案件71:あの子はどこにいった?
千夜子はバザールに急いでいた。切れる息は駆け足のせいではなく、焦る心から。
テントが所狭しと並ぶ広場の入り口に、ぽつんと待つ彼女の姿が見えた。
「アビス!」
「千夜子! 嬉しい、今日も来てくれたんだ」
ブルーのサングラスを持ち上げて、我の強い服装からは想像できないほど素朴な笑顔を晒してくるアビス。
「ねえ、今日はパンツスタイルで遊んでみない? 千夜子の可愛いところもっと見つけたい」
バザールでの試着歩き。二人で同じ服を着ては、いいところやイマイチなところを話し合う。アビスと会ってからそんなことばかりしてきた。大抵、お互いを褒めちぎって終わってしまうけど。今日もまたそれが始まると思って、期待を語る彼女を見るのがつらい。でも言わなきゃ。
「アビス。あなたがイトちゃんのニセモノだってことがバレた」
「…………」
すっと、アビスの顔から笑みが引っ込んだ。
「今日ログインする前に、イトちゃんが学校で言ってたんだ。ダーク・イーターはアビスちゃんかもしれないって。ヒュベリオンっていう大剣を持ってたって目撃証言があったって」
イトがスカグフの話を学校でするのは、実はわりと珍しい。この手の話題は、赤レンガホームで烙奈とも一緒に、というのがある種のお約束になっていたからだ。
しかも今回は、もし烙奈がログインしていたら先に伝えておいてほしいとまで頼まれた。これはかなり重大な事態に違いない。実際、それを知った烙奈はすぐにケンザキ社長や大剣クラスタに連絡を取り、早急に対策を立てていたようだった。どういうわけか、彼女は人一倍ダーク・イーターについて警戒しているのだ。
「もうそのアバターはやめた方がいいよ。あなた本来のアバターに戻して……それからまた会おう?」
「嬉しい」
それまで黙って聞いていたアビスが、突然、横髪を耳にかけるような仕草をしながら微笑んだ。
「千夜子は本当にわたしのこと黙っててくれたんだ。そうじゃなければもっと早くにバレてるもんね」
千夜子は口ごもった。
それは……そうだ。アビスのことは誰にも話していない。一回二回会うまでなら、「もっと詳しい中身を掴んでから言うつもりだった」とかの言い訳もできた。でももうそんな段階はとっくに過ぎて、こうして会うのも密会と同じになってしまっている。
「でも、わたしがイトの顔してなかったら、千夜子はこんなに仲良くしてくれないよ」
「そんなことない!」
目線を下げたアビスに対し、千夜子は心の底から否定を吐いていた。
「アビスはもうちゃんとわたしの中でアビスだよ。そりゃ、顔に何も感じないでいることはできないけど……でも、バザールでずっと会ってたのはアビス。それは間違いない」
「千夜子……」
アビスは目を丸くし、それから少し寂しげな笑みを見せた。
「それじゃあさ千夜子……わたしと一緒に逃げてくれない?」
「えっ……」
「どこか遠いところ。別の町でも、いっそ別の地区でも」
「そ、そんなこと――」
反射的に言いかけて、千夜子は言葉を飲み込んだ。これは条件反射で答えていいような内容じゃない。アビスの目を、その切実な表情をしっかりと目に焼きつける。この結末を作り出したのは自分なんだと思い知るために。
「それはできない。わたしはイトちゃんをもう二度と傷つけない」
「……うん……そうだよね」
アビスのかすれた諦めが目元をよぎり、千夜子の胸を締め付けた。同じ顔だ。あの時とは見た目も歳も違うけど、諦めと無力感の滲み出た顔。またこれを見てしまうのか。
このことで自分を責めるのは筋違いだとわかってる。でも何もせず見過ごしてしまったのは事実――。
「ごめんね困らせて。ありがとう、今まで楽しかった。じゃあね」
きびすを返すと、アビスはその場から走り去った。
またね、とは言ってくれなかった。
※
「ただいま……」
「あっ、チョコちゃんおかえりなさい!」
千夜子がホームに戻ると、イトがすでにインしていた。普段ならまだ雑事を片付けているはずなので、今日はやはり早めにこちらに来たようだ。
「モズクちゃんから連絡があったそうです。この近辺でヒュベリオンを使っているのは、やっぱりアビスちゃんくらいしかいない――本人で間違いないとのことでした」
「そ、そうなんだ……」
イトの言葉にぐっと胸が詰まる。後ろめたい気持ちが体の中で渦を巻き始めた。
「大剣クラスタの方でも色々探ってみてくれるとか……。PVにはアビスちゃんも映っているので、あのアバターを使っていることの真意を確かめないと危なくて配信できないって」
「うっ……そっ、そうだよね」
アビスは悪い子ではない。ただ、結局あのアバターについては何も聞き出せなかった。それに関しては自分が全部悪い。もし良からぬ理由でアバターを使っていた場合、あのPVの立ち位置はさらに微妙になってしまうだろう。イトもユラも頑張った動画がお蔵入り……この危険性に関しては完全に失念していた。何てことだ。
「アビスはそこにいれば目立つからな。大剣クラスタが協力してくれれば、発見は早いかもしれない」
あの団結力だからな――と添えて、少し安堵する様子の烙奈。
しかし千夜子だけは知っている。もうアビスは現れないかもしれない。少なくともあのアバターでは。
ヒュベリオンさえ隠してしまえば、そうそう本人と特定されることはないはず。あのヘアカラーとスキンカラーをまた使ったとしても、類似はいくらでもいる。違う地区、なんて単語も口にしていた。人知れずサーバーを引っ越せば、それはもう外国に行ったも同然。追跡はできない……。
そこまで考えて、千夜子の心はようやく、本当にもう会えないかもしれない、という危惧に行き当たった。さっきのあれが最後のお別れ。それらしいことなんて何も言えなかった。そんなのって……。
「お嬢様!」
と、ここで突然、スパチャがリビングに飛び込んできた。
「どうしたんですかスパチャ、血相変えて」
「ケンザキ社長から連絡がありました。今すぐ配信をご覧ください! ニュースチャンネル〈モーニング墓〉を!」
受けたイトが急いでポータルを起動させ、〈モーニング墓〉のチャンネルを開く。
この配信は、おはようからおやすみまで空墓の入り口を定点配信している。今どこが一番人気か、そしてどこが穴場かをリアルタイムで確認させてくれる番組として、アイドルでも活用している人は多い。
「あ、あれ……?」
千夜子は目を見張った。
普段は無人ボールカメラが黙々とグレイブの入り口を映しているだけなのに、今日は違う。ちゃんといたらしい番組のリポーターが、画面の端っこに映って何かを懸命に叫んでいた。
「これは……昨日も行った〈幸せな大王子〉ですね
」
画面にメインとして映されているのは、イトの言う通りの場所だ。
しかし奇妙なことに、カメラは空墓の入り口ではなく、まったく別の方を向いていた。
その斜め上。スカイグレイブの基礎部となる大きな岩塊に付随して浮いている、中規模な岩塊。〈幸せな大王子〉は他のグレイブとは異なり、そうした破片にも小さな砦のような建物を載せていることで知られていた。
モニターの中央では、複数ある砦の一つが篝火で彩られている様子が映し出されている。
奇妙だ。あそこには何のギミックもアイテムもないことがずっと前に証明されている。今さら用がある人なんて――。
「あっ、人が見えます! ボールカメラちゃん映して映して!」
興奮するレポーターの言葉を受け、カメラが望遠性能を最大発揮。城壁の上部に集まった人々を映し出す。
「あれは――大剣クラスタだと!?」
烙奈が大声を上げた。千夜子にも見覚えがあった。バケツみたいな兜に重厚な鎧。何よりも肩に担いだ大剣が、ずらりと並んだ彼らの出自を告げている。
「いえ……大剣だけというわけではなさそうです。他の武器も混じっています」
イトも画面をのぞき込みながら言う。
確かに、普通の剣を差していたり、魔法職の格好のプレイヤーもいる。つまり色んな人間があそこに集結しているのだ。一パーティどころの数ではない。これは……?
そうして周囲に混乱を撒く中、彼らの人垣を割るようにして一人の少女が現れた。
白い髪に褐色の肌。人気コスチューム〈アビスブライド〉に身を包み、背中には悪魔の体の一部をもぎ取ってきたような禍々しいバスターアックスソード――ヒュベリオン!
アビス!
「ニャニイイイイイイイイ!!!!!????」
千夜子は絶叫していた。
それは間違いなく彼女だった。今頃はニセモノのアバターをやめ、目立たないよう身を隠しているはずの。しかも仮面をつけていない素顔の状態だ。
「この場所は、わたしたち〈ルナ・エクリプサー〉が乗っ取った!」
忍ぶどころか存在感全開、得意満面に言い放つ。
「わたしを捕まえたければここまで来なさい! 特に白詰イト! わたしと勝負よ!」
アビスが高々とヒュベリオンを掲げると、まわりにいたプレイヤーたちも一斉に武器を天へと突き上げた。
『イエス! マイ! ダーク! クイーン! イエス! マイ! ダーク! クイーン!』
一糸乱れぬアビスへの支持コール。逐一武器と体を揺らしていて、まるでアバンギャルドなアイドルのイベント会場のようだ。
なすすべなくそれを見守る現場と同じく、千夜子たちもただただ唖然とその光景に圧倒されるしかなかった。
「な、何なのだこれは……」
「あれがアビスちゃんですか……? 本当にわたしそっくりな顔……! ていうかあの、なんかわたし名指しされてるんですが……これすぐ行かないとまずいですよね?」
「い、いや、待てイト!」
玄関に向かおうとしたイトを、烙奈が慌てて呼び止める。
「あんな明らかに罠とわかっている場所へ向かうことはない。だいたい、あんなところを占拠されたから何だと言うんだ? 誰も困らない。仮に応じるにしても、もっと周到な準備を整えてからだな――」
彼女がそう一切反論する余地のない正論を述べていた、その最中に。
「な、な、何やってんだおまえらぁ!?」
突然画面に大声が割り込み、ボールカメラに隣を振り向かせた。
リポーターのすぐ近くで腕をわななかせているのは、青い十字の入ったフルアーマーの少女。大剣クラスタの代表、モズクだ。
「あいつの捜索に行ったんじゃなかったのか!? 逆に取り込まれてどうすんだアホォ!」
他にも、
「おい! 急にパーティ抜けたと思ったらそんなとこで何してんだよ!?」
「クラン長、あんたがいねぇで今日のイベントどうするんだ!? もうみんな集まってんだぞ!」
「ぼくの彼女があそこにいるんです! あんなにぼくの経験値アップスキルが好きって言ってくれたのに!」
様々な驚愕と嘆きが、グレイブ側から噴き出していた。
どうやら仲間をアビスに引き抜かれてしまった面々らしい。
「ダメだぁ……このままじゃせっかくのウマスギグレイブに行けねぇ……」
「有給まで取ったのにどうしてくれんだ! この一分一秒が俺の血なんだよ! 誰か時間を止めてくれぇ!」
「そうだ! バスターソード仮面を呼ぼう! こんな時のための謎の正義の味方じゃないか!」
一人の叫びをきっかけに、その輪はまるでヒーローショーの司会のお姉さんに焚きつけられたみたいに広がっていった。ついにはレポーターまで一緒になってバスターソード仮面コールを始める。
「…………」
千夜子は汗だくになりながらイトの方を見た。
このカオスな状況。あまりにも都合よく引っ張り出される正義の味方。さすがの彼女もドン引きで――。
「聞こえる……バスターソード仮面を呼ぶ声が!」
「ええええええええ!?」
フシューッと鼻から蒸気を吹き出しつつ、イトは瞳に星を宿していた。
「ちょっと用事を思い出したので出かけてきます! あっ断じてあそこに行くわけじゃないですから! あっちに向かうのはバスターソード仮面ですから! そこんとこよろしくぅ!」
「まっ、待てイト! 早まるでない!」
飛び出していったイトを追いかけ、烙奈までらしくなくドタバタと出ていって。
一人残された千夜子は、モニターに映る高飛車なアビスの顔を呆然と見つめる。
バザールで一緒に遊んだ少女はそこにはいない。
アビス、あなたは今どこにいるの。
イトちゃんがんばえ~。




