案件75:笑顔の宝物
「烙奈」
〈コマンダーV〉のテント外で、息の根の止まった砦を見上げていた烙奈に、その呼び声はかかった。
「ノア……!」
振り向いた先で彼女の姿を見つけるのに、数秒を有した。彼女は岩陰に隠れるようにしてこちらを手招きしていたからだ。周囲の目を気にしつつ駆け寄る。彼女の服装は、砦を落としたサイバネコート集団と同じだ。
「イトは?」との問いに、「ユラとホームに戻ってもらっている。千夜子のことも気がかりなのでな」と返事しながら、自身も岩陰に身を押し込む。
砦から放り出された〈ルナ・エクリプサー〉のメンバーは、本来の仲間たちから治療&お説教を受けている。しかしそこに首魁であるアビスの姿はない。証言によると、彼女は砦が落ちる寸前に逃げ延びたという。
そのままだったらイトも彼女の捜索に乗り出そうとしただろうが、あの集団との接触は何を引き起こすかわからない。だから千夜子を口実に引き下がってもらったのだ。
「ノア、何が起きた。どうしてアビスが襲われたのだ?」
烙奈としてはそれがずっとわからないことだった。アビスは間違いなくあれらと同質――ゴーストの手先。イトからアバターのすべてを奪おうとしていた側のはずだ。
「ゴーストがアビスを裏切ったとは思えない」
そんなことをする必要もない、と断定する口調でノア。それは確かにと烙奈もうなずく。アビスたちはゴーストの手足だ。本体が手足を裏切ることに意味はない。
「それならアビスがゴーストを裏切ったと考えるのが妥当」
「アビスが……」
それしかないと薄々感じてはいたが、どうなのか。アビスはイトの外見を手に入れ、次に人間関係――千夜子を取り込もうとしていた。やっていることはゴーストからの指示通りのはず……。
「あれらに襲撃されている以上、アビスはもうイトの敵ではない。それより保護に回った方がいい。今の彼女はわたしたちの同類」
「アビスをか……!? それは……あぁ、そうか確かに……!」
烙奈ははっとして目を見開いた。
アビスはゴーストの狙いを探る上でこれ以上ないほどの重要参考人になる。もし適切な情報が得られれば、それだけ主筆の修正も素早く行われるはず。そうすればイトへの加害も抑えられ、この件は完全に落着する。
何てことだ。一番の危険人物が、今度は最後の救い主になるとは。
「完全に後手に回った。アビスはまだ無事だろうか……」
「追っ手が動いているから、まだ大丈夫」
ノアがグレイブ裏の森の方に目を向ける。砦から逃亡して逃げ込めるのはあそこしかない。大剣クラスタの面々もそちらに向かっていた。ただ、モズクがサイバネコート集団に警戒心を働かせていたので、先んじて確保というシナリオは期待できないかもしれない。
もしアビスが敵の手に落ちれば、その先にあるのは完全な解体だ。彼女が切り札になることを抜きにしても、あれほど生き生きとしていた少女が、すべてを空っぽにされ、無表情で無感情な人形に戻されるのは想像するだけで痛ましい。自分やノアはこうして己を謳歌している。彼女もそうあるべきだ。
「しかし……アビスはどうしてゴーストを裏切ったのだろう」
ひとまず非物質式のタブレットで捜索区画を雑に絞り込みながら、烙奈はひとりごちた。
動機もそうだがやり方もだ。手足が脳の指示を無視して独自に動き出す方法。もしそんなものがあるのなら、あらゆる生き物は今後、物事を自分の手足のご機嫌取りから始めないといけなくなる。
「それは簡単」
口元をわずかに緩める声音で、ノアが言った。
「彼女は、恋をした」
※
ヴォォン……!
無人の荒野を駆け抜ける魔導セグウェイ〈ツンザキ〉は、最高時速180キロ。魔力にして500マジックポットを余裕でマークする。
虫の知らせか、それとも単に動転していただけか、貴重な配布チケットを使ってここに来る前に調達しておいたマウントに、まさか本当に出番があるとは。
本来なら操縦者を後ろにぶっ飛ばすほどの風圧を、魔力フィールドで一体感あるそよ風に変換、恋人級に仲が良ければ密着してなんとか二人乗りも可能なマシンをぶっ飛ばし、千夜子はアビスとの逃避行を続けていた。
(これ、絶対まずいよねえええええ……!)
千夜子は目をぐるぐるさせながら、自分が置かれた状況をそう分析した。
スカグフプレイヤーの共有財産である空墓を勝手に占拠した武装集団、そのボスであるアビスを助けて逃亡。なんか怖そうな人たちに追い詰められていたから咄嗟に助けてしまったものの、多分、反省を促すなら彼女はちゃんとあそこで捕まって、釈明するなりお説教されるなりした方が絶対によかった。
そのアビスは、命を救われた子猫みたいに千夜子の体に後ろから抱きついて――いや巻きついて離れないでいる。さっきまで鼻をすするような音を立てていた顔からは、今は幸せそうな寝息にも似た、穏やかな呼吸が繰り返し聞こえてくる。
怖い思いをしたのだろう。いかに勝気であってもアビスは女の子だ。大勢から本気の敵意や悪意を一身にぶつけられることの怖さは、自分はスナッチャーで多少は免疫があるものの、彼女にはきっとない。
“今度は間に合った”。そんな手前勝手な満足が胸の内に広がり、それが逆に千夜子の後悔をじっとりと後押しする。
これからどうする。このやたらスピードの出るセグウェイのおかげで、ひとまず追っ手は振り切った。砦も空になったし、事件続きのアウトランドならこんな大事さえ数日で風化していくだろう。それまでしれっとログインを自粛してもらうのが一番の手ではある――が。
「千夜子……」
まだ少しかすれ気味な彼女の声が、耳元を撫でた。
「イトと話をしたわ」
「……!」
「あなたのこと渡さないって。でも、あなたがそうしたいのなら、一人を選ばなくてもいいって。そんなこと言ってた」
ぐいいいんと気恥ずかしい熱が胸元から額までせり上がって来る。
あの砦でのイトとアビスのやり取りを、どこでもない場所でうろうろしている間、配信で見ていた。イトの言葉は正直、あんな滅茶苦茶な情緒の中でなければ、そのへんの岩に何度も頭突きしてしまうくらい嬉しかった。実際セグウェイで近くの茂みに突っ込んだりはした。
「千夜子は、どう思うの?」
アビスが重ねて言ってくる。どこか泣きそうな声が、火照っていた頭を急速に冷やす。
「何でわたしの方を助けてくれたの?」
イトではなく。
さっき抱いた“今度は間に合った”という独りよがりな自己満足。そこを真っ直ぐに刺された気がした。
セグウェイの音がうるさい。ただそれが、防音の膜を張ってくれている。
こんな状況では、頭をくっつけてでもいなければ話なんて誰にも聞こえない。
「……わたしはもう、イトちゃんの悲しい顔を放っておけないんだ……」
ややあって、千夜子はそう口を開いた。
これはイトにはずっと黙っているつもりの話だった。でもアビスになら話せる気がした。いや話すべきだと。
「昔――ううん、ホントは全然昔じゃなくて、まだ二年もたってないくらいのことなんだけど……」
でも昔だ。まるで自分の中でその前と後という区切りがついてしまうような、そんな過去。
「わたしが通う中学校にね、すごく明るくて可愛い子がいたの。同じクラスになったことはなかったけど、とにかく一際輝くような女の子」
憧れたとまでは言えない。よく知らなかったし、自分とは別世界の人間だとしか思わなかった。
「実は小学校も同じで、家もそれほど離れてなかったから、通学路でその子を見かけることもあった。いつも笑っていて、楽しそうだった。でもある時――そうじゃない姿を見かけたの」
果たしてその時、外は暑かったのか寒かったのか。その姿を見た時、体の芯が絞られるような寒さを感じたことだけを覚えている。
「学校で何かあったんだとすぐわかった。中学生なんてまだまだ子供で、ちょっとしたことですぐケンカしたりするから。でも、別のクラスってほとんど知らない国も同然で……わたしにはどういうことがあったのか、全然わからなかった」
きっと最初は些細なすれ違いだったのだろう。小さい子供同士なら、明日になれば勝手に修復されているような。でも、それより少しだけ大きくなっていたその子たちは、そうはならなかった。
「その子はどんどん笑わなくなっていって、落ち込んでいった。ある日わたしは、その子がとぼとぼ帰り道を歩いてるのを見た。つらそうな顔してた。何かを諦めたみたいな。……次の日から、その子を学校で見なくなった」
怖くなったのは、それからその子が学校を何日も休んでいると知った時。
「あの時。あの帰り道が、その子を助けられる最後のチャンスだったんじゃないかって。あの顔を見たのは、わたしだけだったんじゃないかって、勝手なこと思って、悩んだ」
そんなはずないのはわかっている。彼女には家族がいるし、こちらとは顔がわかる程度の関係でしかない。それがどんな風に助けられたというのか? 全部勝手な思い込みの、思い上がり。
でも苦しかった。
「その子、どうなったの……?」
アビスが恐る恐る先を促す。
「その子はね……なぜかある日、急に元気になって登校してきた」
「へ……? 千夜子が励ましてあげたんじゃなくて?」
「うん。わたしはバカみたいに一人で悩んでただけ。でも、その子をまた通学路で見かけた時、つい近くに駆け寄っちゃったの。そしたらその子が、前と同じ笑顔で“おはようございます、たまに会いますよね”って挨拶してくれて……。それを見た時、わたしはなぜかすごくほっとした。どうしてか、わたしの人生にはこの笑顔が必要なんだって思っちゃったんだ」
本当に、わけのわからない話。
親しくもない、実はちゃんとしたフルネームも知らなかった女の子。
でも彼女の笑顔を通学路や学校で見た時に、自分のどこかがほっとしていたことにその時気づいた。
当時、別に学校もそれ以外の場所も、好きでも嫌いでもなかった。何も感じない、あるのが当たり前の鈍色の場所。そして自分もそんなものの一部。
けど、あの笑顔を見た時、それがぱっと色づく気がしたのだ。
あんな笑顔があるなら、その子が笑顔でいられるなら、ここはきっと良い所なんだって。それなら、その場所の一部にすぎない自分も、また良いものなんだって。
その子の笑顔がある限り、自分の世界はずっと色づき続ける。その価値が感じられる。そう思えた。
「それからね……その子の笑顔は、わたしの一番の宝物」
千夜子は柔く微笑んだ。
だからもう見過ごさないのだ。あの小さな太陽が陰るのを。
それは自分が世界ごと陰る瞬間だから。
「そう……。だから、イトと同じ顔をしてるわたしのことも……」
「ひどい言い方をしちゃうと……なくは、ないと、思う。イトちゃんと同じ顔をしたアビスが酷い目に遭うのが我慢できなかった。でもそれは、最初の瞬間だけだったと思うよ。結局は、アビスがピンチになってたから助けた。それだけ」
果たして、アビスに非があるからと言って、あの恐ろしい集団に彼女を任せられたか。ノー。後でそれが正しかったとわかっても、小さな後悔は残り続けただろう。だってあの時、アビスは泣いていたのだ。友達がだ。じゃあ、そうするしかなかった。
千夜子は細く息を吐いた。
「ごめんね。変な上に酷い女で」
アビスが額を押しつけるようにして首を振った。
「ううん。違う! 変じゃないし、酷くもない。話してくれてありがとう。酷いのは……千夜子にとって特別な子の顔を勝手に使ってるわたしよ。……怒ってる、でしょ?」
不安げな声。アビスがこんな弱々しく聞くのは初めてだった。
荒野の風に少し夜の温度が混じってきたのを感じつつ、千夜子は微笑む。
「最初は驚いてそれどころじゃなかったかな。その後は、そんな気持ちが追いつかないくらいアビスは吹っ飛んでて……」
「わたしは……わたしも、その子みたいにあなたの世界を照らせてる?」
「えへへ……とても困ったことに……YES、です。この前、みんなからライズ良くなったって言われたんだ。アビスにいっぱい褒めてもらったおかげ。変な自信がついちゃったみたい」
「……! 変じゃない。わたしは本当のことを言っただけ! 千夜子はゼッタイ、超可愛いんだから!」
少しほっとしたようなアビスの声が、急き立てるように流れてくる。
かと思ったら、今度は少しトーンダウンし、
「ねえ、じゃあさ、もしまた別のイトが現れたらその子とも仲良くするの?」
急に妬いてるみたいな口調。その自由さにはちょっと吹き出してしまう。でも、それが彼女だ。
「ううーん……わたしは……。へへへ……二人でいっぱいいっぱいかな」
「やった。滑り込みセーフっ」
アビスの腕が、一層愛おしそうに首に絡んできた。
「好き、千夜子。もう無理なくらいあなたが好き。わたし、イトにはなりたくない。あなたのことが好きなわたしでいたい。あなたに会えて……本当によかった……」
※
もう腹をくくるしかなかった。
フレンド欄に堆積したコールの履歴は、見たこともないレベルになっている。
イトと烙奈からだけでなく、ユラと六花と結城先輩とセツナからも。セグウェイのハンドルに腕を乗っけてるだけの仕草を操縦と言い張りそれらをスルーしていたのも、もう限界。
ゲーム内時間にして夜。千夜子は赤レンガホームの前に、魔導セグウェイを停車させた。
アビスを匿うとしたら、外からは手出しのできないホームが最強なのだ。最後には結局ここに来るしかなかった。
彼女はどういうわけか自分のホームには戻ろうとしなかったし、ログアウトにも賛同してくれなかった。せめて雲隠れする前に、イトには通しておきたい筋があったのかもしれない。それはわかる……が、
(でも絶対100%、わたしはみんなから怒られる……!)
下手したらコールしていた全員がホームに集合しているかもしれない。それくらい心配かけた。特にヤバイのは……いづな先輩だ。それはエンマ大王がげきおこ状態でいるのと変わらない。
「何でこんなことした!」と言われたら何と返せばいい。素直に白状するなら「な、何ででしょう……」しかない。何の理由も思いつかない。それくらい衝動的であり、感情的な行動だった。
それでも……人としてこのドアの先に行くしかない。すっごいヤだけど。人として……。
「た、ただいま~……」
千夜子がネズミのように小さくなりながら扉を開けた瞬間。
ズドドドドと複数の足音が押し寄せてきた。
「チョコちゃあああああああああん!!!!!」
「うわっぷう!?」
踏み切りからほぼ水平に飛んできたのはイトの体だった。それを顔面で受け止めつつ、千夜子は続くユラの足音と、それから烙奈の切羽詰まった声を聞く。
「千夜子大丈夫か!? すまないがすぐに手を貸してくれ。早急にアビスを探し出して保護しなければいけない。彼女が無事である可能性は低いが解決策はこれしか――」
「……わたしが何?」
バツが悪そうに後ろから顔を出したアビスに、イトたちがピタリと時間停止する。
「あっ、あの、アビスが怖い人たちに追われてたから、それを助けて、それからずっと一緒に逃げてて……」
千夜子がここまでの経緯を最大端折って伝えると、
「千夜子でかしたああああああ!」
「チョコちゃんナイスウウウウウ!!」
「千夜子やるじゃあああああん!」
今度は烙奈、イト、ユラから改めて同時に飛びかかられ、さすがに支えきれなかった千夜子は、すぐ後ろにいたアビス共々、全員でその場に倒れ込んだのだった。
目から真っ先に嫉妬ビーム出すような女子が普通の子なわけがなかった。




