終章:忌じき欲望の末-2
牽制や窺測を一切挟む事無く、戦端が開かれた。
初手はクラウン。近接戦用のスキル構成に切り替えながら一気にユーリとの距離を詰め、燈狼を一切の迷い無くユーリへと横に薙ぎ振るう。
燈狼の刀身から放たれる高熱に晒されながら、ユーリはそれを既のところで上体を逸らす事で回避。
腰に佩ていた短剣をその状態から瞬時に抜き放つと、身体を捻りながら燈狼の刃の横っ腹へと短剣を押し当て、身体を捻った力を合わせながら燈狼の斬撃の軌道を逸らす。
更にその態勢から軌道を修正しようとする燈狼の力を利用し、敢えて全身の力を抜く事で自身を斬撃の勢いで飛ばさせ、斬撃範囲から脱出してみせた。
「器用な事をっ!」
自身の攻撃を利用して距離を取る事に成功したユーリにクラウンが口角を上げながら思わず漏らす。
だがそれを許す彼ではない。
「──っ!? くっ!!」
クラウンを利用して飛んだその先。そこには一連の短い攻防を具に観察し、先回りしていたロリーナが細剣を構えていた。
「くそがっ!!」
ユーリは咄嗟に身を捩り、ロリーナの攻撃を迎撃しようとする。しかし──
「甘い」
「──っ!!」
体勢を変えようとした最中、魔術特化型へとスキル構成を変えたクラウンの《新秩序》を併用した《氷雪魔法》による魔術「死の氷柱」が発動。
床に置かれた手から凄まじい速度で氷の道がユーリへ伸びていき、彼女の足が床に設置した瞬間、無理な体勢のまま下半身を瞬く間に氷結させその場で固定されてしまう。
「容赦は不用だっ!」
「はいっ!」
クラウンの掛け声に答えるように、ロリーナはそんな固定されただの的と化したユーリへ暴風雨が如き連続刺突技《荒梅雨》を放つ。
だが──
「甘いのはどっちだっ!!」
《荒梅雨》の切先がユーリを穿つ直前。彼女を床へと縫い付け、固定していた筈の氷は一瞬にして前触れもなく突如として融解。何の変哲もないただの水へと化した元「死の氷柱」は当然ユーリへの拘束力を失いそのまま床を濡らして終わった。
「むっ!?」
突如として水へと液化した自身の魔術にクラウンは思わず眉を顰める。
(氷を、水に? 融かした──いや、有り得ん。そういう魔術ではない。ならば、何を、どうやって?)
魔法による魔術とは、あくまでも現象の再現であり決して本物ではない。
反面やり方次第では常識ではあり得ない性質、挙動、耐性を有した再現を可能としており、クラウン並みの魔術の熟練度ならば名称や見た目だけで対策を練るのは極めて困難だろう。
実際、先程の「死の氷柱」は熱や炎等による温度変化で水へ融解するような性質を有していない。つまりは融けないのだ。
だが先程ユーリが見せたのは明らかに氷が水へ液化する様そのもの……。氷として何ら不思議ではない変化が起きていた。
(見付けろ。共通点、法則性、条件……。それらを事前情報と関連付けて導き出せっ!)
──クラウンにとってユーリの戦闘力は未知数であり、それを把握するにはこの戦闘の一瞬一瞬、一挙手一投足を推し量る事で絞り込んでいくしかない。
ただ全く情報が無いではない。
以前、クラウンの師匠であるキャピタレウスから聞いた「嫉妬の魔王」との戦いとその結末……。そしてそれによって生じたユニークスキル《救恤》の消失は少ないながらも彼に能力の糸口を示していた。
(間髪入れず、責め立てるっ!)
氷の拘束から解き放たれ自由になったユーリは、そのまま短剣で最低限の突きを防ぎながら背後に倒れ込む形でロリーナの《荒梅雨》を回避。
そして柔らかい関節と瞬発力を活かしてその場から這うようにロリーナの死角へと回り込むと、技スキル発動直後で回避し切れない彼女へ使って短剣の切先を突き出し迫った。
「届きませんよ」
「チッ!」
しかし、ロリーナは《荒梅雨》を繰り出す前──もっと言うならばユーリに狙いを定める前から自身の隙となり得る箇所へ予め《光魔法》による結界の魔術を仕込んでおり、それによりユーリの刃はその結界に阻まれ、弾かれてしまう。
「ハッ!」
《荒梅雨》の硬直明け直後、ロリーナは素早く手に持つ細剣を逆手もに切り替えると、その柄頭に《嵐魔法》による小さな嵐球を生み出す魔術を発動。
短く息を吐くと同時にそれを破裂させる事で爆発的な推進力を発生させ、予備動作無しの高速の突きをユーリへ繰り出した。
その切先は何一つ迷い無く彼女の顔面に向かっており、当たれば即死は必至だったが……。
「ヌルいなぁ……っ!!」
そんな自身の命を刈り取ろうとする細剣に対し、ユーリは笑う。
そして次の瞬間──彼女の身体が床に沈んだ。
「──ッ!?」
ロリーナは視線を、沈みゆくユーリに向ける。
すると彼女の足元──トールキンの輝く葉に照らされる形で出来上がった影に、足から沈んでいたのだ。
(《陰影魔法》っ!? だから、この「霊樹拝礼の間」にっ!?)
今クラウン達が戦っている霊樹拝礼の間は、霊樹トールキンの最上部に位置する関係上、霊樹の生い茂る黄金の葉が天井として覆っていた。
つまり霊樹拝礼の間には四六時中、部屋全体を黄金の光が照らしている。
故に一度部屋内に物体が存在しようものならば、そこには濃く深い影が容易に生まれてしまう。例えそれが、ロリーナという小さな影だとしても……。
ユーリはその小さな影を利用し、更に小さい自身の身体を《陰影魔法》により沈めさせ、既のところでロリーナの刺突を躱してみせたのだ。
そしてユーリはそのまま身を預けるように影の中に身体を埋めていき、その姿を完全に影に沈めてしまう。
「クラウンさんっ!」
「任せなさい」
本来ならば《陰影魔法》は相当厄介な部類の魔法である。
攻撃的な面で言えば他の複合魔法と比べ数段落ちてしまうが、こと奇襲や不意打ち、暗殺等の搦手に利用するならば他の追随を許さない万能性を誇る。
闇夜は勿論、陽の差す日中であろうと必ず影は生まれる。《陰影魔法》を習得している者にとってはこの世に潜めぬ場所は無いと言えるだろう。
そして一度影に潜られたらば最後、それを打破する術は限られてくる。まず、初見でそつなく対処する事は困難を極める。
加えてユーリは近接戦闘の中でも、どちらかと言えば奇襲や不意打ちを得意とする。《陰影魔法》を使わせたならば、彼女の戦闘力は白兵戦時の数倍跳ね上がる。
──だがクラウンを相手に、魔法、魔術を利用する戦闘は悪手だと言える。
「世界最高位魔導師の弟子たる私に気でも遣っているのか? これは期待に応えてやらねばなるまいよ」
至極嬉しそうに呟くと、クラウンは一つ指を鳴らしてから両手に魔力を集中させ、その手を床に振り下ろす。
「踏み抜けぬ暗澹を震わせ、慄け──「黒影の戦慄き《ブラック・シェイカー》」……」
直後、クラウンの両手から膨大な魔力が拡散。波打つように広がったそれは、目では到底捉え切れぬ程の細かく、そして大きな〝振動〟であった。
「がぁっ!?」
振動は床を瞬く間に覆い尽くすと、元々広がっていた無数の影全てに一極集中。影だけに夥しい周波数が叩き込まれると、影の内の一つから顔面の穴という穴から血を流すユーリが悲痛な息を漏らしながら飛び出した。
「がっ……クソ、が……《震動魔法》、なんて……」
──《震動魔法》。特性は〝震える〟。《水魔法》《風魔法》《地魔法》《光魔法》の四つの魔法を複合させた大業魔法であり、規模で言えば《万象魔法》に連なる高等魔法となっている。
その権能は実にシンプル──あらゆる物を振動させ、震えさせるというもの。それ以上でも以下でもない。
だがこの魔法の恐ろしい所は、その単純さ故の圧倒的な影響力にこそある。
緩慢で間延びしているが災害級の揺れを発生させる事も、逆に素早く小刻みにな振動を特定のポイントにのみ集中させる事も自由自在。
使い方次第では街一つを未曾有の震災に陥れる事も、鎧を着込んだ相手の肉体のみを破壊する事も可能。
それが大きかろうが小さかろうが、遠かろうが近かろうが関係無く。
硬くあろうが柔らかくあろうが、有機物だろうが無機物だろうが関係無く。
果ては水も、空気も、電子でさえ作用する。
それこそが《震動魔法》。万物を揺らし破壊し得る大業魔法である。
「ほう。《震動魔法》を知っているなど随分と勉強熱心だなぁ? 過去私を除いて二名しか習得し得なかった魔法だぞ? 一体誰に教えられたのやら」
「ぐっ……」
「まあいい。それについては今は無粋だな。──ほらほらどうした? いつまで影に浸かっている? それとも影に潜りながら全身を掻き混ぜられる感覚が気に入ったか? 良いぞリクエストは大歓迎だ」
「……チッ」
クラウンの煽りに舌打ちで答えたユーリは徐に影から身を出し、血だらけの顔を荒っぽく拭うと短剣を構えた。
「ほら、来い──」
それに応えるように、クラウンは《蒐集家の万物博物館》から燈狼と入れ替える形で障蜘蛛と間断を取り出して鷹揚に構える。
「私と遊ぼうじゃないか」
「誰がッッ!!」
ユーリは一瞬大きく息を吸い込むと床を蹴り、一直線にクラウンへ踏み込む。
逆手に持った短剣の刃先がクラウンへと吸い込まれるように滑らかに振り払われるが、それを彼は笑いながら──涼しい顔でアッサリと弾いた。
弾かれた事で生まれてしまった隙を返す刀ですかさずクラウンが追撃。激毒滲み出す障蜘蛛の切先が、ぬらりと彼女の首筋に伸びる。
「くっ!!」
それをユーリは半ば無理矢理身体を捻る事で何とか躱し、刃から跳ねた毒液が数滴、顔に飛び跳ねた。
「……っ!」
「む?」
しかし、付着した毒の水滴が小さな煙を上げ鋭く染み入る痛みが走っている筈の障蜘蛛の毒は、付着して間も無くその毒々しい液色を真っさらな透明なものへと変え、全く無害そうなものへ変貌してしまった。
(……これは、まさかっ!?)
何か取っ掛かりを掴んだクラウンは、その可能性を頭に置きながらも追刃を止めない。
無理に身体を捻った事で体勢が不安定なユーリに、今度は間断を振り抜く。
「──ッ!?」
ユーリに迫り来る間断の刃の姿は無数にブレている。間断の《歪曲》により刀身が幾つもに分身しているのだ。
その凶刃が一体自分の何処を狙っているのか、ユーリにはこの一瞬の攻防では定められない。
「く、そがぁッ!!」
このままでは急所を突かれるワケにはいかないと判断したユーリは咄嗟に身体を縮こませ、折り畳んだ腕と足を盾にする。
「ぐ……っ!!」
「ほうっ! 素晴らしい選択だっ!」
間断の刃がユーリの肩口に深々と刺さる。
本来決して何も侵入しなかった筈の深部に、冷たく大きな刃が異物感と激痛を伴ってユーリを襲う。
「だがそこからどうするっ!?」
「……っ」
間断を突き刺したまま、クラウンの障蜘蛛の追撃が伸びて来る。
間断の本領は投擲と攻撃点の誤認、そして瞬間的な回収能力にこそあり、攻撃自体に特異性は無い。
ただ障蜘蛛に関しては全くの別。刃から滲み出す激毒は凶悪な溶解性と麻痺毒を有しており、嵌め込まれた二種の魔石の効果で毒性も向上している。
更にクラウンの毒関連のスキルにより送り込む魔力次第で様々な配合比率を再現可能。その刃がユーリを傷付けようものならば、今肩口を苛んでいる間断とは比較にならない被害を被るだろう。
ユーリはそれを察し、自身に迫る必死の刃を前に何かを諦めたかのように小さく息を吐いた。
「……チッ」
無意識の舌打ちをした後、ユーリは障蜘蛛に手を伸ばす。何も持たない手を。
「──っ!」
「獲ったッッ!!」
ユーリが突き出される障蜘蛛を握るクラウンの手を掴む。
自身に毒が降り掛かろうが、擦れ違い様に障蜘蛛に触れてしまい手を少し切り裂いてしまおうが関係ない。
彼女はただ掴んだクラウンの手に膨大な自身の魔力を弾けさせ、勝利を確信したかのように口角を散り上げると、スキルを発動させる。
魔王の証明たるスキル──《嫉妬》を。
「さぁッ!! 無能になっちま──ッッ!?」
しかしユーリの魔力がクラウンを襲った直後、当の浴びせた本人が困惑に表情を染め上げる。
可能な限り眉を歪ませ、上げていた口角が急降下し、額に焦りの汗が滲む。
そして《解析鑑定》を使い手にするクラウンを鑑定した直後、ユーリの表情から感情が抜け落ちる。
「なん……だ、これ……。つち、くれだぁあ?」
「ふふふ。成る程、成る程なぁ……」
「──ッッッ!?」
クラウンの声が、ユーリの鼓膜を叩く。
しかしそれは目の前のクラウンからではない。
彼女の背後──先程から一切手を出さず何故か静観していたロリーナの隣の何も無い空間から発せられていた。
「……っ」
ゆっくりと、ユーリはそちらに振り返る。
すると何も無い筈のロリーナの隣の空間が突如として陽炎のように揺らめき出し蒸発するが如く散り、その裏から本来の景色が現出した。
心底愉快そうに、心底邪悪に、心底面白そうに嗤う、クラウンの姿が。
「どうだった? 今の私が作り出した擬態ゴーレムの相手は。中々に出来が良かったろう?」
「擬態、ゴーレム?」
ユーリは咄嗟に、自身が握るものへ再び振り向く。
その直後、クラウンの姿をしていたそれは先程本物のクラウンが現れたように景色が霞だし、本来の姿である人型で無機質な土塊が姿を現す。
「な……」
「《精霊魔法》で作った土塊のゴーレムだ。そのガワを、《幻影魔法》で私に見せ掛けていたわけだ」
そう言うとクラウンは指を鳴らしユーリの前のゴーレムを、それが持つ間断の座標を利用して自身の側に転移させ、持たせていた障蜘蛛と間断を回収する。
「まあ、武器だけは本物を使わざるを得んからこうして持たせてはいたがな」
「……いつ、だ」
「む?」
「いつか、ら……その土人形に変わってたんだっ!?」
「……お前が呑気に《陰影魔法》で影に潜っている時だ」
「──っ! バカな……あの、一瞬で……」
「さっきも言ったろう? 世界最高位魔導師の弟子の私に、暗殺暗躍が得意なだけのお前が魔法で対抗しようなどと、随分と烏滸がましい話だよなぁ?」
──《陰影魔法》の魔術は多種あれど、その大半が作り出した影の空間に身を沈める事が前提にある。
そして影の中に潜るという事は、かなり搾られてしまうという事。特に〝視界〟に至っては顕著だ。
勿論、その対策は充分に可能だろう。
だがこの時の相手は、世界に名を馳せる最高位魔導師の最期で最高の弟子──クラウンである。
「どうせ私が影の中に潜むお前を探り当てるまでに、状況を整えようとでもしたのだろう? 罠を仕掛けるなりブラフやハッタリをかますなり、な」
「……」
「その点に於いては、寧ろお前の領分だったろうな。もしかしたら暫くは、お前の相手に手こずったやもしれん」
「……チッ」
「だが残念。そんな暇を与える程、私は無知ではない。《陰影魔法》も当然、熟知している。あれだけ時間をくれたなら、ゴーレムを用意して《幻影魔法》を重ねて私のフリをさせるくらい、充分に可能だ」
笑顔を見せるクラウンはそこまで言うと指を弾く。
瞬間、クラウンの左右五箇所にポケットディメンションが開き中から土が飛び出し、それが忽ち人形に変形。
瞬き一つした後には既にそれら土人形たるゴーレムが《幻影魔法》によって全てクラウンの姿へと変貌した。
「……」
「まあ、そんな事はいいんだ。そんな些細な事はどうだっていい」
「……ああ?」
クラウンが手を叩くと、ゴーレム達の姿は一瞬にして元の土人形に戻り、全てポケットディメンションに落ちて消えた。
「今の一連で漸く掴めた。お前のユニークスキル《嫉妬》の、大まかな権能が」
「……何?」
──先述したように、クラウンはユーリの能力が分からないまでもある程度は推察していた。
前「嫉妬の魔王」と対峙したキャピタレウスから聞いた話によれば、宰相として皇帝を操っていた彼女は完全な内政向きの、魔法を主体に戦うタイプであったという。
魔法での勝負で最高位魔導師のキャピタレウスが遅れを取るわけもなく、彼女も中々の使い手ではあったがそれでも、彼には手も足も出なかった。
だがそれ故にキャピタレウスは僅かにだが油断し、彼女に接近を許して組みつかれた──その直後に、彼は強大で凶悪な魔力に呑まれてしまい結果、《救恤》を失った……。
これを聞き、まずクラウンはユニークスキル《嫉妬》は少なくとも対象に触れた場合に発動する権能の可能性を推察。
そこから先程のユーリとクラウンの姿をした擬態ゴーレムとの戦闘を俯瞰して観察する事で、彼はその実態を掴んだ。
「ユニークスキル《嫉妬》……。それは他者のスキルを消すなんて単純なものではない」
「……」
「──〝対象の情報を書き換える〟。それこそが《嫉妬》の権能、だろう? 「嫉妬の魔王」よ」




