案件76:セイブ・ザ・ダーククイーン
「どうぞ。ダーク・お嬢様」
「ありがとう。気の利くペンギンね」
テーブルの上に置かれたレモンティーを優雅に一口含んだアビスが、巣穴に戻るように千夜子の隣に帰って彼女の腕を抱き直す。
ホーム内にいるのはイト、千夜子、烙奈、ユラ、ノア、アビスの六名。本人をのぞく全員がアビスの動きを逐一注視していた。
「遠慮せずもっとたくさん飲んでいいんですよ。落ち着くでしょう」
そう促しつつ、反対側からイトが千夜子の腕を自分側に引き寄せると、
「ありがと。でもわたしは千夜子とこうしてる方が安心するから」
アビスの方でも負けじと自分側に千夜子を引き寄せる。
「二人とも――」
オホン、と烙奈が咳払いを吹き込み、狭いソファーの上で千夜子を左右からサンドしていたイトとアビスの目を振り向かせた。
「千夜子が天に昇る前に適切な距離感に戻せ」
イトはアビスと揃って千夜子の顔を見る。
彼女はひどく穏やかな微笑みを浮かべ、よだれを垂らしながら天井から降り注ぐ謎の光に包まれていた。
「チョコちゃん!? 何があったんです!?」
「千夜子!? どうしたの、帰ってきて!」
「貴女たちの千夜子争奪戦はさておき――だ」
ソファーのひじ掛けを掴んで立ち上がった烙奈が、窓際に立ってそっと外をうかがう。
「まだいるんですか? あのコートの集団」
その動きからイトが察して問いかけると、烙奈は首を縦に振って答えにした。
赤レンガホームがサイバネコートの集団に取り囲まれたのは、千夜子がアビスを連れて帰ってすぐのことだった。
〈ルナ・エクリプサー〉の砦を陥れた謎のPK集団。交流サイトではその正体が大きな話題となっているが、耳聡いマスコミクランでさえその答えにたどり着けず、憶測だけが空っぽの議論の中を飛び交っている。
「アビスちゃんはホントに心当たりないんですか」
「……ないわ」
当初からアビスはこの一点張りだった。そっくりな格好をしてるノアも、関連はないと言い切っている。それに関しては――まあそう言うのならそうなのだろうとしか言えない。
ヘアカラーとスキンカラーではすでにアビスとノアが同じであり、ノアのサイバネコートだって普通のガチャ産アイテムなのだから誰かとはかぶる。割と主張の強いコスなので、それをトレードマークにする集団があっても何ら不思議はない。スカグフ広しと言えど、偶然の一致というのは稀によくあるものだ。
「まあボクにも覚えがあるけどね。特定のPK集団に目を付けられて追い回されるの。大抵はホームから出てこないとわかれば、わりとすぐ解散するんだけど……意外と粘るね」
ユラが実体験から意見を述べ、含みのある視線を烙奈へ投げた。受けた彼女は「ああ」とうなずき、「しかし夜が明ける頃には諦めてくれる――はずだ」とどこか確信めいたセリフの中で遮光カーテンを閉めた。
それまでまったりゆる籠城が、一貫したこちらの方針だった。
夜明けまでと言ってもそれはゲーム内時間の話。
〈ワンダーライズ〉には予定もなかったし、砦と違ってホームの守りは鉄壁だ。自分から扉を開けて招き入れでもしない限り、敵が攻め込んでくることはない。
それに話したいことなら山ほどあった。夜明けまでなんかじゃとても足りないくらいに。
「ねえ……どうして助けてくれたの?」
偶然生まれた沈黙に差し込まれるように、千夜子を挟んでの問いかけが、イトの耳に届いた。
ホームにたどり着いた時は憔悴気味だった彼女も、スパチャの献身的なもてなしもあってすっかり回復している。そろそろ話ができるかと見計らっていたら、先に動かれてしまった。
「アビスちゃんとは一緒に大剣PVを撮った仲ですし。でも一番の理由は、チョコちゃんがあなたを助けたからです」
イトは千夜子に体を預けながら告げる。
「チョコちゃんてふわふわしてるみたいに見えて、その人と仲良くなれるかどうかの判定、スッゴク厳しいんですよ。そのチョコちゃんが単独行動まで取って助けにいった相手なら、わたしも助けて間違いありません」
「でも……散々あなたを振り回した」
「そうですね。知り合った女の子相手に誰彼構わずコナかけて回るなんて、とんでもないことです」
「そうだな」
「そうだね」
「なっ、何で二人してわたしを見て言うんです……」
烙奈とユラから含みのありすぎる目を向けられ、イトはわずかに怯んだ。
「でも……だからこそ、チョコちゃんがアビスちゃんを助けたことには大きな意味があるんです。わたしはチョコちゃんを信じてます」
「ん……」
アビスは納得したような、それでいてどこか悔しそうな、小さなうなずきを見せた。
「わたしの方から聞いてもいいですか? どうやってそんなわたしそっくりのアバターを作ったんです?」
「ボクもそれ気になるね。他人に成りすますなんて考えたこともなかったけど、難しいんでしょ? それって」
ユラも話に乗ってくる。これは今後のスカグフのキャラクリに大変革を起こしかねない内容だ。
「これは……」と口ごもったアビスの顔はイトからは見えなかったが、代わりに奇妙なものが視界に映った。
どこか狼狽した様子の烙奈とノア。彼女たちが揃って、アビスに向かって小さく首を横に振った……ように見えたのは気のせいだろうか。
「……ぐ……偶然……そう偶然、滅茶苦茶上手くいったの。自分でもびっくりするくらい」
『えぇー』
アビスの返答に、イトとユラは揃って不満の声を上げた。そんな偶然が起こるくらいなら10連ガチャで欲しい激レアの二枚抜きも実在することになる。
「だっ、だって……。そ、そうよ、そもそもわたし、最初からイトに結構顔が似てたの!」
まるで「今閃いた!」と言わんばかりに嬉々として発言するアビス。
「だからちょっといじくったら……本当にイトそっくりの顔になって……」
「それでイトちゃんのフリをするって思いついたわけ?」
ユラの言葉に、彼女は渋々といった様子でうなずき、
「イトは……わたしが知る限り、一番可愛くて魅力的な女の子だったから……」
「フォッ!? そっ、そうですかぁ? それは困りましたねえ、ぶへへへへ……」
「でも! もう一番じゃないから。千夜子の方がはるかに一位だから!」
ムッとしたように即座に飛んでくる否定意見。しかし、
「ううーん、それならヨシ! 悔しいですが敗北を認めましょう!」
千夜子とワンツーフィニッシュなら、それは勝利も同然である。
「だから……イトのニセモノをやってたことは、ちょっと後悔してる……」
そこで彼女は初めて懺悔らしい言葉を口にした。
「でも、千夜子と仲良くなれたのはそのおかげでもあったから、大部分は良かった……」
「あはっ、キミすごいベタ惚れじゃん」
ユラがケラケラ笑った。それからどこかマジな顔でピッと指を差し、
「見る目あるよ。千夜子、絶対いい女だから」
「当たり前よ。わたしの千夜子なんだから」
なぜか得意げにそう言い放ち、アビスは千夜子の腕をさらに抱き込んだようだった。
何だかすごいノロケ大会みたいになってしまった。千夜子のいいところなら百選ぶら下げて参加したいところだが、さすがにそこまでやっていたら烙奈が煙たがるだろう。状況が状況だ。
「じゃあ、アビスちゃんはそれが本アバターなんですか?」
話を本筋に引き戻す。
「……そうよ。他のはない」
「じゃあ、それをやめてもらうってわけにもいきませんね……。でもまあ、いっか」
「えっ、いいの?」
アビスは思わず身を乗り出してこちらを見てきた。
「ええ。もうアビスちゃんは完全にわたしとは別物と見なされてますし、なんかそういう名物みたいに扱われてもいますから」
「名物……」
ダーク・イーター、イエス・マイ・ダーククイーン! 短期間でこれほど名を上げたプレイヤーもそうはいない。
そもそもキャラクリのチケットは貴重なのだ。幸か不幸かこちらがさほど被害を被っていない――どころか、千夜子の親しい友人が一人増えてしまった今の状況では、そこまで出費を強いることはできなかった。
そこからはあまり重要でない話になる。
ヒュベリオンはどこで手に入れたのか、とか、どこでPVPスキルを学んだのか、とか。
どれも、そのへん、とか、テキトーとか、いい加減な答えばかりが返ってきたが、特に深くツッコむ気も湧かなかった。
いずれ、もっと仲良くなった時に聞ける話。みんな、そう思っていた。
「まだいるなぁ……」
ゲーム時間にして深夜。
雑談に一息入ったところで窓の外を確認したユラが、そうひとりごちる。
「ホントにいなくなんの?」と水を向けられたのは烙奈で、彼女は何とも言えない難しい表情を見せつつ、「多分、そうなる……はずだ」と、なぜかノアと揃って何かを待つように時計をじっと見つめる。
「でもまあ、何らかの手は打ちたいね。予定が狂った時に備えてサ」
ソファーに戻ったユラが、色白の脚を大袈裟に組み直しながら言う。
「手っていうと何ですかね……?」
「ボクが打って出て全員ぶちのめしてくるとか」
「それはやめてくれ。火に油を注ぐだけだ」
と、烙奈がすぐに却下。ノアもウンウンうなずいている。
「それなら……」
ここでイトはあることを思いついた。
「わたしとアビスちゃんで共同声明を出すっているのはどうでしょう」
その場の全員が目を丸くしてこちらを見る。
「外の人たちって、アビスちゃんの行動に対して何らかの怒りを抱いてると思うんです。だから一連の出来事に対してお騒がせしましたって、わたしと一緒に謝れば……」
バスターソード仮面とダーク・イーターのヒーローナイトショー。これまでのことは世間的にはそう捉えられている。それに対してここまで激しい反応を見せるのは、何らかの不満や義憤に駆られての行為だと推測された。そこでこっちが先に謝ってしまえば、むこうだって多少は怒りを和らげてくれると思うのだ。
「謝ったって無駄よ。そんな物分かりのいい連中じゃない。……多分」
アビスが言葉を濁しつつもそう告げた。直接向き合ったことで得た感触だろうか。烙奈とノアも何だか申し訳なさそうに沈黙の同意を示している。
「でも、何かの効果はあると思うんですよ」
イトは食い下がった。このままじっとしているのがイヤというのもあったし、セントラルでも情報発信が決め手になって事態が好転したということがあった。その経験を熱心に説く。
「……イトはそれでいいの? あなた何も悪くないじゃない」
やがてアビスが怪訝そうに歩み寄りを見せた。自分の顔にここまで懐疑的な目で見られるというのも不思議な体験だったが、
「全然問題ありません。アビスちゃんがPKされるところなんて見たくないし、チョコちゃんだって安心できるでしょうし……」
ちらと目をやった千夜子はまだ涅槃から戻って来ていない。
「ま、いいんじゃないかな? これで味方が一人でも増えれば、外の連中だってやりにくくなるでしょ。今後のことも考えてさ」
「そう……ね。わかった。イトがそう言うのなら、やる」
アビスのその返事で、急遽謝罪動画が決定した。
内容は簡単だから生配信でいく。調子こいてすいまえんでした――言いたいことはただそれだけ。
アウトランドであの程度の粗相は無礼にも当たらないが、謝罪のメインターゲットは怒れるサイバネコートの集団だ。ひとまず彼らの怒気を少しでも抜ければそれでいい。
烙奈とノアもじっと待つのに不安があったのか、消極的ながら協力してくれた。
「今さらだけど、アビスがえっちい下着で土下座する様子を一分流しときゃいいんじゃない? そっちの方が再生数伸びると思うよ」
「ユラちゃん!?」
「イヤよ土下座なんて! それに何で下着なのよ!」
そんなユラの茶々に空気を和ませられつつ、段取りを決めて、いざボールカメラ発進。
交流サイトを使った事前の告知は、スパチャにしてもらっていた。これで少しでも外の集団に情報が伝わるといいが――。
「いきなりの配信にもかかわらず見てくださっている皆さん、ありがとうございます。白詰イトです」
「アビスよ――です」
ソファーに二人並んで座って映る。隣のアビスは柄にもなく緊張しているようだった。第三支援砦ではナチュラルに反乱軍の頭領をやっていたので、単にかしこまった場に不慣れなだけだろう。
「今回は、わたしたちが地区をお騒がせしたことに対して、謝罪いたします」
「謝罪……します」
見よう見真似で頭を下げるアビス。
謝罪で肝心なのは、何を悪いと思っているかだ。そこがズレていると単に謝った証拠作りと受け取られてしまう。
謝罪する内容は〈ルナ・エクリプサー〉の蜂起を中心にした。もしアビスが怒れる集団を生んだとしたら、そこくらいしか思いつかない。実際、襲撃されたのもあそこだった。
夜のプレイングがいきすぎて、大勢のプレイヤーを巻き込む事態に発展してしまった。迷惑かけてごめんなさい――。
これらはハナから何とも思っていない人間には何も響かない内容だ。けれど迷惑をこうむった人間には、ちょっとは溜飲が下がるかもしれない。何にせよここで一区切りと思ってもらえたら、この動画は大成功。
イトのそらんじる謝罪は小学生並の内容だったが、アビスもそれに倣い、配信は順調に進んでいった。
そうして、短い謝罪動画が終わりに近づいた頃――。
ドン、と突然ホームが揺れた。
「わっひゃ!?」
「な、何?」
ソファーから尻が浮いたイトが悲鳴を上げ、アビスも忙しなく周囲を見回す。
「外からだ。何が起きた?」
「ちょっと見てくる!」
生配信中だということをほっぽって、烙奈やユラが慌ただしくカメラ前を横切る。
そして――。
「ホームが攻撃されてる! 窓ガラスが割られた!」
「何だと!? どうやってだ……!?」
ユラの報告に、烙奈の動揺の叫びが返った。
「侵入されたの?」とノアが問いかければ「いや、まだだ。今は外壁を攻撃してる」とのユラの返事が奔走する。
「ホームを攻撃する手段はないはずでは……!?」
イトは目を白黒させながら疑問を口にするも、さらに続いた鈍重な衝撃音に、こちらが現実だということを突きつけられた。
「とにかくアビスを守れ!」
烙奈の叫びに、全員が慌ただしく動き出す。
もう動画撮影どころではない。こんな事態、前代未聞だ。
「はっ……イ、イトちゃん!? アビス!?」
この騒ぎに、ソファーでノビていた千夜子も息を吹き返す。
「チョコちゃん起きましたか!? 今なんかホームが攻撃されてます!」
「ひえっ!? な、何でぇ!?」
「わかりません! でも守りに出ます! チョコちゃんはここでアビスちゃんを!」
「ヒャハーッ! イトちゃん、先行くよぉ!」
ユラが楽しそうに窓際から手を振って来る。
「待ってくださいユラちゃん! こういうのはちゃんと準備しないと……それじゃあ――アビスちゃんをやらせはせん! やらせはせんぞぉー!」
息を大きく吸ってそう宣言すると、イトはユラとホームから飛び出した。
防衛戦が始まると即座に戦闘態勢に入れるアイドル。




