案件56:ん? トレードするって言いましたよね?
「というわけでキリちゃん、〈黒百合動画〉のお手伝いをしてほしいんですけどおー」
「はああああああああああああああああああ!!!!!?????」
〈モカ・ディク〉のホームにて、予測可能回避不能なキリンの叫び声が響き渡る。
イトのこの要求に驚愕したのはもちろん彼女一人にとどまらず、友人たち他、サツマだって口をあんぐり開け固まることになった。
「どういうこと……イトちゃん?」
真意――というより正気を確かめる声を向けてきた六花に、
「ええっとぉ、わたしもどうしても撮っておきたい動画がありましてぇ……。そのためには黒百合さんサイドのキャストが必要でぇ……」
と濁した返事をしつつ、イトは絶叫した口のまま固まるキリンに改めて呼びかける。
「お願いしますキリちゃん。これが上手くいけば、セントラルでのアイドルの自由度は圧倒的に上がるはずなんです」
すると彼女はようやく意識を取り戻し、防御態勢のハリネズミのような猛反撃を開始した。
「なぜそんなことをしないといけませんの! わたくしは別に百合営業なんて求めてはいません。そりゃ、自由度が上がったら少しは嬉しいですけれど……。でも、あなたたちみたいに? 人目もはばからず? イチャイチャベタベタした動画なんて恥ずかしくてとても――!」
「相手は葵さんですよ」
「えっ」
ピタリとキリンの反撃が止んだ。
「葵さんは本格派ですからぁー。そりゃもう全力でスリスリ抱き抱きしてくるでしょうねぇー。そのチャンスを逃しちゃいますかー。そっかー」
「あっ……」
「もしかしたら葵さんは自分の仕上がりが納得いかずに、何度もリテイクするかもしれませんねぇー。そしたら自然と親密さがどんどんパワーアッポしていっちゃうなぁー。匂いどころか体温まで移っちゃってぇー」
「あっ、あっあっ……」
イトが言葉を重ねるごとにキリンの瞳から原色の光が失われ、代わって妖しい徴が浮き上がってくる。
「――でもキリちゃんがどうしても無理って言うなら、やっぱり別の子に頼むしかないですねぇ」
「やらせてください」
キリンは完堕ちした。
※
「〈モカ・ディク〉所属アイドル、今川キリンです。本日はよろしくお願いします」
そう言って丁寧にお辞儀をしたキリンの肩から、金色のストレートロングがさらと流れる。
「ああっ、よく来てくれたわツインドリー!」
喜色満面の黒百合が出迎えたのは、セントラルの外側に建てられた〈黒百合動画〉の秘密の撮影場所、その待合室でだ。
「ささ、座って座って。あ、飲み物出すわね。何がいい?」
「えっ、はい、じゃああの、みかんジュースで……」
バカ丁寧に応対され戸惑い気味のキリンがソファーに腰を下ろすと、すぐに自販機からみかんジュースを取り出したノアが要望の品を運んでくる。
「いや、本当に来てくれてありがとう。葵はリアルの方でイベントがあってもうすぐ戻ると思うから、ちょっとだけ待っててね」
「は、はあ……」
ウッキウキでそう言い置いてから、黒百合はニヤつく顔を我慢させられないままこちらに歩いてくる。
「でかしたわバスターソーコ……! あの子ちょっと百合に否定的だったのによく説得できたわね」
「フフフ……口ではそう言っても体は正直ということですよ……」
「これで本当に撮りたかったものが撮れるわ。ムフフ……」
「いえいえ。これも世のため百合のため……グフフ」
両手でぺちと控えめな高さのハイタッチをしていると、それを見た六花が怪訝そうな声で問いかけてきた。
「イトちゃん。いつの間にそんなに九栗山さんと仲良くなったの……?」
「いえ、バーでちょっと一杯やるうちに……」
「バー!? 一杯!?」
と、そこに本日の主役の片割れ、葵が姿を現した。
「遅れてすみません。ただ今戻りました」
「あっ葵。おかえり。お仕事どうだった?」
「問題ありません。やりたいことができたと思います」
「そう、よかった。あなたの相方がもう来てくれてるわ」
黒百合との会話を聞いて、カチーンとソファーの上のキリンが固まるのが見える。葵はすぐさま彼女の正面に回り込むと、ナイトのように床に片膝をつき、小さな手を下からそっと握った。
「ふにゃ!?」
「今川さん――いえ、一緒に戦う仲間なのだからこう呼ぶべきよね。キリン、今日は来てくれてありがとう。あなたの期待に応えるためにも、わたし精一杯頑張るわ」
「フニャコフニャララ!」
クールにしかし情熱的に伝えられ、たちまち沸点に達せられた顔で返事(?)をするキリン。
「それじゃあ早速撮影開始よ!」
黒百合がガチャ産大ハズレアイテムの一つ、メガホンを片手に号令をかけた。
〈百合戦争〉はすでに三日目の半ばを過ぎている。編集はAIにマッハでやってもらうにしても、今日中にプレイヤーたちが視聴できなければ興奮は半減だ。しかし、逆に焦らして焦らしてドカーンとできたら、それは最高の快楽を提供できる。
ボールカメラの前で白いソファーに座る葵とキリンは、今回は揃いのブレザー制服を着せられていた。
長身で超然とした葵に、まだ不慣れな様子の小柄なキリン。それだけで学校の先輩と後輩の関係が透けて見えるような対比だ。リボンなどの細かいアクセサリーのチェックをノアが行っている間、イトは黒百合監督に疑問を投げかけた。
「黒百合さん、あの二人のコスはどういう……?」
「バスターソーコは姉妹制度って聞いたことある?」
首を横に振る。
「学校生活において上級生が下級生の面倒を見る制度のことなんだけど、わたしが若い頃にこれをモチーフにしたお嬢様学校のアニメがスマッシュヒットしてね。忘れがたい雛型としてインプットされてるわけ」
「ははあ……」
どうやら黒百合のハイソな百合という趣向はそこで醸成されたものらしい。イトも小さい頃に日曜朝の女児向けアニメに夢中になっていたが、強く影響を受けたという自覚はまだなかった。醸成が進んでいるのは今ということなのだろう。
「姉妹制度はあくまで学校側が用意した形式的な枠組みにすぎない……でも女の子たちはそこに生きた愛憎を注ぎ込んで、特別な繋がりへと育てていくの。それは唯一無二にして純度100%の感情。耽美であり清純でありそしてどこか退廃的……その危ういラインが何とも言えない魅力を放つのよ……ぶへへ」
「フム、フム……! ぬふふ……」
「何だかあの二人、アクセルペダルしかない車にしか見えないのだが……」
烙奈がそんな風にぼやきながら仲間たちを振り返るのが見えたが、
「なぜ皆メモを取っている!?」
千夜子、六花、セツナは揃ってテキストボックスに真剣に何かを書き込んでおり、とても返事ができるような状態ではなかった。
「今日はSS初心者でも簡単にいい画が撮れる方法を紹介するわ。準備はいいかしらシロ?」
カメラが回り出すと、早速葵が台本のセリフを読み上げた。シロは動画内におけるキリンの呼び名。葵の方はクロ先輩だ。
今の葵は、基本的な口調は普段とあまり変わらないが、細部に品の良さが付け足されていて自然と高貴な印象を受ける。これは竹槍でイノシシを追わない方の女。
「ひゃっ、ひゃい、クロお姉ひゃま」
受けるキリンは、お目目グルグルで顔真っ赤の沸騰状態だった。緊張と興奮の極致。棒読みという以前にまず声が上擦りまくって人語になっていない。しかし葵は気にせず続ける。
「一番大事なのは光源とよく言われるけど、初心者が楽しむならまずポーズとカメラアングル。ちょうどこの前に配信された壁ドン3種盛りのコミュニケートジェスチャーで比較してみましょう」
「ピャァウ! ホッハ!」
あくまで奇声で対応するキリンを見て、イトはこっそりと黒百合にたずねた。
「キリちゃんが何を言ってるのか全然わかりませんけど、あれ大丈夫ですか」
「モチよ」と、黒百合はバチーンとウインクして親指まで立ててきた。
「あれは“聖セントラル女学院の放送部が自発的に行っている配信活動”という体なの。憧れの上級生との共演に、初心な後輩はメロッメロのトロットロ。素でそれをやってくれるから下手な演技指導はいらないわ」
なるほど……。
これならキリンも演技の心配はいらない。二人の元々の関係性をフルに使い、そして視聴者には小道具とコスで設定を自然に受け入れさせる。短時間でかつ、黒百合が望む通りの動画を撮るための最速かつ最小コストの解。
「やりますね……」
「ありがと」
そう話している間にも、葵はキリンに壁ドンというかソファードンしつつ、「角度がちょっと甘いわね」とか「もっと近い方がいいわ」とか持ち前の細かいこだわりを発揮し、勝手にストーリーを発展させていっている。
「シロは動かないで。あ、ちょっとあご上げてくれるかしら?」
「ひゃぁ……もうゃめぇ……ゅるしへぇ……」
あごクイしたりくっついたり離れたりを繰り返すうち、キリンはどんどんバターのように溶けていった。壁ドン三種の良いSSと悪いSSの比較見本が出来上がる頃には、だらしない表情と格好でソファーの上でノビている純正お嬢様がいた。
「はいカット! オールオーケーよ、お疲れ様!」
一連の撮影を終えて黒百合が手を叩く。
「ひぐっ……あひゅ……」
ソファーの上でビクンビクンしているキリンをよそに、どこか納得のいっていない顔の葵が黒百合へと視線を投げてくる。
「これでよかったんですか? わたしにはよく……」
葵は台本と少々の素でやっただけだ。百合営業の秘訣を伝授してもらえると思っていた立場からすれば肩透かしもいいところだろう。
しかし、これは紛れもない百合動画だ。
姉妹制度で結ばれた二人。一人がグイグイいってもう一人がフニャフニャになる様子。良いSSを撮ろうと白熱しているあたり実は上級生の方がガチ百合なのでは? と思わせるストーリー。それらが噛み合って自然と二人を“そのように”見せてしまっている。
見事な匂わせ。これには有識者もニッコリだろう。
「これでいいのよ葵。今学ぶべきことはね、百合とは決して一人では成り立たないということ」
「!」
黒百合からのホントかウソかの訓辞に、葵の表情が引き締まる。
「当たり前のようだけど、これが神髄よ。自分がどうこうするよりも相手が大事。その心がけが次の動きを自然と生み出す。一人で頑張っても無意味なの」
「一人ではダメ……わかりました。とても勉強になりました……!」
ビシィとお辞儀をすると、葵はすぐさまノビているキリンへと振り返り、優しくその手を取った。
「今日はありがとうキリン。あなたのおかげでわたしは大きな一歩を手に入れられた気がする」
「ひゃぁう……よかったでしゅぅ……」
それからキリンの復活を待ち、二人揃ってこちらに歩いてくる。動画の外でも百合。これは本編からもきっちり伝わってくるに違いない。
葵と腕を絡ませて完全に夢心地のキリンに、イトは小さく拍手をしながら「キリちゃんお疲れ様」と呼びかけた。彼女は実質、〈百合戦争〉の救い主だ。
すると彼女はハッと目が覚めた顔になって葵から離れると、興奮した様子でこちらに飛びついてきた。
「イトさん! わたくし、ホントに葵お姉様と共演してしまいましたわ!」
「うんうん、よかったですねえ」
「しかも一発オーケー! この動画がアップされたら、家中のデバイスにダウンロードして一生の宝物にいたします!」
「わたしもしっかりマイリスに入れておきます」
「ええ、是非とも……」
とここまで一気にやりとりしてから、
「って、何でわざわざ葵お姉様から離れてまであなたに報告しなくちゃいけないんですの!?」
突然こちらを両手で吹っ飛ばしてくる。
「えぇーっ。キリちゃんはわたしのことキライなんですか……? 悲しいなぁ……」
「えっ!? そ、そういうことではなくてですわね……。いえ、あの、確かに葵お姉様と同じとはいきませんけれど、一緒にいると安心するというか落ち着くというか、イトさんはそういうタイプの……」
「うへへへ、じゃあギュッとしてちゅっちゅしましょうねぇー」
「ああっ!? ハメましたわねこの邪道アイドル……! ちょ、やめ……」
<◎><◎> ビービビビビビビビ……×n
「じゃおおおおお!!!」
多数のシットリングビームによってイトが芋虫のように床を転げ回る。
そんな季節性イベントが両陣営の緊張を取り払ったのか、その後は皆で撮影の労をねぎらった。
敵味方という構図は、この場を設けたイトと、それから“思い出しアヘ顔”を晒しているキリンによって完全に取っ払われてしまっていた。
もちろん、対外的には、盛り上がる対立構造を崩すわけにはいかない。しかし内部でまでギスギスすることのメリットは何もない。これはグレイブアイドルたちの競争にも通じるメンタリティだ。
そうしているうち黒百合の素材チェックも終わったようで、
「後はこれをAIに任せれば、チェックも込みで余裕で今日中に間に合うわ。二人とも本当にお疲れ様!」
AIタヌキが現れ、オリジナルの動画データを頭に載せて去っていく。
これで〈百合戦争〉も決着がつく。戦いは終わり方が肝心だ。どちらが勝つにせよバシッと結果が出て終わる。だから区切りがつく。それができないと着地点を見失ったままズルズルと不安定な状態が続いてしまう。
「さて。今度はこっちがキャストを提供する番ね」
すっきりした顔で、黒百合がこちらに主導権を投げてきた。
わずかに横向けた目線の先にはノアと葵がいる。どっちでも好きな方を選んでという意思表示に、なぜか白百合陣営からざわざわと不穏な空気が漂い出したが、それらを気にせず、イトはしれっとした笑顔で手のひらを差し向けた。
「黒百合さん」
「うん。さ、どちらでも」
「じゃなくて。黒百合さん出演てください」
『…………』
場が沈黙した。
「はい?」と黒百合。
「はい」とうなずくイト。
「はああああああ!?」
次に黒百合が素っ頓狂な声を上げた瞬間、鉄が濃厚に臭い立った。
ガギィン!
猛烈な火花を目の前で散らしたのは小振りな居合刀。ノアの剣撃だ。受け止めたバスターソード越しに彼女を見返したイトは、本気の殺気を帯びたグリーンの瞳が自分の顔を色濃く照らすのを感じた。
「先生は……渡さない……」
ぎりぎりとバスターソードの刃にめり込んでくるような、ノアの圧力。このままいけば本当に剣が両断されるのではという息苦しさの中、イトは吐き出すように、
「慌てることありませんよノアちゃん……!」
ギッギギギギ……!
「だって、黒百合さんと一緒に映るのはノアちゃんですから……!」
ピタッ。
その一声で、すべての圧力がゼロになった。その代わり、間近にあった褐色の頬がぽっと赤くなる。
「わたし、と、先生、が……?」
「はい。黒百合さんとノアちゃんのイチャイチャ百合営業です」
くるりとノアの顔が黒百合へ向き直る。すると彼女は慌てた様子で顔を真っ赤にし、
「えっ、ちょっと、無理、無理無理無理! わたしとノアとでなんて! わたしノアみたいに可愛くないし! 十代なんかとっくに過ぎたオバサンだし!」
「あっもう可愛いんで確定です」
「先生……」
イトが太鼓判を押すと、じわりとノアが黒百合ににじり寄る。
「わたし先生と撮りたいです……」
「いや、あのねっノア。こういうのは若い子だからいいの! わたしなんかもうあと一、二年でアラサー圏内で……」
「ええーっ。黒百合さんともあろう者が社会人百合の可能性に背を向けるんですかあー? よろしくないですうー。何なら経産婦百合まで考えないとぉー」
「あなたホンモノねバスターソーコ!?」
今度は自分がエア鍔迫り合いさせられている黒百合から視線を移し、イトはノアに問いかけた。
「さっきキリちゃんたちが着ていた学校の制服みたいなのって、当然ノアちゃんも着れますよね」
「何でも……ある……!」
コクコクコクコクと高速で首を縦に振るノア。
「な、何をする気。バスターソーコ……」
身構える黒百合に、イトはキラリと目を光らせ、
「何って、黒百合さんはノアちゃんから先生って呼ばれてるんだから、女教師と女生徒の百合に決まってるじゃないですかあ!」
「なっ……!」
「!!」
赤面したまま白目になる黒百合と、耳ピーンのノア。
「ささ、黒百合さんはそのスーツ姿でいいとして、ノアちゃんの制服は厳選しましょうねー。着たい服あります? ノアちゃんは肌と髪の色が綺麗だから、できればそれにめっちゃ合うようにしてぇ……」
即座にコスチュームウインドウを開き、最高の組み合わせを模索するイトとノア。
「あ、あのー、イトちゃん?」
と、ここで、さっきまで不穏当なオーラを醸していた六花がたずねてくる。
「イトちゃんが撮りたかった動画ってこれ? イトちゃんが、城ケ丘さんかノアさんのどっちかと動画出たかったんじゃなくて……?」
「ハイ!」
イトは力強く即答していた。
「いやもうノアちゃんが絶対“そうだろ”っていう波動送ってるのに黒百合さんが見向きもしないから、ここは一つわたくしめがキューピットになってしんぜようと思いまして!」
「なっ……なあんだ!! そっかー!!」
ほ……と仲間たちから盛大なため息が漏れた。
「ええと、どうかしました?」
「え? ううん、いいのいいの! イトちゃんは好きな動画を撮って!」
「よくないんだけどぉ!?」
黒百合が情けない声で抗議するも、白百合陣営は全員が生温かい目で見るだけで誰も擁護しない。
「くっ、後悔するわよバスターソーコ! どうなっても知らないからね!?」
ヤケクソに吐いた自分のセリフを、黒百合はこの後だいぶ長い間、後悔することになる。
ねっとり書いてたらどうしても長くなっちゃうねんな……。ちゃんと取捨選択、しよう!




