案件13:今日だけはヴァンダライズ
人がケーキに群がるアリのようだ。
そんな悪役みたいな感想を胸の内に広げかけたイトは、普段は自分たちもその一人であることを思い返し、すぐさまその思いを腹の底へと飲み下した。
「うわ……。すごいですね。大変そう……」
一方で、素直な気持ちを吐露できているのが隣のセツナ。
カゴの手すりから身を引き気味に、下界の様子を見下ろしている。
今さらながら恐怖を覚えたらしい。自分も“あれ”をやるかもしれなかったことに。
ここは空の上。エンジェルゴンドラの中。
羽の生えた大きなカゴで、現実のアイドルやアーティストたちのライブなどでも時折登場するあれによく似ている。だからか、グレイブアイドルでも愛用する者は多い。
現在イトたちは、その飛行アイテムを使って楽々にスカイグレイブ〈黄金の墓守〉を目指していた。
頭上には大小様々な岩塊と千切れ雲に交じり、そのダンジョンが浮いている。
どでかい黄金の骸骨が、岩盤の下側に張りついて地上を見下ろしているという、不気味かつアバンギャルドな外観。こいつが黄金の墓守ではないかとの予想は誰もが一度は経験するところではあるが、実際に動いたところを見た者は一人もいない。
最初にあれを目視した時、「えっ、あそこに行くんですか……」とセツナもすっかり腰が引けていたが、シンカーたちが〈黄金の墓守〉から垂れた鎖に群がる姿を目の当たりにしてからは、その熱気と過激さの方に気持ちを引っ張られていた。
「いやあ、今回のアプローチは一段と大変そうですね……」
イトが見つめる視界の中、〈黄金の墓守〉が垂らした鎖が森の中へと突入。激しく震動する鎖から振り落とされたシンカーたちが次々に木々の中へと落下していく。
「セツナちゃんがゴンドラを使わせてくれてよかったよ……」
毎回脱落している千夜子は、船酔いでもしたような青い顔で半笑いだ。
「このくらいは当然です。ていうか……皆さん、今まであれを普通にやってたんですか……?」
「我々は基本金欠だからな。ゴンドラを使ったのは最初の一回だけだ。貴方と同じく、デビュー記念に事務所から贈られたやつでな」
「ああ、何だか遠い昔のような気がしますねえ……」
本当は一か月前くらいでしかないが。
「セツナちゃんも、次からは自分でこれを用意するかどうか決めることになります。間違っても、うっかり買い忘れて当日になって急遽自力で上る決断などしないように。まわりから怒られてしまいますからね」
「イトさん……やらかしたんですか?」
「そうだよ」
「そうだぞ」
「ホントすんませんでした……」
周囲には無数のゴンドラが、同じくドクロのグレイブを目指して優雅に浮上していっている。ここから始まる熾烈な競争の予兆もなく、それらは呑気に、互いを譲り合うようにして進んでいった。
※
「うわあ、やっぱりみんなすごい気合入ってるよ」
どちらを向いても人、人、人。
及び腰な千夜子がこぼしたセリフに違わず、ダンジョン入り口周辺にはシンカーが溢れかえっていた。
「こ、こんなに人が……」
小柄なセツナからすれば、どこもかしこも巨体が織りなす壁だらけ。すっかり圧倒されてしまった少女が思わず後ずさるのを手で押さえてやりながら、イトは速やかにライズの開催場所をサーチする。
底面の巨大骸骨とダンジョンの名前からして、岩塊の上には陰鬱な墓地が広がっていると思われがちだが、実際は爽やかで穏やかな草原が広がっていた。
一本の道がなだらかな傾斜の奥まで延び、そこに墓標ともつかない巨石が一つだけ置かれている。穏やかな風と、躍動のない変わらない景色が、終わった物語を連想させる。これがスカイグレイブ〈黄金の墓守〉の様相だ。
ただその静謐もシーズンオフの間のみ。巨石のたもとにあるダンジョンの入り口目がけシンカーとアイドルたちが駆けていけば、たちまちお祭り騒ぎが始まる。
ベストポジションは当然、〈サニークラウン〉が取るだろう。しかも今日は何だか気合が入っているらしく、全力で突っ走る六花を、いづなとなずなが慌てて追いかけていく姿が見えた。それに引っ張られ、他の強豪アイドルたちも場所取りを開始する。
「そこっ!」
イトがセツナのために選んだのは、中の上くらいには良い場所だった。
ダンジョンの入り口からは少し離れているが、直線上にあるし、人通りも多い。
普通のライズではそこまで足を止めてもらえない場所ではあるものの、セツナには武器がある。自信があった。
天気はいい。風も優しく、絶好のライズ日和。
「さ、セツナちゃん」
「は、はい」
セツナは緊張した様子で、アイドルのスキルを発動させる。
ドンと地面から跳ね上がるミニステージ。しっかりとアレンジスキンをかぶせた本人仕様だ。どっかのマスコミ社長が現実の方で小遣いを持たせたのかもしれない。
途端に、シンカーたちが集まり始めた。セットリストを確認し、ほしいバフがあるかをチェック。その様子を固唾を飲んで見守っていたセツナに、大丈夫、とイトはうなずきかけた。
このダンジョン攻略のために、セツナは必要なライズをしっかり揃えてきた。その上で、彼女にしかない武器を振るう。上手くいくに決まってる。
問題は……と巡らせた視界に、フードをかぶったローブの人物を多数発見する。
取り立てて不審なスタイルではない。この中にストーカーがいるということもないだろう。逆に、これだけの人出があれば素顔であっても不審者を見分けることなどまず不可能。
セツナの戦いはライズだけではない……。
「じゃ、じゃあ、わたしの方はいいですから、イトさんたちは自分のライズの準備を……」
緊張と不安に肩まで浸かった顔でそんなことを言われ、イトは優しく微笑み返した。
「いいんですよ。今日はセツナちゃんのお手伝いがわたしたちの仕事です。ステージの周辺を見張ってますから、セツナちゃんは自分の歌に集中してください。いいですね、六花ちゃんに言われたように練習通りですよ。ミラクルなんてまだ起こさないでいいです。セツナちゃんなら、すぐに自力で起こせますから」
「は、はい……。イトさんたちも危険なことは絶対にしないで。変な人を見かけたら、ちゃんと警備の人に言ってくださいね」
応じるように少女の肩をポンと叩き、イトたちはステージを降りた。
ちらと振り返り、深呼吸するセツナの様子を確かめる。
フォロワー8000のうち、割合的にやる気勢は1%くらいになる。今このダンジョンに参戦しているのはさらにその半分以下。つまるところ大型新人とは言え、ここにいる人々はほぼ愛川セツナを知らない。ライズバフ目当ての、ごく当たり前のシンカーたちだ。
段取りは決めていた。言葉による挨拶なんて不要。歌声で先制攻撃してやれ!
手を背後に回したセツナが、こっそり出現させたメニューウインドウから最初の曲を選択する。
流れてくる短いイントロ。小さな呼吸音。最初の一音が飛び出る。
そして、セツナの世界が始まった。
――――――――!
自分の声で歌うというだけでも界隈では珍しい。それに加え、彼女の声には特徴――いや適性があった。曲はバラード調の〈過ぎ去りし者たち〉。物悲しい曲調にセツナの細く高く透き通った声が乗り、どこまでも響いていく。
一人、また一人と、シンカーたちが足を止め始める。
セットリストすら確認しない。純粋に歌声に惹かれたのだ。そして誰も損をしない。このライズバフは〈黄金の墓守〉で非常に有効だから。
「イト、わたしはな」
ステージ脇で客席を見つめていた烙奈が、ふと言ってきた。
「アイドルというのは、もっと前向きで、明るい曲を歌うものだと思っていた。あるとしても失恋の歌。人々もそれを求めるものだと」
彼女は目を細め、歌声に心まで浸すようにする。
「だが、こうした曲もいいのだな。哀しい歌は、つらい気持ちや悲しい心に寄り添ってくれる。勇気や元気を奮い立たせるのではなく、ただ癒して、立ち上がるまで待ってくれる。今、あの観客たちが、自分たちの中の悲しみと向き合っているのを感じるよ」
「ええ。それが、セツナちゃんの歌声です」
イトは自信をもって言った。
他のアイドルたちのステージ前と違い、ここはまるで葬列のようだ。
だが決して陰鬱な空気はない。このグレイブのように、晴れ渡り、澄み切って、雑音もなく、ただ風と時間だけが流れる。そんな世界。
これからダンジョンの大攻略だというのに、目頭を押さえるもの、顔を両手で塞ぐ者が大勢いた。しかしそうした後で、彼らの顔はとてもすっきりしていた。熱ではない活力、体の内側から静かに支えてくれる何かが、イトには見える気がした。
一曲目を歌い終えた直後、破裂するような歓声と拍手が客席から膨れ上がる。
「すげーぞお嬢ちゃん!!」
「号泣した! 推すしかねえわこんなの!」
「こんな気持ちでグレイブに挑むなんて初めて! もう何も怖くない!」
押し寄せる称賛に、セツナは戸惑うような素振りを見せた。
いきなりこんな反応が返ってくることを、彼女は自覚していなかったのだ。
何かを探すように彷徨う視線を察知し、イトは自らその範囲に踏み込んだ。セツナの視線が止まる。イトは両手でドヤ顔ダブルイイネを贈った。セツナが微笑むのが見えた。
「皆さん、初めまして。今回が初参加の愛川セツナです――」
洗練された歌声から一転、あどけなさを残した、たどたどしいセツナの挨拶が始まる。その素朴なギャップが、人々に感嘆のため息をつかせる。クッソ可愛いなこの子! ステージ前は、バフエリアをはみ出して満員御礼だ。
「やりましたね、セツナちゃん」
心からそう祝福し、イトはその場を離れた。
本題は、ここから。
攻略の第一陣、第二陣がすぎると、次はエンジョイ勢たちが入ってくる。人口の一極集中がなくなる代わりに、人の出入りに途切れがなくなる。
悪者が紛れ込むのも毎回このタイミングだ。
「いたぞォ! あの子だ!」
その時間帯。果たして、爽やかな風を濁すダミ声が響き渡った。
「愛川セツナちゃん! 今日が初めてのライズなんだって!?」
「じゃあ、お兄さんたちともう一つ初体験をしようねえ!」
「曇り顔! 曇り顔!」
やはり現れた。PK――スナッチャーの集団だ。
だが様子がおかしい。明らかにセツナを狙ってきている。
彼らがこれまで直接狙うような相手は、六花のような超がつくほどの有名人だった。それが、いくら期待の新人とは言え、今回が初参加のセツナを狙ってくるとは。
「なんだこいつら、急に出てきやがって!」
「警備、警備! PKだ! 早く来てくれ!」
さらに、登場も唐突だった。普段はこちらを怖がらせるためか、遠くから自分たちの存在を誇示してくるのに、今回はステージに十分に近づいてからPKに移行した。おかげで、セツナはファストトラベル禁止のゾーンに捕まっている。明らかに計画的。
「……!」
ステージ上のセツナは立ちすくんでいた。
PKやスナッチャーの脅威については、十分に説明されている。しかしそれでも、大勢から浴びせられる直の悪意というのは、何事もなく生きてきた少女の想像を超えている。
警備クランが駆けつけるより早く、数人の悪漢たちがステージに這い上がってきた。
逃げ道も、戦うすべもなく、少女が恐怖からぎゅっと目を閉じた、次の瞬間。
鉄の風が男たちを薙ぎ払った。
「ぐぎゃあ!」
悲鳴を上げてステージから転がり落ちていくスナッチャーたち。
「え……?」
驚き戸惑うような声を、イトは背中越しに聞いた。
「イト――」
「ヴァ、〈ヴァンダライズ〉!!?」
「出たぁ!」
セツナの声を掻き消すように、スナッチャーたちから怒号が鳴り響く。
「ヴァンダライズじゃありま――……!」
言いかけて、イトは思いとどまった。一つ咳払いし、「いいえ、今日だけはそれでいいです」とバスターソードを豪快に一振り。バリッと構える。
「さあ、〈ヴァンダライズ〉のお出ましですよ! ここから先へは一歩も行かせん!!」
それだけで、スナッチャーたちは後ずさった。
「ヴァンダ……ライズ……? アイドルたちのヒーロー……イトお姉ちゃんが……?」
守るべき背後から、呆然とした声が流れてくる。
イトは肩越しに微笑みかけ、
「なんだか、みんなして誰かと勘違いしているみたいです。困りましたね。わたしはただの、セツナちゃんのお姉ちゃんなのに」
「でも……!」
「さあ、ライズを続けてくださいセツナちゃん! あなたのデビューライズは、まだまだ終わらない!」
叫ぶと、イトはステージ下へと躍り込んだ。
「うわあ自分から来たぁ!」
「ちくしょう、こっちだって今日は仕事で来てんだ!」
「十万グレブン、ポンともらったぜ! 絶対ブッ倒してや――ぐえええええ!」
バスターソードを振るっての大立ち回り。薙ぎ倒されたスナッチャーのところにはたちまち殺戮の折り鶴が取りつき、至近距離からレーザーで切り刻む。
死角から近づこうとする者には、人影に潜んだ烙奈からの銃撃。隙のない徹底破壊に、スナッチャーたちはたちまち後退していく。
その激闘の最中、疾走感のあるピアノが鳴り響いた。セツナのセットリストの中ではもっとも勢いのある〈孤独の熱情〉。哀切な歌声がメロディに重なり、これ以上ないほどドラマチックな楽曲を生み出す。
これには目撃者だけでなく襲撃側も驚愕し、
「す、すげー! このBGM、まるでオレたちがラスボスみてえだ! ――うぎゃああ!!」
「バカ野郎、ラスボスは〈ヴァンダライズ〉だろ! オレたちはどう考えてもイベントでやられるかませ役――ほげええええ!!?」
それはあたかも、愛川セツナと〈ヴァンダライズ〉が奏でる戦いのコラボだった。
イトたちは悲壮で勇壮なBGMの中を飛び回り、狼藉者たちを吹き飛ばしていく。
今やセツナの歌声は、いや、この空間そのものがイトたちの味方。PVPにライズバフは乗らない。それでも、イトたちの勢いを止められる者はいつも以上に存在しない。
敵も味方さえもその姿に魅了される。思わず一緒に歌詞を口ずさんでしまう者すらいる。
そして、最後の甲高い一音が草原の風と共に舞った時、一か所に集結していたイトたちは静かに武器を下ろした。
戦場という名の舞台に残っているスナッチャーは、もう一人もいない。
「え、これ、やらせとかじゃねえよな……?」
一部始終を見ていた誰かが呆然とがつぶやく。
歓声が爆発したのは、次の瞬間。
歌付きバトルはもう体に染みついて滾る。




