案件36:苔むしたビルに百合の薫る
「万一裏切りの百合であれば摘み取らねばならぬ。イト殿、正しさの証明をこいねがう!」
「何ですのこの人! プレイヤーに剣を向けるなんて……まさかこんなところでPVPするおつもり!?」
人――プレイヤーによる初めての襲撃を受け、キリンが悲鳴を上げる。
リスナーによる現地凸。これは想定の範囲内だった。はっきりとは明言しないが、今の自分は凸待ちと思われても仕方のない状況を作っている――イトはそう自覚していた。
ただ一つ心配だったのが、この凸プレイヤーに対する批判。
生配信にファンが割り込むのは基本的にはNGな行動だ。もしそれが無制限に行われてしまったら撮影どころではなくなってしまうし、楽しく視聴している人々の至福の時間を奪うことになる。
イトはコメント欄をちらと確かめる。
カメラにはこの忍者の姿もばっちり映っているはず。
果たして視聴者の反応は――。
サムズアップ絵文字の行列!
大勢が彼の行動を支持している。それなら、こちらも気兼ねなく語り合える。
「委細承知!」
イトはバスターソードを一度掲げ、水平に構えた。
「有り難い、いざ尋常に勝ぉぉぉ負!」
忍者が地を蹴って跳んだ。この狭い足場をものともしない、ローグ系の優れたムーブ。
「てい!」
その相手を、イトは斜め上への突きで丁寧に対空した。
「あれえええええ!」
盛大にクリーンヒットし、忍者は深いビルの底へと落ちていった。
コメント欄には大量の(`・ω・´)ゞが並んだ。
「えっ、なに? もう終わりなんですの?」
きょとんした顔を見せるキリン。あっさり勝負がついてしまったので拍子抜けしているようだ。それを尻目に、ユラがホウキにまたがったまま横づけしてくる。
「さすがイトちゃん、やるぅー……と言いたいところだけど、今の人、対人戦全然できてなかったね」
「はい。多分、普段はPVPとか全然やらない人だったんだと思います」
「な、何でそんな人が襲って来るんですか?」
腑に落ちない様子のキリンに、イトは拳を握って力説した。
「それはもちろん、百合への愛ゆえに……!」
「なんですのそれ……」
胡散臭さを顔全体に広げるキリンを、「それはこういうことだよ」という声が追いかける。
「イトちゃん、初勝利おめでとおっ」
ユラが突然ホウキから飛び降り、細い腕で首に巻きついてきた。
「ありがとうございますユラちゃんっ!」
イトもぎゅーと抱きしめ返し、少しの間、古いローブに包まれた少女の匂いをスウウウウウウウと堪能する。
「大袈裟ですわね。そこまでするほどのことじゃなかったでしょうに」
「そうだよ?<〇><〇>」
ビビビビ……。
「びゃう!」
「いったぁ!」
今度はイトにもビリッと来た。千夜子の目からビーム。ついにその影響下に取り込まれてしまったらしい。
「今のは何?」
すると今度は葵が真顔で問いかけてきた。ユラは小さなお尻をさすりながら、
「嫉妬だよ嫉妬。嫉妬ビーム。チョコはボクとイトちゃんが仲良くしてるのに妬いてるんだ」
「嫉妬したらビームが出るの、このゲーム……?」
「ビームくらい出るさ。だって大好きって気持ちの表れだもん」
「……! 気持ちの、表現……」
「あ、葵お姉様、そんな邪な話に耳を貸す必要なんてありませんわ! 百合営業なんて真のアイドルには不要ですの!」
何かを考えだした葵を、キリンが慌てて引き離しにかかる。しかし、葵はその後も真剣な表情でじっと何かを考え込んでいる様子だ。
どうやら彼女は百合営業に興味がないのではなく、これまで無縁なだけだったようだ。もしかしてこれはワンチャン……。
「何はともあれ、先に進もう。対人戦で決着をつけに来た以上、忍者も今ので納得しただろう」
烙奈に促され、改めて出発。
ビルの窓枠から生えた枝を伝って隣のビルへと移り、グレイブのさらなる奥へと進んでいく。
「あっ、モンスターです!」
「ほいほい」
突如飛来した有翼型モンスターを、ユラがロッドですぐさま撃ち落とす。
このグレイブは決してイージーなダンジョンではない。腕利きシンカーががっちりパーティを組んで攻略すること前提のレベル設定だ。
「ユラちゃんの装備って、PVEにも対応できるんですね」
イトが感心する気持ちをそのまま口にすると、
「そうだよ。ボクがこの子たちを気に入ってる理由の一つ。それに三つも持ってるから、どれか一つくらい対モンスター用に調整しておいても困らないってわけ。それよりイトちゃん。ボクも初勝利だよ。褒めてほしいなぁ」
言って、ユラは帽子を脱いで頭を差し出してきた。
彼女は宣言通り、常にホウキでパーティの周囲を飛び回りつつ敵の襲撃に備えてくれている。その労をねぎらうのは当然のこと。イトはユラの癖のある髪を優しく撫でてやった。
「ユラちゃん、えらいえらい。守ってくれて本当にありがとうございます」
「……えへへ、ボク幸せ……」
頬を赤く染め、うっとりと目を細めるユラ。そこには普段纏っている乾いた空気は存在しない。むしろしっとり潤っている様子。
「はあ……またそうやって必要以上にべたべたして……」
「そうだよ。次のモンスターが出る前に早く進まないと<〇><〇>」
「チョコ、さっきから目が……」
多方からのお叱りを受け、イトたちはさらに前進した。
このグレイブで道行きを阻むのはモンスターだけではなかった。歩きにくい足場も難敵となる。
潰れかけた天井の亀裂から上の階に這い上がる時は仲間同士助け合い、ビルとビルの間に渡された極細の枝の上を通る時はみんなで四つん這いになり……。
移動だけでもダンジョン慣れしていないアイドルにはこたえる。
それに加え、配信の方にも最低限の気を配らなければならなかった。コメント欄は徐々に落ち着いてきており、今はイトたちを応援してくれる言葉が多く並んでいる。
どれほど歩いたか……。
「イト、あの、申し訳ないんだけれど、そろそろ休憩していいかしら」
とあるビルを屋上まで登り切ったところで、葵が提案してきた。
「ぜえ、はあ、ハイ……その言葉を待ってました実は……」
イトが休憩の指示を出すと、千夜子がかいがいしくコーヒーポットをアイテム欄から引っ張り出す。特段回復などはしないが、リラックス効果のある雰囲気オブジェクトだ。
「はあー疲れました……」
イトは近くの瓦礫に腰かける。
ゲーム内では肉体の疲労はない。しかし精神的な疲れは存在する。不慣れなグレイブに加え、危険な足場。セントラル組でもキリンが特にヘバっていた。持ち前の優雅さでごまかしてはいるが、さっきはだいぶ口数が減っていた。葵はそのことも踏まえ、休憩を進言してくれたのだろう。
「すごい場所ね、ここは」
コーヒーポットを全員で囲みながら、その葵が周囲を見回す。
乱立するビル群の中で、ちょうど離れ小島のように立つビルの屋上だ。
眼下では、すでに崩れ去った建物の残骸が波のようにのたくる木の根に飲み込まれている。
「グレイブの奥地がこんなふうになってるなんて知らなかった」
「えへへ、いい場所でしょ?」
ユラが機嫌よく肩を揺らす。
「でもね、この先にもっといい所があるんだ。大切な人と一緒に見たい場所……」
「へえっ……それは楽しみですね」
対人戦以外興味なさそうな彼女がそこまで言うほどの場所。俄然興味が湧く。
「イト、アウトランドのアイドルはグレイブにも潜るの?」
葵が聞いた。
「あんまりやりませんけど、配信企画とかで潜る人はいます。グレイブでSSを撮影したりする時も。セントラルではどうなんです?」
「どうだったかしら。わたし、そういうところ勉強不足で……今川さんは知ってる?」
魅惑の困り眉を見せながら、キリンに助けを求める葵。コーヒーにふうふう息を吹きかけていた彼女は、ロール式ツインテを横に振り、
「いいえお姉様、グレイブに潜るセントラルのアイドルなんてまずいません。SSのためとか意味不明。動画を撮るにしても街中の景色とか、話題のクランショップが大半ですの」
「へえ……なんていうか……普通にキラキラしてますね」
「イトちゃん、もっとはっきり言っちゃえばいいんだよ。アウトランドのアイドルは泥臭いってね」
「配信燃ゆる!」
イトは慌てて諫めたが、魔女は気にした様子もなく、
「いいじゃん、ボクはその方が好きだもん。なんて言うかさ、足りないんだよね。綺麗で可愛いだけじゃ。そんな、自分を剥き出しにしないでよく楽しめるねって思うよ」
「そ、それはまあ、人それぞれなので……」
「一理あると思う」
無難にフォローしたつもりのイトの一言をあっさりと押し退けてしまう葵。
「わたしも、ずっと自分の内面を掘り下げてきた。わたしにできること、わたしのしたいこと、そういうのは、ぱっと見ではわからないところにある。探しに行かないといけないの、自分のことでも。ひょっとするとわたしは、アウトランドのそういう貪欲な空気に惹かれてるのかもしれない。イトはどう?」
「ほへっ! わ、わたしですか? ええっとぉ……どっ、どうなんですかね。あんまり考えたことなくて……」
「イトちゃんはすでに全部行動してると思うよ」
「わたしも同意だ」
千夜子と烙奈が深くうなずきながら太鼓判を押すと、「素晴らしいことだと思う」と葵は微笑んだ。
あまりお世辞を言うような少女には見えない。本気の称賛なのだろうと思うとイトは少し気恥ずかしくて、コメント欄へと視線を逃がした。
「城ケ丘葵って美人系かと思ったけど笑うとクッソ可愛いな」
「アウトランドを気に入ってくれて嬉しい」
「探索も一生懸命だしイメージ変わった」
そんな評価が見える。ごまかしのきかない生配信が功を奏していた。
(フッ……しかし、葵さんの純朴スマイルが知れ渡ってしまうのはちょっと残念ですね……)
「イトちゃん今何考えてたの?<〇><〇>」
「葵お姉様を見た後でニヤニヤと……。いやらしい……」
「どうしたのイト? 言いたいことは言ってくれると嬉しいわ」
「いえ別に何もおかしなことは!」
葵からも直截的に問われ、イトは慌ててごまかした。
「そっ、それじゃあ休憩もしたことですし、そろそろ先に進みましょうか!」
「あっ、逃げた……」
探検を再開。そして襲い来るリスナーたち。
「オレは百合の間にバラの種を植えたい系魔導士……」
「イトちゃん大変、コメント欄にサムズダウンの群れが!」
「ギルティ!」
「ぐはあ!」
ワンキル。
「我は六花ちゃんとイトさんの並びしか耐えられない系百合重戦士……」
「応援ありがとうございます!」
「ぐはあ!」
ツーキル。
「おいどんは青ざめた百合の花を愛でるのが大好きスナッチャー……」
「滅びろ!」
「ぐはあ!」
ワンピーポースリーキルゥ……!
「イトちゃん、すごい……!」
「我々の出る幕が全然ないな」
仲間からの賛辞にイトは汗を拭う仕草をしながら、
「はい。この間ユラちゃんと戦ってから、何かを掴んだ気がして……。あれ……これっていいことなんですかね……?」
「アハッ、いいことに決まってんじゃん。今度ヤるのが楽しみぃ」
度重なるリスナー凸を、イトはことごとく弾き返していた。
いずれの相手も一撃粉砕。そのつどコメント欄は敬礼で埋め尽くされる。
「誰もかれもが百合に憑りつかれているわ。百合営業とは一体……」
「葵お姉様そんなことよりほら、あそこ! 綺麗な花が咲いていますわ!」
この頃になると、もう裏切りの嫌疑について語るコメントはほぼなくなっていた。リスナー凸も、もはやそういうイベントと化し、誰もがただ純粋にこの配信を楽しんでいるようだった。
その凸がある時からぱたりとやむ。イトが不思議に思っていると、
「そりゃそうだよ。このへんはもう半端なプレイヤーじゃ来られないからね」
ユラがその謎をあっさり解いてくれた。ビル群の荒廃度はさらに増し、多数の巨木がビルを内側から食い破り、屋上部分を帽子のようにかぶっていた。現れるモンスターもさっきから大型が目立つ。
コメント欄でも、
「逃げ切りかー。凸連中も大したことないな」
「ランクD乙。そもそもPVP装備であそこまで行くのが無理だから」
「そんだけ魔女がやばすぎるんよ。そこに〈ヴァンダライズ〉がセットとか、処刑台が歩いてるようなもん」
なとど、凸の限界線を越えたことが話し合われている。
しかし、ここまで来ればもう釈明動画としての役目も十分果たされていた。少し名残惜しい気もするが、この配信は一つの仕事を終えたのだ。
「さ、もうちょっとだよ。みんながんばろー」
そして、楽しい探検も。
しかし、このまま平和にゴールというわけにはいかなさそうだった。
色鮮やかに廃墟を包んでいた緑が、その様子を変えてくる。
葉は落ち、何かの血管のような不気味な枝が周囲を囲った。
ビルの谷間を渡る清涼な風に、濁った臭いが混ざったのもこの頃からだ。
空が曇り、だんだんと周囲が暗くなってくる。
本能的に前進を拒むような風景。仲間たちの表情にも緊張が広がり、口数も少なくなる。
それにも耐えて進んだ先に、そいつはいた。
初めは、巨人骸骨の群れかと思った。そいつらが背中合わせに佇んでいるのかと。
しかしよく見ると、それは人骨によく似た樹皮の凹凸だ。ただ、それらが枝という名の腕を伸ばし、多数のビルを抱え込んでいる様子は、とても自然の営みとは思えない。
樹皮は黒。葉の色は血のような赤。
その葉が、虫の翅のように一斉にざわめく。
「さて、最後の大仕事だね」
そう魔女が口の端を吊り上げた。
百合営業だけじゃなくて病み営業も順調に伸びて来ている。




