第三十六話 懺悔
「ありがとうございます、ありがとうございます、本当になんてお礼をいったらいいかっ!!」
…やっぱり僕は卑怯者だ。
罪を誤魔化して罰を受けるのを恐れた。
クフェアは今だベッドの中で深い眠りについている。連れ帰ったあの日、アリウスさん達にフォルネウスが出現したことの報告。途中でクフェアが襲われ、なんとか倒して事を得たと…。重大な事を隠しての説明。
僕自身がクフェアを一番の危険に晒したんだって…真実を一言も喋る事はなかった。違う、喋れなかったんだ。アリウスさんは僕の躊躇した説明で全てを理解し終えていないまま、弟のクフェアを助けた恩人として僕に賛辞の言葉をかけてきたからだ。
あの嬉しそうな顔を悲しさに染めていいものなのか…いや、こんなのは言い訳にしかならないだろう。様々な出来事が風のように過ぎ去り、後始末に駆り出す人間が多く出てくる。やれ首都に報告だの、やれ現場へ確認だの。
僕の知らない間に大きな出来事へと発展していったようだ。
〈些か面倒事がふりかかりそうじゃな。妾としては大した事ではないんじゃが…〉
「面倒事?」
〈たった一人で討伐隊を編成する必要があるほどの大型魔物を仕留めてしもうたからのう。その実力に何かしら目を付けてくる輩が出てくるのではあるまいか?〉
大事は起こさないようにする方針としてこの旅をする筈だった。今後の事を考えて余計な注目を浴びるのは旅に支障が出るとして認識していた筈だったけど、あの時は無我夢中で深く考えていなかった。
それが自分の首を絞める事になったと言われようがこの際どうでもよい。クフェアが目覚めるのを僕はひたすら待つ。これだけしか今の僕にはできない。
休憩所に戻って来た頃にはもう深夜近く。まもなく夜明けの陽が差し込む時間帯。休憩所の入り口前で夜番をしている僕は山々から見えてくる暁の光景をぼぅっと眺めていた。
どうして夜番をしているかというと、フォルネウスとの騒動時、余計な刺激を夜行性の魔物や休眠中の魔物に与えてしまったために本来とは違う活発を見せているからだ。そういった類は人の集まる場所に寄ってきやすい。そのための夜番である。
〈ほぅほぅ、感じるぞ感じるぞ…悪意、殺意、恨み、その他諸々の感情がこの森林に潜む魔物達からじわじわと……〉
「生活リズム壊してごめんなさいと謝りたい気分だよ…」
そういえば、手に握られているクフェアの剣はそのまま返してなかった。
クフェアは両手で扱っていたけど、僕なら片手で扱えるくらいに力がある。剣の種類は大剣――クレイモア――といったところかな? 重い剣は僕には扱い辛い代物だったから試合で実際に使う回数は少なかった。サーベルやレイピアの軽剣といった形状を好んで使うからパワータイプよりスピードタイプの剣術が主流だね。一応ドイツ流剣術も修得しているから大剣も扱えるには扱えるんだけど、どうも生身の頃の僕には力が足りないせいで剣に振り回されてばかりだった。
そうなると、大剣の扱い方に慣れておかないとこの先は不利なのかもしれない。フォルネウスとの戦いで体験したけど、魔物のように人間とは違う体質を持つ相手にはスピードは通用しない。いかに一撃で仕留める力を備えているかが大切だった気がする。軽剣で急所を狙うのも一種の戦法として良い。けど、これだと武器が壊れたらお終いだ。
幅広い戦法を生み出すためには今の戦い方じゃあ無理に等しい。
「耐久力に優れ、使い勝手がいい武器…」
新しい発想が必要だった。この世界を過ごすには自分の概念や常識だけに囚われてはいけない。でなければ直ぐに詰む。ここには僕を危険から守ってくれる人間は数える程度しかない。自分の身は自分で守らねばどうしようもない。一人で生きるとはとてつもなく困難な道なんだ。上手くいくと考えていても、実際には失敗で終わる事が圧倒的多数を誇るのは現実ではそう珍しくない。
「クフェア…」
〈あぁ、心配せんともあの小僧の吸った分の魂は返しておいた。そのかわり、余分な浪費をお前が負担したがな〉
何をいけいけしゃあしゃあと…。契約したのは僕だけど、そうなるように上手く紛らわしてそそのかしたのはフィロの方じゃないか。
フォルネウスの件は本当に助かったからそこは素直に礼を言ってもいいよ。けどリスクについてを十分に話しておくのは契約者と受取人の義務だろ?
こんなの詐欺だよ詐欺、それもかなり悪質だ。
〈生意気いうでないわ。魔人との契約をどこぞの買い物気分で行ったお前が悪い〉
「…説明書が欲しいね。泣けてくるよ……」
20年分も寿命を奪われてしまったんだな…。
平均男性の寿命が80代だとすると、僕は60代で死んでしまう。まだまだ先の話とはいえ、死ぬ時期が近付いたとなると気が滅入る。
〈もしよければお前の寿命を教える事ができるぞ?〉
「勘弁してくれよ」
姿の見えぬ野獣達の視線に身体を射抜かれながらも、僕は夜番を続けていった。何度かこちらに迫ってきたのがいたけど、内心罪悪感と嫌悪感でいっぱいになっていた僕は直接首根っこを掴んで投げ飛ばしたのは割合しておく。
時計がないこの世界で正確な時間は分からないけど、もはや暗闇は過ぎて眩い日差しが地上を照らしていた。
朝の訪れだ。夜行性の魔物もさすがに活動時間を過ぎたおかげで気配は消えていた。陽の光が僕の鎧に反射し、黒蒼に輝く宝石のような光沢を放つ中、唐突に休憩所の扉が開かれる。
「シルヴァーノさん! クフェアがっ!!」
扉が開いたら嬉しそうな顔をしてやってきたアリウスさんが僕にそう伝える。急いで来たのか、若干息が乱れてその先を言うのは息が整ってからの方が良かったけど、待ち侘びいていた転機としてこれ以上の言葉は僕には必要なかった。
――クフェアが目を覚ました。
そう聞いた僕は即座に腰を上げ、クフェアの寝室へと急ぐ。あんな目に会ったんだから心身共に不安定な状態かもしれないけど、待ち切れなかった僕は目の前のドアを思いっきり開ける。
すると、そこには今さっき目を覚ましたばかりの様子で突っ立っているクフェアの姿があった。
「クフェアっ!!」
「んん……師匠? あ、おはようございま――」
有無を言わせないように僕はクフェアへと抱きついた。
「どこも痛くない? 気分が悪いとかないかっ……!?」
「おぶっ!? せ、師匠っ!?」
心配で心配で仕方なかった。まだ小さい子供にあんな怖い思いをさせたんだ。謝りたかったんだ。許してほしいとは言わない。僕自身がそうしたいと思う気持ちが強かった。
「ごめんよ…本当にごめんよ……」
「えっと、とりあえず離してくれない?」
いきなりの抱擁に戸惑っているのか、困惑した表情でクフェアはそう言う。
「失礼します」
そこへ、アリウスさんが一言断りを入れてから部屋の中に入ってくる。
「よかった、シルヴァーノさんが慌てて運んできた時は危険な状態かと思ったのよ?」
「危険な状態?」
「ほらクフェアってば、湖の主とシルヴァーノさんの戦いに巻き込まれたって聞いたわ。大変だったんでしょう?」
そこだ、問題はそれが終わった後の出来事だ。
何もかも話そう。クフェアは僕の本当の姿を知っている。だったらアリウスさんに黙っているのは公平じゃない。
謝罪しよう。契約云々での出来事はフィロ自体が起こした事でも、その発端は僕にある。
〈だから止めとけ、魔人の事を口にしたらお前の身は異端と認識されるぞ?〉
「それでも、逃げたくはない」
〈別にいいじゃろ、小僧の命は奪われなかった。その結果で向こう側に損は出なかったんじゃから〉
「そういう意味じゃないんだよ! お前はちょっと黙ってろっ!!」
〈では、小僧の心に傷を負わせたかもしれない罪悪感の問題か? それなら問題ないぞ? なんて言ったってのう……〉
もはや話にならないとフィロの話を無視したままクフェアに話を向けようとして――
「湖の主? 師匠の戦い? 姉ちゃん、何を言ってんのさ? 俺、昨日は湖なんて行ってないよ?」
――僕の意識が凍りついた。
「何を言ってるのクフェア? 昨日ちゃんと釣りの手伝いをしてくれていたシルヴァーノさんを呼んでくるために…」
「えーそんな事してたっけ?」
二人の会話が遠くなっていく。会話の中でクフェアの今起きている状態の意味が分かってしまった。二人が僕の事を呼んでいる気がしたけど、そのまま部屋から出ていった。
外に出てから当てもなく歩みを進める。冷たくなった心のままフィロと会話をして…。
「…フィロ、お前の仕業か?」
〈だからさっき言ったじゃろ? 聞いてなかったのか?〉
「真面目に答えてね…なんでこんな事をしたんだよ」
〈なんじゃ、小僧の『記憶を消した』事か? 簡単な事じゃよ、二人分の魂をわざわざ支払った『お優しい契約者』へ妾からのささやかなプレゼントじゃよ。自己犠牲をしたお前が責められるのはお門違いじゃと――〉
「二度は言わないよ。なんで記憶を消したんだ?」
〈…つまらんのう。簡単な事よ、必要じゃったからな。魔人の存在をそう簡単に外界に漏らされてはこちらの都合が悪いからじゃ〉
こいつは…。
「なら、今すぐクフェアに真実を喋って…」
〈してみるか? そうすると契約の矛先があっというまに変化するぞ? ペナルティとしてあの小僧にはさらなる負荷が襲いかかるやもしれんが、それでもいいのなら止めんが?〉
こいつは…僕が……。
「贖罪の機会を与えない。そう言いたいのかお前は…」
〈罪? お前自身が犯した罪など実際はどこにも存在せぬではないか? あるのはお前の偽善心から来る偽りの罪悪感じゃろうが〉
「ふざけんなよ…」
こいつは僕が絶対に…。
「ふざけんなよっ!!」
こいつは僕が絶対消してやるっ!!
悔しさを噛み締め、壁を思いっきり叩き、今ここで僕は新しい目標を定める。この『悪魔』を必ずや葬り去る誓いを立てる。そのためなら多くは望まない…フィロに自分のした事を後悔させるその日まで…。




