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ストレンジ・シバリー  作者: 篠田堅
第三章
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第三十五話 犠牲

 僕の身体はいわゆるフィロにとっての檻の役割を果たす入れ物だ。それも凶暴な野獣とは比にならぬ存在を封じ込めるための…。


 押さえていたゴルゲットの穴から黒い腕が這い出ていき、僕の両腕を掴んで強引に出入り口を作り出していく。その数は二本だけではなく、小さい物もあれば、大きい物と多種多様な大きさと形をした黒い腕はゴルゲットから這い上がろうともがく。


 ――もう押さえきれない、フィロが鎧から出てくる!

 

 焚き火の煙のように黒いモヤは徐々に大きさを増していき、形を成すため圧縮されていく。昆虫の足節が擦れて鳴るようなギチギチとした音が物体の密度を予測出来るほどに響き立てる。


「うがあぁぁぁっ!!」


 僕は絶叫を上げて踏ん張ろうと奮闘した。でも、もはや手遅れだった。


 すでにフィロの方は準備が整ったからだ。集まった黒いモヤは三又の嘴となって鋭さを輝かす。嘴は向けた先にクフェアがいるのを理解するよりも先、小さな身体からは想像もできぬような俊敏さを以ってクフェアへと迫っていった。鋭い嘴を力いっぱい開いて…。

 

 迫りゆく嘴はクフェアを確実に喰らおうと一瞬にして距離を詰める。鋭角に曲がった突起がクフェアの頭を首から掴み上げるように挟(み、顔にひっつく。口を塞がれているのか、クフェアは「モガモガッ!」と苦しそうにもがき、黒い腕を自分の両手で掴んで引き離そうとしても、よほど力が込められているのかビクともしない。


「やめてくれフィロっ! この子は…この子だけはやめてくれっ!!」


〈だめじゃ、契約は契約じゃ。反吐にはできん〉


 ふと妙な力が自分の鎧の中に流れ込んでいく。地面にあるヘルムの視線からその元をたどってみると、黒い腕からその力は流れ込んでいた。その先にはクフェアが掴まれて…。


 ――こいつやりやがったっ!?


(クフェアから生命力(魂)を吸い上げているんだっ!!)

 

 とっさに僕は黒い腕を掴み、これ以上の狼藉を防ぐためにこの腕を引き千切ろうと慌てる。上下左右に力強く引っ張るものの、ゴム製品のように柔軟で丈夫な黒い腕は形を変えてはいても、引き千切るとまではいかない。


〈やれやれ、邪魔するんでない。無駄じゃからのう。くっくっく…〉


 余裕綽々とフィロは僕の行為に指摘を入れてくれけど、そんな言葉に構っている暇はない。なんとかしないと! その思いが僕の頭を全て支配していた。

 

 ――冷静になれ、慌ててるといい案が浮かばない。

 

 けど、こうしている内にもクフェアの動きが次第に弱まってきている。抵抗する腕の力もどこかだらんと下がりかけている。


 いよいよ本格的にクフェアに危機が迫ってきている。それが分かると、発狂するほどの焦燥感が僕にどっと襲いかかってくる。今すぐ「どうにでもよくなってしまいたい」という欲求が僕を襲うものの、そこにクフェアの足元から響いた金属の音が僕を正気に戻した。


 そこにはクフェアの剣が落ちていた。黒い腕に襲われた際、地面へと零れ落ちたんだろう。一縷の望みを賭けて、僕はその剣を取りにクフェアの元へと急ぐ。早速その手に剣を掴んで黒い腕に横から刃筋を立てて構える。


 引っ張って駄目なら斬るしかない。駄目元でもそんなの関係無い。


〈ほぉ、やる気か?〉


 一番腰の入った斬撃を放てるフォム・ダッハの構えをして精神を無理にでも落ち着かせる。フィロから何か話し声が聞こえてきても無視を決め込み、今はクフェアを掴んでいる黒い腕を断ち切る事のみを考える。

 

 物を斬るというのは物質の弱い部分を見極める慧眼も必要だ。微かにゆらゆらと動く黒い腕の一番弱そうな節を遠目から見極めるや、肩で刃を押し込むように、中段半身で体重を乗せた斬撃を放って一気に黒い腕を断ち切ったのだった。


 斬られて生えた元から分断された黒い腕はクフェアを掴んだまま、力無くだらんと下げるや元の黒いモヤへと(かえ)っていく。全てが消えた時、そこには青い顔をしたクフェアの姿が出てくる。ふらふらとしたまま地面に倒れ込んだ。


 僕はすぐさま介抱しようと駆け付け――


〈一本斬ったぐらいで妾を止められると思ったのか、愚か者め〉


 ――再びゴルゲットから黒い腕が生えてくる。今度は一本や二本の比じゃない。触手のように枝分かれした黒い腕がイソギンチャクのように荒ぶる。その全てがクフェアへと指先を向け、今にも襲いかかろうと準備をしていた。


(この野郎、そうは…させるかっ!)


 僕は手にしたクフェアの剣の向きを逆手にし、左手で柄頭を押し込む持ち方にした後、一気にその大きな刃をゴルゲットの中を目掛けて突き刺した。

 

 その瞬間、鈍い音がして何かが突き刺さる感触が手に伝わった。


(手ごたえありっ!)


 それに連なって黒い腕の動きが一瞬にして停止した。僕は力の限り、剣を自分の鎧の内側へと押しつけるように突き刺していく。


〈きさ、まっ! 妾の本体に、直接っ!?〉


 フィロは「(ゲート)を作った」と言っていた。だったら、その穴の中には『フィロそのもの』が居座っているということになる。どうしても止めてもらえないというのなら、無理やりにでも押し返すしかあるまい。


 契約の際に払った『通行料』がそろそろなくなる筈だ。穴はもうまもなくで閉じる。このまま大人しくしていろ!


「いい、かげんに…しろっ!!」


〈こしゃくなあぁぁぁっ!!〉


 フィロも負けじと突き刺した剣を押し返してくる。

 

 すごい力だ、少しでも手を抜けば盛り返される。


〈なぜだっ! なぜ他人にそこまで手塩を掛けるっ!!〉


「きまってん、だろっ! 師匠が教え子守らなくて、どうするんだよ! 僕はこの子を絶対に見捨てなんか、しないっ!!」


 柄を持っていた右手を左手と同じく柄頭に添える。力は先端から押すほど圧力が強くなる。踏ん張りどきだ…。


〈お前はそれで良いというのかっ!? たかが一人救うためにあのような『契約料』を支払って妾を呼び起こしたのじゃぞっ! そもそも契約は『公平』でなくてはあらん。お前自身を救うのならばあの契約は等価として受け入れられる。じゃが、この小僧が何の代価を支払うことなく助かると話は別じゃ。二人を救済するには『二人分』の対価を支払わなくてはならんのだぞっ!?〉


「それで僕とクフェアの『魂』を同一の対価として両方手に入れようとしたのかっ!!」


〈命の救済の代価は命でなくてはならん。それとも、二人分の負担をお前全てで支払うとでも? くだらん、くだらなすぎて欠伸が出るほどの偽善心を振りかざす出ない!〉


 対価の支払いは公平、それが相手側にとってもこちら側にとっても理不尽な結果であろうと…。


 フィロは傲慢で自己中心ではあるけど、冷酷じゃない。飽くまで自分自身の為の行動をしつつ、一種の道理は遵守する。もっとも、それは人間の道理としては程遠い物が数々と存在はしているけど…。


 ――ならば持っていけばいい。


 一人を救うための対価が『寿命10年分』だった。二人分を、『寿命20年分』を僕の中から持っていけばいい。クフェアが払う必要はない。これは僕自身が決めた契約だ。


〈どこまでも甘いやつよ…後悔するぞ?〉


「…後悔が怖くてこんな事やれるかよ」



◆◇◆◇



 休憩所では様々な人間が集まって騒いでいた。今日、幾度も起きた地鳴りや炭鉱側の爆発音。あからさまな異常が彼らの興味を注いでいた。


「おい、知ってるか? この辺りには湖の主ってのがいるらしいぜ?」


「待てよ、ひょっとしたらあの山の向こう側にいるキマイラが下りてきたんじゃねぇか?」


 それぞれの推測が飛び交う中、宿主であるアリウスは心配していた。シルヴァーノとクフェアがまだ帰ってきていないからだ。初めは釣りに出かけたシルヴァーノをクフェアに様子見に行ってもらったのだが、今度はクフェアまでもが戻ってこない事態。さすがに二人も行方が分からなくなるとアリウスも落ち着いてられなかった。もう深夜でもあり、迂闊に外に出られない今、無理に探すわけにはいかない。

 

 この場にいる冒険者に依頼してでも探してもらいたい。だが、義理で動いてくれるような存在ではあまりなさそうだ。


(こうなったら余計な出費をかけてでも…)


 アリウスがそう考えかけた時、休憩所の入り口がゆっくりと開く。誰もが入口へと視線を向け、何者かとうかがう。


 そこには、死んだように眠るクフェアを背負ったシルヴァーノの姿があった。

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