案件55:ターゲットはキミ!
「やあ皆さんおかえりなさい」
スカイグレイブでのライズを終え、〈モカ・ディク〉の拠点に戻ってきたイトたちを、サツマがいつになく明るい声で出迎えた。
「ニュースで話は聞きましたよ。ライズの方、異例の盛り上がりだったみたいですね。皆さんもさぞ楽しまれて――」
そこで一旦声が途切れ、
「なさそうですね」
真顔な声にイトが背後を振り返れば、そこには疲労のあまりゾンビのように前屈みになった〈サニークラウン〉とセツナの姿。
本来スカグフに疲労というバッドステータスは存在しないが、精神的な疲れは如実に表れる。今の彼女たちはそういう状態だ。
「あはは……。色々ありまして……」
イトははぐらかしの苦笑いを浮かべながら、事の顛末を思い返す。
あの後――六花たちは文字通り、ぶっ倒れるまでライズ会場で暴れ続けた。
常時全神経全開。最後のバフ曲が終わる瞬間まで120%――いやそれ以上のパフォーマンスを維持し切り、それから前のめりに倒れた様は正に戦士の鑑と言える。いや、戦士職では決してないのだが。
対する葵も同様にダウンして引き揚げた。無事なのは嵐のど真ん中で小さな決意を手に入れた〈ワンダーライズ〉と、途中から緊急自治総会のため退出したサツマに背負われて退場していたキリンのみ。
「気分がアガりすぎちゃったとは言え、これはやりすぎたわ……」
この中では誰よりもペース配分に長けているはずのいづなすらそう言い、肩を貸し合っていた六花をソファーへと横たえる。自身もその横でだらしなくノビながら、
「あんなお客さんを無視した乱暴で独りよがりなライズは本来ダメよ。イトちゃんたちは真似しないでね」
と手をひらひら振り、それすら力尽きてぱたりと落とす。なずなとセツナも揃ってソファーへと沈み込み、リビングはライズ後の打ち上げというよりアザラシの営巣地みたいな有様となった。
「城ケ丘さんとバチバチやりあったそうで。僕は途中から席を外していて正解だったかもしれません。交流サイト見ました? 現地の人たちから熱狂的なコメントが山ほど寄せられてましたよ。楽しげな縁日からの迫真のガチバトル、こんなの毎日やられたらもう現実に戻る価値ない――そんな意見ばかりです」
「……お兄様もずいぶん上機嫌ですわね?」
またもご機嫌な声音に戻ったサツマに、ソファーの端で先任ゾンビをしていたキリンが問う。半日たってようやく魂が再ログインされたようだが、まだダメージは重そうだ。
「ああ。とても良い流れになってきている。ルールが変わりそうなんだ」
そんな妹のグロッキー具合を案ずる様子もなく、サツマはハキハキと臨時総会でのできごとを語り始めた。
「黒百合オーディションで街中が百合営業で溢れたことは、もうセントラル中が知っていることです。それに加えて、今日アイドルたちが空墓前から配信していた百合営業ライズも再生数は軒並み上がっていました。百合営業は楽しい、百合営業をもっと見たいという声は、もはや一時的なものではなくなってきています」
「おおっ、それは確かに朗報です!」
イトは興奮して拳を握りしめた。オーディションのせいで無理な百合営業が横行し、かえって悪評が伸びてしまうのではという一抹の不安は、それ以上に強かった熱意によって完全に掻き消されたわけだ。これは〈百合戦争〉の当事者たる自分たちにも追い風になる。
「それで、もう歯止めが利かないからルールを変えるということか?」
烙奈の問いにうなずくサツマ。
「はい――というより、セントラルでは総意がルールになるんです。現実では一部の人間がルールを決め、それを僕らが守るという順番ですが、ここでは僕らが守っていることが自然と次のルールになる。だからルール改訂が難しかったんです。なかなかないですよ、セントラル住人の心が一つになるなんてことは」
サツマが窓の外に目をやる。イトもつられて目を向ければ、目的地に向けて好き勝手に進む飛行アイテムが多数、セントラルの空を埋めていた。人が一斉に同じ方向を向くなんて、どこでだろうと本当にない。それだけのことを今、自分たちは起こしているのだ。
「ルール作りで一番難しいのは、なるべくどこからも不平不満が出ないようにすることです。特にルールで縛られる当事者たちが苦しむのはNG。クランから出ていくならまだしもゲーム自体を辞めてしまうかもしれませんからね。その意味で、今、アイドルの百合営業解禁に後ろ向きなのはごく一部の超慎重派だけです。もう後一押しで彼らも納得するでしょう」
「あと一押しだって、イトちゃん……!」
「うん。頑張ろうチョコちゃん」
今日もいい動画が撮れた。オリジナルデータはすでにスパチャに渡してあるから、後は仕上がりを待ってネットに送り出すだけ。
でも――本当の“あと一押し”ができるのはきっと自分たちじゃない。
こちらはある意味、最大のインパクトをすでに使ってしまった。使節団みんな揃っての街歩き動画。今日のはその延長線上にすぎない。
今、セントラル住人がもっとも期待しているもの。それは〈黒百合動画〉だ。
白百合陣営への最大応手。街を騒がせた彼女の動画が今、アイドルたちを古いルールから解き放つ最後の鍵となる。
「そうそう。言い忘れるところでしたが、使節団の皆さんの話も会議で出たんですよ」
「えっ、使節団のことですか……」
突然変わった話題に、イトはちょっとぎくりとした。
正直言って――セントラルに来てから治安に反することしかしていない気がする。一応、〈百合戦争〉に関しては勝手に争え! というスタンスで黙認されているそうだが、使節団の本来の仕事がどうなっているかは頭からだいぶ抜け落ちていた。
そんな不安な気持ちをすくい取られたのか、サツマは柔和な笑顔をさらに深めて指でマルを作り、
「バッチリ、大好評です」
「おおお……!?」
「皆さんの配信や交流サイトのトピックスのおかげで、セントラルとアウトランドは完全に話題を共有しています。同じものを気にする、好きになるっていうのは仲間意識の第一歩なんですよ。しかも皆さんがセントラルのことを楽しく配信してくれるので、これまでアウトランドから漠然と持たれていた鼻持ちならないイメージがどんどん取り払われています。これはセントラルにも同じことが言えますね。特にアウトランダー然とした〈ヴァンダライズ〉……じゃなくて〈ワンダーライズ〉さんのおかげで」
「わ、わたしたちですか?」
イトは思わず仲間たちと顔を見合わせる。
「ケンザキ社長は本当にすごい人選をしましたよ。たった三日間の交流――まだ二日目ですけど、ここまで両者の関係に食い込んでくるとは思わなかった。今となっては、あなたたちが来なかった未来の方がよほど恐ろしい」
「そ、そこまで言われるとさすがに照れますねえ……」
「こんなに頑張ってる皆さんを前に言うのははばかられますが……」
サツマは配慮を重ねた声で、それでも正直さを優先した態度で繋げた。
「僕はもう白百合と黒百合のどちらが勝利しようと、敗者はどこにもいないと思っているんです。みんなセントラルに革新をもたらした恩人ですよ」
やはり彼もわかっている。このセントラルの一大変革に、白百合と黒百合が両方必要だったことを。
そしてそれは黒百合の反撃をもってして完成するのだ。
果たして彼女はどんな動画を仕上げてくるか。城ケ丘葵を出演させた〈黒百合動画〉。セントラルを揺さぶるのにこれ以上の題材はない。
しかし――。
リアル時間にして〈百合戦争〉二日目夜に至っても、黒百合からのアクションは何もなかった。
ある時から撤退していった黒百合マークのボールカメラはどこにも見あたらず、オーディションの結果発表すらない。
過熱状態にあった交流サイトも、にわかに焦れた空気。
イトはその様子を見ながら、かすかな焦りを覚えた。
サツマは言わなかったが一番怖い事態がまだ一つ残っている。
このまま〈百合戦争〉がうやむやのまま未決着となり、百合営業が一個の形を得る前に風化してしまったら……。
炎の中で明確に焼きつけられた印こそ、後に続くすべての人々のイコンとなる。
それを為せなければ、肩透かしを食らって白けた人々から不要論が出てくるのも時間の問題。
あと一押しなのに。
黒百合は、何をしている――。
※
リアル時間にして〈百合戦争〉三日目。
ゲーム内時間では、第十七地区の空は夜の帳を下ろしている。
〈センターナ劇場〉前広場裏手、移動式バー〈ノン・ウェイ〉。三つしかないスツールの一つを埋めて長い客は、しかし一杯飲んでは去っていく通の嗜みを破り、たった一つのグラスの減らない中身をいつまでも眺めていた。
「……先生」
少し慌てた声が彼女の背中に呼びかけた直後、新たな客が席を一つ空けて座る。
「トマトジュース」
「かしこまりました」
スッと出された赤いドリンクを一眺めすると、椅子を温めて長い先客にイトは告げた。
「こんばんは、黒百合さん」
「バスターソーコ――」
ノンフレーム型タブレットを茫洋と見つめていた目が、さしたる驚きも示さずにこちらを向く。
〈センターナ劇場〉は夜の部も盛況。宮殿の内側でうねる熱が、音漏れはせずとも余波として鼓膜に伝わってくる。翻ってここは静かだ。一席離れた囁きで会話ができてしまうほどに。
「葵さんのパートナー選び、困ってますか」
「ん」
少しつっけんどんに、タブレットを渡してくる。イトが中身を確かめさせてもらうと、一目で魅力的なのがわかる少女たちが数人ピックアップされている。
これまでの〈黒百合動画〉なら出演間違いなしの面々。しかし――。
「葵さんの相手はできない――」
イトが返したタブレットを受け取ると、黒百合は多分初めてであろう一口目をグラスにつけた。
「できなくはないわ。みんなとてもいい顔をした女の子たちだもの」
でも、と続く言葉が容易に読み取れ、イトは応じるようにトマトジュースを一口含んだ。フレッシュでコクのある味わいを鼻から抜けさせながら、黒百合に対して告げる。
「彼女は“ガーデンリリー”」
「――!」
「対するわたしたちは“ワイルドリリー”」
「――!!」
二度の驚きを目元で表した彼女に、控えめに微笑みかける。
「……で、あってますか。表現……」
「言葉選びまで、ドンピシャよ」
「よかった。イメージ通りの言葉かどうか心配で……」
店の脇に控えるノアから警戒の眼差しを受けつつ、イトはバーテンダーの奥に整列するボトルの兵隊たちに視線を投げかける。
「〈黒百合動画〉は最初からそうだったんですね。高貴でハイソサエティな百合営業。汚れもホコリもない、真っ白な花同士の触れ合い」
「ええ……。それがわたしが目指していた百合動画」
世俗に染まっていない、高潔な庭園にのみ咲いている百合の花。浮世離れしているからこそ、その親愛は純粋で強烈。そして無垢。〈黒百合動画〉が殺菌された作り物めいていたのは、その世界を何とか作り出そうとしてパーツが欠落していたからだったのだ。
「城ケ丘さんには、そこに必要な気品がある」
黒百合は確信を込めてグラスを握りしめた。
竹槍担いでイノシシ追いかけてても誰ももんく言わない少女。逆に、深窓の令嬢をやってもどこにも違和感はない。彼女が作り出す雰囲気は本物。だからこそ相手がいない。やればどちらの演者も浮いてしまう。
「ノアなら上手くやってくれる。あの子なら、誰とでも合わせられる。でも」
名指しされて嬉しいノアの気持ちを背中で感じながら、イトは黒百合の先の言葉を奪う。
「もっと適した理想を見つけてしまった――」
「……なるほど。さすがねバスターソーコ」
「わたしアイドルですから。誰がどこ見てるかって、すごく気にするんですよ」
黒百合はそう、たとえボールカメラになっても、二日前に初めてここで会った時からずっと一人の少女だけを見ていた。
「キリちゃんて、本物のお嬢様だそうです」
「…………」
「なんか偉そうにしてても品があるな、って前々から思ってたんですけど、聞いたら渋々教えてくれて。ほら、あるじゃないですか。仕草が綺麗とか、習字がめっちゃ上手いとか。教養っていうか、素養なんですかね。身に染み込んで取れない……」
そういう人に会うのも初めてなので滅多なことは言えないが、隠しきれないオーラがあった。サツマに対する「お兄様」も、いかにもな呼び方なのに作られた感じがない。言われる側のサツマもごく自然。二人にとってこれは当たり前の環境なのだろうと思って聞いてみれば、案の定。そこで〈黒百合動画〉の正体の確証を得た。
多分、百合営業の演技としては、キリンはそこまでのことはできない。リアル世界の演劇業界からも一目置かれる葵と並んだら、やはり悲惨なことになってしまうだろう。
しかし黒百合はそこに理想形の片鱗を見てしまった。ガーデンリリーの二人。クオリティの問題じゃない。極上のニセモノよりヘッタクソなホンモノ。それを求めてしまった。
「プロ失格ね。自分の理想がちらついて目の前の仕事ができないなんて。まあ、今は仕事じゃないから別にいいけど。でも、あーやっぱシャクだわ。こんなもどかしいの滅多にない。月折ちゃんを結城ちゃんたちと組ませた人に対しても、やるなぁって思っただけで悔しくはなかったのよ。それが……」
誰にも――当然だが――ノアにも言えなかった愚痴なのだろう。黒百合の口調にはどこかせいせいした響きが含まれていた。
キリンは白百合陣営。〈黒百合動画〉には出ない。ゲームの中でお嬢様キャラはいても、リアルでもお嬢様というのはそうそういない。黒百合が求めているのは本物だ。「親がお金持ち」どころか「先祖代々お金持ち」くらいのレベルが必要になる。いくらスカグフのプレイヤー人口が膨大でも、そうそう見つかるものではない。
「オーディションに協力してくれた子たちに報いるためにも、動画は撮る。なんなら候補の子、全員いっちゃってもいいかもね。何にせよ、対戦相手を待たせるようなことはしないわ」
すべての愚痴を吐き切った後の、少しだけ自棄を感じさせる発言。お酒のせいか、それとも最善手を指せなかった諦念か。それらを黙って聞いたのち、
「黒百合さん。実はこっちも手詰まりなんですよ」
イトは同じ立場を知らせる光量を抑えた笑みを送る。
「最初の街歩き動画でこっちはフルメンバー使ってしまって、何をしようとあのインパクトは超えられなさそうなんです。こっちが楽しいだけなら、いくらでもできるんですけど。でも、アイドルのイベントが尻すぼみなんて、お客さんもつまらないじゃないですか」
「……何が言いたいの?」
怪訝そうな瞳の黒百合に、イトは答えを返した。
彼女の目が、今までで一番の驚きの形を作る回答。それは。
「メンバーの交換、しませんか」
次を見据えて敵とも通じておくアイドルの鑑。




