案件53:二度目のコンタクト
「ノアちゃ――」
先生を裏切った。そう告げた緑の瞳に剣呑な光が宿った直後、ビビッという強めの警告音と共に、
「safety」と記された赤いラベルがノアの手元に巻きつく。
居合刀を抜き放とうとしたその手に。
同じく。背中に出現させたバスターソードを構えようとしたイトの手にも。
「おーっとノア、ケンカはダメよ。セントラルでござるってね」
唖然とする空気の中、イトは、ノアが直前に手放していたボールカメラが宙に浮きながら気楽に諫める声を聞いた。どうやら黒百合はここではないどこかからオーディションを視察中のようだ。
「ごめんなさい……」
「いいのよ。わたしのために怒ってくれてるのはわかってるから」
ボールカメラに向かって謝るノアに、黒百合は鷹揚に応えた。ノアが少し嬉しそうにするのが、強張った空気のほどけ方から伝わる。
「でも人の怒りを借りる必要はない。勝負を挑まれたのはわたし。そうでしょ、バスターソーコ」
ボールカメラがこちらに向き直った。よく見ても自分の顔の反射しか映らないはずのレンズに、イトは不敵に笑う小さな黒百合の姿を見た気になる。
ただ、「そうです」と即応した声に、「ああよかった。いきなり劇場が停電とかさあ……!」という砕けた反応が戻って来たのには、いくらか毒気を抜かれてしまった。
「昔、偶然引き当てたレアアイテムまで使ったのに、あれはないわよねー。まあでもちゃんと返事が伝わっててよかった――」
「九栗山さん!」
そんな食えないボールカメラに向かって六花が声を飛ばすと、レンズはまるで瞬きのような動作を見せ、
「あら……。もう身バレしてるのね。一回しか会ったことないのに覚えててもらって嬉しいわ。こんにちは月折ちゃん。結城ちゃんたちもお元気?」
「お久しぶりです。お世話になっております」
息を荒げる六花の後ろで、結城姉妹が礼儀正しく頭を下げる。
「一体何をしているんですか九栗山さん」
「何をって、月折ちゃん。休暇中に、数年ぶりにログインしたゲームを楽しんでいるのよ。ダメ?」
「それはいいに決まってます。でも、こんな騒ぎを起こすなんて」
「こんなのスカグフじゃ騒ぎのうちに入らないでしょ。もっと街に砲弾が撃ち込まれたりとか、グレイブ軌道上から巨大レーザー砲〈ジャスティス〉が発射されたりしないと」
「どこの話ですかそれは!? そうじゃなくて〈黒百合動画〉なんていう――」
「アハハ元気があっていいわね。それより街歩きの動画見たわよ~。あんな可愛い顔しちゃってえ。オフショットだってあんなのないじゃない。二人でとってもお似合いだったわ」
「ええーっ。本当ですかぁ。そんなつもりないんですけどぉ。いつも通りなんですけどぉ。困ったなぁ。エヘッエヘッ」
「ヨシ! まずは元気な子を無力化したわ」
「! や、やります……!」
何てことだ。糾弾する六花をあっという間にダメモードに陥れてしまった。これが芸能界の力……!
「さて、バスターソーコ。さっきはあんなことを言ったけど、あなたにはお礼を言わないといけないわね」
「? どうしてですか」
向き直ったボールカメラにイトは疑問符を浮かべた。一方的に勝負を挑んだ相手だ。しかもその直前には、目的を隠したまま〈黒百合動画〉の撮影場所までついていっている。
「街の様子を見ていないの? とても楽しいことになってる。これほどのこと、わたし一人では絶対に起こせなかった。あなたがセンセーショナルな花火を打ち上げてくれたおかげ」
「……!」
そうだ。事の発端はあの宣戦布告になる。しかしそこで生じた爆炎をすべて平らげてしまったのは黒百合の手腕。注目を浴びて身動きが取れなくなるのを逆手に取り、大々的にオーディションを喧伝して今の状況を作り上げた。
「どうかしら。あなたにとっても悪い光景ではないと思うけど」
「確かに、最初は眼福ではありました……が! あんな偽りの百合を咲かせて何になるというのですか! みんな無理に百合を演じて息苦しくなっています! これでは百合営業の本当の楽しさが伝わりません!」
返した言葉に、ボールカメラは虚空で身じろぎのような動きを見せた。
「そうね。あなたの言う通り、今、セントラルにはニセモノの花が咲き乱れている。けれど造花は本物のフリを長くはできない。バレたらそこで終わり。でも本物は、その一瞬の輝きを永遠に残す。もうそれは始まっている」
「! まさか!」
さっき見た、疲弊して脱落していった少女たち。あるいは、少しだけ以前より親密になれた少女たち。黒百合の野望に満ちた声が先を語る。
「そう。本当のオーディションはこれから。演技ではない生身の素養。土台に眠っている種。わたしはそれを見たい」
「そのためにあえて一旦無理をさせて……!」
これが彼女がPとして名を馳せた秘訣なのか。外向きに見せる皮ではなく、それらを生み出し続ける内部の果実。それを見極め、組み合わせる達人――。
「あなたもエントリーする? ダークホースとしては最上級。話題をもう一段階膨らませられるかも」
「いいえ! わたしはあなたと対峙するサイド! そこを変える気はありません」
イトは断言して、見えないテーブルに載せられた遠回しな降伏勧告を払いのけた。この人は確かにすごい。街規模のこの大騒ぎをきっちりコントロールしている。……本当にとんでもない百合営業動画を作ってくるかもしれない。だが乗らない! ここで怖気づくのは最悪の負け方のさらに下だ。レンズに映る黒百合の幻が笑みを一層深くする。
「本気なようでよかったわ。こんなところで尻込みされたら困るもの。わたしの素性がどうあれゲームはゲーム。最後まで日和らずいきたい。でもちょっと驚いた。まさか、〈黒百合動画〉を調べるために潜入捜査までしてたなんてね」
「それは騙してごめんなさいでした!」
イトは素直に謝った。人を騙すのは悪いことだ。聞いてるか社長。
「いいのよ。きっと仕事だったんでしょ」
カメラがねっとりと回転し、こちらのメンバーの顔を確かめる。アイドルたちに加え、自治クラン所属と明確にわかる制服姿のサツマ。彼から何か頼まれたという見立ては黒百合の早とちりだが、順序が違うだけで大局に違いはない……と、ここである一人を前にレンズが止まった。
「あら……。あなたもしかしてツインドリー?」
そう呼びかけた相手は、目を丸くしたキリンだ。
「! そっ、そうですわ。ツインドリーは仮の姿。これが本来のわたくし、今川キリンですの!」
ちょっと焦りつつも、キリンはなだらかな胸に手を当てて偉そうにのけぞった。名前からすると今の髪型の方がはるかにツインドリーだが、黒百合もそれで勘づいたのだろう。
「だいぶ雰囲気が変わったわね。ふうん……へえ……」
「な、何でしょうか?」
「……もった……ない……ロング……の方が……」
「えっ」
「ああ、何でもないの。それより、じゃあ、あの宣戦布告の時に横にいた子もあなたなのね」
「あっ!? ……ああー。ええとー。まあ、そのようなこともあったかもしれませんけれどー……」
あの時のお姫様みたいな自分を思い出したのか、キリンはわずかに頬を赤く染めながらすっとぼけの目を泳がせた。あのワンシーンは今や、セントラルにおける百合営業のアイコンの一つと化している。しかしそのとぼけた態度も長くは続かなかった。
「そう……。あなただったのね今川さん」
声が不意に告げ、物陰から新しい登場人物が現れたからだ。ノアと同様のコート、フードで顔を隠した人物は、おもむろにそれを取り払い素顔を晒す。
「ああっ!? 葵お姉様ぁ!?」
城ケ丘葵。〈黒百合動画〉への表ルートからの参入をいち早く公表し、ある意味でオーディション合格一番乗りとなったセントラルのトップアイドル。彼女も街に潜伏していたのだ。
「あ、葵お姉様! 百合営業なんかに堕ちてはいけませんわ! 今からでも遅くはありません。すぐに〈黒百合動画〉から手を引いて……!」
驚きの硬直もそこそこに、キリンは葵に駆け寄った。〈黒百合動画〉はまだ作られていない。葵を説得する最後のチャンスだと思ったのだろう。しかし、当の本人は感じ入った表情でキリンに一つうなずくと、
「見事な百合営業だったわ。今川さん」
「はへ!?」
「あのステージ上での、すべてをイトに委ねるような仕草、表情……。わたしより先に百合の何たるかを掴んだのだと瞬間的に理解した」
「あっあっあっ、ちっ、ち、違いますううう! あれは、そういうのではなくってぇ……!」
キリンは赤くなったり青くなったりしながら必死に弁明しようとする。しかし葵はすでに全身決意に凝り固まった顔で、
「あれでわたしも〈黒百合動画〉への参戦に踏み切れた。先に高みで待っていて」
「ふぎゃああああああああ!?」
衝撃の告白にキリンが絶叫する。無理もない。敬愛する葵が百合営業に近づくことを誰より嘆いていた彼女が、まさかダメ押しまでかましていたとは。これはいっつも偉そうなキリンちゃんが白目を剥くのもやむなしの事態。
「それと、言うのが遅くなってしまったけれどアイドルの初級試験合格おめでとう。確認はできていないのだけれど、あそこから不合格になる方が難しいものね」
「あへぇ……」
「葵さん待って! 今その死体蹴りは!」
「……?」
イトは慌てて崩れ落ちるキリンの体を支えたが、彼女の目からは完全に光が失われていた。しかしこれでもまだマシな受け方だったというのが泣ける。もし二日前のすっぴんアバター状態で今のツーヒットコンボォをやられていたら、垢消し逃亡もあり得た。
「“学ぶ”なら友。“超える”なら敵。わたしは常々そう考えている」
千夜子と烙奈、〈サニークラウン〉にセツナへと視線を回し、最後に葵の実直な目がこちらを見据える。
「わたしは黒百合さんから百合営業を教わり、あなたたちと対峙する。イト、いい勝負をしましょう」
「……! 受けて立ちます!」
堂々とした声に、イトは乗せられたという気もせずに力強く返答していた。葵はどこまでも自分に立脚している。黒百合が正しいも白百合が正しいもない。ただただ自分の判断に全責任を負ってここにいるのだ。
ばちりとぶつけ合ったスパークの先で、ボールカメラがウインと機械音を鳴らした。
「改めて決意表明ができたところで、わたしたちはそろそろオーディションに戻らせてもらうわ。よかったらあなたたちも見学する?」
「いえ、わたしたちは……セントラル上空のグレイブで、ライズの予定が入っています。そっちに行かないと」
「なるほど。アウトランド使節団……だったかしら。そちらも頑張ってバスターソーコ。お疲れ様」
「お疲れ様でした!」
ガッと頭を下げて、勢いよくきびすを返す。
あちらがオーディションに時間を割いている間に、こちらは次の手を仕込む。スカイグレイブ前での通常ライズは、百合営業動画第二弾になる予定だ。街歩き動画ほどのインパクトはないが、ステージの上と外での仲の良い姿をファンにお届けしたい。
「ん?」
と、そこで、一緒に歩き出したメンバーが一人多いことに気づく。
「えっ、葵さん? どうして……」
「? わたしもグレイブ前でライズをするから、あなたたちと一緒に行こうと思って。スペシャルライズの時の話も聞きたいし」
「えっ、えええ!? さっきのあれから、ですか!?」
B型かこの人!? ここはカッコよく別方向に歩き出すところではなかったのか。
驚きを声にする背後で、ビキィと空気が捻じ曲がる感触があった。恐る恐る振り向けば、そこにはアイドルが表向き発してはいけない暗黒オーラを容赦なく振り撒く六花の姿……。
そういえば、〈センターナ劇場〉でも変な対抗心を燃やしていた。このままライズ会場に行くとなれば、それは本物の対抗戦不可避。
そしてもう一人――。
ゴオオオ……。
「セ、セツナちゃん?」
「……なんですか……」
「セツナちゃんは、ど、どおしてそんなに黒のオーラが大きいのかなぁー……?」
「なんででしょうね……。先輩たちが勝手に人のお姉ちゃんを取り合ってるから……いえ、イトさんは知らなくていいです……」
「あ、アハハ……」
だからその、仲良し百合百合動画を撮ろうという計画で……。
……このままの空気でライズ会場に行けと?
自称白百合の陣営の方が黒くない?




