案件68:一番優しくてヤキモチ焼き
バザールのセールのことが一瞬で頭から全部吹っ飛んだ。コスのデザインも店の名前も良心的な価格設定も。
目の前にいるのはイト。どう見てもそう。
でも違う。
まずスキンのカラーがいつもと違うし、白く豊かな髪もポニーテール。
それに服装だ。へそが見えるオフショルダーの短いトップスに、攻めた丈のホットパンツ。これにカラフルなブレスレットや厚底のサンダルまで完備したら、もうイトや自分とはかなり縁遠い世界の女子コーデに違いなかった。
イトちゃんじゃない――なら、ニセモノ!?
ダーク・イーター。巷ではそう命名されたらしい。最初はイトのニセモノだったが、今では対となるライバルキャラ? みたいな扱いへと進化して彼女の人気を貪り食っているらしい。第十七地区で話題沸騰中のプレイヤー。この子が、そうなのか?
直感的に相手の正体に至った千夜子はしかし、直後にまったく別のイメージを目の前の少女に重ね、自然とその名前を口にしていた。
「……アビスさん……?」
「え」
ニセモノが目を丸くして固まり、千夜子ははっとした。自分は何を言った?
大剣PVの撮影現場にいたアビスという少女。仮面をつけて顔半分を隠していたし、服装もまるで違っていた。突然知らない名前を口にされても、相手はわけもわからないはず――。
「えっ嬉しい、わかってくれるんだ? ていうか覚えててくれたんだ?」
だが。そのニセモノは、驚きの表情を丸々笑顔に変えて、熱烈にこちらの手を取ってきた。
「!?!?!?」
千夜子は何が何だかわからなかった。
本当にアビス……? いやそれより、正体を見破られたのだから、ここは焦るなりごまかすなりするところではないのか。それが、こんなに素直に嬉しそうにするって……?
「あっ、ごめん。びっくりさせちゃった?」
カラカラと気さくに笑いながら、両手で掴んでいたこちらの手を、大事なお皿を棚に戻すみたいにそっと離してくる。
その時、ネイルの一つ一つに文様みたいなパターンが描かれているのが見えた。そんなところまで自分磨きを徹底しておきながら、こちらへの気遣いも忘れない。
撮影所の時とはだいぶ態度が違う。あの時はクールで、どこか気難しさと、そこから来る近寄りがたさがあった。それが今では明るく砕けた態度。
背中がムズムズする。顔がイトそっくりなせいかもしれないが……この子……超かわいいっ……!
しかし。
(お、お、落ち着け千夜子ぉ……!)
そんなこと言ってる場合じゃない。これは……これは何よりもまず、とんでもない事態だ。
巷を騒がせているキス魔。イトが追いかけているニセモノ。自分はその張本人らしき人物と偶然出会ってしまったのだ。いや「らしき」というかもう、ほぼ、確定的に明らか……! どっちかというと絶対にニセモノ本人……! だがしかし。
これがアバターだということを、千夜子のかろうじて冷静な部分が警告していた。
イトと同じ顔を作れたということは、それをもう一つ複製することだってできるはず。何かのツールか、あるいは超絶キャラメイクスキルで。それをニセモノ以外のプレイヤーが利用している可能性が、まだほんの少しだけだが残されている。
「あ、あ、あの……」
「ん? なに?」
小首を傾げて聞き返してくる。ポニーテールを飾っているアクセサリーがシャラリと鳴った。本物のイトがそんな風にしているように見えて、千夜子の胸の内は不可解に掻き回される。
「ア、アビスさんの、そのアバターって……」
「さん付けなんていらないから。呼び捨てでいいよ」
「で、でも」
「呼んでくれなきゃ質問に答えない」
「う、わかったよ、アビス……。これでいい?」
「うわっ、ホントに呼んでもらえた。超嬉しい!」
子供みたいにはしゃぐアビス。イトとはやはり違う。だが、だからこそ余計に可愛く見えて――。
「ああ、それで、イトのニセモノやってるのわたしだから」
(はあーーーーーーー全部言ってきたーーーーーーー!!!!!)
無造作に放たれた砲弾をもろに受けて、千夜子の意識は後方の民家の壁へと激突した。
「? どうしたの? これが一番に聞きたかったんじゃないの?」
「あ、う、そ、そう、なんだけど……」
きょとんとして逆質問してくるアビス。魂を引き戻した千夜子はかろうじて応答し、不信感を抱かれないようにする。まずい、完全に相手のペース。こういう時烙奈がいれば、一人氷の頂から冷静な追及をしてくれるのに。しかし今は自分しかいない……。
「なっ……なんで、そんなことしてるの……?」
これまでの頼りない人生経験値を総動員し、脳が働かないまま腹芸だけで言葉を紡ぐ。
「気になる?」
「……!」
その無邪気に顔をのぞき込んでくる態度が、逆に混乱を収束させた。湧き上がってきたのは、ニセモノの無責任さに対する怒り。
「ううん、気にならない! あなたの理由なんかどうでもいい。今すぐそれをやめて。イトちゃん、すごく迷惑してる」
「ふうん……」
一息に言い切ると、イトそっくりの顔が何かを考えるように一旦離れ、それからニマリと笑った。
「千夜子、そんなにイトのこと好きなんだ?」
「ふぉあっ!?」
のけぞってできた空間を詰めるみたいに、アビスがずかずかと歩み寄って来る。千夜子は後ずさる。
「そうでしょ? だから他人事なのにそんなに怒ってるんだよね」
「そ、それは……イトちゃんは大事な友達で、同じユニットの仲間で……」
「じゃあさ、この顔ももちろん好きだよね。白詰イトと同じ顔だもんね」
「ううっ……」
反撃を受け付けてくれない。とうとう壁まで追いつめられる。
息と息が触れ合いそうな距離。突き飛ばせばいいのにそれができない。いつの間にか腕をしっかりと巻き取られ、胸まで押し当てられていた。おかしい。この体温、柔らかさ、あるいは心音のリズムですら知っている気がする。どうして。アビスはイトじゃないのに。いやそれよりも一段“濃い”。そうか、今の服装は肌面積がががーっ……!
「わかるよ。イトは世界一可愛いもんね。でも、千夜子だって可愛いってわたし思うんだ」
「えっ……」
「今日、偶然わたしと会ったと思う? 違うよ。わたし待ってたの。千夜子が一人になるの。どうしても話がしたくて」
「なっ、何でわたしなんかと……」
「だって、イトの友達の中で千夜子が一番優しそうだし……」
彼女の笑みが深くなる。
「――それに一番ヤキモチ焼き」
「!」
千夜子はここでようやくアビスから飛び退けた。
「ち、違うもん! 絶対、月折さんかユラの方がヤキモチ焼きだもん!」
「えー? ホントに? SBJK(嫉妬深い女子高生)じゃないの?」
「SBJKじゃないよっ! ごっ、ごく普通の……! 普通に……」
「普通に、イトが好きな女の子?」
「…………」
かあああと顔が赤くなるのがわかった。
まさか。絶対誰にもバレていない秘密の気持ちを、よりにもよってイトとまったく同じ顔をした相手に見抜かれてしまうなんて。
「はあぁ、やっぱ千夜子マジ可愛い……」
からかわれているのかと思ったら、そうではなかった。アビスは心底うっとりした顔で、両手を頬で覆いながらこちらを見つめている。
「ね、そんなにイトが好きなら、わたしのことも半分くらい好きだと思わない?」
「ど、どういう理屈!?」
「だってイトと同じ顔よ? 今だって無視できないでしょ。何かを探すみたいにチラチラ見てる」
イトの顔が少し意地悪な笑みを浮かべながらそう追撃してきた。本物にも強引さはあるが、こっちは蠱惑的で身勝手。イトちゃん小悪魔バージョンはこれだと言わんばかりに。
ここで、こんなピンチの場で、千夜子はあることに気づく。
彼女はイトに似ているのではない。こんなこと自分でも訳がわからないが。何の説明にもなっていないと思うが。
アビスは、イトに“近い”。
どういうわけかそう思う。思い返せば、撮影所で見た時もそう感じていた。あの時は上手く言語化できなかったけど。
声が違う。性格は多分もっと違う。なのに、もっと深いところで近い何かがある。例えば、どこかで別れた違う未来の先のような……。
アビスがまた顔を近づけてくる。
「ね、千夜子、これからわたしとデートしよ? ずっと待ってたんだから、ちょっとくらい遊んでよ。その間になら色々教えてあげるからさ……」
そう囁くと、湿った唇が千夜子の耳を優しく噛んだ。
溶けたチョコちゃんが人型に戻るまで少々お待ちください……




