案件137:RIKKA
「ゆっくり下ろせ!」
「イトちゃん、しっかり!」
烙奈と千夜子からの声を聞きながら、イトが括りつけられていた棒がゆっくりと床に下ろされる。
「よくやったわイトちゃん」
「何をよくやったのでしょうか!?」
いづながグッと親指を立てると、まわりにいた〈コマンダーV〉のメンバーが拍手でこちらの英雄的活躍を称賛した。
「君が縛られてくれたおかげで抵抗派は決定的な難を逃れた。心から感謝する」
ジェネラル・タカダから大真面目な顔で感謝を述べられても、突然縛られ吊るされたイトとしては「はあ……」としか言いようがない。
いづなの命令に目を白黒させながら従い、今はバツが悪そうにしている千夜子と烙奈に、気にしないでと目線で伝えると、
「で、何であいつらは退いたわけ?」
結局、決着までびくともせずに暴れ続けていたアビスが、そんな言葉を場に投げかけた。
「さあ……?」と不思議そうに顔を見合わせる者は多く、イトもまた突然のいづなの暴挙とKの退却には訳がわからないところがある。
「……六花か?」
一人推測を口にした烙奈に、いづなは即座にうなずいた。
「ええ。ほぼ間違いなく彼女がKにそう頼んだ。この戦いはKとしても負けられない戦いだったはず。自分が指揮し、地区中の注目が集まっている。それをあんなにあっさり退いたところからして、きっと六花の立場は悪くないのでしょうね。ロキア=六花説はほぼ確定したわ」
「まさか敵の良心に付け込むだけではなく、そこから内情まで読み取るとは……。相変わらずイタチのように狡猾……い、いや聡明だ」
と、タカダたちクラン勢が驚嘆を露わにする一方で、
「でも、これは結構大きな波紋を生むかもしれません。Kがどう敗戦の弁を述べるかで、流れが変わるかもですよ」
モモは早くも次の展開へと視線を向けていた。
勝ち確を自ら投げ出したようにも見えたあのバトル。退却の時点で騎士団の被害は軽微、Kのキングダム思想に対する本気度を疑われても仕方のない状況だった。ここでナメた言い訳を口にすれば、賛成していたプレイヤーも疑問を抱くかもしれない。
「指揮官」
〈コマンダーV〉のクラン員が、タカダにタブレットを差し出す。
一同が仲良く顔を並べてのぞき込んだそこに映っているのは、早くも開かれているKの配信会見だった。
設置されたコメント欄には「何があった?」という疑問から「キングダムざまぁ」の悪罵まで様々な言葉が行き交っている。視聴者数は万を超えており、この顛末がいかに大きな謎を残したかを如実に物語っていた。
そして注目のKが放った敗因は――。
《突然、民間人が縛り上げられ人質にされたのでドン引きして退いた》
あー…………。
あれほど両極端な声に溢れていたコメント欄も、「うん」「はい」しか言えなくなっている。一部「民間人って誰のことだ?」「棒の方」といった不可解な書き込みもあったものの、Kの失態をなじる声は一つもなかった。
イトがいづなにじとりとした目を向けると、気づいた彼女は素知らぬ顔で鳴らない口笛を吹き始める。
《我々は民間人が傷つけられることを歓迎しない。だが、このような手は二度と通用しない。我々を応援してくれるプレイヤーのために、今後さらなるキングダムの拡大を約束しよう》
そう綺麗に締めくくられた会見だったが、配信終了後すぐに立った交流サイトのトピックでは、〈コマンダーV〉側を褒め称える声が相次いだ。
「ようやく一矢報いたか」
「コウさんお疲れ!」
「イエスイエスイエスイエスイエスイエスイエスイエスイエスイエス(中略)イエス!」
「イトちゃん縛り上げたの絶対結城いづなでしょ」
劣勢の中、抵抗派にとって良いニュースになったのは間違いないようだ。しかし、Kの発言にも確かな意気込みが感じられた。今日を境に賛成派と抵抗派の戦いはより激しくなっていく、そんな予感がした。
「やっぱり、イトちゃんね」
いづなが、更新ボタンのたびにごっそり下が追加されるスレを見つめながら、かすかな笑みを浮かべる。
「こんなことするのいづなしかいない」
「あまりにも卑怯すぎるでしょう?」
「失望しましたいづなのファンやめてなずな一本に絞ります」……などなど、何だか論調が同じなコメントをコピペしてわざわざ自分のメモ帳に残した後、彼女は意を決した瞳でこちらを見た。
「イトちゃん、大事な話があるの。六花について、必ず向き合わなければならないこと」
「は、はい」
「でも、他の人には聞かせられない。〈ワンダーライズ〉のメンバーにも。千夜子ちゃん、烙奈ちゃん、許してもらえる?」
不意に名指しされた千夜子と烙奈が思わず顔を見合わせ、戸惑いのままうなずく。
「ありがとう。長い話になるから、場所を移すわ」
※
「どうぞ。イト」
「あっ、ありがとうございます」
ローテーブルの上に置かれたティーカップからは、普段スパチャが淹れてくれる“フツーティー”よりも一段かぐわしい“ウマーティー”の香りが立ち上っていた。
パーティ会場のホストよろしく優雅な立ち振る舞いでお茶を振る舞ったなずなは、そのままの足でイトの正面ソファー、いづなの座る隣へと腰を下ろす。
ここは花丸マンション。〈サニークラウン〉が始まった一室。
「来てくれてありがとう、イトちゃん」
いづなの第一声に、「いえ……」と恐縮を返したイトはすぐに、「別の意味でも」との不思議な物言いをされる。
「別の意味?」
「六花のすぐ隣に、ってこと」
何やら含みのある言い方だった。六花の隣には、いづなとなずながずっといる。けれど自分たちはその頭数に入っていない……なんだかそう言われているような。
「これはわたしの勘だけど、タカダさんが次に企画する攻略イベントは予定より大きなものになるわ。今回の勝利で賛成派が勢いづいたから。もしかしたら次が、六花と接触する最後のビッグチャンスになるかもしれない」
「……!」
イトの背中に思わず力が入る。しかし、いづなの声はあくまで穏やかに先を繋いだ。
「だから、その決定的な場面が来る前に知っておいてほしかったの。六花とKのこと。それから、かつて第三地区にいた“RIKKA”というアイドルのこと」
「りっか……?」
「ローマ字でRIKKAと書くの。当時、あの子はそういう名前で活動してた。まだ事務所にも所属してなくて完全な無名。だけど大器の片鱗は確実にあった……」
六花ちゃんの、過去……!
初めて聞く話だ。雑誌のインタビューでも、彼女のキャリアは十七地区から始まっている。それが、第三地区……?
「当時、わたしとなずなは普通のプレイヤーとして第三地区にいたわ。二人だけでクランを組んで、細々と攻略を楽しんでた。RIKKAも同時期に現れていて、明るくて可愛いことですぐに人気になった。わたしたちもバフでよくお世話になったわ」
「さすがは六花ちゃんです」
イトはなぜかエヘンと胸を張った。それにしても、結城姉妹が元攻略班だったとは。道理で攻撃スキルを普通に使えるわけだ。
「そんな時、ある人物が地区に現れたの。当時はまだ高校生のK――」
K……! そんな前から六花とKの関わりは始まっていたのか。
「イトちゃん、敬王グループって聞いたことある? リアルの方で」
不意にそう問いかけられ、イトは慌てて頭の中をひっくり返す。
「あっ、近所の家具屋さんがそんな名前だったような……?」
「正解。敬王家具は、敬王グループの主要企業の一つね。他にも色んな事業を運営してて、あちこちでCMを打ってるわ」
「え……もしかして」
イトの予想に応えるように、いづなはにっこり笑ってうなずいた。
「Kの本名は敬王圭。敬王グループの御曹司よ」
「お、オンゾウシ……!!」
漫画やドラマで聞いたことはあっても、実在の人物と関係あったためしがない名称だ。本当に存在していたとは……。
「Kは課金にモノを言わせてあっという間に第一線のプレイヤーにのし上がると、キングダム思想を打ち上げたわ。何百というクランがそれに賛同し、アウトランドの大部分を支配下に置いた……」
「ほ、ほええ……すごすぎぃる……」
今の自分と大差ない歳で、大人もプレイしているゲームの統括役になったのだ。何をどうしたらそこまでカリスマ溢れる人物になれるのだろう。これがオンゾウシという生物なのか。
「確かに、わたしたちから見てもKは別の生き物みたいに思えたわね。彼はその時すでにいくつかのベンチャー企業を立ち上げていて、グループの下で利益を出していたわ。えーと、今でも残ってたと思うけど。あ、これね……」
そう言って見せてくれたタブレットには、パネルドアやクローゼットなどを取り扱う会社のホームページが映っている。家具本体はシンプルかつ洗練されたデザインで、ドアレバーや把手に一風変わった装飾があった。セールストークには「触り心地を楽しむ家具――」とある。
「Kは見ての通りのサワヤカイケメンで、人当たりも良かった。それに加えて資産家ともなるともう無敵の存在よ。女性人気も相当なものだったわね」
少し懐かしそうに語るいづなの態度に、イトはふと思うところがあって、
「もしかしていづなさんもファンだったり……?」
「いや」と答えたのは、それまで静かに話を聞いていたなずなで、「わたしたち――いづなは特に世間で騒がれる人物に対して懐疑的になるハネっかえりだから、最初からメチャクチャ斜に構えていたよ」との内幕を暴露して、いづなにジロリと睨まれる。
「まあ……結果的に、わたしの勘は正しかったけどね。Kには裏の顔があった。でもそれよりまずは表の顔を先に語っておいたほうがいいかしら。彼には一つの――これは美徳と言っていいわね――特徴があった。格下の相手とは決してケンカをしない、というね」
「格下……」
そこそこ怒られそうな言い回しだったが、何かを競い合う人ならもちろんのこと、グループの会長の息子ともなれば人の上下は確実に痛感できる存在だったのだろう。
「イトちゃんはこういうの見たことない? 地位も名誉も資産もある有名人が、SNSでごく普通の人と半ギレの大ゲンカしてるところ」
「しょっちゅうあります」
「不思議よね。社会的にずっと上の方にいるはずなのに、どうしてわざわざ普通の人のところに降りて来てレスバするのか」
「負ける心配がないからだろ」
なずなが横から放り込んだ答えに、いづなの口の端に苦笑いが浮かぶ。
「Kはそういうことを一切しなかった。争う相手はいつも実力者。普通のユーザーから悪口を言われることがあっても、すべて無視していたわ」
「それって、かなり正しいことですよね。難しいですけど……」
イトも事務所の研修でレスバのゴングを鳴らさないようにと教わっている。レスバから得られるものはたった一つ。やらなきゃよかったという後悔、それだけだ。
「ええ。でもこれには秘密があったの。当時、わたしとなずなはキングダムの傘下にいたわ。PKがなくて便利だったから。何の因果か、ホームで手伝いもたまにしてたりね」
結城姉妹はキングダムにいた――それはちょっとした驚きだった。そしてやはり有能姉妹……。キングダム運動のスタッフも、その才能を見逃さなかったのだろう。
「そこで偶然、Kが大型モニターをじっと見つめてる場面に出くわした。わたしは何を見ているのかと思って、モニターをそっと見た。そっとっていうか、大きな画面だからイヤでも目に入っちゃったんだけど……。それはKのSNSがプチ炎上しているところだったわ。Kの発言はナチュラルに偉そうなところがあったから、直接は関係ないはずの人が、自分が何か言われたと思って噛みついてくることがたびたびあったのよ」
SNSあるあるだ。フォロアーの多いアイドルたちの中にも、ごく少数の極めて悪質な誹謗中傷に対して注意喚起したはずが、普通の批判や小言を言っただけの人まで自分が叱られたと思って反撃してきてしまう。ファンレターよりダマシテ案件の方が多い自分には、まだ縁のない話ではあるが……。
「でも、Kは特に反論とかしなかったんですよね」
「ええ。ただそれならその批判――というかいいがかりコメントを何で眺めてるのか少し疑問に思って、つい言っちゃったのよ。“そんなの見てると言い返したくなりますよ”って」
すごい度胸だ。年上で、しかもアウトランドの多くを掌握する超大物プレイヤーに対して。
「そうしたら彼は言ったわ。“いいんだ。僕はこれに何も感じない。むしろ、こんな格下の連中に何を言われても動じない自分が楽しいんだ”って」
「えぇ……。それは大失言なのでは……」
「そうね。本人もその後“内緒だよ”とか笑って言ってたから、うっかり吐露しちゃったのかもしれないわ」
かつてのKはまだまだ隙のある人物だったらしい。それでもやんわり口止めしただけで済ましたのは、さすがの余裕というやつか。
「Kは自分が同格以上と認めた者以外は、本当に見ていないわ。人当たりがよく見えるのも、まともに相手をしていないからというのが真相なんでしょうね」
それは、ある意味空恐ろしい性格だった。あの爽やかな笑顔は相手に向けられたものでもなく、ただ風通しをよくするための社交辞令……。
「そんなKが、スカグフで唯一固執した相手――それが、当時キングダムの保護下にあったアイドル、RIKKAよ」
「――!!」
ここで、彼女の名前……!
「ただ、これには順序がある。まず、RIKKAがPKを避けてキングダムに来た時、Kはその他の大勢のプレイヤーと同じく、彼女を平等に受け入れたわ」
当時でも結構人気のグレイブアイドルだったはずだが、それではKにとっては普通だったのだ。
「RIKKAはその下で伸び伸びと活動し、めきめき頭角を現していった。キングダム筆頭アイドル――そうした認識が広まるまであっという間だった。この時も、KのRIKKAに対する扱いは変わらなかった」
「は? そろそろ許されざるんですが? RIKKAちゃん頑張ったんですよね?」
「まあ落ち着いて。それでその時期、Kはクラン主催でとある攻略イベントを企画していたの。当時の環境ではまだクリア不能とされていた難関グレイブ。理論値として不可能ではなかったそうだけど、今はどこまで潜れるかのチャレンジ――そういう扱いだった」
その手のグレイブは今も珍しくない。シーズンが進んで装備やスキルが強化されたらいずれクリアできるだろう、というダンジョンがいくつかある。スカグフの生成AIがよくやる手だ。
「その時にライズバフ担当として選ばれたのが、RIKKAだった」
「!」
「RIKKAにしてみれば、待望の大舞台だったわ。大勢の前で実力を披露できるだけじゃなく、グレイブアイドルとしての地位を確立させるまたとない好機。そしてその大事な場面を目前にして、運命のように彼女は天啓を得た」
「天啓?」
「本番直前でパーソナルグレイスを獲得したの」
「……六花ちゃんの……パーソナルグレイス……!」
ああ、それは何だっただろう。何かざらつく記憶が、思い出すことを拒否している。
そうだ、あれは〈西の烈火〉の分裂劇。当時代表だったカジに、六花はパーソナルグレイスを使うよう詰め寄られて……。
「あの子のパーソナルグレイスはね、〈フェンリルの酔〉というの」
「〈フェンリルの酔〉……」
六花のアイドル像とはかけ離れた、神秘的だけれどもどこか禍々しさのある響き。
いづなは神妙に言葉を繋げた。
「それは、わたしの知る限りスカグフで唯一無二の力。アバターではなく、プレイヤーの脳そのものを強化するパーソナルグレイスよ」
ダマシテ産業「あれは我々からのファンレターです。そちらにとっても悪い話ではないと思いますが」




