案件69:秘密の二人
バザールはプレイヤー同士でアイテムの売買ができる交易の場だ。
ガチャで出たいらない景品を売り飛ばすのはもちろん、各種装備品、一定の時期に需要が高まる武器強化素材、デイリーで収集するなんかの草、果ては有名人のサイン入りSSまで、誰か一人でもほしいと思うあらゆるものが売っている。
見た目としては布と細い支柱でこしらえた簡素なテントだが、ガチャ産アイテムで多少アレンジすることは可能。中でもアラビアンな柄の布は人気で異国情緒も出る。
店主は基本的に、取引用botであるマスコットキャラが務める。ペンギン、お猿、招き猫あたりを置いておく人が多い。中にはプレイヤー自身がやっているところもあるが、これは事前に買い手から連絡があり、熾烈な値切りバトルに店主が応じた時だけだ。お店を本格的にやりたいのなら、町の大通りにちゃんとした店舗を構えるだろう。
ここに人目がなくて本当によかった――千夜子は心からそう思った。
「ねえ千夜子見て。あっちの猿、目を塞いでる。あれで店番になるのかな」
「…………」
「へえ、綺麗な宝石なんて売ってるんだ。でもやけに安いね。千夜子、何で?」
「…………」
「千夜子。ねえ千夜子ってば。聞いてる?」
「き、聞いてるよ…………」
千夜子は上擦った声を、横も向けずに天を仰ぎっぱなしの顔からかろうじて発する。
さっきから伝わってきているのは、アビスの柔らかい体温と、甘い香りのする髪が肌にこすれる感触。腕を絡めて密着した彼女が、ことあるごとにこちらの肩に頭を載せて隣を歩いているのだ。
そう密着――。腕だけでなくその指先まで、まるで蛇のように絡み取られていた。親指から小指まで、すべてがまるで独自の意志を持っているみたいに、ねっとりと巻き付いてきている。もし手が呼吸していたらとっくに窒息しているだろう。
これはもう、誰がどう見ても恋人同士の散策だった。しかも周囲を一切気にしない熱烈バカップル。
アビスがブルーのサングラスをつけてくれているから素顔はバレないが、それにしたって大勢に見られていい姿ではない。〈ワンダーライズ〉の飯塚千夜子、日中のバザールで白髪褐色少女と堂々デート――自分なんかでもこんな風にスキャンダルとして取り扱われるのだろうか?
「ア、アビス……」
勇気を振り絞って目だけを隣に振り向けると、超至近距離にあるアビスの顔が、「ん?」とサングラスを下ろし、あどけなく見返してきた。グリーンの無邪気な瞳が何かを期待するように輝く。そんな可愛らしい様子にくらくらする。
「あ……歩きにくくないの……?」
「全然。だって幸せだもん」
言って、まるで動物が頬ずりするみたいにさらに顔を寄せてくる。
アビスの方が背丈が高いのは厚底サンダルのせいだ。本来なら身長差はほぼない。ただそのせいで、彼女の体はだいぶ斜めになっていた。
バザールに入ってから――いや、あそこで同行を許した瞬間からこうだ。正直、アビスがかなり寄りかかり気味なため、とても歩きにくい。
だが、それを許容してしまっているのは――。
(だってイトちゃんと同じ顔があああああああ!)
だからだった。
別人なのはわかっている。
これはアバター。つまりまったく知らない人物が、色違いのイトの被り物をしているだけ。仲良くする理由も、ましてやこんなに密着して歩く理由もない。本人だって、こうなる前に言っていた。
――「イトとデートする予行練習だと思っていいよ」
なんて。
それは人としてまずいですよと頭ではわかっていながら、断り切れなかったのが答えのすべて。気づけば、二人の間には風速一ミリメートルの隙間風さえ通れなくなっている。
し、しかし……。
(これはね……違うのイトちゃん!)
そう、すべてはアビスから情報を引き出すための駆け引き。知略なのだ。〈ヴァンダライズ〉とか変な名前で呼ばれていた頃に培った闇のスキル。さあ、そろそろ本気を出してニセモノのすべてを暴いてやらないと!
「じゃっ、じゃあ、質問して、いい……でっか?」
「なんなのその語尾。最初からいいって言ってるじゃん」
アビスがくすくす笑いながら応えてくる。よ、よし、しゅどうけんはにぎった……!
「そ、そのアバターについてだけど……それ、自分で作ったの?」
「ちょっと違うけど、まあそう」
「どうやって? イトちゃ――他人のアバターをそっくりに作るのはすごく難しいはず」
「ふーん……?」
「い、一般論でね!? あくまでね!?」
慌てて釘を刺したはずが、人の話を聞かないアビスの妖しい笑みがぐっとこちらに近づいてくる。
「もしかして千夜子もほしいの? イトのアバター」
「ちっ違うよ何でそう思うのかかなり不思議!」
「イトの姿になって、あんなことしたり、そんなこと言わせてみたりしたいから? ふふっ、千夜子のえっち」
「違う違う違う! ノーです! よろしくお願いします!」
「でもさ、千夜子がイト役やっても一人芝居にしかならなくない? ずっと独り言言ってるの?」
「それ冷静に指摘しなくていいから!」
わめき立てるこちらを一通り観察した後、アビスはわざとらしいため息をついた。
「はー、千夜子は大変だね。イトは友達多いし、みんなから好かれてるしで、千夜子だけを構ってはくれないもんね」
「そ、それは……仕方ないよ。最近のイトちゃんは特に忙しいし……。わたしはただついていくだけだから……」
「わたしなら千夜子しか見ないのになー。ねえ、わたしが千夜子の願い、かなえてあげようか?」
「えっ……」
それはどういう……と問いかけようとアビスを見返した時、
「あれ、待って。これ何?」
彼女が突然、すぐ目の前にあったテントの商品を指さした。
敷布の上に置かれた、独特なデジタルパターンを描いている正方形――ゲーム内で何かと見かけるデジタルブロックだ。アビスが指さした途端、そこから内包されている商品のグラフィックが飛び出してきた。コスチューム。ゴスパンク風のワンピース。
「何か出てきた」
「これがバザールの商品だよ。売り物一覧はこっち……ここに提げてある看板に書いてあって、実物を詳しく見たかったらこのブロックを確かめる、みたいな感じ」
「へえ。可愛い」
アビスがワンピースをしげしげと眺めながら言う。
イトはこういうトガった服装はあまりしない。もっと軽くて明るい服装が好みだ。リアルでも。ただ絶対似合うとは思う。だから……。
「し、試着、してみれば……」
そうつい言ってしまった。
「試着? したい。どうやるの?」
千夜子はポップアップしたウインドウから、試着を示すTシャツみたいなアイコンを指さす。
「ここを触るの?」とアビスが触れた途端、彼女の体が光の粒子に覆われ、それがパッと散った。現れたのは、自らをも傷つけてしまうゴスパンクの激しさを身に纏った少女――。
「ぐはあ!」
千夜子は危うく口からチョコレートを吐き出すところだった。
ゴスパンクのアビスは、可愛さとカッコよさの中間に立って、得も言われぬ蠱惑的な色香を匂い立たせていた。優雅さと粗暴さが両方備わり、しかしそれに甘んじることなく二つを支配するような一体感。
「どう千夜子? 変じゃない?」
その場でくるくる回り、腕を伸ばしてみたり、軽くポーズを取ったりしながら感想を求めてくる。
「こ、これも……」
千夜子は震える指で、隣に陳列してあった合わせのシューズも試着させた。
「うーん、これだと髪型はロングの方が良さそう。こっちにしよ」
「すいませんでしたぁ! ごちそうさまですぅ!」
千夜子は勢いよく頭を下げていた。
完成したゴシックスタイルのアビスは完璧だった。セットアップというより、彼女の服装が世に広まったのが始まりではないかと錯覚するほどマッチしていた。
以前の黒いウェディングドレス――アビス・ブライドが怖いくらいマッチしていたのと同じ。彼女には、影や悪魔といった要素がとてつもなく似合うのだ。そうすることで、普段は鳴りを潜めている邪悪な色気が本気を出してくる。
「千夜子気に入ったの?」
「うん……す、すごく……」
「嬉しい。ならこれほしい。買う」
アビスは自分を抱きしめるようにワンピースを抱え込んだ。
「でもそれ、人気商品だからすごく高いよ。お金あるの?」
「ない」
「じゃあ、買えないよ……」
なぜか千夜子の方がでかいため息をついてしまう。
するとアビスがそれに気づき、ニヤリと妖しく微笑んだ。
「じゃあ、こうしよ」
言っていきなりこちらの手を取り、ワンピースの試着ボタンを押させる。
すると一瞬後には千夜子もゴスパンクスタイルになってしまっていた。しかしそれだけでは終わらない。アビスは試着の完了を確認するなり、いきなり抱きついてきたのだ。
「ひゃあー!? なななな何を……」
「だって千夜子とこうするために買おうと思ったんだもの。気づいてないの? 今の千夜子、すごくアブなくて可愛いよ……」
そう耳元に熱を吐きかけると、足まで絡みつかせて数秒間の密着。千夜子が思考ごと固まっていることなど気にもせず、気が済んだらさっさと離れ、試着アイコンをもう一度タップしてコスチュームを解除してしまった。
「さっきのもいいけど、戦闘用かな。普段はこっちの方が好き」
そんな物騒なことを言いつつ、ギャル風のスタイルを確かめるアビス。
「そう言えば千夜子も何か買うものがあって来たのよね。ごめん、そっち先に済まそうか」
「ううん。いいの……もう……」
千夜子はぼんやりした声で返した。
「それじゃあ質問の続きする? いいよ。まだ話の途中だったし」
「うん……」
うなずき、そして問いかける。
「あ、あのさ……アビスは……どういう水着が好き……?」
※
窓がノックされた。
そこがドアではないことをはっきりと知っていて、なお叩く音だった。
赤レンガホームのリビング。スパチャが淹れた紅茶の湯気越しにそちらを見やった烙奈は、そこに思わぬ人物を見て、手にしていたジャーナルをくしゃりと握り潰していた。
サイバネのギミック付きコートにフード。白髪に褐色肌。ノア――!
「烙奈」
窓の外からその声がする。
「開けて」
烙奈は動けないまま、しかし今の言葉に違和感だけは覚えていた。
クリアランス識別名ではなく、烙奈と呼んできた。あの晩との些細な違い。しかし、それは決定的に大きな差異に感じられた。フードの奥に見えるノアの表情には切実な何か。
「烙奈、早く。長居できない」
罠なら、かかる方が悪いくらい明け透けな張り方。ユラに努力すると言った手前、これで陥れられるようならもう目も当てられない。しかし。
今はリアル世界でも日中。プレイヤーは多くおり、消灯状態とは違いリビングは間違いなく光に包まれている。以前とは何もかもが違う。
何か重要な話があって来た――。ノアの目はそう訴えている。
烙奈は自分の甘さが良きものであることに賭けた。
窓を開けて彼女を招き入れる。するとノアは野良猫のように素早く室内へと潜り、窓際から大きく離れて奥へと進んだ。
「ノア、一体何を――」
「ゴーストが動いてる」
機先を制するはずの質問は、それよりも早い解答によって遮られた。
「多くは語れない。ゴーストに気づかれる。一気に言うから覚えて」
矢継ぎ早な警告。これは……ある意味でゲームの話ではない。この世界の……話だ。
「“あれら”はゴーストに作られた。理由は不明。でも次の行動はわかる。イトのアバターを奪おうとしている」
「イトの!? アカウントの乗っ取りか?」
「違う。アバターの持つ属性すべてを収奪する。最初は姿や声みたいなインターフェース。次に周囲との人間関係。最後に本人の内面まで――」
「何だ……それは……」
「すべてを達成されたら大変なことになる。わたしは先生を守ることしかできない。烙奈も自分の大事な人を守って。――グッドラック」
そう言い残し、ノアは室内でログアウトを示すブロックノイズとなって消えた。
敵からも味方からも外堀を埋められる女イト。




