案件88:音もない星空の底から
「ユ、ユラちゃん……」
第二ステージの結果発表の後、捕まっていた怪盗は無事全員脱走し、自由の身に。
第三ステージのスタート地点で再び顔を合わせたユラはどこかぼうっとした様子で、それは他の、逮捕歴のある怪盗たちと似たような症状だった。イトが気遣う声を投げかけると、彼女ははっと我に返ったようにこちらを振り向き、
「やられたよ。トップアイドル様をナメてた」
とだけ苦笑いで発し、以降は言葉もなくスタートのブザーに合わせて走り出してしまった。
「なんか……思ったほど悔しがってなかったですね……」
「かといって、イトに負けた時のような高揚もない」
「何だか心ここにあらずって感じだったよ……」
イトたちは彼女の態度についてあれこれ意見を出し合ったが、その正確な内情についてはまるで掴めなかった。
あの危険なくらいに鮮烈な覇気が、度の合ってない眼鏡を通したようにぼやけて見える。かつて見たことのない姿だ。
理由は――やはり一つしかない。六花に捕まったということ。しかし、何をどうしたらこんなことになる? この競技では相手に危害を加えることはもちろん、武器を見せつけて脅かすことさえできないのに。
ともあれ――。
「……今はレースに集中しましょう」
得体の知れない危機感は肌を焼く一方だ。だからこそイトはあえて一旦これに目をつぶった。自分で不安を積み上げていくより、見えているものに集中。そうでなければ最初の一歩も踏み出せなくなる。
目を前に。
第三ステージのテーマはこれまでとうって変わって、薄暗い地下だった。
天井も壁もはるか遠くにある大風穴だ。
岩壁には星を思わせる鉱石の光がまたたいており、視界はさほど悪くない。しかし先で細かく枝分かれした横穴は、選び方によってはかなり逃げ道を限定されそうな印象があった。
加えて――。
ぱしゃり、といくつもの水を踏む音がイトの耳に届く。
洞窟の地面には水の筋がいくつも流れていた。
水没しているルートもあるし、このステージでは水の中の移動が肝となるのだろう。
いくつかのチームと共に先を進んでいくと、案の定、水溜りが姿を現した。雨の後で見かけるようなヤワなものではない。通路を丸々浸した水没ゾーンだ。
怪盗たちは躊躇わず水路に飛び込んだ。イトたちもそれに続く。
水は通路の天井まで到達しており、頭を上げても水面から出られないという感覚は本能的な不安を抱かせた。が、スカグフでは水中でも呼吸も会話も可能なため、慣れれば魚の気分を味わえる特別な場でもある。
ただ、このクロスカントリーの特別仕様か、イトは自分の視界に白いゲージが表示されていることに気づいた。「O2」という表記から酸素ゲージに違いない。
水中でも呼吸ができている以上、これは便宜的な、水中に隠れていられる時間と見ていい。こうやって参加者たちの動きに制約をつけているのだ。
「あの……」
水を腕でかき分けながら進む中、隣を歩いていた女性プレイヤーが声をかけてきた。
「いきなりこんなことを言われたら困ると思いますけど、気をつけてくださいね。イトちゃんは怪盗側の最後の砦なので……」
「は、はい……」
困ったような顔で言われ、イトもまた似たような表情で生返事をした。
最後の砦って、そんな大袈裟な。
確かに、ユラが捕まったのは衝撃的で、象徴的なことではあった。警部側の方が強いのではないか――という不安が沸き起こるのも無理はない。
しかし、彼女は危ない橋を敢えて渡るスリルを楽しんでいた。そこに自分だけは安全だろうなんていう甘えた考えは毛頭なく、失敗への恐怖があるからこそ成功の達成感が際立つと確信していた。そういう意味で、彼女は誰よりもこのゲームを楽しんでいる。勝利だけではなく、ゲームの中で起こる波乱万丈と、それに掻き乱される自分自身そのものを。
だから今回のような結末もあって当然なのだ。
にもかかわらず、あのぼんやりした様子は気がかりではあるが……。しかし、腕利きのプレイヤーは他にも大勢いる。もし自分が捕まるようなことがあっても、そんな大きな変化はないはずだ。
そもそも、六花ちゃんと出会う可能性だってそうあるわけじゃないし……。
※
《怪盗側、怪盗側冷えてますかー》
《ばっちり冷えてるわねー》
怪盗サイドに追従する無数のボールカメラの視界は、神妙な面持ちで洞窟内を進む怪盗たちの様子を克明に伝えてきていた。
《序盤の勢いはどこへやら。やはり牙城の一つであるユラ選手が押さえられたのが相当に効いてますでしょうか》
《それも大きいけど、月折ちゃんに捕まった人たちが揃って覇気を失くしてるのがね。無気力って伝染するのよ。それを見て、あっもうダメかもって思っちゃうことがチーム競技ではよくあるの》
《いやしかし、それは誤解というものです。何と言っても今絶好調の六花選手……かつてないほどのきらめきを宿しています。タイーホされたプレイヤーが骨抜きにされてしまうのも仕方がない!》
《ホントにね。今ならどこを切り取っても奇跡の一枚が撮れる気がするわ》
《前半部ではここまで凶悪な輝きは見せていませんでしたが……昼休みの間に何かあったんでしょうか――いや、やってましたね、はっきりと》
《あの後も色々と……まあこれは本人のために言わないでおくわ》
《会場では六花ちゃんのファンたちが美味すぎる酒をカッ食らって盛り上がっております。この好調をどこまでキープできるか? そして怪盗側からの反撃はあるのか! 次の犠牲者は誰だー?》
《イトでしょ》
《ですよね!》
会場は一層盛り上がり、〈ワンダーライズ〉と六花を映したカメラに多くの視線が向かっていった。
※
「こらーっ、イトさん待ちなさーい!」
「神妙にお縄に着きなさって! お上にも情けはありましてよ!」
「おほほほほ、捕まえてごらんなさ~い!」
セツナとキリンの二人から追われていたイトは、細い横道に逃げ込むなり天井へと鉤縄を放った。
『待て~』と、それに気づかず通路の奥へと走っていく二人。その様子をニコニコしながら見送った後、静かに地面へと降りる。
「イトちゃん、大丈夫だった?」
追いついてきた千夜子に「はい」と笑顔で答え、「ごめんね」と片手を通路に向ける。せっかく出会えたのに、いつまでも一緒にはいられないのが怪盗と警部のつらい宿命だ。
二人が騙されたことに気づいて戻ってくる前に、本来のルートへと復帰する。
「あの二人に見つかった時はヒヤッとしたが、案外何とかなるものだな」
烙奈が安堵の声を漏らしたように、洞窟内には身を隠す場所が結構あった。今のように天井に一気に逃げる方法も慣れてない相手には有効だし、視界を塞ぐ石筍や、潜って避難できる水溜りも多数ある。水中には酸素補給スポットなんかもあって、実は結構融通が利いた。
「ここに来る途中にも、警部に追われている怪盗を見た。だいぶ迫って来ているようだ」
広々とした地上と違い、ルートがある程度限定される洞窟内ではどうしても接触率が上がる。暗闇と水をどこまで味方につけられるかが怪盗側の生きる道。
「でも、だいぶ進んできたはずです。これまでの感覚からするとゴールはきっとすぐそこですよ」
イトは仲間を鼓舞しつつ、周囲に警部の気配がないかどうか探りながら先へと進んだ。
どこかから水の音が聞こえる。靴の裏を浸す程度ではなく、もっと大きなものだ。
角を曲がると急に水音が強くなった。
「おおっ、これは川ですね」
道が途切れ、大きな川が目の前を流れている。
何となくこのステージの終盤を感じさせるスポットだ。
寄ってきた撮影用ボールカメラに、「ついにここまで来ました~」と呑気に手を振りつつ、追っ手が付かないうちに川の中に入る。
「わっ、思ったより深いです」
「下が星空みたいになっててちょっと怖いね……」
千夜子とそんなことを話し合いながら、流れに乗って先へと進んだ。水面から頭を出しても天井にぶつかることはないので、酸素ゲージの心配もない。流れは急でもなく、しかし弱くもなく、適当に浮いているだけでゴールまで運んでくれそうだ。
「ん?」
光る何かが体の下を横切った気がして、イトは顔を水に浸けた。透明度マックスな水を通して、金色に光る魚が川の深みを泳いでいることに気づく。
と同時に点灯するターゲットマーカー。イトは声を上げていた。
「チョコちゃん、烙奈ちゃん、秘宝です! 秘宝が下にいますよ!」
二人も驚いた。ここの秘宝は生きていて動き回るらしい。水によく潜る者だけがこのお宝と出会うことができるのだ。
「ふへへへ、こんなに近くにいるんだから、あれはいただいちゃってもいいですよね?」
「まあ、行きがけの駄賃であろう」
「ラッキーだったね」
あえて集めようとは思わないが、近くに寄ってきたのなら拾わない手はない。生きている秘宝なら、ここに警部が張り込んでいるということもないだろう。
イトが手を伸ばすと、黄金魚はさらに深みへと潜っていってしまった。しかし水流には逆らえないようで、進む方向も速さもだいたい同じくらい。これは獲れる。
鉱石の輝きが照らす川底へと向かっていく。
千夜子が言ったように、まるで下に星空があるみたいだ。その上を月の色をした魚が泳いでいく。幻想的な光景だった。
秘宝に手が届くまで、あと十センチ、五、四、三……。
「捕まえ――」
た。と言おうとした時。
川底にある星が二つ、ぱちりと瞬きした。
「えっ――」
“目が合った”。そう感じた瞬間、夜空から何かが浮上して来る。
川底の闇が流れ落ち、骨の色にも似た不吉な白さが露わになり――。
イトは目を見開く。
それは仰向けになった六花だった。
はっきりと視線が交わり、彼女が、微笑んだ。
「ぶぼはっ!? 六花ちゃんんんんん!?」
口からごぼごぼと空気の泡を吐きながら、イトは叫んでいた。
川の底で待ち伏せしていた? いつ人が通るかもわからないのに?
いや、そうじゃなく……。
ある奇怪な考えがイトの頭をよぎる。
ずっと、ついてきていたのでは。
星明かりの川底からこうして上を見上げて、最初からずっと……。
「うふふ……」
「ひょあっ!?」
急浮上する六花を、イトは咄嗟に体を横に流してかわした。
タッチ即逮捕だ。わずかにでも触れられたらアウト。
しかし六花は緩くこちらの近くを通過しただけで、無理に捕まえようとはして来なかった。水中で上下が入れ替わる。
「……逃がさないよイトちゃん……」
黒髪を美しく水中に広げ、優しく微笑みながら言ってくる六花。獲物を追い詰めるような妖艶さがある。これは一体――?
そう思った矢先、イトは視界の端で点滅するものを見た。
酸素ゲージ。
「し、しまったっ……」
秘宝を追いかけるのに夢中で、このゲージの消費に気づいてなかった。もちろん、秘宝をゲットして水面に戻るくらいの余裕はある。しかし今、逃れるべき方向には、妖しく微笑む六花が立ち塞がっている。
と、前方に酸素補給ポイントが見えた。気泡を囲った謎の水草だ。あそこを通過すれば酸素ゲージは復活する。
イトが急いでそちらに向かおうとすると、人魚のようにしなやかな動きで、影が進路を塞いできた。六花。
「あわ、あわわわ……」
今度は水上へ逃れようとする。が、そこにも回り込まれる。
動きが全然違う。こちらが手足をバタバタさせて泳ぐのに対し、彼女は体を艶めかしく波打たせ、水と一体化するように移動して来るのだ。
何だこれは。六花はこんなに泳ぎが得意だったのだろうか。いや、そんなことない。これまで一緒にゲームの水辺で遊んだ時は、こうはしてなかった。
スピードを上げても、緩めても、六花はぴたりとこちらについてくる。笑顔のまま、この時間を楽しむみたいに。
「ひいい、か、勘弁してくださーいっ」
「だーめ……」
ついに酸素ゲージは赤い点滅を始めていた。いつの間にかかなり水の深いところまで追い込まれている。浮上するだけの空気もあるか怪しい。
つ、詰んだ……。イトの体からふっと力が抜ける――。
「ふふふ……」
まるでその瞬間を待っていたみたいに、六花が急接近してきた。
溺れかかった人を助けるマーメイドの姫というより、力尽きた獲物を巣穴へと連れ去る海魔の類。
「イトちゃん、捕まえた……」
それでいて愛おしむような優しい両腕が、イトの体を包み込んだ。
その表情は恍惚として、瞳は潤んでさえ見え、まるで数年ぶりに会えた恋人に向けられたもののようだ。
逮捕されたことを示すバッテンマークが頭上に点灯しても、六花はイトから離れず、うっとりと目を閉じて、こちらの体に顔をうずめていた。
「可愛……すぎる……」
イトは力なくつぶやく。
水面方向。戻りが遅すぎると様子を見に来た千夜子と烙奈が、うっすらと見えた……。
※
《六花選手、イト選手を狙い撃ち――――ッ! 完全に制圧したァ!》
《月折ちゃん、恐ろしい子……!》
客席からは歓声と同時に、どよめきも同じ分量で湧き起こる。
《いや正直、ゾクッとしました! 何ですかあの登場の仕方。ロマンスホラーですか? 事務所のプロデューサーさん、六花ちゃんこういう映画もいけるみたいですよ!》
《いやあんなガチなのやられたら小さい子泣いちゃうわ。……にしてもマジで縦横無尽の大活躍ねえ。要チェックとは言ったけど、ここまでやるとは思わなかった》
戸惑い気味に送られる観客の拍手からも、同じ感情が流れ出している。
これまでの月折六花と決定的に何かが違う。
言い方は悪いが、彼女は競技の上位争いには関わらないにぎやかし。究極の盛り上げ役だったはずだ。それが……。
《完全にイトちゃんを追い詰めて、わからせてましたよ》
《イトって直接対決じゃそうそう負けたことないんでしょ? それに土をつけたのが、よりにもよって月折ちゃんとはね……》
《このステージでのポイント自体は多くないものの、六花選手、たった一人で怪盗側の精神的支柱を二つともへし折りました! これは怪盗側、前代未聞のギブアップもあるか……!?》
《んなことになったらマジで伝説だわ。いやぁ、しかし、うん……。あの子、リアル世界のアイドルにちゃんと戻れんの……? わたし事務所さんから怒られたりしないわよね?》
《無情なことに、この空気でクロスカントリーは折り返しです! 怪盗側が地獄すぎる後半戦、どうなるか見てみましょーーー!!》
やっぱ……クロスカントリーの水中は……鬼門やな!




