案件45:劇場にて
セントラルの〈センターナ劇場〉は、『スカイグレイブファンタジア』のサービス開始時から総合施設として親しまれてきた場所だ。
当初はNPC劇団による歌劇やサブイベントが頻繁に開催されていたが、プレイヤーの中からゲーム内エフェクトを使った寸劇をやり始める者が現れると、生成AIはすぐにその人たちのためのシアターを解放したという。
プレイヤーが多ければ色んなことを試す人間が現れる。AIはそのニーズを目ざとく拾い上げ、ゲーム全体のプレイング幅を広げる。これはそんな好例の一つ。
「今ではミニシアター二つ、大型ホール一つ、ライズ専用ホールが屋内屋外で一つずつという特大の総合施設になっておりますの」
劇場にたどり着いたイトたちに、キリンは誇らしげにその歴史を語って聞かせた。
「セントラルのアイドルが、グレイブ前以外でライズを行っていいのは基本ここだけ。ここでライズを開くために、アイドルは日々練習を重ねているのですわ」
「ほえー。そんなすごい場所なんですね……」
吠えるキマイラ像を載せた正面門を見上げながら、イトはその歴史に思いを馳せる。そして、ここを夢見る少女たちの今はまだ小さい輝きも。
アウトランドのアイドルはどこでライズを開こうと自由だ。町中でいきなりゲリラライズをやるのも勝手。ただしそれで不興を買えば人気はダイレクトに落ちるし、スナッチャーという脅威もある。それでも「やりたきゃやればいい」という気ままさはある。
それに比べてセントラルのアイドルは大変だ。野外ライズはその時点で批判が飛んでくるし、所属クランからの縛りもある――そう思う反面、イトはこの荘厳なシアターを前に、ある種の羨ましさを感じざるを得なかった。
野球でいえば甲子園、サッカーなら国立、クイズではニューヨーク。そんな目標となる伝統の場所をアウトランドは持たない。語る夢はいつだってはるか先のゲーム外だ。
イトはボールカメラを手に持ち、シアターの様子を丁寧に録画した。
宮殿の街に作られた小宮殿のような劇場は、たくさんの彫刻や装飾によって飾られている。きらびやかながらギリシャの神殿のような落ち着きと佇まい――イトの中では立派なものはだいたいギリシャ扱い。大理石の壁や柱は、単に美しいだけのグラフィックでは表現できない伝統の重みさえ備えているように見えた。
ここなら大勢のアイドルたちの憧れを受け止められる。夢や想いをぶつけられてなお悠然と立っていられる、目指すに相応しい場所。
ひょっとしたら、リアルよりも。
そんなふうに思えた。
「ほ、本当にわたしたちがライズをやってもいいのでしょうか……」
あまりにもでかい存在を前に、イトは今になって不安を覚えた。
コスチュームは新しくなり、しかもセントラルのイメージカラーと同色の白。しかし肝心の中身はアウトランドの弱小アイドルのまま。そんな不相応な立場でこのシアターに乗り込んだら、ここにたどり着けなかった夢たちから一斉に攻撃されそうな気がしたのだ。
「何を今さら怖気づいてますの」
そんな不安をどこ吹く風で押し流すキリン。
「ここまで来たのだから、お腹をくくりなさいな。少なくとも狂暴なPKプレイヤーと戦う時より怖いことはありませんわ……」
そう言う彼女はしかし、相変わらず頭部を隠す頭巾を身に着け、周囲を警戒する様子を見せている。
黒百合動画への出演が疑われている今の状況を考えれば、セントラルに帰ってきたキリンはホームで大人しくしているのが最上策のはずだった。にもかかわらずここまでついてきた理由はただ一つ。
「劇場に葵お姉様が来ているそうなの!」だ。
彼女が原因で(葵は何も悪くない)セントラルから追放の憂き目を見たというのに、それでもまだ追っかけをやめられない――。制止するサツマの老婆心もここでへし折れたか、目立たないことを条件に同行を許可されたのだった。
「イトちゃんたちはセントラルでも人気があることがわかったし、大丈夫、大丈夫」
不安がるイトの手を優しく握ってくれたのは六花。
「はあ……。その人気って、なんかリビングアーマーみたいな人たちからばかりなんですが」
「でも、その人たちが来てくれたら絶対盛り上がるよ。どこにいたって目立ちそうだし」
笑顔を加えたさらなる励まし。愛する六花ちゃんマイエンジェルにここまでされたら暗い顔はしていられない。イトは笑顔でうなずくと、お礼のつもりで六花の手を握り返した。
「……! さっ、さあ、中も見に行こ」
少し慌て気味になった六花の牽引に従い、イトたちはエントランスに入った。
その直後。
「イト?」
正面玄関左手。ガイドセンターらしきカウンターの前で、一人の人物がこちらを振り向いた。
すらっとした高身長の美少女。漆黒の姫カットに鮮烈なブルーのケープは、輝かしい劇場の中にあってすら存在感の輪郭線で縁取られる。
見間違えるはずもない。
「あっ!? 葵さん!」
イトが呼び返すのと同じ早さで、葵の長い脚はこちらに向かって駆けてきていた。
「千夜子に烙奈も。セントラルに来るというのは本当だったのね」
「こ、こんにちは……」
「久しいな。元気なようで何よりだ」
二人に呼びかけた後、葵は情熱的にイトの手を取った。
「ここで会えてとても嬉しい。あなたたちには本当にお世話になったから」
「お、大袈裟ですよぉ葵さぁん」
にやけ顔を我慢できずにクッソだらしない声を返すイト。
相変わらずピンと張ったピアノ線のような実直さ。それでいて笑顔は春の柔風。これで堕ちない人はいない。
ぎゆう……。
「あひっ!?」
何か物理を超えた力によって手を圧縮されたと思ったら、それは六花だった。
「お疲れ様です、城ケ丘さん」
「あっ。お疲れ様です。月折さん」
六花の挨拶に葵が応える。
ざわっ、とエントランスに感情のさざ波が走った。
月折六花と城ケ丘葵。押しも押されぬ第十七地区のアイドル、ツートップ。しかもその図抜け具合は、この二峰だけ標高十万メートルを超えて宇宙に突き出しているような有様だ。そんな二人が一枚の画に収まるというだけで、劇場のお客さんにとっては大事件。
「アウトランドの人たちとスペシャルライズを開くそうですね」
葵が呼びかける。
「はい。今夜ここをお借りします」
六花が応える。
「わたしも客席から応援させてもらいます」
葵が伝える。
「ありがとうございます。是非、楽しんでいってください」
六花が返す。
…………?
何か、音なき不穏なざわめきが肌の上を走っていくのをイトは感じた。
このシアターに住む小さな妖精たちがこぞって震えているような。
その感覚は自分一人の錯覚ではなかったらしい。周囲の係員や利用客たちも、二大スターに会えた驚きや喜びよりも、困惑の色を強く出している。
「月折さん、遠くからイトをつれてきてくれてありがとう」
「!?」
葵の何てことはない言葉に、見えないパンチが繰り出されたように六花が身じろぎした。
みぎゅう……と握られた手がさらに強く絞られる。
「はい。セントラルの人たちにもイトちゃんを知ってほしくて。“でも”“イトちゃんはわたしと”“こうして手を繋いでますから”“帰る時ももちろん一緒ですけどね”」
「? そうね……?」
おかしい。六花の返答が何だかズレている。葵は単に、セントラルに不慣れな〈ワンダーライズ〉を迷子にならないよう案内してくれてありがとうと言っただけなのだろう。現に少し首を傾げ気味にしている。しかし六花はその反応に、余計に対抗心じみた何かを燃やしたように見えた。
これは一体何だろう。今の六花の発言を額面通りと仮定すると、不思議そうにしている葵の態度は、「イトとあなたは帰る時一緒じゃないけど? あなたは何を勘違いしているの?」というふうにも読み取れるが、さすがにこんな穿った見方をする人間は若干の休養が必要だと思う。
「はい、そこまで~」
そこへ、気楽な声のいづなが、見えない線を切るように手刀を振りながら割って入った。
「お疲れ様です。いづなさん」
「お疲れ様です城ケ丘さん。今夜使わせてもらうステージについて、ちょっと聞きたいことがあるのだけれど、いいかしら?」
「はい、もちろんです。案内しましょう。今後の予定について聞きたいこともありますし」
「ありがとう。それじゃ、行きましょうか?」
そう決定するや否や、六花の背後から忍び寄っていたなずなが突然彼女を抱え上げた。
「あっ、ちょっと、なず姉……」
その拍子にこちらと繋いでいた手が離れてしまうが、なずなはおかまいなしに、六花を持ち上げたまま先行する葵へすたすたとついていく。
「ごめんなさいイトちゃん」と、いづなが申し訳なさそうに片目を閉じ、
「あなたがいると六花が五秒おきくらいに脱線するから。ちょっとシアター見物をしててくれるかしら? ステージの下見については千夜子ちゃんたちとやっておくから」
「ええっ」
「……仕方ないね。イトちゃんは待ってて」
「あまり遠くに行かないようにな」
「あれっ……な、なんか二人とも冷たいような」
「せいぜい迷子にならないでくださいね。……迷ったらフレンド欄から連絡してください」
とどめにセツナからもぷいと顔を背けられ、イトはぽつんとそこに残された。
何もしていないはずなのに、この扱いは一体……。
一人呆然とする中、張り詰めていた周囲の空気がほどけ、ざわついていた野次馬たちも解散、もしくは葵たちにくっついて移動する。もはや戸惑っているのはイトだけだ。
「ど、どうしましょう。見物といっても、どこから何を見れば……」
「もう、しょうがありませんわね」
横から聞こえた声に振り向けば、そこにいるのは頭巾姿のキリン。
「あれっ。キリちゃんは葵さんについていかなかったんですか?」
彼女がここまで来たのは葵がいるからだ。念願叶った以上、あちらについていくのが当然だと思っていたが……。
「お仕事モードの葵お姉様を、たとえ遠くからでも邪魔するわけにはいきませんわ。こうして久しぶりに一目見れただけでも十分ですの。それより、コホン。勝手がわからずに困っているのであれば、わたくしが館内を案内してあげてもいいですけれど?」
「本当ですか? やったぁ!」
イトが喜びを露わにすると、キリンは少し照れたようにうつむき、
「ま、まあ? あなたのおかげでセントラルにも戻れて、クランとも一応仮加入の手続きができましたから? これはそのお礼ですわ」
キリンが〈モカ・ディク〉に仮加入できたのには理由があった。セントラルで彼女の初期装備は非常に目立つのだ。そのため、出歩くならば仕方ないと、かつてのコスチュームに戻すための再加入の手続きが取られた。これでクランのアイテム共有機能が復活し、キリンはセントラル流のブラウスとスカート姿に戻れたというわけだ。
ただ、確実に身バレするため、ヘアスタイルはストレートロングのままにされている。
「お礼だなんていいんですよ。ありがとうございます、ムギュー」
「ちょ、ちょっとおやめなさい! あなたここがどこだかわかってますの!?」
喜びのハグを敢行したイトを、キリンは真っ赤になりながら押しのけてきた。
「騒ぎの余韻がまだ少し残っていますから、ひとまず外に出ましょう。そこから案内いたしますわ」
「わぁい。外にも気になるものいっぱいあったんですよぉ! ささ、じゃあわたしが迷子にならないようしっかり手を繋いで……」
「も……もぉっ……好きになさい……!」
そうして二人で外に出ると、真っ先に目に飛び込んできたのは劇場前広場の賑わいだった。ミニサイズの商店がずらりと並び、お菓子や飲み物といった下町風の商品が売られている。
「あの出店通りも、ここの名物の一つですわ」
「わあ可愛い! せっかくですから何か食べながら見て回りましょう!」
「仕方ありませんわね」
これはキリンも望むところだったのか、仕方なくを装いつつも積極的に手を引いて歩き出す。見れば、小奇麗なセントラルの住人たちもここではだいぶざっくばらんな態度で過ごしている。
「物価が!?」
出店の価格に目を剥くイト。
「まあ人件費がある分、セントラルは割高ですわ。お兄様からお小遣いをもらっていますから、ここはわたくしが払いますの」
二人で同じジュースを買い、ストローをくわえながら通りを歩く。
店の商品を眺めているだけで飽きない。色とりどりのジュースにフルーツ。劇場にちなんだ焼き菓子なんかも豊富で、別腹を無限に増やすいい匂いが際限なくやってくる。
「実は、アウトランドでこういうところってあんまりないんです」
「そうなんですの? こういう騒々しい場所こそ、アウトランドに多そうですけど」
「ほら、PKとかいきなりありますから。グレイブ前にちょっとお店が建つくらいなんですよね」
当然だが、グレイブ前の出店を目当てにやってくる人間などまずいない。大半の目的は墓荒らしだ。アイドル目当ての推し活プレイヤーは、ライズが終わればすぐに帰ってしまうし。
「だから、こういう景色が新鮮です」
「ふ、ふうん……。それでしたら、気が済むまで楽しんでいくとよいですわ。わたくしは別に、どこに行きたいとかありませんから」
「キリちゃん優しいやったー! ハグゥ!」
「だからそうやってすぐ抱きつくのをおやめなさい!」
やがて少しだけ雑多な空気が薄れ、落ち着いた場所にやって来る。
劇場の裏側が近いらしく、人通りも店の数も減っている。お祭りの裏側のような、独特で、ちょっとしっとりとした雰囲気。
そこで。
「ういー」
「先生、もう行きましょう」
「ういー、マスターもう二杯」
「先生」
そんなだらしないやり取りが聞こえてきた。
場所は、バーをミニマムサイズに縮小したような変わった出店の前だ。
三つしかない椅子の一つの上で、ぐだぐだとダメそうにしている赤い髪の女性が一人。それを止めようとしている女性が一人。黒っぽいフードをかぶっていてわからないが、態度や背格好からして少女……だろうか。
「昼間からダメな大人がいますわね……」
キリンが小声でささやくと、それが聞こえたみたいなタイミングでフードの人物がこちらに振り向く。
顔まで完全に隠れる闇のエフェクト付き――ではない。一瞬そう思えたのは、相手の肌が褐色だったからだ。
わずかにのぞく髪の色は――白。
グリーンの瞳が星のようにきらめいて、イトの目を見た。
トップアイドルの間に挟まってたら追い出された。




