案件21:開かずの間の怪
『っきゃあああああああ!?!?!?』
イトを含む全員が悲鳴を上げた。
扉と壁の隙間から出てきた白い手。誰もがそれを目撃していた。
イトが反射的に手を振り払った拍子に扉が開く。
内部の暗闇が視界いっぱいに広がった。光を通さない目がくらむほどの闇。しかし、白い手は確かにこちらから離れた。
けれども今度は近くにいた六花の腕が掴まれた。悲鳴を上げる暇もなく、彼女は暗闇の中へと引きずり込まれていった。
「六花ちゃん!」
瞬間、イトははっきりと見ていた。
白い手の上に見慣れた表示。エネミーを示す赤のライフバー!
「こいつモンスターです!!」
イトは叫びながら暗闇の室内へと踏み込んだ。
「何だ、ここは……!」
烙奈が声を上げた。廊下からは一寸先もわからない闇のように見えた室内にはしかし、奇妙な光が点々としていた。
青白い光。まるで深海生物の群れが泳いでいるかのように。だが、一瞬でそれは誤りだとわかる。
これはモニター。あっちはランプ。電子機器の光だ。
中世風の帆船の深部に、なぜこんな現代的な機械に満ちた部屋がある? それらの疑問を振り切ってイトは叫んだ。
「六花ちゃん、どこですか!?」
「イトちゃん! いづ姉!」
反応があった。天井だ。六花が天井から吊るされている。
「こいつ、どうなっている……!?」
なずなの切羽詰まった声が耳朶を打つ。
天井に吊るされている六花は、何者かによって抱きかかえられていた。
しかし、明らかにおかしい。
姿かたちは、人や猿に近かった。ただし異様に手足が長く、そして脇腹にあたる部分にもう一対の腕がついている。六花を捕らえているのはこの腕だ。ここまでなら、まだそういうモンスターということで理解できる。
問題は、この生物の体表が不可解な表示を見せているということ。
体のあちこちにブロック状のノイズが発生している。それらはヘドロの泡のように生じては弾けを繰り返し、骨のように白い怪物の至る所を覆っている。四肢の太さも一定ではない。異様に細くなったり、膨らんだりと不定形だ。
「バグってる……!? 六花ちゃん、すぐ助けますから!」
イトがバスターソードを構えて近づくと、白い怪物は虫のように天井を這い始めた。
そのスピードもまた異様。こちらとは時間の流れが違うような素早さだ。とても走って追いつける相手じゃない。
さらにもう一つ奇怪なことがわかった。この怪物が移動するたび、周囲の地形が歪む。まるでバグが感染しているみたいに。がりがりと音が鳴る。怪物の爪が壁を引っ掻いているようにも聞こえるし、何かのノイズのようでもある。こいつ自体が、何らかのエラーの塊なのか。
(だとしたら六花ちゃんは……!?)
イトの背中を猛烈な焦燥が焼いた。
移動しただけでああなら、捕まっている六花はどうなってしまうんだ。
彼女はぐったりとしていて、もう反応がない。
「いづな!」
「ええ!」
結城姉妹の叫びが聞こえ、
「紅蓮蔓!」
「水切!」
赤と青の光が室内を走る。いづなとなずなの攻撃魔法だ。しかも撃ち出して終わりではなく、左右から相手を追尾するように迫っていく。これは避けられない。
しかし、怪物はここでも恐るべき動きを見せる。なんと飛来する魔法とまったく同じ速度で天井を這い回り、その複雑な軌道でついには追尾を振り切ってしまったのだ。
攻撃が途切れたことを察知すると、怪物は今度は一直線に移動を開始した。扉とは逆方向。部屋の奥へ。
そこには一際大きく光る箱のようなものがある。あれはまるで――。
「エレベーターで六花を連れ去るつもりだ! 千夜子、撃ちまくれ!」
烙奈が普段はまず聞かれない険しい声で号令を飛ばした。
千夜子の鶴型ソーサラービットがレーザーを照射する。白い怪物はこの切っ先さえも避ける。だが、この一対の折り鶴は賢明だった。
車のワイパーのようにレーザーを左右させ、エレベーターへの直線経路を塞ぐ。大きく迂回するように動くバグの怪物。動きが単調になった!
「逃がさんよ……!」
すべての想いを込めるようにつぶやき、烙奈が拳銃の引き金を引いた。
直撃!
衝撃で白い怪物の腕がほどけ、六花が天井から落ちてくる。
真下に駆け込んでいたイトは、滑り込みながらこれを受け止めた。
怪物はまだ健在。しかし、不利を悟ったのかそのままエレベーターへと逃げていく。
「追う必要はないわ。わたしたちも逃げるわよ!」
いづなからの最速の指示が飛ぶ。逆らう者は誰もいない。イトたちは一目散に部屋を飛び出て、海へと逃れた。
「イトさん、見てください!」
逃げる途中、セツナが沈没船を振り返りながら声を上げた。
船自体が震動している。そして甲板部分の一部が変形し、何かがせり出してくる。
エレベーターの箱……いや、何か救命艇のような脱出ポッドだ。それは多数の気泡と共に沈没船から完全に切り離されると、海中を急浮上、はるか上に広がる群青の闇へと消えていった。
「逃げたんですか……?」
「そのようだな。もう二度と戻っては来まいが……我々もこのまま退散させてもらおう。六花が気がかりだ……」
ひどく疲れた様子の烙奈がそう言い、一人先に泳いでいく。イトは抱いている六花の様子を確かめた。目を閉じてぐったりとはしているが、怪物に見られたノイズのようなものは着いていない。ステータスにはスタンの表示。多分、ほどなく目を覚ましてくれるはず。
そう願いながら、イトも仲間たちと共に海上を目指した。
※
幸いにも六花はすぐに目を覚ました。
スタンというステータス異常は、アバター自体は気絶していて動けないふうに見えているが、プレイヤー自身はしっかり覚醒していて音は聞こえている。
「みんなありがとう。助けてくれて……」
浜辺まで逃げ伸びた六花はそう言って、一人一人と抱き合って感謝を示した。
ちなみに一番の功労者と言える烙奈は、疲れたと言ってさっきからイトの膝を枕に寝ており、軽く握手するにとどめている。あの弾丸は、全集中力を込めた一発だったようだ。
「それにしても……すごいことですよこれは!」
貴石狩りも終わり、残ったプレイヤーたちが純粋にバカンスを楽しむ海辺で、イトは鼻息荒く冒険仲間へと視界を巡らせた。
「開かずの扉を突破し、中にいた謎のモンスターと交戦……それに、部屋の中も変じゃありませんでした!? 何かいきなりハイテクで!」
「何かすごそうな機械があったし、脱出ロケットみたいなものまでついてたよ」
千夜子も興奮気味に振り返る。
「あの脱出艇だけど、本当は脱出じゃないかもしれないわ」
ここにいづなからの見解。
「スカイグレイブは蒼穹族と呼ばれる人々のお墓なんだけれど、これの多くに、さらに高空を目指すようなレリーフやアイテムの類が見つかってるの」
「さらに上を?」
イトは空を見上げる。グレイブは基本、どれも同じ高さの空を浮かんでいる。〈暮れ色の海賊〉から見上げる空は他のグレイブの破片もなく、どこまでも広く自由だ。
「あのロケットは、さらに高みを目指すものだったのかもしれない」
「……あんな怪物がですか?」
「そうね……。それについてはわたしも懐疑的。そんな賢い生き物には見えなかった」
「ちょっと待ってよ」と、六花が顔を青くして口を開く。
「もしわたしがあのままさらわれてたら、空の彼方まであんな怪物と一緒だったってこと……? イ、イトちゃん!」
がばっと抱きついてくる六花を、イトは「おーよしよし、もう大丈夫ですからねえ~」とねっとり受け止めた。
あの怪物は何もかもが謎だ。吹っ飛んでいったロケットみたいなのも。
しかし何にせよ危機は去り、大きな功績が残された。その中心にいるのは〈ワンダーライズ〉と〈サニークラウン〉、それからセツナも。これらを発表したらどんな反響があるか。考えただけでもワクワクする。
「そうだ。動画確認しましょうよ。ちゃんと撮れてるか」
イトはボールカメラのデータをチェックする。
フルオートで回していたから、ミスの類はないはず。できれば華麗なる戦いの様子までバッチリ映っているといいのだけれど。
が。
「なに、これ……?」
イトたちは戸惑う顔を見合わせた。
ボールカメラが表示させるミニモニターは真っ暗だった。しかし、時折ノイズのようなものが走ることからまったく動いていなかったというわけでもないらしい。さらにノイズに混じって何か聞こえる。――くぐもった悲鳴のような……。
「これはわたしたちの声だな。スローをかけられたように低くなっているが」
耳を注意深く傾けていたなずなが言う。確かに、知っている者が聞けばそれは自分たちの叫び声だった。しかし、映像がなければ何をしているか全然わからない。
「そ、そんなあ。これじゃ証拠になりませんよ」
「落ち着いてイトちゃん。扉はもう開いてるんだし、わたしだって実際モンスターに捕まったんだから。証拠はいくらでもあるよ」
あのモンスターの表示はどう見てもバグだった。それを無理に映そうとして、ゲームシステムの一部であるカメラにも異常が生じたのかもしれない。
そんな予想で場は一旦収まり、イトたちはジャーナルを発行する〈ペン&ソード〉と、攻略情報を収集している有志クランに開かずの扉突破を伝え、その日は一旦解散となった。
後日――と言わず、すぐ後にでも彼らが事実調査に向かってくれ、大騒ぎが始まるはずだ。イトはそれを楽しく身構えながら、ホームで待った。
しかしそのすぐ後で告げられたのは、開かずの扉は閉ざされたままという連絡だった。
イトたちは騒然となった。
画像検索のために撮っておいた骨の鍵は、滅茶苦茶なモザイクのようにデータが破損して確認不能。〈サニークラウン〉からの証言もあったが、証拠第一主義である有志クランからは参考情報にとどまると告げられ、ケンザキは自社が作っているミステリー専門誌、月刊『マ?』でなら取り扱ってくれるとの返事。
イトは何がなんだかわからなかった。その後に沈没船をもう一度訪れてはみたものの、扉は確かに閉ざされていたし、脱出艇が出ていった形跡も見つからなかった。
こうして世紀の大発見は、よくある都市伝説の一つとして、暗い海の底に沈んでいったのである……。
※
光の届かぬ深い海。
大きなすり鉢状の海底に一人佇むような沈没船。
閉ざされた扉の前に少女は来ていた。
周囲は暗い。明かりはない。
「クリアランス・ブルーダイヤモンド。バックドア申請」
まるで招くようにカチリと鍵が解ける音。少女は小さな手でドアレバーを握り、それを開く。
内部は――完全な闇。
一切の燐光も存在せず、部屋に足を踏み入れたが最後、終わらぬ深淵をどこまでも落ちていきそうにすら思える。
「やはり消去したか。あの人さらいのスキームはプレイヤーの脳に危険すぎると廃棄されたはず。どうして残っていた? 主筆」
暗闇を映す黒い瞳でそうひとりごち、返事もないまま扉を閉める。
ちか、ちか、と通路に置かれた照明が点滅し、光が戻った。
閉ざされた扉と、空気のある通路が照らし出される。
少女はもういなかった。




