第三十三話 公平
今の僕の状態を一言で表すと、『金縛り』と言えばいいのかな? いや、違うかな? 金縛りというのは科学的に立証すれば脳の覚醒状態のレベルによって起こる生理現象だ。けど、身体が微動だにしないという事は症状でいえば同じ感覚だ。
そんな考えが頭の中をグルグルと廻ってはいるけど、パニック状態になるまでもうまもなくと時間はかからないだろう。激しい震動と足音が近づいてくるのを傍らにして、必死で動かない身体を起こそうと僕は自己奮闘していた。
「くぅ……っ! くそっ、くそっ!!」
そんな努力など無駄といわんばかりに身体は相変わらず鉛のように重く地面に横たわったまま。この身体がただ頑丈で痛みの心配も無い便利な物だと認識していた分、このような非常事態には対処できずにいた。
自分の身体なのに、ある程度は理解してたつもりだったけど、その実半分も理解できてなかったようだ。魔力が機械でいう電力の役割をしていて、電力がなければ機械はただの鉄くずだと極簡単な原理で動いていたなんて…。奇想天外な異世界に居すぎて現実的な理論を忘れかけていたのかもしれない。それは僕自身の落ち度だ。反省はしよう。だけどね…。
〈よし、思いっきりぐしゃっと踏み潰すがよい!〉
「ちょっと待て! お前どっちの味方なんだよっ!」
〈もちろん、妾にとって有益となり得る方の味方じゃ〉
こいつ、鎧が壊せる可能性として魔力が無くなり、若干硬度が落ちた鎧をフォルネウスに壊してもらおうとハキハキしてるし…。
ちょっと待ってくれよっ! これで僕の身体が壊れたら僕は今後どうすればいいのさ!?
〈…弱い方が負ける。残念じゃが、これが摂理じゃよ〉
ちょっと待てフィロ! お前あからさまに僕のこと助ける気無いだろっ!? 間を置いてもわざとしているのバレバレだからなっ!
〈ちっ…余計な所で勘付きおって……〉
「めんどくさがるなっ!」
〈まぁよい、魔力がここまで減らせることができたのは妾にとっても好都合じゃからのう〉
「お前、まさか!?」
まさか、こうなる事を予期してフィロは僕に強化や魔閃を教えたのか!? 素人同然な僕が魔力という不可解な代物を扱えば、きっと使い切るまで使おうとすると読んでいたんだな。だから、魔力を頻繁に使う事を僕に勧めていたんだ! 鎧の防御を脆くするために。
やられた、思えばフィロの考えには善意なんてものは存在しないんだ。
――自分に得となる事柄ならどんな事をしてでも実行する。
こいつはそういうやつだ。僕はまんまと策に乗せられたんだ!
〈今頃気づいてもまぁ遅い。妾としては嘘は言わんが、全てをさらけ出すほど寛大に構えはせぬし、少しでもこの依り代から解放する手段が見つかれば構わず実行する。お前みたいなたかが人間と仲良くやっていこうと妾が考えていると思ったのか?〉
捨て駒という訳かい? 僕達人間はお前にとって塵芥に等しい存在だから、気にする必要なんて無いと言いたいのかい?
本当に…自分勝手で傲慢だね。それが『魔人』という生き物だというのかい?
〈自分勝手? 何をいまさら言う。人間も動物も、そして魔人も個人全てが己自身の意欲に従って行動するのは全て同じではないか? この程度で傲慢と批難できようものならお前の言い分も『生きたい』からこそに自分勝手に解釈した甘えという名の『強欲』ではあるまいか?〉
「強欲? 生きたいと願って何が悪いんだよ!」
〈…ふん、よいか? 世の中は理不尽ながら公平にして動いておる。その姿こそ弱肉強食であり、たとえば二人の人間がいたとする。一人を1、もう一方を2として、その二人にはそれぞれ同じ持ち物を渡したとする〉
謎解きのような話がフィロから紡がれていく。
〈じゃが、ルールで『強い方が弱い方の持ち物を奪える』と課す。ここで1は2より強く、ルール通りに1は2の持ち物を奪った〉
「…そんなの、平等じゃないよ」
〈そうじゃな、平等ではないが『公平』ではある〉
平等じゃないけど公平でもある? 意味がわからない。
「話の中のように、たった二人では単なるくだらん戯言にしかすぎんが、その上限と下限を取り払った場合にして話を発展させてみれば…頭の悪いお前でも理解できるじゃろ?」
「あっ……」
そうなると、さらなる要素が加わっていく。
1が2の持ち物を奪ったとしても、1より強い人間が1の持ち物を奪ってしまう。
2が1に持ち物を奪われたとしても、2より弱い人間が2に持ち物を奪われてしまう。
その動作が繰り返し繰り返しと続いていく。『最強』と『最弱』が現れない限り…。なるほど、確かに平等ではないけど公平だ。螺旋のようでもその実、円環として大成した理の一種になっている。
真の強者も弱者も現実には存在しないのだから。矛盾しているようで証明された論理だ。
〈つまり、不平等というのはその主旨に対して自分勝手に輪という終着点を形成し、己こそが正しいと主張する者による傲慢からくる被虐意識でしかないんじゃよ〉
暴論に見えるかもしれないが、フィロの論理は少なからず理に叶っていた。
僕のような考えが甘いのか…どちらに否があるか……。
そのような論議が低レベルに感じられるくらいにだ。くやしいけど、僕ではフィロに対抗できるような反論は思い浮かばない。論議の勝負では潔く負けを認めよう。だけど…。
「死んだらそれまでだから嫌だあぁぁぁっ!!」
〈おいコラ! せっかく格好よくきまっていたというのに!? 台無しじゃっ!!〉
フィロから何やらメタ的な発言が聴こえた気がしたが、あえてスルーすることにした。そんなことより逃げよう! もう時間がない!
今にもフォルネウスに踏みつけられる寸前の光景がそこにあった。それにも関わらず、僕の身体は一寸も変わらず動かない。指先でさえ…。
もはやこれまでか。
運を祈ってこの身体が耐えきるか。それとも誰かが助けが来るのを祈るか。どっちにせよ、万事休すとなる。諦めかけたそこへ――
「おい、化け物!」
――大きな声が炭鉱中を反響する。首や顔が動かせず、その音源へと視線を向けられなかったけど、その声には僕は聞き覚えがあった。
「さ、さっさと師匠から離れろ! 俺が相手してやる!」
「クフェア!?」
少年じみたその声の主はここに来る途中、帰る事を命じた筈のクフェアだった。
――なんでここに来たんだ!?
不安と混乱が募る中、クフェアは続けてフォルネウスへと挑発する。どうやら僕から気を逸らそうとしているようだけど、そんなことしたら逆にクフェアが危ない。すぐさま「止めろ!」と叫ぼうとしたが、それを待たずにフォルネウスが声のした方向へと向かうのを固定された視線から確認する。
「馬鹿! お前じゃこの魔物を相手できるかっ! さっさと逃げるんだ!」
ようやく出せた声でクフェアに逃げるよう催促した。
当たり前だ、このフォルネウスはたかが少々腕に自信がある程度の僕が長時間かけても倒せない魔物。剣術の基礎をかじった程度の実力しかない子供であるクフェアには身が重すぎる。良くて一太刀浴びせられるか、それで浴びせられても傷付けられるかさえ怪しいのだ。
「くそっ、動けっ! 動けよおぉぉぉっ!!」
すぐにクフェアの元へ向かいたい。でも、この身体はまったく言う事を聞かない。その悔しさは僕に焦りと同時に不甲斐無さを覚える。
「うわあぁぁぁっ!!」
「クフェア!?」
不意にクフェアの叫び声が聞こえるや、僕は何が起こっているのか無性に心配する。怪我をしたのかもしれない。殺されそうなのかもしれない。もしや、もう殺されてしまったのかもしれない。
様々な可能性が僕の脳裏を過ぎっていく。
「フィロ、頼むっ! 力を貸してくれっ!!」
〈別にいいじゃろう? あの小僧はほんの一日関わっただけの赤の他人しかないんじゃから。ここで殺されたとしても、お前に実害はないんじゃからのう〉
「お前の考えなんて関係ないだろ! これは僕が決める事だ! 他人がどうこういう権利なんてないっ!!」
〈ふむ、じゃからといって別に妾がお前に協力する理由となるわけじゃないからのう〉
楽しんでいる、僕の心が絶望に染まろうとする過程を見たがっている。フィロの言動は僕にはそう感じられた。
「なら、等価対価だ! あの子を助ける為に僕は今ある物でお前の望む物を差し出す! それを対価としてフィロがクフェアを助けて! 頼むよっ!!」
〈ほぅ…妾と取引をすると? つまり、魔人と契約を結びたいというわけじゃな?〉
あぁ、そうさ。この際、悪魔でも魔人でもなんだっていい! あの子を助ける可能性があるなら藁にだって縋ったっていい! だから、望めっ!
〈対価を差し出すというなら話は別じゃ。そうじゃのぅ……よし決めた! この契約の対価は――〉
この時、必死になっていたからこそ、フィロの提示した対価の重要性を低く考えていたのかもしれない。ほんの少しとはいえ、今の僕にとっては必要この上ない対価の量だった。




