案件74:〈ルナ・エクリプサー〉陥落
「イト!」
固唾を飲んでいた観衆たちの沈黙が悲鳴へと移り変わって押し寄せる中、それらを突き抜いて届く烙奈の叫びを、イトは確かに聞いた。
激闘の余波で崩れた足場は、自分よりわずかに先に落ちていっている。エージェントPのボールカメラも混じったその破片をかわすように、複雑な軌道のほうき星が迫って来た。
いや、ほうき星じゃない。あれは本物のホウキだ。
「ギリギリ間に合いィ!」
ボロ魔女のローブにお似合いなホウキをジグザグに走らせ、落下するイトと操縦者のユラが交差する。こちらが伸ばした手を寸分の狂いもなくキャッチしてくれたのは、ホウキの後部に乗り込んでいた烙奈だ。
「烙奈ちゃん、ユラちゃん!」
「すまないイト。応援を頼みにいって遅れた!」
「いえ、ベストタイミング! ユラちゃんもありがとうございます!」
「へへっ。キミのためなら成層圏の先でも喜んで駆けつけるよ!」
三人を乗せたホウキは急上昇しつつ、第三支援砦の前を大きく旋回。
イトの撃退に沸く〈ルナ・エクリプサー〉のメンバーが城壁屋上から絶好調に囃し立てる中、冷静な視線を向けてくるアビスの姿もそこに見える。
「話は烙奈から聞いてたけど、あれがアビスの素顔なの? うっわマジでイトちゃんそっくりじゃん」
「わたしも鏡の中の自分が好き勝手動いてるみたいで不思議な感じです。でも、中身は全然別物ですよ。なんかチョコちゃんを寄越せって言ってきました」
『千夜子を?』
烙奈とユラの声が重なる。
「アビスと千夜子って何か絡みあったの?」
「わかりません。でも、仲が良いとは言ってました」
「……!」
さっと顔を青ざめさせた烙奈が、言おうとした何かを噛み殺すみたいに唇を結ぶ。それを見逃すイトではない。
「烙奈ちゃん? どうかしましたか?」
「い、いや……。何でもない……」
何でもない顔ではない。何かを知っている、というより、何かを猛烈に危惧している表情。たとえ中身を話してくれる気がなくとも、彼女のその気持ちの方は放置できない。イトがさらに歩み寄ろうと次の声を投げかけた、その時。
ごう、と風が吹いて橙と黄金色の閃光が視界の端を照らす。
「おっとぉ!」
ユラが重心でホウキを操り、進路を大きく横に曲げた。
全身が横風を切る中、イトは見た。砦からの浴びせられる魔法攻撃。強烈な残光がまだ視界の端に焼きついているというのに、追撃はさらに容赦なく続いた。
ホウキは普段よりやや鈍い動きで、かろうじてそれらの切っ先をかわしていく。
「さすがに三人乗りは想定外か。シャクだけど一旦下がるよ」
この中で最も好戦的なユラが下した判断だ。イトも烙奈も反論の余地はなく、背後に〈ルナ・エクリプサー〉の鬨の声を聞きながら空域を離脱した。
「イトちゃん! 無事かよ!?」
「イトさん!」
ホウキがグレイブ近くのテント前に降り立つと、すぐにモズクとセントラルアーマーの人が駆け寄ってきた。「作戦は一旦中止。副長は隊を維持しつつ後退しろ」とマイクに吹き込んだジェネラル・タカダもこちらに顔を出し、「ダメージはあるかね」の安否確認を第一にしてくる。
「大丈夫ですけど、戦ってる最中に砦から落っこちちゃいまして……」
イトが申し訳ない気持ちで頭に手をやると、
「激闘の様子は配信で見ていた。老朽化の進んだ砦だ。キミが直接敗れたのでなければ立て直しはきく」
とタカダはすぐに慰めの言葉を贈ってきた。
「〈ルナ・エクリプサー〉の守りは堅い。が、ユラ君と烙奈君も来たか。こちらも手駒が揃ってきたな。千夜子君は? 彼女の無節操無差別殺人レーザーは、多数を相手に滅法強いのだが」
「チョコちゃんはまだ……」
言いかけて、ふと彼女はどうしているだろうと思う。アビスによると、二人はどこかで交流があったようだ。だとしたら今のこの状況に一番心を痛めているのは彼女ではないか。
「……チョコちゃんは来られないかもしれません」
「わかった。ではまだ戦り合う気はあるかね? そうならプランBを調整する時間を少し頂くが」
「もちろんです!」
どこかで千夜子が見ているかもしれないというのに、アビスばかりにいいカッコさせられない。ここはきっちりチョコ愛をアッピルして、彼女のハートをゲッチュしなければ。
と。
「将軍、砦に異変!!」
「なに!?」
突然飛び込んできた報告に、タカダをはじめとしてその場の全員が目を丸くした。
慌ててテントから飛び出ると、アビスたちが占拠する砦から黒煙が上がっている。
「副長か?」
《いやタカダ、我々はすでに安全なところまで後退している。だが、砦の異変はこちらでも確認できた。視界を送る》
ボールカメラから発されたリアルタイムの映像が、タカダのすぐ脇に出現した。イトたちもそちらを注視する。
望遠機能をフルに使っていてもまだ遠め――しかし、砦の内部から漏れる火の手ははっきりと見えた。
「何か動いたよ。一人、二人……いや……」
ユラがそう数え出した直後から、砦の中で飛び回る人影が次々に確認されていった。素早い。明らかに立てこもったメンバーとは違う。そして――〈ルナ・エクリプサー〉を襲っている?
「襲撃されているのか? だが何者だ?」
タカダが首を傾げる。どうやら彼の指揮下には入らなかった面々のようだが……この距離ではほとんど黒い影にしか見えない。
《タカダ、待て。今、隊にいたSSガチ勢から高機能望遠カメラを提供された。切り替えるぞ》
副長からその断りが入り、直後に鮮明な映像が送られてきた。
『!!』
瞬間、烙奈とユラが大きく動揺の息を吸う。
映し出されたのは、黒いコートの集団だった。フードをかぶり、その表面にはSFチックな発光ギミックが取り付けられている。コートの裾から伸びた足は褐色。
「えっ、ノアちゃん……?」と思わず口にしたものの、現時点で映っている数人が皆同じ格好をしていることから、イトはすぐにその想像を隅に押しやった。
「同じコスチューム――ユニフォーム……どこかのPKクランか……?」
そう類推しつつも、タカダは答えにたどり着けずに押し黙った。彼ほどのベテランが知らないのなら、こちらがまるで知らなくても仕方がない。
「うわああああ!」
悲鳴が上がり、誰かが地面に叩きつけられた。
集まっていたギャラリーたちも騒然となる。砦から落下してきた〈ルナ・エクリプサー〉のメンバーのようだ。
「ダ、ダーククイーンに栄光あれぇぇぇ!」
「我が〈ルナ・エクリプサー〉は不滅だあああああ!」
断末魔の叫びとも最後の意地とも取れる言葉を発し、次々に砦から突き落とされるプレイヤーたちの姿が続く。
そして、その先にイトは見た。
蹴り落とした人々を確かめるように、砦の上部から憮然と見下ろすサイバネコートのプレイヤー。
白髪褐色。そしてグリーンの瞳と目が合う――。
「イト!」
見合った一瞬があったかどうかのタイミングで、イトは烙奈によってテントの中に引っ張り込まれた。
「イト、ヤツらに関わるな!」
烙奈が肩を掴み、叫ぶようにして言ってくる。普段の彼女からは考えられないほど切羽詰まった態度。一体何がどうなっている。イトは烙奈を肩を掴み返して怒鳴り返していた。
「わかりました!」
烙奈がここまで必死に訴えてくるのなら、何はともあれ絶対そうした方がいいに決まっている。
「しかし、砦の人たちが襲われてるみたいですが……!?」
「そ、それは……わたしにも何がなんなのか……」
焦燥に焼ける烙奈の顔に、はっきりと困惑の色が浮かび上がる。イトにはそれが、自分の抱く感情より一層深い戸惑いのように映った。彼女は何かを知り――そしてこの事態はそれを上回っているということなのか。
「おい、砦の連中、どんどんやられてるぞ!」
テントの外でそう叫んでいるのは、下から様子を見守るしかないモズクだった。彼女はフレンド欄を開き、そのネームの横に「ダウン」のオンラインステータスが次々表示されていく様子を、タカダと共有していた。
「この的確な仕事……こちらのような寄せ集めの軍団ではない。対人に特化したチームか? しかしあんなのは、クランでもクラスタでも見たことがない……」
タカダがそうつぶやく中、一際大きな爆炎が第三支援砦のど真ん中で膨れ上がった。
そこからは森閑とした静寂。
今の爆発が砦の息の根を止めたように、もう怒号も悲鳴も聞こえてこない。
「アビスちゃん……?」
イトのつぶやきに応える声はない。
誰もが展開についていけず、呆然としている。
〈ルナ・エクリプサー〉はこの時、完全に陥落した。
※
吐き出した息が首に巻きつくようで苦しい。
スカイグレイブ〈幸せな大王子〉の後背に広がる豊かな森。古びた木々が手を結び合うようにして作った薄闇の中を、アビスは駆けていた。
「何よこれ……何なのよっ……!」
襲撃は突然だった。
いや、最初はただの“出現”だったのだ。
変装をした白詰イトを撃退し、沸き立つ砦内。人々の熱狂を離れ、ほっと一息つこうとしたところに、忽然と“我々”が現れた。白髪褐色肌、グリーンの瞳。
“我々”はなぜかこちらを糾弾するように言った。
「こんなところで何をしている? 早くプレイヤーネーム・白詰イトと同一化し、彼女をこの世界から追い出せ」
「……!? 何のこと……?」
言葉の真意がわからず聞き返す。相手は無表情を崩すことなく、淡々と、
「同一化の途中でエルゴが発生したか。思い出せ。ゴーストのオーダーは、プレイヤーネーム・白詰イトの複製及び、彼女をこの世界から完全に放逐すること――」
「ちょっと待って。イトを追い出すの……? この世界から? 何で。イヤよそんなの!」
アビスは慌てた。白詰イトはとても可愛くて素敵な少女だ。だからこそ彼女の“形”を求めた。
「そんなことより、今はもっと大事な用があるの。大切な人ができたのよ」
千夜子だ。イトを知る過程で彼女を知った。
見た。会った。白詰イトに負けず劣らず魅力的な少女だった。最初に彼女の形を求めなくてよかったと心から思う。そうしたら千夜子がいなくなってしまう。代わりに自分が千夜子になって……――?
待って。これがオーダー? 狙った相手に完全になり替わり、当人をこの世界から追い出すっていう――そのためにわたしは?
「識別個体アビスにエルゴの拡大を検知。オーダーに対する強い疑義が生じた」
“我々”が無感情に告げる。
「空白化を試みる。これの中身を焼き尽くせ」
――そこからは一方的だった。
「うわぁ、何だこいつら!?」
「対人ガチ勢か!? 仲間が一発でやられた!」
「こ、これ知ってる。ずっと昔に流行った戦争用のガチ構成で――」
〈ルナ・エクリプサー〉の仲間たちは次々にダウンさせられていった。元々対人に秀でたプレイヤーなんてごく少数。他は寄り集まって何とか戦力を維持しているような普通の人々だった。それらが何の区別もなくまとめて一蹴された。
〈影刀〉、〈ヴァンダライズ・デス〉、〈アクセルブリンガ〉、〈ゲオルグの十三手〉……古のスキル構成。一目で正体を見抜けなければ、最新の装備だろうと対抗できない一瞬の殺し屋たちだ。
だが仲間たちはまだいい。
心配ない。ダウンさせられても、その先はむしろ安全。
問題は自分だ。
空白化。焼き尽くせ。文字通りのことをされる。
失くす。喪う。アビスであることも。彼女への想いも。そうしてまた“我々”に戻される。誰かの形を奪うために。その相手はもしかしたら、千夜子かもしれない――。
(そんなの……そんなの絶対……)
背後から、自分の終端が迫って来ていた。
砦も仲間も捨てて逃げてきたが、それももう限界か。
一人二人くらいならヒュベリオンで相手にできる。でも追っ手の数はそんな数をとっくに超えている。取り囲まれたが最後。一瞬で終わりだ。
背後の気配が分散した。
こちらの逃げ道を塞ぎつつ、前に回り込む複数の足音を聞き分ける。
アビスはたどり着いた一本の巨木に背を預けた。
見える範囲に“我々”はいない。しかし、樹木の裏、茂みの陰に、あれらの気配が潜んでいる。逃げ場は、ない。
終わる……。全部、終わってしまう。
アビスは荒く息をついた。ヤツらに何かされる前にこの息吹に乗って、自分の中身がどこかに飛んでいってしまばいいとさえ思った。でも、残った。一つも減らなかった。減るわけない。だってこれは、自分のすべてなんだから。
「千夜子……」
目頭が熱くなる。悲しい。これが悲しいって感情。
「もう一回会いたいよぉ……」
影が一斉に飛びかかってきた。
泣きたいくらい寒かった。
瞬間。
ギャッ、ギャギギギギイイイイイイィィィ……!!!!
七色の光線が目の前を上から下へと貫き、はるか地下の岩盤をも引っ掻くような凄まじい音を立てた。
地面を赤熱させた光線は放出を維持したまま周囲を不定形に蛇行し、間近まで迫っていた刺客たちを一気に散らす。
「えっ……」
木の上からアビスの前に舞い降りてきたのは、二体の折り鶴。
そして、その折り鶴に左右の足を乗せた一人の少女。
「アビス、大丈夫!?」
「千夜子……? なんで……?」
涙でぼやけた視界の中、そうだとわかった時には、もう体が勝手に彼女を抱きしめていた。
破滅フラグ? うるせえカラサワ撃つぞ!




