第二十三話 形見
燻れた木材の匂いが漂う休憩所は意外と広い。ここは宿屋と一体化しているようで、二つの民家が繋がった形の大きな建物にも見える。
入ってくる僕の姿に椅子に座ってたり、隅で戯れている先客達が奇異の目を向けるのに気になりつつも、こんな姿でいるしかない僕にはどうしようもない。
「ささっ、どうぞこちらへ」
アリウスさんが案内してくれたのはここを営んでる彼女達が使うような従業員専用御用達の休憩室だ。
「ここはアリウスさんと他に誰が経営しているんですか?」
だけど、入った時には自分を含めて二人しかいないのを見ると、あまり人手を雇ってないなと感じた。
「本当は母と一緒に営んでたんですけど、もう歳ですので…今は私一人でなんとか…」
話を聞くに、アリウスさんの母親はこの建物に存在する経営者所有の住居で過ごしているらしい。高齢で身体がついていかなくなった母親の代わりにこの休憩所を盛り上げてはいるが、アリウスさんだけでは少々厳しい所もあるそうだ。
「大変ですね、しかも弟さん…クフェア君の面倒も見なきゃならないんでしょ?」
助けに入るまでに見ていたけど、あれは相当だね。たとえあれが普段の姿じゃなくても、苦労をかけそうだね。
「本当は、優しい子なんです。父が、あんな事になってからは少々暴力的に…」
話の最後にアリウスさんは小さくそう呟くとそのまま黙ってしまう。何か深い事情があるのかもしれない。聞いてあげるべきかな…。
<止めとけ、他人の悩みに突っ込んで自分に何の得がある?>
「薄情な事言うなよフィロ。こういう事は得を求めるんじゃなくて、『意味』を求めるんだよ」
<非現実的な事をぬかすでないわ。訳の分らぬ事をして犠牲になるのは結局自分自身なんじゃぞ?>
確かにそうかもしれない。だけど、僕はそれで納得などしたくはないんだ。
社会的、経済的弱者への敬意と慈愛。また、彼らと共に生き、彼らを手助けし、擁護する気構え。騎士道の十戒にもそう記されている。その考えにのっとり、僕は悩みを携える人間には少なくとも手を差し伸べてやりたいと考えている。
<ふん、お人好しめ>
「ごめんね、僕はこういう事には直情的なんだ」
僕は僕の信条に従って行動する。それはフィロになんと言われようと曲げはしない。
「もしよければ、お悩みくらいは聞いてあげられますよ?」
「えっ、いえ、それは…」
「遠慮しなくてもいいんです。別に話したくないのならそれはそれで納得しますから」
「…………」
さっそく問いかけるとアリウスさんは戸惑うが、念押しをしてやると何か考え事をする。しばらくして、決心したのかポツリポツリと話を始める。
「私とクフェアの父、バルトルは首都カフトに所属する兵士団の隊長をしてました」
父親が兵士でしかも隊長、結構な地位に就いてたのかな?
<アホが、兵士での隊長などどこぞやのギルドメンバーのリーダー程度でしかないわ。つまり、毛が生えた程度という訳じゃ>
「お前本当に辛烈だな!? 当の娘さんを前に何言ってくれてんの!」
心の中でフィロに突っ込みを入れつつ、アリウスさんの話を僕は聞き続ける。
「クフェアはそんな父の事を本当に尊敬していたんです。大人になったら父と同じようにカフトの兵士になるんだって言うくらいでしたから」
その表情はどこか嬉しそうで、なおかつ悲しそうな感じがした。哀愁の気持ちがひしひしとこちらにも伝わってくる。
「ちょうど一年ほど前でした。そんな父が、カフト近くに住み着いたとある魔物の討伐へと赴いたのが…」
僕は何気にアリウスさんの手元を見てみると、そこには掌が白くなるほどに強く拳を握り締められている。
「多少強力な魔物だと言われてましたが、情報では油断をしない限りは問題なく討伐できるレベルだと言われてました。ですが…」
「…できなかったんですね」
「…はい、さらに強力な魔物がその場に現れた為に事態は悪化し、部隊は崩壊の危機に陥ってしまったんです」
「…………」
そうなれば、そこに所属していた兵士達も只では済まなかっただろう。魔物に襲われ、負ければ辿り着くのは『死』あるのみだ。フィロからも何度も聞いたから理解できる。
「ですが、父は撤退する部隊の殿を務め、部下達の為に最後まで…そしてっ! ぅ…ぅぅ……」
いつの間にかアリウスさんは口を押さえて泣いていた。必死で嗚咽を漏らすまいと我慢してはいるけど、その時の事を思い出すと泣かずにはいられなかったんだろう。話の続きをアリウスさんは何も言わないでいたから僕はあえて聞かなかった。
「クフェアは、弟は、父を殺した魔物を許そうとはしないでしょう。ですから…」
唐突に、立ち上がると一つの窓の傍へと寄り、僕の方へと視線を向ける。遠くからよく見ると、その窓の外から見える景色の中で何者かが蠢いているのが確認できる。見て欲しいと誘っているのだろうか?
アリウスさんの行動の意図に気付いた僕は同じように窓の傍へと寄り、そこから外を見る。すると、ようやくはっきりとしたその正体の姿は、先ほどの話に出ていた弟――クフェア――の姿がそこに居た。
クフェアの手には不相応な大きさの剣が握られていて、死に物狂いで激しい素振りをしている様子が映る。
「ああやって、父の形見である剣を手にして鍛練を重ねているんです。いつか、父を殺したその魔物を自分の手で葬り去るためにと…」
クフェアの鬼気迫る必死な表情を見ているアリウスさんの顔を見て、僕は全てを理解した。アリウスさんは、きっとクフェアがもしかすると父親と同じ末路を辿りかねないのではと不安で仕方がないのだと…。
予想してたより重い相談に僕はしばらく何も言えずにアリウスさんと同じようにクフェアの鍛練の様子を眺めていた。剣術を習っている僕の評価を言ってしまうが、クフェアの剣の振り方は滅茶苦茶だ。まるで目の前に架空の敵を作りだし、そいつに怒り任せで切り付けているような。それが僕の評価だ。
けど、釈然としない事がある。どうしてクフェアは先ほどあの男達と言い争っていたのか? それは今の話と関係あるのか? 改めてアリウスさんに聞いてみる。
「実は、その魔物というのが、先ほどのギルドの人達が討伐依頼を受けた『キマイラ』という魔物なんです」
「…そういう事だったんですね」
そうか、自分が敵討ちをしようとする魔物を他人に倒されてしまうかもしれない。クフェアはそれが不安であの二人に激しく詰め寄ったんだ。
「キマイラはそうとう凶暴な魔物でもあり、これまでに国がなんども討伐を繰り返しているのですが、全てが失敗に終わっているんです」
「強力な…魔物か……」
僕が今まで強い魔物として戦ったのは『バジリスク』だけだ。結果は勝っても負けてもいないけど、今の自分には力量不足だからはっきり言えば負けていたに違いない。それを考えれば、『キマイラ』という魔物は一体どんな存在なのだろうか? 少し興味があるけど、バジリスクの時の二の舞になったら嫌だな…。
「ねえフィロ、キマイラってどんな魔物なんだい?」
<キマイラか? 奴は三種の体を携えるバジリスクに引けを取らぬ上位の魔物じゃ。凡人が挑めば数秒掛からずに喰らわれるか消し炭にされるじゃろうな>
そういえば、キマイラってよく考えれば僕の世界にも神話上の生物として存在してたな。確か頭が獅子、胴体が山羊、尻尾が毒蛇と、現実ではありえない体の構造をしていると聞いた事がある。おまけに鋼鉄さえも溶かしてしまうほどの高熱の炎を口から吹くとも。
うーん、伝説上の生物がこのタヴレスでは当たり前のように存在するとなると、僕の世界でも本当は存在していたのかな? 調べようがないけど、そんな可能性も捨て切れなくもないね。
けど、バジリスクと同等の力を持つ魔物か…。
うん、無理! 戦うのは止めておこうっ!!
「あら、もうこんな時間!? シルヴァーノさん、初対面にも関わらず話に付き合ってくださりありがとうございます」
「いえいえそんな、好きで聞いたわけですから」
「それじゃあせっかくなんで泊まってください! 外も日が落ちかけている事ですし!!」
窓を見ると、いつの間にかすっかり暗くなりかけていた。結構長く話していたんだな…自分でもわからなかったよ。それより、泊まってくださいか…。
「実は僕、泊まれないんですよアリウスさん」
「えっ、もしや旅路を急ぐからですか? そんなの危険です! 夜は魔物の活動が激しいんですよ!?」
「いや、そういうことじゃないんです。その、僕…」
――無一文なんです。
<それで、宿代の代わりに深夜の薪割りか? えぇっ?>
「いくら恩があるからってそれを着せるように使うのは悪いと思って…」
<お人好しを通り越して妾は呆れるぞい…いっそのこと騎士ではなく奴隷でも目指したらどうじゃ? んっ?>
「奴隷根性なヘタレで悪うございましたね! せいやっ!!」
結局、薪を五十本ほど割った後で部屋に泊めてもらう事にした。もちろん食事はない。というか、食べられないので必要ないしね。節約はホントに大事なんだって良く分かったよ。




