案件46:黒百合の誘い
五感没入型ゲームであるスカグフにはアルコールの提供がある。
無論、実際にお酒が人体に投入されているわけではなく、似た感覚に陥る刺激が送られるだけだ。年齢制限もばっちりかけられていて、二十歳未満は仮想でも酩酊を味わうことはできない。
もっとも、とあるグレイブに出没する“アルコル・スライム”の吐息を食らうと似たようなステータス異常を引き起こすので、うわべだけの規制だが。
「ういー。マスター、同じやつ」
見るからに泥酔状態にある女性は、そんな大人の楽しみに耽るプレイヤーの一人のようだった。ただ、わざわざ冒険の世界にまで来て昼間から酔っ払っている人物というのも珍しい。見かねたマスター役プレイヤーからも、
「お客さん。お連れの方もああ言ってますし、そのへんでやめた方が」
「あぁん? いいのいいの。こっちは一仕事終えて身軽になったばかりなんだから、これくらいはね」
店主からの助言にもめげず、出されたグラスをすする女性。白のジャケットにズボンという清潔感ある身なりなのに中身は相当のだらしなさだ。サングラスで目元はわからないが、それ以外の部分でどんな表情をしているか大方の予想は付く。
「ねえ、あなたも何か頼んだら? ジュースくらいあるわよ」
女性がつれに呼びかける。女性を「先生」と呼んでいた少女だ。
SFチックなフード付きコート。装飾はややごてごてしているものの、裾から伸びたニーソかタイツ着用の脚の細さが少女をいかめしく感じさせない。むしろ逆に儚くさえ見せる。
背丈はこちらとほぼ同じか、少し低いくらい。フードを深くかぶり直し、白い髪はもう見えなくなっている。
そこで女性も気づいた。その少女がさっきからしきりにこちらを気にしていることに。
「ん?」
バレた。
「い、行きましょうイトさん。絡まれたら大変ですわ」
キリンはそそくさと立ち去ろうとするが、イトはすぐには動けなかった。
フードの少女の褐色の肌に白い髪、それからグリーンの瞳。呑んだくれている女性は、黒百合動画の人物の黒髪とは色が違うが、髪型や全体的な空気はよく似ている。まさか……いやこれだけでの断定はさすがに……。
「ちょっとあなたたち?」
「ひゃっ……」
気づいた時には赤毛の女性に近づかれていた。キリンが首をすくめて後ろに隠れてくる。
「こ、こんにちは……」
イトが無難な挨拶を向ける中、女性はサングラスをわずかにずらしてこちら観察した。酒に浸されていた赤い瞳が、物凄い速さで鮮明さを取り戻していく様がはっきりと見て取れる。
その目が追う。キリンと繋いだ手。揃いのジュース。
「へえ……。センターナ劇場の前で度胸あるわね」
彼女は口元に不敵な笑みを刻んだ。
セントラルのアイドルに百合営業はタブー。それに類する行為もよしとはされていない。今のは多分そういう意味を込めての発言だ。一発でこちらがアイドルだと見抜かれた。
「どうかしら。あなたたちには、もっと輝ける場所があると思う」
「輝ける場所、ですか……?」
イトは早鐘の胸の内を押し殺してたずねる。
「ええ。もっと自由にあなたたちを出せる場所。興味ないかしら?」
「ちょ、ちょっとイトさん……!」
キリンが鋭く囁いてくるが、イトは女性から目が離せなかった。
「一体何の話なのか、よく……」
「動画に出演してほしいの。報酬は支払うわ。それと、これも」
スーツのポケットからわずかに見せられたものが光る。七色の巻貝。……コンシェル!
キリンが驚いて小さく悲鳴を上げる。
「あっと、勘違いしないでね。これはあなたたちに何かを強く依頼するものではなくて、純然たる追加報酬。持っていて困るものではないでしょう? ここセントラルで生きるならばね……」
コンシェルはセントラルではいわば最強のカード。しかし行使するためには、まず誰かからこれを受け取らなければならない。
〈モカ・ディク〉で聞いた話によると、コンシェルはほぼベテランプレイヤーか上位のプレイヤー同士の間でしかやり取りされない。それくらいでないと信用の売り買いをするに値しないということだ。となると、平凡なグレイブアイドルに降りてくることはまずないはず。ほしがる人はきっと大勢いる。
「あなたは一体……」
「こういう者よ」
差し出された名刺。しかしそこには何の文字も書かれていない。
あるのはただ一つ。記号化された黒百合のアイコン。
「時間は取らせない。ほんのちょっと一緒に来てもらうだけでいいから」
※
何を考えてますのあなたこれから一体どうするおつもりですのこんなことをしてタダで済むと思ってますのもしこんなところを人に見つかったら何の言い訳もできませんのよねえちょっと聞いてますのねえったら!
べぎぎぎ……と物凄い力で握られる手が、息継ぎなしに吐き出されるキリンの苦情を如実に伝えてきていた。イトはただそれを黙って受け入れ、前の二人を注視するしかない。
ここは自動車の後部座席。マウスカーという通称の由来は、昔コンピューターについていたマウスという入力機器に外観が似ているから。
車体の上半分を覆うフタはスモークガラスで、街の景色を見えにくくしている。外からだと中はまるでわからないだろう。
「すぐ着くわ」
運転席に着いているのは赤髪の女性。助手席にはフードの少女がいる。彼女はまだこちらに一言も発していないが、不安げに何度も目線を送ってきていた。
「セントラルから出るんですか?」
イトがたずねると、「ちょっとだけね」と砕けた返事。「セントラルの施設を借りると、どうしたって記録が残っちゃうから」と続けたところで、マウスカーがセントラルと荒野の境目を抜けた。
疑惑濃厚というのも白々しい、確実な黒。
この二人は、黒百合動画のプロモーションに出ていた二人で間違いない。黒ワンピースの少女は、単に常連というだけでなく、そもそも黒百合動画側の人間だったのだ。
その誘いに乗った。危険な行為だということは重々承知で。
あの場でサツマたちを呼ぶこともできただろう。しかしそれでは二人に即刻ログアウトされ、逃げられてしまう。酒浸りだったというちっぽけな目撃証言を持ち帰っても黒百合動画は止まらないし、何よりキリンの現状を変えられない。
ならばいっそ懐に潜り込み、すべてを暴く。それしかないと思った。
肝心のキリンが、さっきから物凄い拒否の目線をガシガシ飛ばしてきているのはままならないが。
(セントラルの外に出るならちょうどいいかも……)
PKエリアに取り込めば相手は一時的にログアウトできなくなる。普段自分たちが食らってるやり口だ。しかしそれは最後の手段にしたい。
前座席でわずかに動くフード。少女がまたこちらの様子を気にしている。
(この子は……)
彼女から何か危険を感じる。PKを仕掛けた瞬間この子が飛びかかって来て、女性の方は逃げてしまうような、そんな予感。「先生」と呼んで慕っている様子からしても、多分それは現実になるだろうとイトは踏んでいた。
撮影場所。ひとまずそれを押さえられれば大きな前進になるか。
そう思って目を向けた外では、雪をかぶった草木が生い茂っている。
森の中だ。
ここに、彼女たちに隠れ家があるのか。
「そう言えば、何て呼べばいいかしら。わたしのことは黒百合とでも呼んで。隣の子はノアよ」
「え、ええっとぉ……」
本名を聞かれているわけではないだろう。サツマの話では、黒百合動画の出演者に二度目の接触があった様子はないという。一度きりの関係だ。
「じゃあバスターソーコで……。こっちの子はツインドリーちゃんです」
「はあっ!?」
なんて名前ですのと、キリンが肘でつついてくる。だって何も思いつかなかったんだからしょうがない。
「強そうな名前ね」
黒百合はからからと笑った。ふざけた名前だとも言ってこない気さくな人物だ。悪い人間という気はあまりしない。ただ、何らかの挑戦的な危うさを孕んでいる気配はある。
「あのう、それで動画についてなんですけど……」
イトは相手をさらに探るべく声を発した。車の中は逃げ場がない。お互いに。
「新作のガチャ産コスの宣伝をするという話はさっき聞きましたけど、二人で仲良くというのがよくわからなくて……」
「大丈夫、どうってことないわ。あなたたち二人なら、劇場前でしていたことと同じふうにしてもらえればいい。それでも足りなければ、ちょっとしたコツを教えてあげるわ」
来た……! イトはわずかに身を固くする。
「コツって、友達と仲良くするコツですか……? それは、素直な気持ちが一番だと思うんですけど」
「ちょ、ちょっと、なに普通に言い返してますの……!?」
キリンがぎょっとした顔で囁いてくる。しかし運転席の黒百合は気にした様子もなく、
「素直な気持ちでは強すぎる時もあるわ。好意というのもコミュニケーションなのよ。コミュニケーションの上手い下手があるように、仲良くするにも上手いやり方とそうでないやり方がある。伝え方一つで気持ちを誤解されるなんて損、したくないでしょう?」
「……!!」
この人は……この人は何かを握っている。
百合でない人間を百合に見せてしまう黒百合動画の魔法。本当にこの人が……?
「い、一体、そのコツとは……?」
「興味ある? フフフ……人間って面白いもので、行動に感情が引っ張られることが多々あるの。好きなフリをしていたらホントに好きになっちゃったり、嫌いなフリをしていたら本当に虫唾が走るくらい嫌いになったりね。まあ安心して。そのへんの細かい手ほどきはノアがしてくれるから」
助手席のノアが、会釈するみたいにわずかに頭を動かすのが見えた。
「っと、話をしているうちに着いたわね」
車が止まる。ガラスの天面がパカリと開いて外に出ると、車の鼻先に、草木に隠れるようにして小道が続いていた。ここからは歩きのようだ。
黒百合がマウスカーをアイテム欄にしまい、先へと進んでいく。ノアはちらりとこちらを見て、それから彼女を追いかけた。
「無茶すぎますわよ、あなた……」
キリンが険しい顔で囁いてくる。彼女もここまで来た目的はわかっているはずだ。
「でも上手く行けば、キリちゃんもアイドルに復帰できます」
「……! そ、それでも危険すぎます……」
「キリちゃんのことは、わたしが必ず守りますから」
「ッッッ……! もうっ……。こういう時ばっかりっ……」
強く手を握り直され、森の奥へ。
あの小奇麗な黒百合動画が、こんな鬱蒼とした森の中で撮られていたとは。サツマたちが見つけられないはずだ。ましてやここはもうアウトランド。セントラル住人からすれば無法地帯。
やがて、枝葉に隠されるように一軒の家が現れた。
飾り気のない四角い建物だ。
そんな大袈裟なものではないはずなのに、犯罪の現場のような、そんな不穏な空気をイトは勝手に感じた。
「ここよ。どうぞ入って」
黒百合が先導し、扉を開けた直後。
「あぁん? 何だおまえら」
突然、粗野な声が中から飛んできた。
驚いたキリンが小さく悲鳴を上げてしがみついてくる。
小さな待合室のような部屋を占拠していたのは、見るからにガラの悪そうな男たちだった。
クランメンバーで一斉にガチャを引いたら、全員が山賊のセットアップを当ててしまいました――そんな事情すらありそうな賊一色の集団で、持ち寄った食糧――と言ってもここだけ都会的なピザとかフルーツ盛り合わせ――を床に広げて宴会の真っ最中らしい。
すわ黒百合の私兵かとイトは身構えたが、
「チッ、ネズミに入り込まれたか」
という彼女の舌打ちを聞き、これが向こうにとってもイレギュラーな事態であることを悟る。
「おほっ!? よく見りゃ可愛い子ばっかじゃーん!」
手に持っていた生春巻きを噛み千切りながら、男が立ち上がる。
「そうか。ここはあんたらの家か。何でこんなとこにホーム設定もされてない小屋があんのかと思って不思議だったが、さては何か悪い事企んでるな」
彼は、腕を組んだまま突っ立っている黒百合にのそりと近づき、
「ぐへへ……。オレたちと同じだな」
「同じ……?」
顔を近づけられても動じなかった彼女が、ぴくりと反応する。
「そう! 何を隠そう、オレたちは一般プレイヤー専門のスナッチャー! わざわざガードの硬いアイドルを狙うより、そっちの方が断然成功率も高いしな!」
男の目がいやらしくこちらを嘗め回した。
「それに、平準化ボタンのおかげで一般人だって結構可愛いのが揃ってんだぜ。あんたらみたいにな」
「ゲスが……」
黒百合が吐き捨てるように言うと、スナッチャーはゲラゲラと笑いだし、
「じゃあそのゲスが、今からキミたちの一番可愛い顔を撮ってあげようねえ! 女の子が一番可愛い曇り顔をねえ!」
スナッチャーの不文律。相手のジョブが何であれ、メンタリティは一緒か。イトはいつもの癖でつい言い返しそうになる。
違う。女の子が一番可愛いのは――。
「違う。女の子が一番可愛いのは――」
しかし、それを口にしたのは黒百合。
「女の子が一番可愛いのは、頬を赤く染めたテレ顔!!」
「ほげぇ!」
強烈な前蹴りがスナッチャーを吹っ飛ばした。仲間を巻き込んで室内を転げまわる。
「てめえ、やりやがったな!」
そこまで威力のある攻撃ではなかったらしい。蹴られた男はすぐに起き上がり、たむろっていたスナッチャーたちと一斉に武器を構える。
「ノア!」
動じずに黒百合が言い放った直後、黒い風が巻いた。
青みを帯びた銀閃が敵対プレイヤーたちの体をなぞる。
武器を抜きながらの一撃。これは……“居合スラッシャー”!
やや短めの「刀」装備から繰り出された最速の剣スキルが、あっという間に二人を打ち倒した。
さっきから抱いていた危機感の正体がようやくわかった。
一撃必殺。つまりこの子は対人ビルドを組んでいる! しかもガチの!
敵を騙して隠れ家に潜入してしまう系アイドル。




