第二十五話 約束
「ほんっとーにすみません! 愚弟が重ねてご迷惑をおかけしてっ!!」
「いえいえ! こちらこそ事故とはいえアリウスさんに斧を投げつけるだなんて真似をして申し訳ありませんっ!!」
アリウスさんと僕はお互い相手に向かって地面に平伏しながら謝罪を続ける。まるで滑稽な姿だけど、僕達にしては真剣そのものだ。こうしないと気が済まない。
「なぁ姉ちゃん、もうそろそろ…」
アリウスさんの隣にはクフェアが座っている。それも普通の座り方ではなく、いわゆる『正座』という座式での。そんなクフェアの折りたためられた膝の上には重石が何個も乗せられていて、これに耐えるべくプルプルと震えている。
「…おもり増やされたいの?」
「すいませんでしたっ!」
クフェアは限界を申し出ようとしたけど、姉であるアリウスさんの本気で怒った表情にお仕置き停止の申請はすぐさま却下される。さらにはクフェアの頭には三段重ねのたんこぶができていた。余談だけど、アリウスさんの三連拳骨は僕の目でも追いつけない速さでした。
<男の癖して強者に媚びるとは、まるで犬じゃな>
「お言葉だけど、今の時代は男女平等だからね!?」
強い人間に男も女も関係ないよ。僕はそう理解している。だって、伯母という具体例を真近で見てきた訳なんだし…。
それより、もう遅いんだからこんな所で大声を張り上げて問答する必要なんてないだろう。夜の森は魔物の活動地だと身をもって体験している。騒げば騒ぐほど獲物がここにいると教えているようなものだ。叱っている所悪いけど、屋内へ戻る方がこの場合よろしいので切り上げてもらうよう頼んだ。
薪割りの後始末を終えてから早速案内された部屋へと篭る。羽毛を使った少し質の良いベッド、この周辺に関しての知識を記した本を並べた本棚、個室専用の椅子と机。宿屋として必要不可欠な家具がきっちりと揃えられている。
早速、唯一の手荷物である袋と剣をテーブルの上へ置き、フカフカなベッドへと腰を下ろす。床が軋む音が少々響くけど、別に気にするほどの物ではないので放っておく。
「はあぁぁぁ…」
ここでようやく、先程までのやり取りで費やした心労を解き放つよう大きく溜息をついた。
〈あの二人組のやり取りは見ていて面白かったのに、せっかくの所を止めてしまうとはお前も無粋なやつじゃ〉
「はいはい、他人の不幸は蜜の味な理論は止めようね?」
大分、フィロの毒吐きの対応を思い付けるようになったよ。
「せめて、眠りたい。目をつぶってぐっすりと眠りたいよ」
一日をリセットするための睡眠がこんなにも恋しいなんて…。あぁ、何だかノイローゼになりそうだ。
〈眠りたいのか? それならちょうど良い安眠方法があるぞ?〉
「え、本当!?」
何気ないフィロからの提示に僕は希望を見出すけど――
〈ミキサーをかけるような強いトラウマを魂に刻みつければ、長い眠りにつけるじゃろう〉
「それ安眠違う! 永眠だよっ!!」
――予想通り、そんな希望は木っ端微塵に砕け散った。というか、何でミキサーなんだよっ! 僕の魂をジュースにしてしまえとでも言っているのかお前は!
他人から見れば僕の姿は只ベッドで腰掛けて微動だにしない物だけど、僕達としては仲良く(?)会話していた。そこへ、軽いノックがドアから聞こえてくる。フィロとの会話を一旦中止して、入室の許可を出してやる。
「どうぞ」と言うや、ドアはゆっくりと開き出し、そこからはクフェアの姿が目に入る。
「あれ、どうしたの?」
「…………」
返事を求めるものの、クフェアは沈黙したままその場に立ち尽くしていた。何をしに来たのか僕にはまだわからないが、こちらに用事があるのは確かだろう。
「…ごめん」
数秒ほど沈黙が続いた所で、ようやくクフェアは口を開く。ギリギリ聞き取れるくらいの音量でそう呟いて、だ。
「…剣を向けたりして、ごめんなさい」
些か緊張した表情で続けてそう言う。あの時に関しての謝罪なのは間違いない。律儀な子だ。大方、アリウスさんに念を押されて来たのかもしれないけど、ちゃんと聞き入れて行動に移した事は評価できる。
「僕は怒ってないから気にしなくてもいいよ。それより、アリウスさんは怪我してなかった?」
「姉ちゃんなら大丈夫だと思うよ。ああ見えて、結構頑丈な所あるから」
こらこら、自分のお姉さんをそんな扱いしていいのか? 経験から信じられるとは言えども、許容範囲超えてるからね。また怒られちゃうぞ。
「ねぇ、お兄さんは兵士とか傭兵だとかそういう人間?」
「ううん、僕はそうだね…無所属と言っておくべきかな?」
一応嘘は言ってはいない。どっちかと言えば、遊歴の身と表しておこう。
「凄いや、あんな剣術を使うだなんてひょっとしてお兄さんは結構な使い手なの?」
そんな事はないと思う。切り返しなんて何度も練習すれば模擬戦で慣れて多少は使えるようになる。ひょっとしてクフェアは型に沿った剣術なんて物を習った事がないんだろうか。
「君は誰かから剣を習ったのかい?」
「うん、お父さんから数回ぐらいだけど」
それならば話は分かる。この子は剣の振り方ぐらいしか教わってなかったに違いない。だから、愚直に剣筋は真っ直ぐながらも、姿勢はしっかりとした形だったんだ。だとしたら、勿体無い。
まだ十を超えたばかりの幼さを残す身でありながら、あんな大人でも両手を使ってこそ軒並みに扱えるような大剣を振り回せる腕力を持っている。この身体能力の成長のペースならば、大人になった時が楽しみだ。
一瞬の気まぐれだったに違いない。僕はクフェアにある提案をした。
「クフェア、君が良ければ僕から剣を学んでみない?」
「えっ?」
「君ならいい剣士になれる気がする。正直言うと、そう感じたんだ」
ちゃんとした剣術を学んだ後のクフェアの剣の腕前はどれほど変わる事だろうか。その成長を見てみたい。率直な気持ちでそう思った。
「…うん! お兄さんの剣術がどういう物か見てみたい。教えて!!」
クフェアは直様この提案に乗りかかる。まるで渡りに船と言わんばかりな様子で若干興奮気味な表情をしてだ。
「それじゃあ、明日の朝で早速始めよう。だから今日はもう遅いから寝たほうがいいよ」
「わかった! お休みなさい、お兄さん!!」
待ちきれない思いでいっぱいなのか、クフェアは直ちにこの部屋から出ていき、自分の部屋へと戻っていった。帰るや颯爽とベッドの中に潜り込むであろうクフェアの姿が頭に思い浮かぶ。ようやく静かになったところでフィロが僕へと話してくる。
〈なんのつもりじゃ? あの小童が剣を振り続ける理由はあの娘から聞いたはずじゃろう。何故わざわざ危険に晒す可能性を増やそうとする?〉
「その逆だよフィロ。僕はこの教えを通してあの子に『弱さ』を学ばせようと思ったんだ」
不意に右手でテーブルに置いた剣を掴み、鞘から抜き放つ。刃を縦に、自分の姿を映す鏡のように前へ構えた。
「人を守るだとか、そんな綺麗な理由を付加することで剣という武器はその本質を隠せるワケじゃない」
ギラリと怪しく光る煌きがロウソクの火によって輝く。
「剣はどう着飾っても『凶器』でしかないんだ。それを使うという意味の真意を学ばせたいんだ」
〈果たして、そう簡単にいくと思うか?〉
僕の考えを述べるや、フィロは後から疑問を浮かべる口調で僕に問いかけてきた。
〈この世界ほど、暴力に頼らざるを得ない出来事は星の数ほどある。そこで必要となる道具に剣は多数が求む存在なのじゃよ。剣の扱い方で最後に辿り着くのは結局は『殺人』、そこにお前の理想論は存在するのかのう?〉
やはり、正論だ。フィロは僕より理として物事の本質を理解している。それは否定しようがない。けどね、それで仕方がないで終わらせたくはないんだよ。
「あの子はそんな人間にはならない。いや、僕がさせないようにする。人間としての可能性に賭けてみたいから」
〈可能性? そんなもの眉唾ものな運ではないか。少なくとも、妾は人間なんぞに期待などせん。人間など期待より絶望する方が簡単な生き物じゃからな〉
人間嫌いは相変わらずだなお前は…。
だけど、一言だけ言っておいてやる。人間を舐めるなよ?
〈ふん、では見せてもらおうか。お前の言う人間の可能性とやらを〉




