った直後。
まるで役目を終えたかのように淵鯉はその場で割れ、折れる。
クラウンはそれを優しく受け止めると「よくやった」とだけ呟き、美しく壊れた淵鯉を《蒐集家の万物博物館》へ収納した。
「く……そがァァ……」
「どうする? もう一度やってみるか?」
「……」
「私は良いぞ? 付き合ってやる」
そう憎たらしく言うとクラウンは入れ替わりに重墜を取り出し、肩に担ぐ。
「だがここからは私が攻める番だ」
「──ッ!」
気付けば、ユーリの目の前には重墜を振り上げるクラウンの姿があった。
音も無く、開いていた筈の両者の距離は瞬きすら許さぬ程の視認不可能な速度で埋められ、一秒と経たぬ内に眼前に死が迫っていた。
「──ッッ!!」
呼吸を整えている暇などない。
本能から来る命の危機に反射的に動いた身体に意識を合わせ、必死の思いで防御を行う。
「ほうっ! 反応したかっ!」
クラウンの膂力と重墜の自重、そして重力属性による超荷重の三重撃が振り下ろされる。
ユーリを守ろうと床から持ち上がったトールキンの盾はなんとか既のところで間に合い、クラウンの重墜を受け止めた。
「う……ぐ……」
「ふむ。伊達に進化したわけではないか? なら試してみようかっ!!」
「──ぐぅッッ!?」
やる事はシンプル。魔力を多量に注ぎ込んで重力属性を強化し、加えられる重力を何倍にも跳ね上がっていく。
「──ッッ」
「さあっ! ここからどう──む?」
重墜から伝わる感覚に、違和感があった。
頑強であるのは流石、トールキンの盾だ。先の槍とは違い防御に力を注いでいる事で今のクラウンの膂力と重墜の重力をもってしても容易には打ち破れない。
だがそれでも、重墜に伝播する感覚には振り下ろした時ほどの抵抗感が無い。
まるでそこに居るのがよく似た偽物であるかのような……。
「──ッ! 擬態かッ!!」
──エルフ族の皇帝は代々、トールキンとの親和性が桁違いに高い。
加えて森聖種へと進化を果たした事で更に高まり、今のユーリはある種トールキンと一心同体と言って差し支えない程にまで至っていた。
その領域はトールキンと己自身を〝融合〟させるまでに達し、自身の肉体を同化させる事によって身体をトールキン内なら何処へでも再構築する事が出来る。
今クラウンの目の前にしていたのはその能力を利用し肉体の入れ替えた擬態体。本物は今、トールキンと完全に一体化していた。
「ふふ。面白いッ!!」
クラウンが気付くや否や、突如として彼の周囲を取り囲むようにして床が次々と隆起。
隆起した床は形を変え始め、瞬く間に人の形を形成し、手には剣や槍、斧などの武器まで再現されている。
「ふふふッ! ふはははッ!!」
予想外のユーリの機転に笑みを溢したクラウンは目の前の擬態体を無視すると振り返り、自身を囲うトールキンの兵士達へ重墜を振り抜く。
兵士達はそんな一撃にアッサリと真一文字に両断されてしまうも、そんな兵士達の背後には新たなトールキンの兵士達が生え始め、着実にその数を増やしていく。
「ふふふふ」
「な、何笑ってるんですかボスッ!?」
「楽しいからに決まっているだろうッ!? さぁユウナッッ!!」
「あぁーもうっ!!」
ユウナは本棚から灰色の装丁の本──「重力の方程」を取り出すと開き、クラウンが天に掲げた 重墜に向かって魔術を放つ。
「重なれッ! 超常の重圧ッ! 「万有の法則たる領域」ッッ!!」
重墜にのしかかるは、破滅的な荷重力。
数トン数百トンどころの話ではない。最早重墜に掛かる重力は四桁を突破し、その重さに床が重墜を掲げるクラウンごと沈み始める。
「ふ……ぬぁぁ……」
「ぼ、ボスッ!?」
「離れて、なさいッ!!」
「──ッ!? は、はいッ!!」
ユウナが《空間魔法》の魔術で距離を取ったのを確認し、クラウンは破壊の権化と化した重墜を、思い切り振り下ろす。
「《絶潰重斬》ッ!!」
それは、斬撃と呼んで良いのか分からない一撃。
重墜が床に触れた瞬間、世界的巨木である霊樹トールキンが盛大に揺れ、戦慄いた。
接触した直後に発生した破壊の重力波は音速で周囲に広がり、徐々に増え始めていたトールキンの兵士達へ波及。
重力波に触れた兵士はその時点で動きや変化を止めると身を震わせ始め、内側から次々と弾ける。
震源地となった床も大きなクレーターを作りながらヒビ割れ、下階の城にまで伝播すると全体にまで振動とヒビが広がり、瓦礫が崩れるような轟音が鳴り響いた。
──バゴンッ!!
だが当の重墜はそんな大技には耐える事は出来ず、分厚い金属の塊である筈の刀身は半ばから綺麗に割れてしまう。
「……またな」
クラウンは砕けた重墜を回収すると、ゆっくりと振り返り一点を見遣る。
そこには──
「がふッッ!? がはッッ!!」
吐血し、這う這うの体で苦しそうに床に臥すユーリが咳き込んでいた。
「……中々良いアイデアと能力だが、的がでかくなり過ぎたな。まあ、だからと言って私と同じ事は万人には出来んだろうが」
「がふッ……ごほッ……」
「まさかトールキンごと攻撃される事は無いだろうと高を括ったお前の落ち度だ。余り私を侮らん事だな」
「ぐ……ゔぅぅ……」
「……まだ戦意は失わんか」
ユーリのクラウンを睨む目に、未だ衰えはない。
殺意と敵意と憎悪の入り混じった歪んだ炎は未だにユーリの心身の原動力として燃え盛り、尚も彼女を立ち上がらせようとしていた。
それどころか──
「あ、はは、は……」
「──? なんだ? 唐突に笑い出して」
「あ、アタシ、が……。ただ身を、隠すために、トールキンと……同化したと、思ってんのか?」
「……」
「機は、熟し、た……。テメェに、まだ、アタシが、及ばない、なら……」
「……」
「テメェの……守ってる、モン、潰してやるよォォッ!!」
直後だ。
霊樹拝礼の間の天井となっている黄金の枝葉が蠢き、何かが姿を現す。
それは、計り知れない程に巨大な三つの〝果実〟だった。
「アレは……」
「全部壊せッッ!! 森精の巨人兵ッッ!!」
その呼び掛けと同時。
森精の巨人兵と呼ばれた三つの巨大な果実達はそのまま射出。
向かう先は──
ティリーザラ王国軍・後方拠点。




