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第十三話



 戊辰戦争が終わった。


 箱館山から見える景色は凄惨につきた。

 あたりは死体で埋め尽くされ、山から見下ろすいたるところに煙がくすぶり、箱館山にも硝煙と血の臭いが立ち込めていた。

 そんな山の山頂から桜井涼介は、切り株に腰を下ろしていた。

 彼の黒い軍服は土埃と返り血で汚れている。だらりと垂れ下がった右手には、血に濡れた刀がある。

 涼介は暗い目をしてあたりを眺めている。それは、何かを惜しむような瞳だった。

「桜井。ここにいたか」

 そんな声が聞こえて振り返る。声の主は稲垣だった。彼もまた、埃まみれの軍服を着ていた。

「なんか用か?」

 涼介はぶっきらぼうに訊ねる。

「ご苦労だったな」

 稲垣が軽い口調で言うと、涼介は間髪入れずに口を開く。

「それはもう、俺はお払い箱ってことか?」

 予想はついていた。刀しか振れない自分はもう要らないのだろう。これからはこんな凶器じぶんは要らないのだから。

「何を言っている? お前にはまだまだ働いてもらうぞ」

「はっ?」

「維新は成った。……だが形だけだ。この形だけの新時代を私の元で、お前は守るのだ」

 涼介は嘲笑した。

「守る? 俺が? ふざけるなよ」

 冷たい視線を稲垣にぶつける。しかし、彼は飄々とした様子で。

「なら、これからどうする?」

 この問いに涼介は眉を動かした。

「武士が偉い時代は終わったのだ。刀は振れなくなるだろう。もしかしたら、携帯しているだけで違反になるかもしれない。そんな時代を、お前はどう生きるつもりだ?」

「…………」

 返す言葉が見つからない。

 涼介は黙ってしまった。

 稲垣も黙る。

 沈黙が続く。

 ややあって――。

「…………考えておく」

 そう答えた。

「そうか」

 稲垣は頬を緩ませた。

「私は黒田さんと話をしてくる。あと、そろそろ東京に戻るから感傷に浸るのもそれくらいにしていろよ」

 そう含み笑いを浮かべながら、稲垣は去って行った。

「はぁ……」

 涼介は苦々しくにため息を吐く。そしてまた、空を見上げた。

「……」

 答えを留意したが、選択肢は一つしかないと理解できた。

 明治という新時代は侍にとって生きにくい世だ。

 自分は刀を振ることしかできない。ならば、答えは自然と出る。

 ――これからも、稲垣も下で働く。

 涼介は相変わらず青い空を虚ろな瞳で眺めた。




 空が白んできた。

 涼介は石段に座っている。肩越しに境内を見やった。彼がぶっ倒れたあと、いろいろと事後処理が行われたらしいが、まだ血の匂いがする。五十嵐親子の姿が見えないのは涼介にとって都合がいい。できればニ度と顔を合わせたくない。

「はぁ……」

 涼介は深くため息を吐いた。

「何度も言うが、ため息を吐きたいのはこっちだ」

 振り返ると、稲垣が背後にいた。

「なんか用か?」

「その言い草はないだろ」

 稲垣が呆れた。

 涼介は鼻を鳴らし前に視線を戻した。

 しばらく沈黙が続いたが、稲垣は何か考えて思いついたのか、口を開いた。

「話をしよう」

「あ? 別に構わないが」

 涼介は訝しく思いながらも頷いた。

「お前は何を迷っているのだ?」

 突然切り出された会話に涼介は思わず振り返った。

「なに、言ってんだよ……」

 涼介はしぼり出すような声で言った。目が揺らいでいる。

 稲垣は薄く笑った。

「私は、ただそう思っただけだ」

 そう言いながら涼介から目を離し、ところどころ、地面が赤く染まっている神社を見渡す。

「今回お前が始末したのは、党員の半数以下だ。つまり、生きている者も半数いる」

 彼は淡々と語る。

「なにが言いたいんだ?」

 涼介はまた訊いた。稲垣は無視して続ける。

「だからこういうことだ。今回の件は特殊だった。が、お前は良い成績を残した。だが、これがおかしい。長年お前を見てきて、こんな味気ない終わり方はなかった。お前なら全員始末しているはずだ」

 稲垣はここで言葉を切る。

「それがなんだ……?」

 稲垣はまた笑った。まだしらを切るか……。

「半数も始末できていないのは、剣のキレが鈍っている。つまり……」

「……」

「何かを迷っている」

 稲垣は犯人を突き詰めたみたいに自慢げに涼介を覗きこむ。涼介は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。

「そして、お前がそんなボロボロになってまで何がしたかったのか?」

 彼は頭に包帯を巻き、左腕を吊っている。

 涼介は黙ってしまった。ふてくされた子供のようだ。

「鍛冶屋のおっさんが言ったんだ」

 口を開いた。

「ん、村上が?」

 稲垣も村上とは旧友の仲だ。一介の鍛冶師と元維新志士で警察の幹部の人間が知り合いというのも不思議だと涼介は思っているが今は置いておく。話を進める。

「『人のために剣は振れないのか』ってな。ハハッ、笑えるよな。えらそうに説教じみた言い方だった。それで……」

 涼介は言葉に詰まった。

「それで?」

 稲垣は促した。

「だけどそんな戯言を言うつもりはない」

 その言葉に稲垣は何も答えられなかった。

 そして涼介は遠い目をして、静かに呟いた。

「…………結局、何にも変わらなかったしな」

「何か言ったか?」

 稲垣には聞こえなかったらしい。

「いや。……話は終わりだ」

 乱暴に言い放つと、腰を上げようとしたら稲垣に呼び止められた。

「勝手に終わらすな。もう一つある」

「なんだよ?」

「午後には五十嵐邸に行くぞ。それまでに署に戻ってこいよ」

 涼介は目を見開き、髪をがしがし掻き回した。

「はぁ!? ふざけるな! もうアイツらとは会いたくねぇぞ」

「何を言っている? 謝罪ぐらいはしておかないとな」

「謝罪は決まっているのかよ……」

 涼介はげんなりした。

「それに、あかね嬢はお前に会いたがっているだろう」

 涼介はまた目を剥き、失笑した。

「なんでだ? ふざけるな。馬鹿じゃねぇのか?」

 憎まれ口を叩き、涼介は背を向けた。

「どこへ行く?」

 稲垣が訊いた。涼介は石段を下りながら右手に持っていた刀を上げた。

「ちょっとな」

「こんなに朝早くか? 村上に同情するよ……」

 涼介はフンと鼻を鳴らして行ってしまった。

 稲垣がため息を吐き、無愛想な男を見送る。

 ふと思ったことを口にした。

「あかね嬢はあんな奴のどこがいいのだ?」




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