第十話
東京のど真ん中から見て、北にある神社は柳の並木道を通り長い石段を上がった所にある。
夜は風に吹かれ、不気味に柳が揺れる。おまけに瓦斯灯がなく、暗くて誰も近づかない。
そこに月明かりに照らされて一人、男が歩いてくる。
鋭く不気味に輝く両目はしっかり前を見据えている。真っ黒な制服は夜の闇に溶け込んでいる。腰にはベルトから剣帯が吊るされ、黒塗りの鞘が見えた。
桜井涼介は早足で石段を上がって行く。石段の終盤には見張りらしい男が座っていた。涼介に気づき男が立ち塞がった。
「なんだ、お前は。今は忙しいんだ。なんか用か?」
「あぁ」
涼介は適当に相槌を打った。すると、男はふと涼介の左腰に目を向けた。
「おまえ、刀を持ってんな。我ら『回天党』に入るか? 我々と共に国を変えるか? 中居さんなら向こうにいるぞ」
涼介は顔をしかめた。目の前の男が何かベラベラと喋っているようだが、知ったことではない。
「どけ……」
「あん?」
涼介は刀に手をかけた。
「どけっつってんだろうが!!」
一閃。
一瞬だった。
男の両腕は鈍い音を立てて、地面に落ちた。
「――――!!!」
声にならない悲鳴を上げて、男は石段を転げ落ちていった。
涼介は血で汚れた刀を振るい、石段を上がって行く。
「なんだ。どうかしたか?」
境内には男たちが二十人ばかりいた。手前にいた男が涼介に叫んだ。
「てめぇは昼間の……、何しに来た!」
「まぁ、待てよ」
「かしら……!」
賽銭箱にもたれて座っている男が口を開いた。かしらと呼ばれているところからここの親玉。多分に、さっきの見張りが言っていた中居という男だろう。
黒髪を後ろに撫でつけ、外套を羽織っている。もちろん側には刀が立て掛けられている。
「あかねは無事か?」
涼介は中居を睨んだ。
「フン。貴様、本当に警察か? 刀なんか持って」
中居は鼻で笑い、涼介を軽蔑の目で眺めた。
「質問に答えろ。馬鹿」
遼介は彼の言葉を無視して訊ねた。中居はぴくりと眉を動かせ、黙って後ろのお堂を指差した。
「そこにいるのか……。退けよ」
涼介は呟くと、中居が嘲笑した。
「まさか、貴様一人で俺たち全員を相手する気か?」
彼が笑うと周りの男たちもけたけた笑った。
「少しは黙れねぇのか」
涼介はうるさいと言わんばかりに指を耳につっこんだ。また中居が眉を動かせた。いちいちと癇に障る。だが、中居はニヤリと笑う。
「刀を持っているということは俺と貴様は同じだ」
今度は涼介が眉をひそめた。中居は口元を歪め、淡々と語る。
「この明治の世に刀を持ち歩くなんざぁまともな人生を送ってないだろ。それよりどうだ? 忠誠を誓うなら党の末席に加えてやろう。官の人間がいるなら俺たちの理想は近くなる」
中居は拳を握り締める。
「我々は政府を正し、再び攘夷を掲げる。侍、剣客、士族、意志がある者は誰でも、俺は大歓迎だ」
演説じみた言葉を並べ、中居は涼介に手を差し伸べる。
「どうだ? 似たもの同士仲良くしないか?」
「馬鹿言ってんじゃねーよ」
涼介は間髪容れずに答え、嘆息した。
「五十嵐のおっさんが言ってることは正しいようだ。刀を帯びた輩に碌な奴はいないな……」
涼介は中居を軽蔑するような目で眺めた。彼は続けた。
「これは俺の持論になるが、刀を帯びている奴には悪人か、狂人。このどちらかと俺は思う」
涼介は左手の人指し指と中指を立てた。
「お前らは当然、悪人」
中指を折り、滔々と語る。
「攘夷だなんだと看板掲げてるが、お前らのやってる事は金をせびるただの誘拐。年端もいかないガキ相手にこんな人数集めて馬鹿じゃねぇのか?」
鼻で笑い、目を細めた。目は不気味に輝いている。
「国を変える? 冗談言うなよ。お前らみたいなのができるわけねぇだろ。馬鹿じゃねーの?」
「てめぇ!」
「言わせておけば……!」
男たちは叫んだ。
「もう一度言う……」
涼介は静かに言った。右手に下げた刀を持ち上げる。
「そこをどけ。あかねをこっちによこせ」
切っ先が男たちに向けられ、月光で鈍く輝く。
「さもねぇと、死ぬぞ」
「貴様……ッ!」
中居は歯ぎしりした。そして、部下に冷たく命じた。
「構わん。殺せ」
それを合図に男たちは次々と刀を抜き放つ。
同時に涼介はニヤリと笑い、全身を翻した。
跳ぶように大きく数歩の疾駆。一瞬で忽然と彼らの懐に出現した。
男たちの動きが止まった。
涼介の刀はいつのまにか鞘におさめられていた。右半身を前に、腰を落とし、左手は鞘の鯉口に添えられ、右手は柄を。この構えから解き放たれる剣戟は明白。
「居合い……!」
その誰かの呟きは鞘走りによる擦過音に掻き消される。
神速の抜刀は目で追うことができない。
赤い血潮が宙を飛ぶ。
鞘走りの火花が吹き、すでに刀は半円の弧を描いていた。
涼介は眼前の、敵の胸を斜めに斬り裂いていた。
「うがぁ――っ!」
男は苦痛の叫びを上げ、倒れた。
まわりの空気は一気に冷めた。
涼介が顔を上げた。返り血に塗れている。彼は叫んだ。
「オイ、ぼさっとしてんじゃねぇぞ! 死ぬぞ!!」
言い終わる前に涼介は死体を踏み越え、刀を振りかぶり、手前の男を縦に二つに割った。
「次ッ!」
言うが早いか、返す刀で右の男を横に薙ぐ。この勢いのまま腰を捻り、その場で旋回。反対側の男の頸動脈を断った。
戦闘が始まってたった数秒で、回天党の者たちは戦意を喪失した。勝機があるとは誰にも思えなかった。
この男に刃向かえば、必ずそこに死がある。
彼らは、驚愕し、恐怖で青ざめた。
「オイオイ、どうした?」
涼介はニヤニヤ笑いながら、彼らを睥睨した。
「俺を殺すんじゃなかったのか?」
「か、囲め!!」
見ると、中居が立ち上がりそう叫んでいた。
「何をしている! 相手はたった一人だ。数で押し返せ!」
男たちはあわてて涼介を囲んだ。しかし、彼らは動けない。じりじりと距離を詰めようとするも涼介に斬りかかろうとしない。
涼介は嘆息した。
「お前らなぁ。囲んでるだけじゃ俺は殺せねぇぞ」
刀を肩にトンと置いた。
そう呟いたと同時に、涼介の右斜め後ろから一人飛び出してきた。彼から見てほぼ死角から。
勇敢に、いや無謀にも。
男が刀を突き出した。凶刃が迫りくる。
涼介はぐるりと首をめぐらせた。眼光をぎらつかせ、口元が吊り上がる。
男の渾身の一撃を彼は首を傾けるだけでそれを頭の横に流し、突っ込んできた男の鼻面に刀の柄頭を叩きつける。男は鼻血を吹いて倒れた。
「遅いんだよ、馬鹿」
涼介は鼻で笑った。
「オイ、お前ら。逃げるなよ、絶対に……」
涼介は駆けた。右、左と踏み込みに合わせるように計ニ撃を斬り込む。一撃目に左の男の肩口を、ニ撃目に右の男の太腿を斬り裂く。三撃目は真横からの横薙ぎに阻まれる。涼介の首筋に刃が向かってくる。彼はそれを目で追い、身体を仰け反らせてそれをかわし、そいつを蹴り飛ばした。
涼介は止まらない。地面を穿ち土埃を舞い上げながら涼介の右足が踏み込まれ、真横に一閃。その先にいた男の胸元を斬り裂いた。
「へっ」
涼介は不敵に笑い、男たちを斬り伏せ、薙ぎ払った。




