案件57:百合革命、なる
抜けるような青空をはめ込んだ窓枠の横でカーテンが揺れていた。
教室内に入ってくる風はさわやかで、わずかに湿っている。
グラウンドからは絶え間ないセミの鳴き声と、単発的な金属バットの響き。入道雲がいやにくっきりとした輪郭線で空にかぶさり、遠いどこかで夕立の予兆を報せている。
夏に輝かんばかりの外に比べて、教室の中はひどく暗く見えていた。
中にいる人影は二つだけ。
女子生徒と女教師。
「ここ、また間違えてるわよ」
対面形式ではなく、隣に合わせた机から赤髪の女教師の指摘が飛ぶ。
「ごめんなさい」
ケモミミを生やした白髪褐色肌の女子生徒は、セーラー服の肩をわずかに揺らして悪戯っぽく笑った。その態度を見てむっとする女教師。
「あのねシロ。そんなんじゃ、いつまでたっても補習が終わらないわよ」
「うん」
「うんじゃなくて。せっかくの夏休みなんだから、学校なんか来てないで外で遊びなさいよ」
「別に遊びたくない」
一貫して意にそぐわない反応を見せる生徒に、女教師は露骨なため息をついた。
「わたしは遊びたいの。朝はギリギリまで寝て、研修なんかリモートで済ませて夏をエンジョイしたいの。それをあなた一人のために早起きして支度して学校まで来てるわけ。あーもう、今日の課題もこの調子なら、明日からはわたしん家に来てもらおうかしら」
「うん。行く」
「……は?」
「先生の家……行く」
女子生徒が椅子をずらし、女教師に体を寄せる。
「学校よりそっちの方が捗りそう」
「あのねぇ……」
そんな呆れた果てた女教師の声を遮るように、女子生徒は教科書を指さし、
「ね、先生。ここ教えて」
「あ、ああ、そこは……って、おいこら、くっつくな。暑苦しい」
「こうした方が見やすいから」
言いつつ、女教師の肩に頭を預ける。
「文章題は、まずは最終的に何を求められているかを理解して――」
「先生、いい匂い」
「聞きなさい。で、そのために必要な値が何かを考えて――」
「先生、可愛い」
「そ、それに当てはまる数字を文章中から探して、公式を――」
「ねえ、明日はどんな格好でいけばいい? 先生、制服好き? それとも私服見たい? 何でも言って。何でもきくから」
「ちょっ……ノア、ストォォォップ! やりすぎよやりすぎ! ちょっとカメラ止めて! 止めろ! ノアも待ちなさい。足を絡めるな! へんなとこあてるな! おいちょっと! だっ、ダメだから、ダメダメダメちょわーーーーーっ!」
――――――――。
「やってくれたわね……バスターソーコ……」
〈モカ・ディク〉ホーム、客間。
動画再生直後からテーブルに突っ伏して停止していた黒百合こと九栗山がようやく発した第一声は、羞恥心と恨み節に満ちていた。
「先生役、ハマってましたよ黒百合さん」
「全然嬉しくないわよ! 死ぬほど恥ずかしいわ、特にこれ!」
客間の壁に大々的に開かれたモニター横では、視聴者からのチャットが軽快に走っている。
《エッッッッッッッッッ!!!!!!!!》
《よくこんなの許したなAI……》
《これはAVだからセーフ》
《続きはどこに課金すればいいんですか!?》
「大好評です!」
「何が大好評よ! エロガキが集まってきてるだけでしょ!」
どんとテーブルを叩いた黒百合に、イトはチャット欄から別のコメントも抽出してみせる。
《黒百合ってもっと怖い人かと思ったけど可愛いじゃん》
《イメージ変わった》
《これ吹っ切れて一転攻勢するやつでしょ、わたし詳しくてよ》
「このように黒百合さんの見方が変わったという意見も多数いただいています!」
「前の方が良かったんじゃないの!? って、ちょっとノアこら! やっと苦行の時間が終わったんだから頭から再生しないで! あと目を異様に輝かせない! 葵もよ! なに真面目な顔で見てんの!」
この『〈百合戦争〉終結記念動画』は、戦争三日目のリアル時刻にして二十四時ピッタリに、〈ワンダーライズ〉のアカウントから投稿された。
その直前、マスコミクランを含む各クランは独自に投票を行っていた。
すなわち、勝ったのは鉄百合(なし崩し的にこれが選定された)陣営か、黒百合陣営か。
評価対象は鉄百合の動画二本、黒百合の動画一本。
数の上では鉄百合の方が優勢だが、戦争最終日に出された〈黒百合動画〉は、これまで未達成だったハイソなガーデンリリーの本領を解放したことで多くの視聴者を目覚めさせ――もとい感激させ、投票は大接戦となった。
結果は――鉄百合陣営の勝利。
最終的な差はだいぶついた。やはりリアルでもトップアイドルの月折六花がフニャフニャになっているというインパクトは絶大だった。尺の長さやバラエティの豊かさでも勝り、幅広い支持を得たのが決め手となった。
ただ、異を唱える識者もいた。
――〈鉄百合動画〉は月折六花の人気に頼りすぎている。百合営業の質を正確に比較できたとは思えない。
反論もすぐさま出る。
――百合“営業”なのだから、より多くの顧客に訴求できた方を優れているとするのは当然。これは〈黒百合動画〉勢の負け惜しみでござる。
――ぐぬぬ。
何にせよ、どちらの動画も視聴者の性癖に拭い難い指向性を与えたことは確かで、その意味でこの投票はどちらが上かではなく、両者を足した数にこそ価値があるのではという考えに多くの支持が集まるほどだった。
現にイトと黒百合の認識も、お互いに「引き分け」。
ガーデンリリーは荒野の百合にはない独特の香りがあったし、黒百合もワイルドリリーの自由な楽しさを否定はしなかった。
そんな戦争終結後、鉄百合の勝利に沸く最中に投稿された、まるでNGシーンみたいな黒百合陣営の動画。
敗北した黒百合陣営への罰ゲームと捉える向きもあったが、何だかんだで楽しげなその動画は、戦いが終わってノーサイドとなった両陣営を端的に表すものとして、惜しみない拍手を集めることになった。
またこれはイトも予期せぬことだったが、敗北した〈黒百合動画〉勢への免罪符としても効果を発揮した。競った当事者たちが仲良くしてるのに、支持層が争うなんて馬鹿みたいじゃないか。と、そういうわけだ。
こうして鉄と黒の百合戦争は終結し、後にはたくさんの種子が残された――。
いや、もう一つ。
「自治クラン総会にて百合営業の解禁が決定されました」
せめてもの情けとして動画再生中は席を外していたサツマが、リビングに戻って来るなりその一報を伝える。
「加えて、ライズを開いてよい場所の緩和も盛り込まれ、アイドル活動はかなり自由になります。すべて皆さんのおかげです。もちろん黒百合さんも」
突っ伏したままの黒百合が、ひらひらと手だけを動かしてそれに応じる。
彼女は別に、セントラルのルールに蟻の一穴を掘ろうと画策したわけではなかった。単に、彼女の求めるハイソな百合が、アウトランドよりはセントラルの方が見つけやすいと踏んだからだという。
しかしこの成果は、鉄百合と黒百合というセンセーショナルな対立軸がなければ得られなかった。物語は主人公だけが描くにあらず。敵役と共同で作っていくものなのだ。
「お疲れ様でした九栗山さん。可愛い動画が撮れましたね」
笑いを必死にこらえる顔でそう呼びかけたのは六花だ。
黒百合は拗ねた目をじろりと向け、
「あのね。みっともない顔晒してるって意味では、月折ちゃんの方がはるかに被害甚大だからね? これからの仕事に影響出たらどうする気?」
「ええー。そんなことないですよぉ。そんなに幸せそうに見えましたぁ? 困ったなぁ、エヘッエヘッ」
「この子無敵だって今気づいたわ!」
頭を抱えて叫ぶ黒百合。微笑むその場のメンバー。すべきことをすべて終えた自治クランのリビングは、和気あいあいとした雰囲気に包まれる。
しかし――。
「黒百合さんはこれからどうするんですか?」
イトは避けては通れない一つの懸案事項を持ち上げる。
彼女は「そうね」と少し考え、
「撮りたい百合動画は撮れたし、これより上を目指すとなると葵もツインドリーにも大きな負担をかけることになる。ここはスパッと終わらせて、次に何するか考えるわ」
リビングに急にしんみりした空気が流れ込む。
セントラルの百合営業が始まり、そして立役者たる彼女は消えていく。気楽に趣味で細々とは続けたくないのだろう。多分、プロというのはそういう妥協ができなかった人々だ。
でも、それはそれで寂しいとイトは思う。
戦争は終わり、そしてキャストのトレードをきっかけに、こうして普通に話せる関係にもなれた。もし単なる動画対決に終始していたら、投票結果が出た時点でサヨナラだっただろう。
「黒百合さん」
イトはアイテム欄からそれを摘まみ上げ、テーブルの上にコトリと置いた。
その場にいた全員が、はっと息を呑む。
虹色の巻貝。信頼の貨幣、コンシェル。
「セントラルのアイドルたちのアドバイザーになってくれませんか。もちろん百合営業の」
室内の目が一斉に黒百合に集まった。それに気づかないはずもない彼女は、しかし周囲を一切気にすることもなく、指先でそっとその貝を押し戻す。
「わたしのやり方は偏ってるわよ。大勢に支持されたのは、自由気ままなあなたたちワイルドリリー」
「確かにガチガチのガーデンリリーをやられたら、セントラルの子たちも困ると思います。でも、黒百合さん言ってたじゃないですか。コミュニケーションの上手い下手があるみたいに、好きの伝え方も上手い下手があるって」
少しの沈黙の後、黒百合の唇の形が「そうね」と言った。
「そんな素敵なアッピル方法を教えてあげてほしいんですよ。つぼみになったばかりのセントラルのアイドルたちに」
「先生」
モニターに張り付いていたはずのノアが、いつの間にか黒百合のすぐ横に立っていた。
「わたしももっと先生に教えてもらいたいです」
「ノア……」
「先生の家に行って二人っきりで秘密の補習を朝から晩まで」
「やっばいとこだけ吸収してきたわね」
「わたしのこと捨てないでください……」
「ぬぐ……」
悲しげに寄り添ってくるノアを、黒百合は抵抗せずに受け入れた。
「捨てるとか全然そういうつもりはなかったけど……。でもまあ確かに、これまで手伝ってもらっておいて何の恩返しもしないというのは薄情よね。わかったわ。ノアが撮りたい動画を撮りましょう。それが次の目標」
「先生……!」
嬉しそうにひしと抱きつくノア。そんな少女を我が子のようにヨシヨシと撫でてやりながら、
「その撮影の合間にセントラルのアイドルから質問があれば受け付けるわ。あるいは、それを教材に動画を作るのもいいかもね。そんなんでいい?」
「もちろんです!」
イトがうなずくと、葵が「今後もご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします」と堂に入ったお辞儀をし、サツマもほっと胸を撫で下ろした。
この場にいるほぼすべての人間が理解していた。
これから始まる百合営業において、何らかの形で手綱を握ってくれる人がどうしても必要だと。それは別に管理監督をしろと言ってるわけではなく、言うならば一つの象徴、あるいは偶像。彼女の前で恥ずかしいことはできないという、お天道様的な存在だ。
「あっそうだ!」
イトはここでポンと手を打った。
「新生〈黒百合動画〉を記念して、みんなで何かやりましょう!」
「みんなで、ですの?」
とキリンが首を傾げる。
アウトランド使節団の正式な活動は三日目で終わっている。四日目にまたこうして〈モカ・ディク〉に集合しているのは結末を見届けるためだ。
「具体的には? もう何か考えてあるんでしょ」
いづながニヤニヤしながら質問する。
「イーモさん。セントラルでのライズ場所って、緩和されたんですよね」
「なぜダサい方の名前で……。ええ、まあ……今日からかなりの場所でのライズが可能になります」
答えを返したサツマは、そこで早くもこちらの意図に気づいたのか、「まさか」と目を丸くする。イトは力強くうなずき、拳を握った。
「そう! 記念すべきセントラルでのゲリラライズ一発目です!」
※
セントラル初となるゲリラライズは、大胆にもその解禁日の初日、有名オシャレショップが居並ぶ街屈指の大通りで行われた。
“六つ”のライズステージを連結させた突発的な大舞台の出現に、道行く人々は驚き、そしてその正体に歓喜した。
〈ワンダーライズ〉、〈サニークラウン〉、愛川セツナ、城ケ丘葵、今川キリン、そして――〈黒百合動画〉のノア。
ノアはアイドル職ではなく、刀をもっとも効果的に扱える〈剣客〉というジョブだった。しかしスカグフはワンボタンでジョブチェンジが可能で、そしてアイドルは最初から一つのバフ曲を持っている。
――『草原を駆ける』。
スペシャルライズで〈ワンダーライズ〉も披露したアイドルバフの始祖。
それが、月折六花と城ケ丘葵という最強の二人をセンターに据えて、ぶちかまされた。
それはまるで、セントラルアイドルのスタートを祝うかのようなライズとなった。
ユニットの境もなく、無理矢理六つ繋げた大舞台を、アイドルたちが縦横無尽に駆け巡る。時にステージのバランスが悪くなってもご愛敬。自由でどこまでも楽しく、それでいて可愛く。
ステージ前はたちまち黒山の人だかりとなり、一曲が終わる約二分間のうちに通りは観衆で埋め尽くされた。誰もかれもが熱狂し、推しに向かって声援を投げ散らかした。
後にこの場所に、一つの石碑が建立される。
伝説を作った少女たちが、現れた時と同じく嵐のようにスカグフから去っても、決して失われることなく残り続ける標。
〈百合戦争の終結と開花〉と名付けられたその場所は、セントラルのアイドルにとってゲリラライズの聖地となった。
しかし今はまだそんな未来の影も形もなく。
この瞬間を徹底的に楽しむアイドルたちと、それを追いかけるファンたちの姿があるだけだ。
セントラル編、これにてお開きでございます。お帰りの際はお忘れ物のないようご注意ください。




