案件129:キングダム思想
崖っぷちで踏みとどまり続けるライズを経て、イトたちはホームへと帰還した。
最後の一線を守ったという達成感は、撤収時間にセツナやキリン、そして他のアイドルたちと顔を見合わせた時には確かにあったのに、しんと静まり返ったホームのリビングに戻った時には、明日もまた同じだったらどうしようという不安に早くも取って代わられていた。
が、そんな居心地の悪い静寂も、フレンド通信のランプが一時、吹き飛ばす。
結城いづなからの連絡だった。
イトたちは目を丸くし、一も二もなく通話チャンネルをオープンする。
「いづなさん!」
「わかってるわ」
顔中を口にして呼びかけた声に、ミニウインドウに見えるいづなの顔が、いつになく疲れた様子で応じる。それだけでずきりと痛む胸があった。
「ごめんなさい、連絡が遅くなって。事務所から“噂”について一旦落ち着くようメールが行ってるだろうけど、知りたいのはそういうことじゃないわよね」
「はい……。六花ちゃんの活動休止って、本当なんですか……?」
「本当よ。本人が認めた」
残酷なほど率直な言葉に、イトは自分の喉に冷たい手が絡みつくのを感じた。三人で肩を寄せ合うようにしてモニターを見ている仲間たちからも、体の強張りが伝わってくる。
「気づいた事務所スタッフが慌てて削除申請を出したけど、動画は十分拡散したわよね」
「朝には学校でも噂になってましたから……」
「そう。迷惑かけてしまって、ごめんね」
「いいんです、そんなことは。それより、どうして六花ちゃんは……。もっ、もしかして、どこか具合が悪かったりするんですか……?」
「いいえ。至って健康よ。でもあの子、事前に何の相談もしてくれなかった」
画面先のいづなが、まるで自分に非があったみたいに顔を曇らせ、二の腕を掴む。
「一人で何もかも決めてしまったの。さっきの話し合いでも、理由については誰にも話してくれなかった」
「……!」
らしくない。六花は誰よりも仲間を大切にしていた。彼女が活動をやめれば、〈サニークラウン〉だってそのままでいられるはずがないのに、相談もなくその理由さえ伝えないなんて……。
「じゃあ、ほ、本当に……そう、なっちゃうんですか……?」
イトは恐怖に塞がる口に必死に抗い、その問いを投げかけた。
月折六花がアイドル業界からいなくなる。その現実が、耳元まで近づいてきている気がした。
「簡単にはならないわ」
否定する返答。しかし望ましいはずの答えに、いづなの口調から硬さが抜けることはない。
「六花の一存で決められることじゃない。あの子のスケジュールはこの先も埋まってる。本人は、替えの利かない直近の仕事に関しては出て、それ以降のものは自身が違約金を払うと言ってる」
違約金……。生々しい言葉に、イトはこれが自分と推しの世界だけにとどまらない状況であることを思い知る。
「でも、会社同士の違約金なんて個人で払えるような額じゃないわ。あの子はきちんと貯金をしてるけど、それでもとても払い切れない。莫大な借金を背負うことになる」
「!!」
先刻以上に切迫した単語を耳にして、足元の底が抜けた気になった。あの六花が借金。しかもアイドル活動をやめてしまったら、どうやってそれを返せばいいんだ……?
「そっ、そんなのダメです。そんなの、イヤです。六花ちゃんは、そんなふうになっちゃ」
イトはしどろもどになりながら、思いつく言葉をただ羅列していた。煌びやかな月が、太陽が、地面に堕ちて泥の中を無惨に転がりまわる。そんなイメージが心底怖かった。
「ええ。わたしたちも事務所も、そう簡単にはさせない」
わずかに口角を持ち上げ、いづなはそう返してきた。ひどく久しぶりに感じられる、頼りになる先輩の顔。強がりだというのが一目でわかっても、激しく揺れていたイトの心はほんの少し落ち着きを取り戻せた。
「納得いくまで離さない。あの子の人気が飛び抜けているとはいえ、わたしたちはチームなの。一人のワガママは通さないわ」
「そっ、そうですよね! いづなさんとなずなさんが説得してくれれば、六花ちゃんだって考え直してくれるはず……! そうだ、わたしも……。わたしもそこに参加していいですかっ!? わたしだって、六花ちゃんに伝えたいこといっぱいあるんです!」
「それは……!」
ここでいづなは、忘れていた希望を見出したような顔になった。
「――まだよ」
「へ?」
「あなたは六花に対して切り札になる。今だから言うけどあの子、本当に、本っっっ当に、あなたのことを慕っているの。一回くらいなら、本気で何でも言うこと聞くと思う」
「な、何でも……!? そんなに……!?」
イトは目を丸くした。確かに、客観的に見てもとても仲良くしてもらってはいるが……。
「気づいてなかったのか、あの猛アッピルに……」
「誰がどう見ても完堕ちしてたのに……」
烙奈と千夜子が頭の上で何やらぼそぼそ言い合っているが、信じられない。不出来な後輩アイドルを、ダメな子ほど可愛い理論で可愛がってくれているようなものだと思っていた……。
「でもだからこそ、今あなたが出ていくのはダメ。彼女はまだ活動休止の理由すら話してくれない。これは、あの子がわたしたちを信じ切れていない……いえ、頼り切れていないという証拠。そこを何とか乗り越えてから、あなたの出番が来る」
「なるほど……わかりました……!」
大役だが、望むところ。六花にアイドルを続けてほしい理由なんて一晩では語り尽くせないほどある。そうだ。その時は夜通し語ろう。いつかの海水浴イベントの時みたいに布団を並べて、二人で眠りにつくまでずっと。
「明日も話し合いをすることになってる。〈ワンダーライズ〉はどうか、普段通りに活動して。難しいだろうけど……。でも、その方が六花も戻ってきやすいと思うから」
「任せてください。今日だって、セツキリコラボとバリバリやってきましたんで!」
「……! そう、ありがとう……! ……ああ、何か変わったことはあった?」
ありまくりだ。六花ちゃんショックでライズ会場は完全に寂れていた。しかし、敢えて話題を変えたいづなが求めているのは、心労を増やすそんな内容ではないだろう。彼女も気分を変えられる、もっと明るい話題を、何か。
「……あっ、そういえば、普段は見ない変な人たちが来てましたね」
「変な人」
「ええ。真っ赤な鎧の集団で、キングダム? っていうクランを宣伝してました」
「…………」
びたり、といづなの表情が止まった。強張ったとか、凍りついたとかそういうのじゃなく、本当に時が止まったみたいに。
「大声で宣伝していた大人の人と、ビキニアーマーの女の子がいたんですけど、なんかその人たちはクラン長じゃないみたいで。あの方の元に集えーって、言ってましたね」
いづなの目つきがみるみるうちに変わった。
「……深紅の機動騎士団。キングダム思想……。“あの方”……! まさか……ごめんなさい、切るわ!」
ぷつっと、一方的に通信は切られた。
突然のことにイトたちは驚き、顔を見合わせる。
「ど、どうしたんでしょう?」
「何か……なんとかかんとかナイツとか言ってたよね」
「ほとんど聞き取れてないぞ。クリムゾン・ムーバーナイツだ。それからキングダム思想と」
「何のことでしょうか……」
三人が首を傾げる中、窓を軽くノックする音がした。
魔女の宅配便の如き登場の仕方は、またしてもユラだ。
「やあ、おつかれ~。さすがは〈ワンダーライズ〉。各地のライズ会場もちょっとは息を吹き返してたよ」
勝手知ったる他人の家といった様子でソファーに寝そべる彼女は、どうやらホウキであちこちを見て回っていたようだ。
「どこの地区にも名物プレイヤーってのはいるものだけど、普通はその人が抜けたところでそこまでの騒ぎにはならないんだ。結局はみんな自分のためにゲームをしてるしね。けど、やっぱ月折六花は別物だった。普段からライズバフで世話になっている人は多いし、接点も多い。どこもかしこも一番の親友が抜けたみたいな有様だった。そこをひっくり返すなんて、いやあ、けしかけたボクも鼻が高いよ」
指に引っ掛けた三角帽子を気楽に回す彼女に対し、イトたちはちょうどいいとばかりに、さっき浮上した疑問についてたずねてみることにした。
「うん? キングダム思想? 知ってるよ」
「知ってるんですか!?」
「ヤフーでググればすぐ出てくるよ。スカグフ内の統治体系の一つでしょ」
彼女は本当に百年を生きる博識な魔女のように、すらすらとその中身を開陳してみせた。
「アウトランドを一つの集団としてまとめ、PKのない平和地帯を築こうって思想。一つの集団といってもクランの参加人数には上限があるから、同盟システムを利用してアウトランドすべてのクランを繋いで一大勢力を構築。そうして疑似的にセントラルみたいな安全地帯を作り出すのさ」
へえー、とイトたちは感心しきりにそれを聞く。そんな世界史みたいなことを大真面目に考えている人たちがいたのか。
「まあでも、絵空事だよ。ボクもあちこちの地区回ってたまに見かけてきたけど、実現したためしはない。まず平和とか言い出すのは決まって弱っちいクランだし、アウトランド全体が一つの考えに縛られるなんてあり得ない。……でも、そういえば一個だけいいところまで行ったっていう噂があったかな。あ、スパチャありがとー」
運ばれてきたシナモンティーで喉を潤し、彼女はペンギンに笑顔を支払う。
「……で、そうそう、確か第三地区だ。そこの提唱者はすごい力のあるプレイヤーで、またたくまに勢力を広げて、最終的にアウトランドの四分の一くらいまでは傘下に置けたらしいよ」
「四分の一……! とんでもないな」
烙奈が感嘆の吐息を漏らす。セントラルの人口は地区全体の約1%だという。アウトランドの25%を仲間にしたということは、疑似的どころかセントラル以上の広大な安全地帯を築いたことになる。それだけで十分な偉業だ。
「それで、それからどうなったの……?」
「壊滅しちゃった」
千夜子の疑問に、ユラは素っ気なく物騒な単語を放って寄越した。
「何かがあって……当時有力だった攻略班が軒並み潰されちゃったんだって。このへんの情報は雑。謎のアンチ集団にやられたとか、仲間割れで自滅したとか、きっと何が起こったのか誰もわかってないんじゃない? 盟主だったプレイヤーもその後すぐにスカグフ辞めちゃって、クランごと自然解体って感じ」
「ううん、それは惜しかったですね……」
「まあねー。四分の一ってことは、クランで言えば千くらいは加入してたことになるだろうから、もう誰にも手が出せない大勢力だった。時間さえかければキングダムは達成されてたかも。まあボクはそんな波風立たない環境、絶対イヤだけどねっ!」
ぐいっと残りのお茶を呷るユラ。千のクランを従え、もはや無敵となった王国に何が起きたのか。興味深い話ではあるけれど、六花の問題と特に関わりはなさそうだ。
「では、クリムゾン・ムーバーナイツという単語に聞き覚えは?」
ものはついでと烙奈が質問を繋げる。が、「全然~、なにそれ~」と、こちらは一言で片づけられてしまった。さして興味もなさそうなので、本当に知らないのだろう。
結局わかったのは、アウトランドでたまに巻き起こる運動が、ここ十七地区でも始まったというだけ。よりによって、六花の進退問題で一番揺れているこのタイミングで。
「ん……?」
ふと、千夜子が何かを察知したように肩を揺らした。
彼女がメニューウインドウを開くと、フレンド通信に通知ランプが点滅しているのが見えた。
「あれ。アビスからだ。どうしたんだろ?」
アビスは今日、〈ルナ・エクリプサー〉の定期集会に出席しているはずだった。
千夜子が通話のアイコンをタップすると――。
「千夜子!」
切羽詰まったアビスの声が鳴り、停滞する空気を抱えていたリビングに棘のような緊張感を吹き込んだ。
通話窓にアビスの顔は映っていない。代わりに、青空を濁す黒煙が何本も上っている様子が見えている。
「アビス……!? どうしたの!?」
「千夜子、助けて! イトも、烙奈も……いるんでしょ!?」
『!!』
イトたちは一斉に身を硬くした。あのアビスが助けを求めている。これは尋常な事態ではない。
「攻撃――赤いヤツらが――場所は――〈コモン山〉の中――早く――!」
閃光と爆音が彼女の声を掻き消し、やがて通話そのものが断ち切られた。リビングに残された轟音の余韻は、それ自体がアビスの叫びの残響のようにイトたちの耳にこびりついた。
「た、大変……! なに? 事故? モンスター!?」
「慌ててる場合じゃないよ千夜子」
いつの間にかユラが出窓の外に立ち、ホウキ型マウントにまたがっている。
彼女はビッと後部席を指し、告げた。
「乗りなベイビー!」
イトちゃんたち残業決定。




