第十二話
稲垣は石段を駆け上がっていた。
彼はたった四人――もう一人は応援を呼びに、署に戻った――の部下と、この事件の被害者の五十嵐弥太郎を引き連れている。
稲垣は涼介が気がかりでならない。
涼介が一度刀を抜けば、現場が惨劇になるのは見えている。あかねが無事かどうかは見当がつかない。
稲垣は弥太郎に目を向けた。
彼は血相が良くない。
稲垣は息を吐いた。
――やはり、弥太郎殿を連れてくるべきなかった。
今更そんなことを言っても後悔先に立たず。だから今は、遼介はともかくあかねの安否が無事かどうかを祈るだけだ。
そして、石段を上りきり、足を止めた。
「これは……」
部下が一人呟いた。ほかの者たちも驚愕している。
もちろん、弥太郎はこの臭気に鼻に手を当てていた。
稲垣はあまり驚いていない。こんなのは幕末から見慣れている。
神社はまさに――。
「地獄絵図だ……」
部下が呟いた。
そう評していいだろう。血の海に死体が沈んでいる。神社には血の匂いが立ち込めていた。
誰もが言葉を失った。
「助けてくれ!」
全員が声のする方に向いた。そこには男が一人、血まみれになりながら稲垣の脚にすがりついた。
「あんたたち警察だろ? あんな化け物みたいなヤツ、なんで野放しにしてんだ!? どうにかしてくれよ!」
男は懇願し、そいつを指差した。
稲垣たちは彼の指差す方向に目をやった。
お堂の前の段差に腰掛けている男がいた。衣服に血を浴び、右手にはぼろぼろの刀を下げ、己の左側を心配そうに見つめていた。彼は視線に気がついたのか、顔を上げた。やはり顔にも血を浴びている。
「桜井……」
稲垣が声を掛けて、歩きだした。
「部長!」
部下が声を上げた。
「お前たちは、生きている者を収容しろ」
稲垣は背中で答えた。
靴に血が跳ねようが気にせず、ずんずん歩いていく。顔は怒りに満ちている。
涼介は稲垣を睨みつけた。
「なんだよ……」
稲垣は彼の胸倉を掴み上げた。
「お前、何をした……?」
「仕事だ」
涼介はそっけなく答える。稲垣は顔を歪め、手を離した。すると、遼介はため息を吐いた。
稲垣はさらに顔を歪めた。ため息をつきたいのはこっちだ!
「あかねはどこだ!」
後ろで弥太郎が叫んだ。それに部長は振り返った。目が合い、彼は駆け寄って来た。
「部長。これは……」
弥太郎は稲垣にこの惨状を問い詰めようとして言葉を切った。目の前には涼介がいる。眼鏡の奥の瞳が大きく見開いた。
「貴様! あかねはどこだ?」
再度、涼介は胸倉を掴まれた。彼は露骨に嫌な顔をして、黙って顎で指示した。
その方向に目をやると、あかねが横たわっていた。
「あかね!!」
弥太郎は彼女を見つけるなり、涼介を突き飛ばす。
「痛ッ!」
そんな彼の苦痛の声は弥太郎には届かない。あかねを抱きしめ、揺さぶるが、反応がない。
「あかね、しっかりしろ!」
「大丈夫だ。気絶しているだけで、怪我はしてない」
涼介はよろよろと立ち上がり、頭をさすりながら言った。
「貴様は……」
弥太郎は不思議そうな目をして呟いた。その反応が気に入らなかったのか、涼介は眉を上げた。
「なんだその目は。不服なのか? 娘が生きているんだぞ」
「あかねを助けてくれたのか?」
弥太郎は驚きを隠せないようだ。涼介は鼻で笑った。
「ふざけるな。俺はソイツを助けたわけじゃない。ただの憂さ晴らしだ」
「……」
弥太郎は不思議そうに眉をひそめる。
「桜井……」
稲垣は少し驚いた表情をしていた。
「なんだよ、説教なら受けてやるよ」
忌々しそうに言う涼介はそっぽを向いた。だが、すぐに頭痛を訴えるように頭を押さえた。
「あぁ、悪い。部長……」
「ど、どうした?」
手から刀が落ちる。目も虚ろだ。
「血流しすぎた。限界だ」
ぶっ倒れた。




