案件38:空っぽの場所にいた
崩落したビルハガーの瓦礫は、ちょうどそこを避けて落ちていた。傷つけぬように。壊さぬように。
ビルの狭間にぽつんと置かれた公園。
植物による地盤変動もなく、ジャングルジムや動物の乗り物など苔むしたレトロな遊具が、陽光を受けてキラキラと輝く塵の中で鎮座している。
「どこだここ」
「こんな場所知らない」
コメントモジュールにも驚きが並ぶ。
荒廃した都市の墓場で、そこだけは一つの記憶をとどめているように思えた。ここで人々が生き、子供たちが遊んでいた記憶を。
イトはガラスの橋を渡るようにそっと足を踏み入れた。
「ここはどういうところなんですか?」
あれだけの強力なモンスターを倒して現れた、これほどに印象的な場所。何か由来やイベントがあるのだと思ってユラにたずねる。
「何もないんだ」
ユラの答えはどこか乾いていた。
「ここには何もない。攻略ルートから外れてるから、わざわざ来る人間もいない。ただ、この公園だけがあるんだよ」
そういうことを、スカグフのAIは時々する。
何かありそうだけど、何もない。そういう場所はいずれイベントが後から追加されるものだと人は予想するけれど、それでもやっぱり何もないままの場所がいくつもある。
「でも好きなんだ」
そう言ってユラはブランコに腰かけた。キイと錆びついたチェーンが軋む。
「何にもない。でも、在る。誰かに見つけてもらうのをずっと待ってる。誰かみたいで、何だか安心する」
「ユラちゃん……」
「ちょうどこのタイミングなんだ。ここが一番綺麗に見える時間は。今を逃したら、またこのグレイブが空を巡ってくるのを待たなきゃいけない。だから、どうしても今日来てほしかった」
古びた公園。闇を拓くように差した光。その中で魔女姿のユラは、ミスマッチのようでまったく違和感のない、一幅の絵画のように見えた。
「どうかな……? ボクは見つけてもらった。だからこいつも見つけてほしかった。何のイベントもない、来たからって何の得にもならない場所だけど、キミはどう思う?」
少し弱気な声。鍔広の魔女帽子の下から、うかがうような上目遣いがやって来る。
イトは微笑んだ。
「もう、何にもなくないですよ」
「ん?」
「わたしたちがいます」
イトは隣のブランコに腰かけた。同じように鎖が鳴って揺れる。
「ないイベントはわたしたちで作っちゃえばいいんですよ」
すぐ近くでシャッター音がした。
ボールカメラを構えてくれているのは千夜子だった。イトは彼女とも笑みを交わし、
「ここは今、わたしたちの場所です」
「イトちゃん。……よかった、キミをここにつれてきて」
「イトちゃんだけ?」
少しおどけたような声が飛んだ。ユラは少し驚いたように目を見開き、発言者のチョコを見た。ユラを見ているのは彼女だけではなかった。烙奈も、葵も、キリンも。さっきじゃれ合うように転げ回った顔は、みんな彼女を見ていた。
「ううん、みんなだ。こんなに大勢の友達が一緒で良かった」
それからあちこちでSSを撮った。公開するつもりのないSS。撮らなくてもいいかもしれないと思ったけれど、撮った。ここでは一つ一つのことに意味があった。
それからジャングルジムに登り、景色を堪能する。
寂れた公園は昔を思い起こさせる場所だった。
まだ何にも染まらず、何の傷もなく、剥かれたままの玉子のように無邪気に遊んでいたあの頃。心も自然とそこに戻っていく気がする。なぜか、ここにいるのがみんな十年来の友のように思えた。
「わたしの両親は、父がバレエダンサーで、母が作曲家なの」
誰にともなく、という口調で葵が語った。
「ええっ、すごいサラブレッドじゃないですか」
「でも、どちらもわたしに直接何かを教えようとはしなかったわ。ただ、感性ってどうしても日常生活の中に出てくるから……」
「ああ、なるほど。それで感受性が滅茶苦茶尖ってしまったと」
「多分」
葵はちょっと恥ずかしそうにうなずいた。
「わたしは自分の内側にあるそれを全部表す方法を探してる。歌もダンスも今のままじゃ足りない。でも今回初めて……自分の“内側”が足りないって思ったわ」
「内側が?」
プロの表現者たちから注ぎ込まれた豊かすぎる感性。葵の中はそれでいっぱいで、外に出し切ることさえ苦労している有様なのに、それでも足りなさを見つけたというのか。
「“誰のために”“それをするのか”。わたしにはその観点が欠けていた」
「それは……」
「うん。アイドルなら、それはわかってなきゃいけないこと。ファンのために。喜んでもらえる何かを。でも今回、ユラさん一人を応援して、自分のそれが単なるお題目になっていたことに気づいた。ライズ……エール……応援って、本当に、本当に勝ってほしいっていう祈りなのね」
葵はユラを見つめる。
「あなたの戦いはまるで願いだった。荒々しさよりも、ひたむきさをわたしは感じたわ。だから勝って……叶ってほしかった。そう思ったら自然と体が動いていたの」
イトは驚いた。本当に葵の嗅覚は鋭い。ユラの願い。この古い友達に会ってほしいという願いを、中身まではわからずとも感じ取っていたのだ。
こう言うと何だけれど、彼女がPK禁止のセントラルにいたのが本当に惜しい。アウトランドにいたら、もっと早くユラと出会えていたかもしれないのに。
「祈りは仕事でもないし、演目でもない。技術や作法よりもっと原始的で原初的な心の動き。わたしにはそのメンタリティが足りなかった。内側にないものは外にも出せない。また一つ課題が増えたわ」
「……あのー、これもしかして葵さん、ものすごーくレベルアップしちゃいましたかね……?」
イトの問いかけに、仲間たちは渋い顔でうなずいた。
「よかったじゃありませんこと?」
生意気そうな声が割り込んだ。キリンだ。生意気に目を細めて笑っている。
「掘り起こしに行くのでしょう? みんなの埋もれているものを」
「……! そうです。なら今回のことはわたしの望み通りです」
「そうなの、イト?」
「ええ。実は――」
イトは伝え損ねていた自分の望みを改めて語った。
「それなら、わたしたちは似ているのかもしれないわ」
じっと熱視線を注いでくる葵。イトも「わたしもそう思います」と見返し、
「だから葵さん、ここは一つ、是非とも〈ワンダーライズ〉との百合営業コラボを――」
「わーっ、真面目な話をしているかと思ったらまた! そんな正道から外れた表現、アイドルには必要ありませんわ!」
「ええー、でもぉ、さっきみんなで一緒にねっとり抱き合って喜びましたよねぇ。キリちゃんもすっごいイイ笑顔して抱きついてきたしぃ……」
指摘されたキリンの顔がボンと赤くなる。
「べっ、別に、あれはもののはずみというか、そうするのが自然な場面だったからで……」
「でも柔らかくて温かくていい匂いがしましたよね? 感じましたよね? 思わず深呼吸したくなったり頬ずりしたくなっちゃったりしませんでしたか?」
ボンボンと立て続けに少女の頭から蒸気が噴き、ぐるぐる目になっていく。
「ちっ、ちが……そんな、そんなこと……」
「そう……あれが百合なのね、イト」
キリンに代わり実直な声を向けてきたのは葵だった。
「フフ……そうとも言えますがそれがすべてではありません」
「まだまだ精進が足りないということね。努力するわ」
「いやああああやめてぇぇぇ! わたくしたちに邪なものを流し込まないでぇ!」
そんなふうにたっぷりとイベントを楽しんだ後、イトたちは帰路についた。
一度通った道だからか足取りは軽い。協力して段差を乗り越える時も往路より息が合っていた。葵は積極的に――そしてキリンはいちいち「百合じゃありませんことよ!」と赤くなってしまうようになったが。
色んな収穫のある冒険だった。葵たちとだけでなく、ユラとの距離も縮まった気がした。
「そろそろ終わりの時間が近づいてきました」
配信カメラに呼びかけると、コメント欄にも惜しむ声が並ぶ。
「寂しいな」
「もっと見ていたかった」
イトも同じ気持ちだ。最初の頃はあんなに緊張して、何とかミスなく終わらせたいと思っていたのに、今では終わりが少しでも遠のいてほしいと感じている。
しかし、ゴールは来てしまう。まるであちらから請求しにきたみたいに。
〈恩情の都市〉外縁。ビル群からついに、一歩外へ。
「――お疲れ様でした!」
イトが誰よりも明るくそう言うと、皆も「お疲れ様でした」と唱和し、拍手で讃えあう。
コメント欄も88888888の嵐。
「お客さんには楽しんでいただけたでしょうか」
そうボールカメラに問いつつも、イトはその答えを少しも求めてはいなかった。
それ以前にまず、自分たちが十分すぎるほどに満足してしまっている。来場者数がどうとか、高評価がどうとか、もう気にもならない。多分、配信者としては失格なのだろう。ただ、この終わり際の空気が切なくて苦しい。
「葵さんとキリちゃんのライズは明日ですから。都合がつく方は、是非見に来てくださいね!」
もちろん推しのアイドル優先で、と言外に込めつつ、イトは配信のラストを駆け足で締めくくろうとした。
その時だった。
「ここにいましたか〈ヴァンダライズ〉!」
「違いますけど誰!?」
突然現れたスーツ姿にサングラスの女性に、イトたちは目を丸くする。
「わたしは謎のエージェントP……」
「ああ、〈ペン&ソード〉の記者さんね」
葵がそう告げると、謎のエージェントPは露骨に狼狽え、
「ああっ、もうバレた。だからこんなことしたくなかったのよ……! それより! 社長からの連絡です。現在、スカイグレイブ〈悲嘆の画家〉でライズ会場がスナッチャーに襲われています! ターゲットは月折六花さん!」
「六花ちゃんが!?」
「我々がいないことを確信して乗り込んだな」
烙奈が顔をしかめる。こちらは生配信中で居場所は確定している。
「助けに行きたいですけど、今からじゃあ……!」
スカイグレイブ〈悲嘆の画家〉には、今回まだ一度も行っていない。ファストトラベルは不可能。距離も遠すぎる。
何か方法はないか。イトは祈るように仲間を見回した。
すると一人。魔女が悠然と微笑み、ホウキの後部座席を指さす。
「ヘイ、彼女。乗ってかない?」
※
「ヒャハーッ!〈ヴァンダライズ〉がいねーのはわかってんだ!」
「この時期は警備クランもファンのいざこざに気を取られてるしなぁ!」
会場に乗り込んだスナッチャーたちは我が物顔で大暴れしていた。
彼らは警備が手薄なところを完全に衝いていた。
今の時期、グレイブアイドルたちは普段より複数の空墓に分散している。ファン同士の揉め事を避けるためだったり、ライズ回数を稼ぐためだ。そのため、元々人手が足りない警備クランはより防備を薄くせざるを得ない。
会場では、物騒なことにPVP装備をしているファンたちもいる。しかしそれは、臆病な一般人がカバンに護身用ナイフを忍ばせているのと同じことだ。“戦闘用”ナイフを駆使して暴れ回るスナッチャーには到底かなわない。抵抗空しく駆逐されていく。
「ぐへへ。人気投票から外れた六花ちゃんは、ある意味、今一番放置していいアイドル。そこを狙うなんて我ながら天才……!」
「今から君が一番可愛い曇り顔を撮ってあげますからねえ! 顔は背け気味で、目線だけよろしくウ!」
六花のステージはスナッチャーたちに取り囲まれていた。
何に気を取られていたのか、悪漢たちが接近するまで彼女はまるでそれに気づかなかったのだ。
いつの間にか完全にPK圏内。脱出不可能。邪悪にデコレートしたボールカメラを構え、PKプレイヤーがステージへとにじり寄る――。
と。
「ん?」
不意に、何かが飛来する音。
「何だ?」
遠いようで近い。しかし、あたりを見回してもそれらしきものはない。やがて一人がはっとする。
「上か!?」
「ほぎゃああああ!」
激震。
アイドルのステージ前に落ちてきた何かが、粉塵と共にスナッチャー数名を吹っ飛ばした。
「なっ、何だぁ!?」
「オレたちのお楽しみタイムを邪魔しやがって!」
口汚く罵る声は、土煙の切れ目から見えたものが遮った。
決して出会いたくない、鉄製の巨大な剣。
そして今回はもう一つ――エメラルドで作られたような美しい巨大剣。
「六花ちゃんの一番可愛い顔は、笑顔だぁろおおお!」
粉塵から伸びた手が鉄製の剣を掴む。
「お楽しみタイム? じゃあボクもまぜてよ」
続けて、宝石の剣を掴む手。
倒れていたファンや一般シンカー、周囲のすべてが息を呑む。
六花が配信用に置いていたボールカメラが主人を放って飛んでいき、そちらをフォーカスした。
「ま、まさか……!」
清冽な風が土煙のすべてをさらい、そこに現れる二つの影。
あまりにも無慈悲な景色に、どよめきが膨れ上がる。
二人の少女。一人は初期防具のレザードレスアーマー。もう一人は黒紫のボロ魔女服。
「ヴ……〈ヴァンダライズ〉と……魔女ォォォ!?」
「さっきまで生配信してたはずじゃ……!」
「そんなこと言ってる場合じゃねえだろ! こっ、こいつらは……」
スナッチャーがごくりと生唾を呑み、つぶやく。
「オレたちを始末しに来たモノホンの処刑人だぞ……」
十七地区を荒らし回った最凶の魔女。そしてそれを止めた最強のPKK。それが二人並んでいる。夢のような、悪夢のような光景。
そのうちの片方が、近くに浮いていたコメントモジュール付きのボールカメラをわざわざ引き寄せ、手を振る。
「やっほー、チョコ見てるぅー? みんなで仲良しデートした後で、ボクだけイトちゃんと二人きりで延長デートするから」
コメント欄は爆速。
視聴者たちの興奮の声のようでもあり、特定の誰かの怒りの連投のようでもある。
「しゃらくせえ! 名を上げるチャンスだぜ!」
「あっ、バカ……!」
突然、血気盛んな新人スナッチャーが二人に挑みかかった。彼の目は無謀な野心に燃えていた。悪党仲間たちはそれを止めようとしたが、イトが放った足払いの一撃の方がはるかに早く、鋭かった。
そして、当然来る。ヴァンダライズチャージ3。
「え……」
それが二つ。
イトだけでなくユラも同じ構え。
「当然、ボクだって大剣使ってるんだから、できるに決まってるよねー」
「えっ、やめっ……うぎゃああああああああ!!!」
無法のヴァンダライズ・スリー・スリー。ケルベロスに至るまでもなく初撃で絶死。何しろユラの剣はイトの初期武器とは比べ物にならないほどの高威力だ。
「魔王だってミンチになっちまわぁ……」
スナッチャーのつぶやきは、彼らの未来そのものとなった。
イトとユラの(悪)夢のコラボ。
それはそれは、大盛況の生配信のラストを飾るに相応しい、過激なショーとなったのだった。
助けてもらった六花ちゃんが物凄い複雑な顔してそう。




