案件124:多重影と舞う
フレンド欄にメッセージの通知ランプが灯った時、胸の内が曇るのをはっきりと感じた。
人目を忍んで開いたメッセージはいつも通り空。
それでも空欄に含まれる無言の圧力に引きずられるまま、所定の位置へと移動する。
ホームを出てすぐのところにある公園の裏手。泣きたい時に来られるくらい人気のない木陰の芝生に、しかし、いつもならそこに紛れているはずの手紙はどこにも見当たらなかった。
からかわれているのか、何かの手違いか。
舌打ちしかけてその実どこか安堵している自分に、絶望的な気分になった。
雑な相手だ。こういうことは前にもあった。むこうは特に何も言ってこなかったし、こちらも藪蛇になるから敢えてつつかなかった。それで今まで何もなかった。
“彼女”が劇団に来たのは、やはりそういうことのはず。こちらの動きに誰かが気づいた。今動けば、次は絶対にバレる。いや……それならいっそのこと――。
「……?」
そこまで考え、ふと違和感を覚えた。
これまで細心の注意を払ってきた。この活動を始めて以来、ここで誰かに会ったこともない。
なのに、どうして彼女が来たのだろう。どうして疑われたのだろう。
気づいたのは誰?
いや……いつから?
※
ナイトナイト。
タウン8、ビル屋上。
昨日の今日で闇営業はないとタカをくくって、耳元に開いたミニウインドウから『月折六花、月のささやきラジオ』を聴いていたイトは、突如広がったPK領域に危うく悲鳴を上げるところだった。
「まさか!? 昼間あんなに動揺してたのに……!?」
いや、まだそうと決まったわけではない。ナイトナイトは裏稼業のコアタイム。こちらとは関係のない誰かが、今日もまた誰かを騙して胡散臭いマネーをゲットしているだけかもしれない。きっとそう――。半ば祈る気持ちで持ち場を堅持したイトはしかし、数秒後にその望みを断ち切られることになる。
「!!」
軽やかな足音を鳴らしてイトが張り込む屋上に飛び上がってきたのは、昨日と同じ黒装束の人物。小脇に金のエンゼル像を抱えている。
「待てこらガキ!」
「テメェ、その価値わかってんのか!? 銀のエンゼル五体分だぞ!!」
「おれたちの幼き日の夢が!」
遠くから響いてくる怒号が、その像が強奪品であることを如実に物語っている。
――また、裏稼業に手を出してしまったのか。
グレートヘルムの内側に苦々しい感情を押し隠し、イトもといバスターソード仮面はガローラを静かに構えた。
昼間の様子から見て、この盗賊――灰谷ガラスはこちらとの交戦を嫌がるはず。しかしその見立てとは裏腹に、彼女は昨晩よりも思い切った動きで先手を打ってきた。
ガイン!
大剣の重いガードに大きく弾かれるエターナルフリージア。
「……!」
しかしガラスはバク宙で衝撃を逃がすと、さらに果敢に打ちかかってくる。
(……!? この動きは……?)
昨日とは違う猫のような身のこなし。イトは続く連撃をすべて受け止めたが、その勢いは前回を確かに上回っていた。
そんな立ち回りの最中、横合いからまったく別の圧力。
咄嗟にガローラの構えを変え、正面と側面両対応の防御態勢を取った次の瞬間、ギギン! と二つの金属音がイトの耳元で重なった。
「……!!」
イトは再び驚愕することになった。
横から乱入してきた人物もまた、同じ黒装束だったのだ。顔にはマスク。そして手にはエターナルフリージア。受けた際の手応えはまったく同じ。同じ威力――同じカスタム!
(この二人、まさかッ……!)
突然の一対二という状況以上に、胸の内を焦りの熱が焦がす。
さすがに昨夜のように不動とはいかず、イトは後退しつつ二人の攻撃をさばいた。
そこに、さらなる足音――!
(そんな、三人目!?)
三人目の乱入者もまた黒装束。得物はまたしてもエターナルフリージア。ということは……!
(三人とも……! 三人とも犯人……!)
今日、奇妙な動きを見せたガラスだけでなく、練習で遅れ気味だった佐々だけでもなく、あの明るく元気いっぱいの吉備も、闇営業に手を出していた?
フロッグマンは事態をだいぶ甘く見ていたらしい。
犯人像は一つ。けれど黒装束に紛れて中身は三つ。これはもしかして、ちょっとした気晴らしとは呼べない事態になっているのでは……!
(しかし!)
ギギギン! 三重奏となった斬撃を、イトはガローラ一本で正確に受け止める。
『!?!?』
三つのマスクから流れ出る動揺を浴びつつ、イトは素早く次の動きに備える。
黒装束の一人が、すぐさま側面に回り込む動きを見せた。
再び鳴り響く剣戟三重和音。またしても、すべてのエターナルフリージアは一本のガローラに堰き止められていた。
三方向からの攻撃だ。いくら大剣が長大だとしても、まったく別々の剣閃を一本で受け止め切れるわけがない。どうして!? ――そんな相手からの狼狽が夜風に乗ってイトに伝わる。
しかし、これは遠めから見ればシンプルなカラクリだった。
黒装束の一人が死角を突こうと回り込んできたように、イトも直前で立ち位置を変えていたのだ。三人の攻撃が一番単調になる最適のポジション。そこに自ら潜り込んでいた。グレートヘルムの覗き穴からは、太陽にも似た橙色の光が漏れている。
けれど場慣れしていない相手は、この混戦の中でそのカラクリを見つけられないでいるようだった。なぜか一斉に受け止められてしまう攻撃。魔法のような、あるいは悪い夢のような景色。焦りと困惑が伝わってくる。
そうして何度目かの打ち合い。大きく弾かれたエターナルフリージアが、持ち手の一人の仮面を弾き飛ばし、フードをめくり上げた。
「あっ……!」
たちまち夜風に広がる髪。黒く長い、くしゃくしゃの。
彼女は――。
『佐々!?』
その素顔を見て誰よりも驚きの声を上げたのは――残る二人の黒装束だった。
「どうして佐々がここにいるの!?」
「どうして佐々がここにいるにゃ!」
「えっ……!? その声は吉備ちゃん……!?」
そして素顔を晒した佐々本人さえも、残る二人の反応に目を丸くする。
唐突に錯綜する戸惑いと困惑。ビルの屋上を掻き回していた四つの風は、ここに来て完全に停滞した。イトも素直に剣を引き、間合いを取る。
ややあって、観念したかのようにガラスと吉備がマスクとフードを取った。
その時のそれぞれの反応は、これまた奇妙なものだった。
ガラスは一番混乱した様子で吉備と佐々を交互に見比べ、一方で佐々と吉備はお互いの存在に驚いてはいるものの、ガラスに対してはそうしていない。
「……どうやら、ワケがあるみたいですね」
イトはガローラを背後に回しつつ、そうつぶやく。
「そ、その声はイトちゃんにゃ……!?」
「ぶっ!?」
イトは慌ててガローラを持ち直し、幅広い刀身で顔を隠す。
「わ、わたしはバスターソード仮面……。白詰イトなどという正統清純派アイドルのことなどまったく知りません……」
「素人が無理に低音作っても無駄にゃ」
「どうしてそんな変な名前名乗ってるの……?」
「変な名前!?」
「そ、そんなことより……どうして二人がこんなことしてるのよ! こんな……傭兵みたいなこと……!」
佐々と吉備の追及を遮って悲痛な声を放ったのはガラスだった。
彼女の声には非難などなく、むしろ強い恐怖と後悔が滲んでいる。さっきの動揺と含めて今のこの態度。三人が結託して闇営業に取り組んでいたのとはだいぶ違うらしい。
少しの間押し黙っていた佐々だったが、やがておずおずと声を絞り出した。
「いつも、わたしが守ってもらってたから……」
「えっ?」
「ガラスちゃんが変なことに巻き込まれてるみたいだったから、今度はわたしが守らなきゃって……」
「!」
返答を聞いたガラスがびくりと身じろぎする。続けて吉備もばつが悪そうに、
「なんか、コソコソ裏の公園で怪しい手紙を拾ってたにゃ」
「し、知ってたの……?」
目を剥くガラスに「うん」と佐々がうなずき、「何ともないフリしてるのもバレバレ……」との所感まで付け加える。
「手紙には傭兵が受けるような仕事と、そこでゲットした報酬全額を受け渡す方法が書いてあったにゃ。ガラスの態度からして、無理矢理それをやらされてるのは一目瞭然だったにゃ」
「ガラスちゃんがそのことを話してくれないのは、多分理由があるから……。でも、無理して耐えてるガラスちゃんを見て、何とか力になれないかと思って……」
佐々と吉備が顔を見合わせる。
「佐々もあちしと同じことをしていたとは意外だったにゃ」
「わたしも、吉備ちゃんもそうだとは思わなかった」
「じゃあ、公園で時々指示の手紙が見つからなかったのは、やっぱり……あなたたちが先に拾っていたからなの……?」
うなずく佐々と吉備。
「で、でも、護衛の相手とか、報酬の受け渡しとか、直接人に会うこともあったでしょ……?」
「そこはガラスのフリしてやればいいだけにゃ。あちしたちを何だと思ってるにゃ」
「ガラスちゃんの演技はある意味、一番簡単だから……」
へらっと笑う二人を前に、ガラスはその場にへなへなと座り込んでしまった。
「そんな……わたし、二人を守ろうと……あいつの言いなりになってたのに……」
「言いなり、とは?」
イトの質問に、
「……この仕事を断ったら吉備と佐々をPKするって……舞台を台無しにするって脅されたの。佐々は怖がりだし、吉備はそういうの平気そうで実は傷つきやすいから……わたしが何とかしなくちゃって……。でも、とっくに二人を巻き込んでたのね……」
両手で顔を覆い、声を震わせるガラス。そんな彼女に佐々と吉備が優しく寄り添う。
「自分から飛び込んだだけにゃ。気にすることないにゃ」
「そうだよ。それに、結局またガラスちゃんに守ってもらっちゃった。ありがとう……」
なるほど……。
ガラスは二人をかばい、二人は別個にガラスをかばっていた――これが三人とも闇営業に手を出していた舞台裏、ということか。
今日のCM撮影のガラスの態度で、二人は彼女に何かがあったことを明確に察知したに違いない。それで今回は特に意気込んで指示書を奪った。
今夜の仕事を受けたのは吉備だ。あの身のこなしはいかにも猫っぽかった。
二人目の佐々まで出動してきたのは、指示書の奪取に失敗し、心配でガラスの様子を見に来たためか。実際に仕事を受けていたのは吉備だったが。
三番目に乱入してきたガラスは……どうして来たのだろう。虫の知らせでもあったのだろうか。そして、何はともあれ同じ格好の誰かが戦っていたから、助太刀に入った――そういう流れらしい。
つまるところ彼女たちは火遊びなんてしていなかった。
それどころか体を張って友達を守ろうとしていたのだ。
ほっとすると同時に怒りが湧く。こんな可愛くて健気な子たちに、無理矢理裏稼業をやらせるなんて……。
「その、脅していた相手というのは誰なんですか?」
話を聞く限り、彼女たちは全員犯人と接触している可能性が高い。
佐々と吉備がガラスに目を向けた。ガラスはうなずき、一人の名前を挙げる。
それはイトの知らない人物だった。
「劇団の先輩にゃ。あちしらが入ってすぐに辞めた――」
「他の先輩から聞いた話だと、悪い噂もあったみたい……。わたしはてっきり、ガラスちゃんとその人に、その……何か個人的な関係があって、それで言うことを聞いてあげてるのかと思ってたから……」
「そんなわけないでしょ……」
わずかに頬を赤くした佐々に、ガラスが心底イヤそうな顔を見せる。
犯人を知りつつも佐々と吉備が口出ししなかったのは、そういう男女仲への配慮があったかららしい。しかし、実際はPKをちらつかせた脅迫だったと知れた今、遠慮する必要は一切ない。
「なるほど、わかりました。大変でしたね、三人とも」
イトは三人のこれまでの友情と献身を労った。〈ワンダーライズ〉も三人ユニットだから、彼女たちが仲間を思いやる気持ちは痛いほどわかる。
「もう心配いりません。後はわたしたちに任せてください」
これには盛大な“処理”が必要になる。
フロッグマンと相談だ。
この態度でまっとうなアイドルを名乗ってるユニットがあるらしい。




