案件73:愛はIより出でて
スタッ! とその軽快な足音が響き渡った時、誰もが唖然としてこちらを振り返った。
第三支援砦、建物をぐるりと囲う城壁の屋上。
眼下に集まったシンカーたちを睥睨する蜂起者たちのど真ん中で、バスターソード・ガローラの狼の意匠は周囲に油断なき視線を送る。
白を基調とし一流アレンジャーによって生まれ変わった奏楽隊のライズコスチュームに、目元を可憐に覆うベネチアンマスク。誰かが驚きの第一声を放つまで、あと一秒――。
『バスターソード仮面!?』
幾重にも重なったその呼び名に、イトはただ静謐な眼差しをもって応じた。
砦を占拠していた〈ルナ・エクリプサー〉のメンバーが一斉に武器を構える。
「待ちなさい!」
それを鋭く制止したのは、彼らの首魁たる黒の花嫁。
「イトの相手はわたしがする。手出しは無用よ」
「しかし、ダーククイーン……!」
大剣クラスタの一人が不服の声を上げる。
そのまわりの人々が浮かべるのも、同様に不安の表情だった。
大将自ら出撃というのは、リーダー=最強の戦士という小規模な武装集団には避けては通れない宿命。しかし相手が一人なら、まだ取り囲んで優勢を作り出せる。
「いいえ。わたしが戦って勝たなければ意味がないの」
それら堅実な戦術を一蹴する声を発し、アビスはこちらに静かに燃えるグリーンの双眸を突きつけてきた。
「よく来たわねイト。さすがと褒めてあげる」
「……わたしはどう見てもバスターソード仮面。イトという女の子とは一切関係ありません」
「目の周り以外100%イトだけど?」
「そ、そこが大きな差なんです! あとほら、武器だって初期バスターソードじゃなくガローラですよ!」
「わたしと前に会った時はガローラを使っていたわ」
「ぬぬっ……!」
イトは怯んだ。まさかこうも容易く正体を見破られてしまうとは!?
「そ、そんなことより、これは一体どういうつもりですかアビスちゃん」
とりあえず前口上は引き分けということにしておいて、本題を切り出す。
「わたしとそっくりのアバターを使い、夜はキス魔行、そして今度は他のパーティから人を引き抜いてグレイブの一部を占拠とは! みんなも! お仲間さんたちは下で泣いていますよ!」
むむっ……! と唸り声がイトの周囲を一巡する。
「確かに有休を取った仲間には申し訳なかった……」
「有給は正直スマンカッタ……」
「有給の人にだけは謝る……」
何だか一定条件のプレイヤーに対してはやたら親身な回答が多い。が、彼らも言われっ放しではない。
「しかし我々は断固たる意志を持ってダーククイーンに仕えている! 決して引き抜きなどというリクルーティングな理由からではない!」
「そうだ! イエス、マイダーククイーン!」
「決して悪そうなイトちゃんカッコイイとか考えてないわ!」
「そこはちょっとありがとうございます!」
一部を誉め言葉と受け止めつつ、イトは悠然と佇むアビスへ目の焦点を戻した。
「アビスちゃん。あなたの目的がわたしに成りすまして騒ぎを起すことなら、もう十分でしょう。あなたはとっくにわたしの裏アカとは見なされていないし、ここに集まっている人もそう認識してはいない。それとも、もっと他に目的があるんですか!」
「…………」
アビスの表情がわずかに揺らぎ、その視線が自分のすぐ横へ向かったことをイトは察した。彼女が見ているのものは……物陰に隠れるようにボールカメラが浮いている。ペンと剣のロゴの上に、Pという文字。これは多分〈ペン&ソード〉所属のボールカメラ。そしてPは、以前〈恩情の都〉で会ったエージェントPのパーソナルマークか?
どうやら、この騒ぎに乗じて砦にカメラを放り込んだらしい。しかしアビスはこの撮影機器を見逃し、むしろそこから大々的に世間にアピールするかのように、凛とした声を響かせた。
「わたしの目的はただ一つ――」
ビシッと指を突きつける。
「あなたから千夜子を奪うことよ!」
「なにっ!?!?!?」
イトは目を剥いた。
思わぬ名前を出された。確か撮影現場でアビスと千夜子の接点はほぼなかったはず。今この瞬間にもだ。
地上――グレイブ方面からもどよめきが伝わってきた。エージェントPのボールカメラが早速今のセリフを中継したものらしい。
「この勝負にわたしが勝ったら千夜子をいただくわ」
「なるほど……」
イトはうなずくようにして、アビスの言葉を受け止めていた。
確かに予想外の要求ではある。しかし、ある意味ではそれはごく自然なこと。
「うちのユニットで随一のマシュマロムチムチボディを持つチョコちゃんに目をつけるとは、なかなかオメガ高い……! しかし、そのような条件をわたしが呑むとでも?」
「呑ませる必要なんてない。わたしはただあなたに勝って宣言したいだけ。イトより人気があってイトより強い女の子がここにいるって」
「むっ……! 強さはともかく人気は聞き捨てなりません! わたしにはライズに来てくれるお客さんだってたくさんいます!」
ウオオオオオ……と地上方面からの歓声。今の言葉を受けてファンたちが応えてくれているのだ。
「わたしの支持者だって負けてはいないわ」
ウオオオオオオオ!!! 至近距離で巻き起こる咆哮。数の上ではこちらと大差ないのかもしれないが、近いせいか、それとも籠城中の熱気からか、伝わる気迫は段違いだ。
人気勝負では決着がつきそうもない。
「どうやらこれ以上の言葉は不要のようですねアビスちゃん。ならばこの剣にて結論を出すことにしましょう! バスターソード仮面の正義の刃、受けてみよ!」
高らかに謳ってイトはガローラを構える。「正義?」とせせら笑う声が、ヒュベリオンを背中から引き抜くアビスから漏れた。
「正義なんて、他人と似てなきゃ意味のないちっぽけなものじゃない。愛は誰にも似なくていい。わたしの愛はわたしだけのものよ!」
「!!」
ドズンと地ならしの一歩を打ち込んで作った、こちらと同じ脇構え。その鏡映しのような光景を知らない面々がはっと息を呑み、戦いの結果を預けるように後ずさる。
「食らえ!」
屋上を踏み割るかのような強烈な踏み込みからの、腕を目いっぱい伸ばした初撃。遠心力最大の一撃は、PV撮影でも見せた彼女の得意技だ。
豪快さは群を抜くが、その迫力に惑わされなければ超大振りの一撃。イトは冷静にヒュベリオンの長さを測ると、素早く範囲外へと後退した。
前の撮影で、イトは彼女の攻撃の特性を、自分でも不思議なことに自然と把握していた。
バスターアックスソードの攻撃は確かに鈍重だ。しかし速さを感じてしまうのはなぜか。
それは防御の際に発生した硬直時間が、次の斬撃までの猶予を埋めてしまうからだった。
衝撃力と攻撃速度の絶妙なバランス。そのスキル構成と連続技の組み立てが、アビスの戦闘スタイル。
したがって、受けに回る場合の最適解は気合で回避! そうすれば次が続かず、絶好の反撃ポイントを見出せる。
砦を揺らすような衝撃を巻き起こし、ヒュベリオンが床に叩きつけられた。
(かわした、今だ!)
そう思って前に踏み込みかけたイトは、不可解な動きをするアビスを見ることになった。
剣を叩きつけた反動で少女の体が浮き上がる。それはほんの少しにとどまらず、彼女を人の肩の高さにまで上らせた。
「!?」
空中でくるりと漆黒のドレスが前回転。その回転を使って強撃二発目を放ってくる!
「わわっ……!」
ガローラを慌てて頭上に寝かせ、イトはこれを受けた。
痛烈な震動が足の裏まで突き抜ける。ガローラの腹に左肘までがっちりと添えていなかったら、ガードをぶち抜かれていた。
これは苦し紛れの攻撃なんかじゃない。むしろ一発目はフェイントで、こちらが本命――!
ヒュベリオンの重みから、ニヤリと笑うアビスの感情が伝わってくる。
まずい。防御してしまった。彼女の攻撃はここからが本番――!
「愛は正義より強いッ!」
アビスの咆哮。縦横無尽に走る悪魔の剣が嵐を呼んだ。対人戦というより城壁を掘削しているような無尽蔵の斬撃が、ガローラのガードを削りにくる。
「ぐくっ……!」
守りの構えのままではすぐに破られると察し、イトは剣を振り合わせるようにしてこれを迎え撃った。大剣カテゴリ同士の激突が凄まじい衝撃風を吹かせる。
しかし――。
(は、速い……!)
以前よりスピードが増している。強くなったというより、何かが“定まった”ような自信が、彼女の一撃一撃に込められている。
そして前との違いはそれだけじゃない。
(〈フロートラッカー〉が発動しない……!)
強敵を前にすれば自ずと発動するはずのパッシブスキル。前回は機能したそれが起動の予兆さえ見せない。
相手が弱い――とは到底考えられなかった。だとしたらどうして。
イトはここではっとなった。
アビスは発動条件をこう分析していた。「自分と互角以上の相手とガチった時だけ」。イト自身も腑に落ちる内容だった。だが、このアビスが互角以上の相手でないはずがない。
しかし条件はもう一つある。
ガチった時――。
そんなバカな。ここまでピンチになっていてガチじゃないわけがない。
けれどもしこの「ガチ」というのが単なる真剣度合のことじゃないとしたら?
ある種の噛み合わせ。正しく相反する対決構図まで指しているとしたら。
原因はただ一つ。
こちらの動機。戦う理由。
さっきから何か噛み合っていない気がしていたのだ。
アビスはどうしてここにいる? 自分はどうしてここに来た?
アビスは叫んだ。愛と。じゃあこっちは? 正義のヒーローだから?
――正義なんて、他人と似てなきゃ意味のないちっぽけなものじゃない。
――愛は正義より強いッ!
正義じゃ彼女と噛み合わない。正義じゃ彼女に届かない。
本当に必要なのは――。
「チョコちゃんへの愛で――」
ガローラの毛並みに力が通う。
「負けるかああああああっ!!」
ガイィィン!
渾身の一撃が、振り下ろされるヒュベリオンをアビスの腕ごと跳ね上げた。回転するごとに勢いが加算されていく今もっとも重たい一撃を、完全に。その急所が線となって見えていた。
「!!」
アビスと彼女を見守る同志たちに驚愕の色。イトは反撃の拍子に砕けたベネチアンマスクの破片と、発動した〈フロートラッカー〉の無数の軌跡の中でそれを視認する。
「チョコちゃんは渡さあああああああん!!」
一気に反撃に出る。これまでやられた分を耳揃えてきっちり返すラッシュ。ガローラは旧式ながら、現行最強格のヒュベリオンに真っ向対峙する殺意を内部に盛りまくっている。今度はアビスが防御側に押し込まれる番。
「くっ……! そんなこと言ったって、わたしは千夜子と仲良いんだから!」
苦悶の顔の中に挑戦的な笑みを浮かべてくるアビス。
「仲が良いのは結構なことです! でもわたし、チョコちゃんとお泊り会とか普通にするし!」
「な!?」
アビスの動揺は、なぜか砦を越えて地区全体に一気に伝播したように感じられた。
「ち、千夜子が……寝取られてた……!?」
「なっ、何でそうなるんですか! わたしの方が馴れ初めは先です! ていうかセンシティブ発言禁止!」
「あのマショムチボディに何をしたのよ白詰イト!」
「ムフフとても柔らかく温かい!」
「くっ……うらやま許さない!」
ガギィン! と強烈な打ち払いがガローラを押しのける。
彼女からの反撃が来る。〈フロートラッカー〉をもってしても追いつくのがやっとの猛攻。
「わたしは千夜子が色んな服着てるところ見てるわ。普段は着ないような服もね!」
「そうですかわたしは中学校と高校の制服着ためっちゃ可愛いリアルチョコちゃん知ってますけどぉー! すりすりも抱き抱きも毎日してますけどぉー!」
「な!? こっ……この卑怯者! えっち!」
怒鳴り散らし合いながらも、両者の一撃は必殺の威力を秘め続けていた。押し合いへし合いの中でそれらの嵐が迫って来るたび、城壁屋上では〈ルナ・エクリプサー〉の面々が右へ左へと逃げ惑う。
「でも……! どちらにしろ選ぶのは千夜子自身よ……!」
ガツッと、切っ先同士が噛み合って足が止まる中、アビスが言う。
「いいえ」
対してイトは神妙に微笑んだ。
「チョコちゃんは無理に選ぶ必要なんてないです」
「え……!?」
「もしチョコちゃんが本心から“どっちも”と言うのなら、それでいい。わたしはその中で、自分のありったけの気持ちをチョコちゃんに注ぐだけです……!」
「……!」
その時初めて、アビスは怯んだ。満身から溢れ出ていた確固たる何かが、涸れたように弱まった。
――好機!
「もらったぁ!!」
「しまっ――」
強烈な袈裟斬りがヒュベリオンを強打する。
悪魔の喉笛が見えた狼が、歓喜の咆哮を上げた。
アビスのバランスが乱れる。体勢が弱い。詰ませた、あと二手!!
「ん?」
その時、イトは突然、自分の足元が薄い板切れになったような錯覚に囚われた。
それは偶然や不運とは言えなかったかもしれない。
アビスはイトよりも早い段階からこの砦にいた。砦の状態をそれとなく知っていた。立ち回りにおいて不安定な場所を自然と避けるのが対人巧者。イトはその分不利だった。
パカッ、と。
場違いなほどコミカルな音を立てて、イトの足場が、取れた。城壁の屋上の端から。
元々放棄されていた砦だ。傷んでいた箇所も、怪しい足場も、特に誰にも気にされずに今日まで来た。そこで突然巻き起こった超重量級の大剣対決。どこかがポロッといっても何ら不思議はない。
「あわわわわ!!」
イトは一秒ほど文字通りの空中ダッシュで耐えたが――残念ながらそれはスカグフには未実装の機能。
「わーっ! ちょっとおおおおおおお!」
アビスを含む〈ルナ・エクリプサー〉がぽかんとする中、イトは地上――グレイブの入り口がある岩塊へと墜落していった。
決まり手は、メガトンアイドル、メガトンアイドルー。




