案件20:沈没船を目指せ!
ごぼごぼという泡の音に耳をくすぐられながら潜った海は、驚くべき明るさだった。
太陽の光をそのまま素通しするような透明度。それに加え、サンゴや海藻が自ら発光することで海底を彩っている。
スカイグレイブ〈暮れ色の海賊〉、その海中。
謎めいた鍵を見つけたのは昨日のことだ。あれからすぐ、イトたちはこのアイテムについていづなに相談していた。
このドクロの鍵が、いづなが怪談で語った開かずの扉と物凄く関連しているように思えたからだ。しかし、いづなもあの怖い話以外での知識はなく、それなら明日みんなで確かめに行こう、という運びになった。
事務所のイベントは昨日で終わり、〈サニークラウン〉もオフ日。〈ワンダーライズ〉は暗黒街からの依頼をのぞけば基本毎日がホリディ。海上では貴石狩りが始まっているが、今はこちらが最優先だ。
「すごい……。綺麗ですねイトさん……」
イトの隣で泳いでいるセツナが、初めて見るスカグフの海底にほうっとため息をついた。
何の装備もなくダイビングができるというのは、感覚没入型ゲームならではの経験だ。水が口に入ってくるという感覚もなく、しかし肌には確かに海を感じられる至れり尽くせりの調整。
「うん。でもセツナちゃんもこの海に負けないくらい綺麗だよ……」
イトはセツナの手を取ると熱っぽく語りかけた。少女は頬を赤く染めてうつむき、
「イトさんはいけない人です。中学生の女の子にこんなことして……」
「可愛すぎるセツナちゃんがいけないんだよ……ぐへへ」
「イトちゃん? それ配信できないよ?<〇><〇>」
「ヴぁい!」
千夜子の暗黒視線を受けて、イトはセツナから急速離脱した。
「いやしかし、これくらいの百合営業は今は必要じゃないですかね!?」
そのまま水を得た魚(まんま)のように周囲を泳ぎ回り、不満げだった千夜子にも抱きついて頬ずりする。
「もう、はしゃぎすぎだよ。へへへ……」
そう言いつつ、ぴったりとくっつき返し、カメラ目線になる千夜子。
「ふふふ、嬉しそうね。イトちゃん」
そのボールカメラの位置を軽く手で調整するようにしながら、いづなが微笑んだ。彼女の後ろにはなずなと、それからどこか物欲しそうな顔の六花。カメラに映らないよう配慮してくれている立ち位置だ。
「はい、いづなさん! 何と言っても、これが本当に開かずの扉の鍵だったらエライことですから!」
イトの頭は昨日からそればかりだった。
〈暮れ色の海賊〉の開かずの扉は、すべての地区で閉鎖されてままになっている。開いたことがあるのは、真偽不明の都市伝説の中でだけだ。
さらに言うならば、この骨の形の鍵一つとっても攻略データベースに未登録の謎アイテムだった。他の発見者が秘匿しているという可能性もなくはないが、それだってヒット件数0は異例だ。
〈暮れ色の海賊〉実装以来の謎が一つ解ける。これは世界レベルのビッグニュースだった。
こんなの、ばっちり記録してアイドル活動に役立てるしかない。百合営業はそのためのスパイス。場を盛り上げるための必然的な演出なのだ。
「本当は生配信したいところだったんですが、さすがにハズレだった時に恥ずかしすぎるので……」
今なら貴石狩りや、それとは無関係の生配信も常時山ほどされている世界だ。〈ワンダーライズ〉の知名度では視聴者などまず望めないし、「開かずの間ついに攻略!! …………か?(小文字)」なんて煽ってみても、見出し詐欺と思われてスルーされるのがオチ。
このチャンスは確実にものにしたい。そのためには入念な準備が必要なのだ。
イトの目はすでにその先も見据えていた。
開かずの扉をついに攻略! 突破したのは期待の新星アイドル〈ワンダーライズ〉! そんなジャーナルの見出しが輪転機から流れ出てきている。イトたちは一躍時の人。リアルでは世界中から称賛され、各国家元首と握手をするシーンまで放映中。そして世界中の可愛い女の子たちから……。
「ぐっへへへへぇ……!」
「イトちゃん顔が放送事故だよ!?」
早くもふやけだしたイトの顔を、千夜子が懸命に揉んで直してくれた。
「す、すいません。これからのバラ色の人生を思うとつい笑いが……」
「その気持ちはわからなくもないけど、あんまり期待しすぎると違った時にがっかりしちゃうよ」
「もう、チョコちゃんは悲観的すぎますよ! 違ったら違ったでいいじゃないですか! 今はたっぷり夢を見ておかないと損です!」
断言するイトの後ろで烙奈がくすくす微笑んだ。
「貴女のそういうところ好きだ、イト。楽しみを素直に受け止め、吐き出す。わたしも見習いたいと思う」
「ムヘヘ……ありがとうございます烙奈ちゃん。ただまあ、わたしも疑う気持ちはなくはないですよ。たまたま浜で見つけた鍵に、そんな大それた秘密があるのかなって……」
「それは、イトちゃんが“見つけた側”だからそう感じるだけかもしれないわね」
イトが少し冷静なところを見せると、いづなが不思議なことを言ってきた。皆が彼女に目を向ける。
「この鍵を創ったAIからすれば、誰かが見つけてくれればそれでいいのよ。“わたしが”それを偶然発見するのは困難だけれど、“誰かが”発見することは必然。その誰かというのが今回はイトちゃんだったというだけの話」
「だとすると、これまで見つからずに逃げ伸びてきた鍵が一番の強運かもしれないな」
なずなの言葉に誰もがうなずいた。この鍵が、つい昨日実装されたばかりかもしれないというロマンのない可能性は、あえて無視して。
「では、沈没船の謎を解き明かしに行きましょう!」
そうしてイトたちは実況と雑談に花を咲かせながら、海底探索を楽しんだ。
だから、少し忘れていた。
これから向かう先が、恐らく誰かの墓であること。そして、そこで一つの怪談が生まれていることを。そうなる理由があることを。
空気が変わりだしたのは、それから少ししてのことだった。
海の色が変わり始めた。真昼の色から、夜の色へ。
海藻やサンゴが減っていき、陰鬱な岩床が目立つようになったためだ。
ついさっきまでは、貴石狩りで海底まで来ている強者シンカーもいた。今はもう一人も見当たらない。
地形も奇妙と言えば奇妙。すり鉢状になっているのだ。ある一点に向かって、なだらかに掘り下げられていく。いや、こういう言い方もできたかもしれない。何かが激突したクレーター。
そしてさらに進むと、坂の底に、黒々とした異様な物体が見えた。
「あれですね……」
イトは押し出すようにつぶやく。
沈没船だ。
中身が空洞の巨大建造物は海の生き物の格好の棲み処となっているはずだが、生物の気配はまるでゼロ。それは周辺の環境からしてもそうだ。
この船が、周囲の生物を殺した。そう見て取れるほどに、あたりは荒涼としている。
「やっぱり帰りましょうか?」
イトは震えるセツナに優しく問いかけた。地上に戻るのは簡単だ。ホームにファストトラベルすればいい。しかしセツナは首を横に振り、「ここまで来たんだから、一緒に行きます」と気丈に顔を向けてきた。
「よし、それじゃあ、冒険です!」
全員揃って沈没船へと近づいていく。
時代がかった木造の帆船だが、思った以上に壊れていない。
「上からの入り口はなくてね。底の方に穴があるわ」
いづなに導かれるまま、船底へと回り込む。確かに穴が開いている。座礁でもしたのだろうか。
「何でしょうか、これ」
イトは穴の縁を見つめながらつぶやいた。ひしゃげた木材が、わずかにきらめいている。
「宝石みたいになってる……」と観察した千夜子の言葉通り、木材の一部が結晶化している。
「それについては、他のグレイブでも見つかっている」
なずなが言った。
「墓の破損部分や、墓守の欠損部分、墓主の体の一部なんかもそうなっている。恐らく、空を飛んでいた“蒼穹族”に共通する何かなのだろう」
「へええ……」
普段ダンジョンに潜らないイトたちは知らない話だった。しっかり頭に入れつつ、穴から内部へと侵入。
どこかどろりとした海水が肌にさわった。
木材が腐ったのか、船内は泥のようなものがびっしりこびりつき、陰鬱な手足をこちらに伸ばしてきている。不気味さはマシマシだ。
「ひぃ……」と蚊の鳴くような声を上げたのはセツナ、ではなく怖がりの六花だった。昨日あれだけ怪談に怯えていたのに、今日はその現場へと直に来てしまっているのだから無理もない。
「イ、イトちゃん。手を繋いでもらってもいい?」
おずおずと申し出てくる六花に、イトはぱっと顔を輝かせ、
「もちろんです。セツナちゃんもどうですか?」
「はっ、はい。よろしくお願いします……」
手に抱きついてきた二人にぴったり挟まれ、何かとは言わないが“当たる”。
「ぐへへ……離れないようにしっかりくっついてくださいね」
「じゃあわたしはイトちゃんの真後ろにぴったりくっついてるから<〇><〇>」
「チョコメリーさん!?」
周囲は暗い。烙奈がボールライトを浮かべる。
それでも、奥に溜まった暗闇は、それが固形物であるかのように道を塞いでいる。
実況の内容など浮かびもせず、沈んだ通路を進んでいった。
「ね、ねえイトちゃん。今何か変な音しなかった……?」
六花が心細そうに言ってくる。どこかで海流に揺れる木材同士が擦れている……ような気もしなくもない。
がり、がり、と。
やがて、上方向に奇妙なものが見えた。
光だ。
「ひっ、何? 何?」
「落ち着いて六花。あれは照明の明かりよ。あそこだけ空気があるの」
そう言って水を掻いたいづなが、いち早く光の元へと向かった。吸い込まれるように消える。水から上がったのだ。
イトたちもそれに続いた。
その通路には空気と光が満ちていた。照明器具が朽ちた廊下に置かれている。これだけ真新しいので、プレイヤーの誰かが設置したのだろう。
不思議な空間だ。こんな深く暗い場所で、わずかに生き残った空間。それだけでも十分に特殊だったが――。
「さて、あれが例の開かずの扉ね」
通路の行き止まりに、古びた扉が備え付けられていた。
沈没船最大の謎。開かずの扉。
明かりのおかげで、さほどの不気味さはない。
しかし、だからこそ異様さが純度100%のまま胸の内に伝わってきていた。
誰からも先へ進もうとしない。
「い、いづなさん。カメラ、大丈夫ですよね?」
動かない足の代わりに、イトはわざと声を明るくしてそうたずねた。
「そ、そうね。ちゃんと動いてるし、向きも大丈夫……あっ」
「いづ姉!? 何、今の“あっ”て! 今一番聞きたくないタイプの“あっ”だったんだけど!?」
六花が涙目になって声を上げる。恐怖のあまり呼び名が以前の「いづ姉」になっているが、本人は気にしている余裕はないようだ。
「な、何でもないのよ。気にしないで」
「気にするよぉ! 言って! 言わないと後悔しそうだから!」
いづなは渋々といった顔で、
「昨日旅館で怖い話をしたでしょ。まあよくある話なんだけど、女の子は一人で行って帰ってこなかったのに、どうしてその話が伝わってるんだっていう定番のツッコミがあるわけよ」
そう言われてみればそうだとイトは初めて気づいた。
「ネタバラシしちゃうと、あれは脚色された話。本当は元になった話があるの。あるパーティがここに探索に来た時に、見つけたのよ。ぽつんと浮いてるボールカメラをね。で、その人たちは興味本位で中の記録を見てみたわけ。すると、ハンディで撮られたみたいにひどく揺れる映像が出てきた。音声はなぜか無し。で、海岸からここまで撮影されてて、開かずの扉を映した直後に、カメラは突然壁の方を向いた。揺れが収まったのは、撮影者が手を離したからと言われてる。それで――それきり。後はずっと壁が映っていた……」
「いづ姉ええええええ!」
「ごめんね、ホントごめん! ホント余計なこと思い出しちゃったわ」
乞われたから答えたのに、いづなは律義に謝った。
確かに陸の上でこっちを聞いていたら、何それ謎、で終わっていただろう。脚色された方が怪談としては面白い。
だが今。この異様な扉の雰囲気を目の当たりにしている状態では、その意味不明な事実の方がよほど怖かった。
謎しかない。撮影者は謎しか残せず消えてしまった。自分たちも、わずかな痕跡しか残せず消されてしまうのではないか。そんな恐怖。
しかし――。
「その謎も今日限りです。来週からはわたしたちのアイドル伝説を始めさせていただきます。いざ……!」
イトは覚悟を決めて扉へと歩み寄った。
骨型の鍵を取り出し、鍵穴へと差し込む。その時点で確信した。飲み込まれるように奥まで入った鍵。回すとカチッという小気味よい開錠音が鳴った。
背中に集まる視線が、一気に熱を帯びたのがわかった。
ドアの把手を掴んだまま、イトは後ろを振り返った。もう後は開くだけ。全員が覚悟を決めた顔でうなずいた。
と。
不意に、ドアレバーを握った手を掴まれた。
どこかひやりとした感触。
「セツナちゃん、ここまで来たらもう心の準備なんていりませんよ」
そう言いながら、隣にいるであろうセツナの方を向いた。しかし彼女はいなかった。それはそうだ。彼女はとっくに手を離し、後ろの仲間たちと共にいるのだから。
勘違いした。
セツナの手じゃない。
じゃあ、誰。
イトはそこでようやく自分の手首を見た。
白い指が巻きついている。
隣からじゃない。
まだ開いていない扉の隙間。
あるかないかわからないほどの隙間から、その手はイトの手首を掴んでいた。
ホラーやパニックものの主役は可愛くないとね。




