案件123:怪しい人影を歓迎せよ!
ナイト・ナイト。
リアル時間で夜、ゲーム内環境でも夜となるこのタイミングは、裏稼業がもっとも活発に行われるバイオレンスでアダルティな時間帯だ。
スカグフのメイン客層である学生や若者たちが去った町は、音すらも身じろぎをやめ、吹きかける相手もいない緩い夜風ばかりを流している。
そんな静かな夜の真ん中に、イトは一人立っていた。
いや、イトではない。
身元を覆う初期コスチュームに、感情を鉄板の裏に押し殺したグレートヘルム。
そのいで立ちは正しく、町の夜を守護するバスターソード仮面……!
それはそれとして、イトが張り込んでいる――というか突っ立っているのは、タウン8の名も知らぬ建物の屋上だった。
今夜、裏稼業に片足を突っ込んだ夜遊び猫が現れるかどうか。
容疑者とは昼間に顔を合わせたばかり。こちらを警戒して動かないでいてくれるなら、それはまだ自制心が働くということ。それならそれでよし。
怖いのは、これでもまだやめられないとなった場合だ。下手にスリルに味を占めてしまい、抜け出せなくなってしまったら大事だった。
ここで最後の釘を刺す。そのためにこうして待っている。
もちろん、容疑者がここをピンポイントで通ってくれるとは思っていない。千夜子と烙奈とお手伝いのアビス……いや、サマードレス仮面とサマードレスダブルハンドガン仮面とサマードレスバスターアックスソード仮面にも、適した場所で待機してもらっている。
ちょうどクラン〈スノーソードシアター〉のホームを囲むような布陣。なぜなら――。
「――!」
イトの神経の一本が、弦のように震えて鳴った。
続けて、
「待ちやがれ!」
という物騒な男たちの叫び声。
……あれか……!?
イトはグレートヘルム内から遠くを見据える。
黒いシルエットに沈んだ家々の屋根を人影が疾駆する。それを追いかける複数のプレイヤー。
逃げる人影は、追っ手が放つPK範囲に捕まっていた。その範囲は広く、離れて立っているイトもその内部に取り込まれているほどだ。あそこから完全に逃げ切ろうとしたら、目指す場所は一つしかない――自分のホーム。
「くそっ、どこだ!」
「探せェ!」
逃走する人影はうまく追っ手の視界から外れたようだ。追っ手たちの苛立った声がイトの周囲をぐるぐる回る。
しかしこのまま潜伏するのは逃亡者としても危険。ホームに逃げ込むため、この近くに出てくるはず……!
――黒い影が月夜に踊った。
イトが待つ屋上の端に現れたのは、間違いなくさっきまで目で追っていた逃亡者だった。
全身を黒装束で包み、顔にはオペラで使われそうな瀟洒なマスク。
黒い布を大量に巻きつけるような衣装は、本人の体格を著しく不明瞭なものにしていた。小柄な吉備から長身の佐々まで、誰でもあり得る。
イトは厳然と道を塞ぎつつ、背中からガローラを引き抜いた。
「!」
逃亡者がぎくりと身を揺らす。
が、周囲を掻き回す追っ手の怒号に我に返るようにして、慌てて腰の剣を抜き放った。
見目麗しいエターナルフリージア。スノーソードシアター三人娘にだけ与えられたガチビルドの装備。
仕掛けたのは逃亡者からだった。
フロッグマンは、彼女たちも殺陣のためにバトルトレーニングを受けていると言っていた。〈スノーソードシアター〉の殺陣の売りは、戦闘モーションをAIのサポート無しに自力でやることにある。観客たちはそれを見て「あっ、あの技だぁ!」と喜ぶわけだ。
そのうたい文句に漏れず、彼女の動きも真っ直ぐで鋭い。
ガァンと重苦しい音を立て、ガローラの刀身がそれを受け止めた。
「!!」
黒装束の体が大きく押し戻される。防御されただけでここまで強く弾かれたことに、相手は驚いたようだった。大剣のガードの堅牢さを知らないのだ。
諦めずに踏ん張り、すぐさま追加の斬撃を放ってくる。彼女はここを突破するしか、安全なホームに逃げ込む方法はない。
重たい金属音が立て続けに鳴る。
イトは放たれるすべての攻撃を、半ミリと後退することなく、最小の動きで跳ね返していた。
「……!!」
逃亡者の見えない顔に、どんどん焦りが募っていくのがわかった。
剣戟の音を聞きつけてとうに追っ手たちもこちらに向かってきているはず。
こんなはずじゃ……このままでは囲まれてしまう――そんな思い。
(そろそろいいかな――)
ギイン!
逃亡者の決死の一撃を、イトは初めて体を横に流しながら受けた。
二人の立ち位置が入れ替わり、〈スノーソードシアター〉のホームへと向かう道が開ける。
逃亡者にはこれが黄金の架け橋に見えただろう。チャンスとばかりにそのまま駆け出す。間違いない。ホームの方角だ。
イトはそれを黙って見送り、ガローラを背中に戻した。
「目的は果たしました。明日を待ちましょう」
通信で仲間たちにそう一報を入れた後、イトは夜の闇に音もなく身を溶かした。
※
翌日。〈スノーソードシアター〉のホームにて。
「じゃあ今日は軽くリハしたら、すぐに本番いくよー!」
軽い準備運動の後のミーティングにて、演出のウジカワが出演者たちにそう説明する。
稽古場ではなく、ホーム内のちゃんとしたステージを使っての撮影だ。
VAR演劇と呼ばれる手法で、ゲーム内のエフェクトをバリバリに取り入れて舞台を行う。機材に一切費用がかからない上、ワイプから心の声でツッコミを入れたり、スタンプをステージ上に表示できたりと、リアルでは早々できない演出がここでなら工夫次第でいくらでもできた。
イトたちのCMも、本番さながらのエフェクトを駆使して録画される。
「動きの確認よろしくね! イトちゃんたちも硬くならなくていいよ! 本番も何回か撮るから!」
アビスがちょこんと客席に座って見守る中、リハーサル開始。
舞台左袖からはガラスたちが。右袖からはイトたちが現れ、中央で武器を合わせる。
「帝の願いをかなえるために、わたしは剣を取る!」
一番手となるガラスが勇ましく口上を述べ、エターナルフリージアを片手に剣舞いながら中央へ。
次にイトが逆側から登場し、同じようにセリフを言って、中央で待機するガラスと剣を合わせる。
力も何も込めず、コンと当たるくらい。それは誰の目にも明らかだった。
が――。
「……!」
突然、喉を引きつらせるような音を発し、ガラスが尻餅をついた。
その反応に他のメンバーやウジカワも目を丸くする。
「ガラスちゃん……?」
イトが声をかけると、ガラスははっとした顔になり、「ご、ごめん」と慌てて立ち上がる。まだリハーサルなので、何とかイトのガローラと剣を合わせる形に戻るも、その表情は硬いまま直らない。
「ガラス? どうしたの?」
たまらずウジカワが駆け寄って問いかける。
「ごめん……」
しかしガラスはうつむき、そう言うだけだ。その様子にただならぬ空気を感じ取ったのか、ウジカワは一旦リハを終了させた。
それから、彼女たち劇団メンバーだけでの話し合いが持たれ――。
「ごめんなさい、〈ワンダーライズ〉さん。何だかガラスの様子がおかしいの。CMの撮影って……別の日でも大丈夫だったりする……?」
ひどく恐縮した様子のウジカワが、稽古場の端っこで待機するイトたちにそう持ち掛けてきた。
当初の予定では二日間の撮影という契約。ゲーム内の案件とはいえ、拘束時間は拘束時間。それを自分たちの都合で延ばすのがデリケートな問題であることを、彼女は重々承知しているようだった。
「わたしたちはいつでも大丈夫です。それより、ガラスちゃんのこと……」
「ああ、ありがとう! ガラスのこともね。あの子はうちの看板だから、もちろんみんなで支えるわ。ごめん! この穴埋めは、必ずするから!」
パチンと手を合わせて詫びてくるウジカワに、こっちはいつでもフリーですと気を遣いつつ、イトたちはシアターを後にした。
「……ガラスちゃん、だったんですかね……?」
昨日の逃亡者は。と、周囲に聞き耳の立たないところまで来て、イトは仲間たちにこぼした。
「あの子、完全に腰が引けてたわよ」
と客席から鑑賞していたアビスも話す。
昨日の昼間の練習では、あんな態度は一度も見せなかった。ガローラと剣を合わせた瞬間、昨晩の焦燥と恐怖が一気に蘇って――そんなふうに見えた。
「犯人はてっきり、焦りのある佐々かと思っていたが……」
「どうして灰谷さんだったんだろ……?」
わからない。ウジカワの話では、ガラスの稽古に特に問題はなかったはず。昨日話した中でも、何か不満を抱えているようには見えなかった。
ただ、これを機に手を引いてくれればそれでいい。あの驚き方は少し心配だったが、実際にダメージを受けたわけでもないし、前向きなガラスならすぐに立ち直って舞台に集中してくれるだろう。
「フロッグマンさんにも連絡をして……それと念のため、今夜も張り込んでおきましょうか。さすがにないとは思いますよ、さすがに?」
さすがにない。
この時は、イトも他のメンバーもこう思っていた。
予定通りにしれっと再開していきましょう。本年もよろしくお願いします!




