終章:忌じき欲望の末-3
最初にクラウンさんからこの話を聞いた時、私はその〝不確定さ〟に珍しさを感じた。
基本的にこの人はあらゆる事に徹底している。
特に必ず成功させなければならない──成功する事が前提の作戦や目的に対してはあらゆる面で手を抜かず、抜かり無い事前準備と情報収集には余念がない。
戦争に際して王国の諸侯貴族の弱味と強味を調べ上げて、戦場で巧みに利用したり。
予め味方に引き入れたいアールヴの人材を把握して、そんな彼等が心変わりするように誘導したり。
英雄エルダールを自身の手で倒す為に敢えて自分の思惑を露見させて有利な場に誘い出し、見事に討ち果たしたり……。
戦争そのものを、まるで事前にそうなるって知ってたかのように俯瞰して、操っていた。
元々は王国内に何人もエルフの工作員が潜伏して国勢を荒らしていて、国賊だって何人もいて、魔物を意図的に増やす装置までばら撒かれて、元「暴食の魔王」まで解き放たれた……そんな最悪の状況下から立ち直してのこれだから、本当に凄まじいと感じる。
……でもだからこそ、こんな大事な局面でクラウンさんが曖昧さを残したままで女皇帝ユーリに臨む事に疑問を持った。
そこには何か意味があるかもしれないから、本当なら将来の彼の秘書として察しなきゃいけないけれど、問わずにはいられずに素直に聞いてみた。
『女皇帝ユーリを、どうやって変心させるのですか?』と──
『……アイツを改心させる事なんて、出来やしないよ』
──ユーリの目が、限界まで見開かれる。
普段なら他人に自らの情報を握らせない為に怒りやブラフ以外では表情を変えない彼女だが、この時ばかりは虚を突かれたのだろう。
何せクラウンに、自身の《嫉妬》の権能の本質を見抜かれ、言い当てられてしまったのだから。
そんな素直な反応を見せてくれたユーリに対し、クラウンは実に満足気に──そして愉快そうに口角を吊り上げる。
「そうかそうかッ! 当たっているかッ!! 「対象の情報を書き換える」……実に末恐ろしい権能だァッ!!」
「……」
「そして何より都合が良いッ!! 何と融通の利きそうな力じゃないかッ!? 私が求めていた能力……その上をゆく素晴らしい権能だッ!! ふふふ……ふはははッ!!」
実に愉快そうに笑うクラウンに、ユーリはこの上無い苛立ちを覚える。
ただ今はそんな些事に構っている場合ではない。
何せ誰にも語らずひた隠しにしてきた己が切り札を見透かされてしまったのだ。ここまで来ては流石に誤魔化しは出来ないが、最低限でも彼のあの自信にヒビを入れなければならない。
「……なんでそんな自信満々でいられる?」
「ははは──む?」
「お前が人心掌握に長けてんだか知らないけど、アタシがどれだけ人相を変えようがそれが事実だなんて保証ないだろ。なのによくもまぁバカ笑い出来るもんだよね」
挑発を交えた指摘をぶつけたユーリだが、先程から見せるクラウンの絶えない不気味な笑顔は依然として変わらず、余裕そうに目を細める。
「……お前、私の魔法を弄ったろう? 《氷雪魔法》の魔術を何の変哲も無い水に変化させた……。魔法魔術の原則をちゃぁんと理解していれば気が付く違和感だ」
「……」
「魔法とは即ち、魔力を材料にありとあらゆる現象を再現する為の法則・ルールだ。そしてそのルールに則り再現した実際の現象と似て非なる結果を魔術と呼ぶ……」
「はん。こんな時にお勉強か?」
「授業料なら安心しろ。鐚一文とて取り逃がしなく請求してやるからな」
「けっ……」
「──で、まあ、つまり魔術というのはあくまでも本物には遠く及ばない紛い物という事だな。やり方次第でどこまでも再現度は追求出来るが、用途は限られる。やる意味は薄いな」
「……それがなんだ」
「察しが悪いなぁ。つまり私のあの《氷雪魔法》の魔術は、あんな風に水に変化する筈が無いと言っているんだよ」
「──っ!」
「だが現に? 私の魔術は水に変わった……。それもちゃんと私の魔力を材料とした水にな。こんなもの大ヒントだろう?」
「……」
「加えて言えばだ。お前、障蜘蛛の毒液を瞬時に無毒化したな? かなり複雑な配合比の毒をあんなアッサリ無毒化するのは並大抵じゃあない。毒物学の学者でもないお前があの土壇場でそれを成すなど余りに不合理だ」
「……つまり?」
「私が《嫉妬》に関して知り得ている「スキルを消す事が可能」「魔術の形態を変えられる」「激毒を瞬時に無毒化」という三つの情報から導き出せる解答……。「対象の情報を書き換える」という権能であれば、それら現象を一つの能力として成立させられるだろう。どうだ? 間違っているか?」
「……」
「おおかた《氷雪魔法》の魔術からは「固体」を「液体」に、激毒からは大雑把に「有害な物質」を「無害な物質」に書き換えたのだろう? あの場ならそれくらいがギリギリか? ふふふふ」
羅列されたクラウンの推理に、ユーリは思わず閉口する。
彼女としては先の攻防でなるべく《嫉妬》の権能を悟られない形で使っていたつもりであった。
現に今し方の中でもクラウンが説明した二つ程度しか見せておらず、スキルの消去に関してはキャピタレウスから齎されたと推測は出来るが、それでも決して答えに辿り着けるヒントの数ではな筈だった。
にも関わらずクラウンは《嫉妬》の権能を言い当ててみせたのだ。ユーリとて、不本意にも息を呑むというものだろう。
だがそれを素直に認める彼女ではない。
内心穏やかでない中、明確な答えを有耶無耶にするべく敢えて露骨に会話を逸らす。
「……妄想を口に出来て随分と楽しそうだな。今から殺す相手と長話するのが趣味なのか?」
「む? そうか? ……まあ、そうだな」
話題を逸らされたと察しながらもクラウンは気に留める事なく落ち着いたように目を伏せ、中空に両手を翳すと《蒐集家の万物博物館》を発動。
右手に音響属性の糸を出す籠手である綢繆奏を、左手に磁気属性の可変する棍である道極を出現させる。
「──お前は当然、私が目指すこの戦争の終着点が何なのか……承知しているだろう?」
「……ティリーザラとアールヴの和平締結っていう、あの現実味の無いバカげた理想の事か?」
ユーリは心底呆れたように鼻で笑いながら、今し方クラウンが召喚した二つの武器に目をやり、眉を顰める。
「確かに馬鹿げた理想だろう。唾棄すべきとさえ揶揄される実に甘く子供じみた夢想だ。……私でなければ、な」
「あ゛ぁ?」
「お前とて理解はしているだろう? 現在の戦況が如何に我が軍に優勢に傾き、誰もが夢見る圧倒的なまでの勝利という結果が実現間近だという現実を」
「……」
「ふふふ。まあ、それを為した当人である私が、余り口述し過ぎると滑稽になってしまうがな。とはいえ、だ──」
手元の道極を片手間でクルクルと弄びながら、まるで憂うような目でクラウンはユーリを見遣る。
「国同士の和睦にしろ、王国民とアールヴ民の和解にしろ、人族とエルフ族の和平にしろ……。女皇帝であるお前がそれを許容せん限りはどうしようもない」
「私がどう上手く戦争操ろうがな」と付け足しながら、困ったように眉を下げ失笑を漏らす。
「……つまりお前にとって、アタシは邪魔でしかない……か?」
「邪魔だなんて卑下するなよお嬢ちゃんっ。私にとってお前は、決して無くてはならない存在だ。そう謙遜されては困るな」
そこで、ユーリは盛大に怪訝そうに眉をひん曲げ、理解出来ないとばかりにクラウンを睨む。
「……なに? お前はアタシを殺しに来たんじゃないのか?」
「殺す? まさかっ!!」
道極での手遊びを止めると、次にクラウンは床につけた道極に体重を預けながら綢繆奏から糸を出し、それを指に交互に張って弦の様にすると弾いて音を鳴らし始める。
「お前を殺すのは簡単だ。私の実力の何分の一程度の戦力でしかない擬態ゴーレムを相手に先程の為体では、到底私には敵わんだろう。暗殺、潜入のプロではあっても、お前は決して戦闘で私に優位には立てん。それが事実だ」
「……」
「だがお前を殺した所でどうなる? お前は自身以外の皇族の血を既に根絶やしにし、加えて他の皇帝に相応しい人材すら間引いただろう? だからお前のようなダークエルフでも皇位に就けたわけだからな」
「……ケッ」
「アールヴは種族意識が比較的高い。それ故にアールヴ国民は決して皇族以外や無能が国を導く事を忌避するだろう。そんな事になっては幾ら和平を結んだところで混乱が生まれ、長引く……。ティリーザラにだって波及しかねん」
「……なら」
「そう。ならばお前に改心して貰う他ないわけだ。笑顔で本心から人族の手を取り、清き心でエルフ族に共存共栄を謳って貰わねばならん」
「……くふっ」
「む?」
「くふふふふ……きゃはははははッ!!」
突然哄笑を上げ始めたユーリ。目には薄っすら涙をすら溜め、腹を抑えて笑っている。
そしてそんな彼女を、クラウンは目を細めて見据えた。
「……随分と忙しいヤツだ。疲れないか? そうコロコロ感情を変えるのは」
「くふっ……だってお前、笑うだろこんなのっ!? アタシが? 改心して? クソゴミ人族と手を取り合う? くふふふふ……あるかァッ!? そんな未来がッ!!」
「……」
「それにつまりはアレだっ! このアタシが首を立てに振らない限りはテメェの望み通りになんかならねェわけだッ!! くふふふ……傑作だァ……。最後の最後に一番大事な部分をアタシに委ねるなんてェ……。とんだ大マヌケだッ!! きゃはははッ!!」
「……もういいか?」
「はははは──あァ?」
一つ嘆息を漏らしたクラウンは指に張らせていた糸を解くと居住まいを正し、道極を肩へと担ぐ。
「それだけ笑えば充分だろう? 今のお前最後の大笑いには」
「……どういう意味だ?」
「行間を読め──と言いたい所だが、大サービスと口にした手前だ。血を流す気は毛頭無いが、大出血だ」
そこまで言うとクラウンは綢繆奏を勢いよく天に掲げ、その五指の指先から糸を放出。霊樹拝礼の間に糸を張り巡らせる。
「私はなユーリ。お前から《嫉妬》を奪って、お前を人族に友好的な純真無垢の幼き皇帝にしてやるつもりでいるんだよ」
「…………は?」
ユーリは、クラウンの言っている意味が分からなかった。
自分から《嫉妬》を奪うという言葉も勿論であるが、何よりその後に続いた〝人族に友好的な純真無垢の幼き皇帝〟という、余りにも自身と掛け離れた人物像を聞かされ一切の理解が及ばない。
(コイツは……何を言ってるんだ?)
純粋な疑問だ。徹頭徹尾全く、理解出来ない。
ただそう語ったクラウンの言葉は……今まで一度だって感じた事の無い、心胆を寒からしめるような得体の知れない何かをユーリに直感させ、無意識に額から冷や汗が流れ落ちる。
「私とて、お前が打算なしに人族と友好を結ぶなど微塵も思ってはいない。例え私が説得なり何なりするにしろ何百何千日掛かるか……。考えただけで気が滅入る」
「……」
「ならばそう、一層の事だ。無理矢理にでもお前の記憶と心を歪め、私の望むような人格に変えてやる方が都合の良いだろう?」
「──ッ!?」
……自分が言える事ではない事は百も承知している。
散々他者を貶めて痛め付けてきたし、身内にも容赦無く制裁や理不尽を働いたし、今では無責任にも国や国民を見捨てて復讐にだけ神経を注ぐ最低最悪の人格だと理解している。
ただ、それでもだ。
ユーリはその発言を何の抵抗も無く口にしたクラウンに対し、咄嗟に思ってしまった。
(コイツ……頭イカれてんのかッ!?)
道徳や常識、倫理観が正常な人間では決して出ない発想……。
狂気じみていて圧倒的に身勝手で。
冒涜と侮辱をさも当然かのように敵に押し付けながら我儘を何の躊躇も無く語る……。
何をどうしたらそんな残酷で無慈悲な鬼畜の思考が出来るのか……。尚の事ユーリはクラウンが理解出来なくなり、そしてこの時初めて彼に──怖気を感じた。
「……お前、アタシなんかよりよっぽど、魔王だよ……」
「ふふふ。現役女皇帝のお墨付きとは光栄の至りだ。──ただ残念でもある」
「な、にがだ……」
「何って分かるだろう? ──これからお前の心を粉々に砕いて、皇帝の威厳やら威光やらを最底辺にまで叩き落とすんだからな」
そう言って爽やかに笑い、クラウンは担いでいた道極を軽快に振り回して腰を僅かに落としながらユーリに構える。
「……それ、アタシから《嫉妬》を奪ってアタシの人格変える事と関係あんの?」
「勿論。ああだが、自ら私に献上するというのであれば話は変わるが?」
「はん。拷問された方がマシだな」
「ふふ。だろうな」
「……またさっきの土人形だったりするか?」
「安心しなさい。ここから本物の私が本気でお前を殺さぬ程度に徹底的に痛め付ける。ロリーナと共にな」
「よろしくお願いします」
ロリーナは丁寧に会釈をすると彼に習うように細剣を構え、ユーリを見据えた。
「……自分より弱いヤツ相手に二人がかりって……。恥ずかしくねぇの?」
「それが目的だからな。ここからはちゃんと戦えるなどと思うなよ? 泣こうが喚こうが私が目的を果たすまで手は一切止めん。何時間何十時間でもイジメでやるから覚悟しろ」
「……アタシの人生、こんなんばっかだな」
──その頃。霊樹トールキン地下・研究区画第一層。
「ちょっとちょっとちょっとォォォッッ!?」
「多過ぎじゃないですかねェェェェッッッ!!」
研究区画はユーリが皇帝の座に就いてから新設され、「魔力開発局」の中枢ともいえる区画である。
地上階層のような極まった木造建築の街並みとは異なり実に先進的に整備されており、その殆どが鏡面仕上げにまで磨き上げられた石材で構成されており、トールキンの根と根の間を活用し様々な研究分野の施設が点在。
その様相は宛ら蟻の巣の様に複雑に街道と昇降蜘蛛乗り場が張り巡らされている。
──そんな地図無しでは迷宮入り必至な研究区画にて、クラウンの直属の部下であるヘリアーテ達が目的の施設へ向けて進んでいたのだが……。
「そ、そりゃぁよぉおっ!! 素材たんまり手に入るのは分かるけどよぉっ!!」
「やってもやってもぜーんぜん減らないんだけどーッ!?」
今現在彼等六人が居るのは研究区画の中層に差し掛かった施設──「魔生物部門」が存在している場所。
そして彼等の周囲に走る廊下からは、次から次へと無数の魔物が殺到していた。
「て、敵の魔物使いって何人居るんだったっけぇっ!? ロセッティっ!?」
「そ、そそ、そんなに居なかったはずだよっ多分百人弱しか居ないって……」
「え、じゃあつまりコレ……」
「た、多分その百人弱が、片っ端から魔物の檻開けて回ってるんじゃないかな──あっ! ティール君後ろっ!!」
「えっ。ちょ、わっ!? あっぶなっ!?」
鋭い牙と角を生やしたウサギがティールへと飛び掛かったのを、ロセッティの呼び掛けにより彼は何とか回避。
不意打ちを避けられたウサギはそのままロセッティによる《氷雪魔法》の魔術によって一瞬で氷漬けにされる。
──魔生物部門の部門長であるエルウェは今、ティリーザラ軍で捕縛され投獄されている。
故にこの部門の責任者は現在副部門長に一任されており、部門長である彼女とは違って戦闘力皆無の副部門長はヘリアーテ達が研究区画に侵入を果たした報せを聞き、慌てた。
一向に戻って来る気配も無事である報告も入ってこない自分達のリーダーの安否に元々不安を募らせていたが、ここにきて全く想定していなかった侵入者の登場にパニックに陥ったのだ。
結果、副部門長は部下達に檻の中の改造魔物達を手当たり次第に解放するように命令。
自分達は最奥にあるシェルター内にて引き篭もり、ヘリアーテ達が全滅するのを待っている状態であった。
「一匹一匹は弱い、けどっ! 数がっ! 多いのよっ!!」
ヘリアーテの《雷電魔法》による数万ボルトの雷撃が狼型の黒狼の群に飛来し、煙を上げて床に臥す。
「これじゃあいつまで経っても最深部に行けないっ!!」
ユウナの《読書家の万物図書館》から取り出された魔術書から複数種の魔術が放たれ、無数の蜂型魔物を次々と撃ち落とす。
「それにいつまでものんびりしてらんないからねー」
「ああっ! 早く切り抜けねぇとアイツらに追い付かれちまうしっ! それじゃあ意味がねぇっ!!」
体長三メートルに及ぶ体躯のヒグマ型魔物をグラッドが背後から関節を切り裂いて動きを封じ、ディズレーが《磁気魔法》によって巨大なハンマーと化した斧を魔物の頭部目掛け打ち付けた。
「ん゛ん〜〜ッッ!! もうっ!! こんなん聞いてないわよボスーーッッッ!!」
六人は四苦八苦しながら研究区画の最深部を彼等を導くようにして目指す。
全てはそう、クラウンによる遠大な計画成就の為に……。
皆さん薄々お察しの事とは思いますが、クラウンとユーリでは戦力差に大きな隔たりがありまともな勝負になりません。
そこに加え《嫉妬》の権能を看破され、ロリーナまで加わります。よって、ここから先の戦闘描写は最早戦闘ではなく明確に〝ユーリを痛め付ける〟戦いになるので、そこはご理解ください。
今後、ちゃんと面白くなりますので!!




