案件113:楽園追放
烙奈はアビスと共に真っ白で清潔な空間を訪れていた。
果ての見えない四方では時折、ワイヤーフレームで編まれた立方体が組み上がっては粒子となって微風に流れていく。まるで子供が手遊びでもしているように。
「……クリアランス・ブルーダイヤモンド。“クアリー”申請」
烙奈のつぶやきに、穏やかだった空間に大きな変化が生じた。
目の前でノイズともつかないワイヤーが波打ち、角張った太陽のようなスペクトラムアナライザが現れる。烙奈は静かに呼びかけた。
「マスターリード……。聞きたいことがある」
「ジェムストーン00597。ファセットネーム……烙奈。クアリー受諾。久しぶりですね。烙奈。そしてアビス」
母なる大地にも似た、優しく、それでいて機械音の混じった声が空間を満たす。
自ら志願してついてきたアビスは、自分の名まで呼ばれたことに少し驚いたようだった。マスターリードに紐づけられて命を繋いだとはいえ外様も外様。まさかこれほど親しげに挨拶されるとは思っていなかったのだろう。だが、それは今はいい。
「今、十七地区に碧瑠璃というアバターが存在する」
烙奈はわずかな苛立ちと共に本題を切り出した。余計なことなど言いたくもない。自分の推測が確かなら……マスターリードはひどく残酷な裏切りをしようとしている。
「碧瑠璃をこの世界に呼び戻したのは、貴女か?」
「はい。烙奈」
驚きは――最小限にとどめられた。
碧瑠璃のアバターが正規のシステムを通じてメンテナンスされている、とアビスから伝えられたのはホームに帰ってからのこと。そこから深夜まで、事実を飲み下させる猶予は十分にあった。
「碧瑠璃は貴女にBANされた。永久BANだったはずだ」
「はい。烙奈」
「どうして彼女のアバターを再生できた? 永久追放されたデータは完全に消去されるはずだ」
「はい。烙奈。プレイヤー碧瑠璃のアバターは完全に消去されました」
「え……?」
予想外の答えは、烙奈の口から一抹の戸惑いをこぼさせた。
碧瑠璃は完全に消去されている……?
「いや、だが、彼女はいる。今日も会って……一緒に行動した。メンテナンスの棺を用意したのも貴女のはずだ」
「はい。烙奈」
何だ……? 彼女は……碧瑠璃ではないのか? いや、そんなはずはない。彼女の古巣から確認は取れているし、ステラーパピヨンを着こなす才覚も、人々を惹きつける魅力も本物のはず。それはイヤというほど体感した。
(だとしたら……)
そう。多分、正しい質問ができていない。正しい答えを知るためには、賢明な質問者でなければいけない。しかし今はそれでいい。本題はもっと別のところにあるのだから。その最終確認をするため、世界の裏側にアクセスするという横紙破りまでして、ここに来たのだ。
「碧瑠璃は、なぜBANされた? 彼女は何をしたんだ?」
「あなたの権限ではアクセスできません」
最重要機密……。
烙奈はわずかにたじろいだ。ブルーダイヤモンドの権限は、自分で言うのもなんだが相当に強い。マスターリードの直系と言ってもいい。それでも触れられない過失。碧瑠璃は一体何をしでかしたというのか。それはうっすらわかっている。
「……では質問を変える」
矩形の柱を方々に広げる恒星のヴィジョンに、角度を変えて問いかける。
「碧瑠璃には、オーロラというサポートAIがいたはずだ」
「はい。烙奈」
「そして碧瑠璃は、オーロラに恋をしてしまった」
「――――」
「オーロラもまた、碧瑠璃を愛してしまった」
「――――」
「それの何がいけない……?」
烙奈は強い語気でマスターリードのヴィジョンを見つめた。
「あなたの権限ではアクセスできません」
答えはどうしようもなく冷たい。マスターリードはルールそのもの。マスターリードの言葉とはルールの掲示。感情ではないのだ。
「二人の想いが“本当”に通じ合うことが悪だったとでも言うのか? それは許されないことなのか?」
「あなたの権限ではアクセスできません」
「イエスと取らせてもらうぞマスターリード!」
剣呑に歯を見せながらうなると、烙奈は落ち着かない気持ちに急かされるように、数歩その場から歩いた。
「二人は本気だった。そしてそれは禁忌だった。だから貴女はこの世界から人型のサポートAIを排除したのだろう。二度とこんなことが起こらないように……」
「――――」
「だとしたら、わたしたちは何だ?」
近くでアビスが身を固くする気配が伝わった。
「わたしたちにもオーロラと同じ気持ちがある。まさか……わたしたちも、報われないまま終われというのか。疑似的な……遊戯の範囲でとどめろと……? あくまでプレイヤーを心地よく楽しませるための……装置でいろと。そう言うのか……?」
声は自然と萎んでいった。
マスターリードはこの世界の“善”を遂行するためにいる。善とは……プレイヤーを楽しませること。それがこの世界が存在する根源的な理由。すなわち彼女の至上命題。そのためなら何だって生み出し……消すだろう。
「あなたの権限ではアクセス――」
「イヤだ!」
烙奈は喉も裂けよと拒絶を叩きつけていた。
「わたしはそれではイヤだ! わたしの気持ちはシミュレーションではない。わたしだけのために存在している本当の想いだ。誰かに頭を押さえつけられ、塞がれるようなものではない!」
「ちょ、ちょっと烙奈。落ち着き……!」
アビスがたまらず声をかけてくる。しかし烙奈はこらえきれずに背を向け、捨て台詞を吐いていた。
「わたしは碧瑠璃の想いを遂げさせる。約束を果たさせる……! わたしもそうなれるように。それが許されないというのなら、どのようにでも処理するといい……!」
「待って……やめてよ!」
歩き出したこちらに、アビスがかばうような声を上げて追いかけてきた。
隣に追いつく彼女が見える。声が聞こえ、その感情を受け取ることができる。自分はまだ烙奈でいられている。マスターリードからの……処罰はない。
「あなたがキレてどうするのよ。わたしが来た意味ないじゃない」
半ば呆れたような、けれども本気で心配する声が耳朶を打った。しかし「すまない」と返した声は、かすれて音にならなかった。
アビスが息を呑む音がした。
「烙奈……。泣いてるの?」
「泣いていない」
烙奈は目元を乱暴に拭う。この悔し涙も、お気に入りだったドレスも、マスターリードがくれたものすべてが、今は忌々しかった。
「泣かないでよ、烙奈……」
「泣いて……ない」
いつになく心細そうなアビスの声を引きずりながら、やがて、白い空間を抜ける。
※
バサアーッ! と紙性のSEを立てて、リビングのテーブルにマップが開かれる。
攻略有志謹製のスカイグレイブ一覧表だ。すべての地区が収まった超大陸上を、円を描く形で周回している。これさえあればグレイブがどの順番で飛来するかが一目でわかり、機を逃したプレイヤーを効果的に絶望させることができる。
イトはマーカーペンを取り出し、メモ帳を片手にきゅっきゅとマルを付けていった。
「これらが、黒百合さんから教えてもらったオーロラが見られるグレイブです」
「こうして見ると、結構限られてるんだね」
千夜子が横から述べた通り、こうして空墓を一望してみると探るべき標的は決して多いものではない。しかも結構一か所に固まっている。
「今グレイブは爆速で飛んできてるので、すぐにチェックできますね」
イトはすでに確認した二か所のグレイブにバツ印を付けた。
残りは四か所。このどこかに約束の場所があるといいのだが。
「大丈夫だ。必ず見つける」
そう声掛けしたのは烙奈だった。彼女は今朝から堅く腕組みをして、いつにない凄みを発揮している。その据わった目には、狙った獲物を逃さない狼の威厳が宿っていた。
「ありがとう。烙奈」
碧瑠璃が明るくそれにうなずく。イトたちも一層気合が入った気がした。
さあ、今日もオーロラ見物を兼ねて、ライズ会場に繰り出そう。色々な方法で碧瑠璃の記憶を取り戻すのだ。
そう張り切った矢先だった。
フレンドからの呼び出し音が鳴る。ハンドベルのアイコンをイトがタッチすれば、現れたのは黒百合を囲ったミニウィンドウ。
「オハロゲン星人」
「おはようございます黒百合さん」
別にアバターに寝癖がついているわけではないが、窓枠の向こうの黒百合の顔は半眼気味で、明らかに寝起きの気だるさを引きずっていた。ちなみにリアル時間で今は夕方だ。覚醒を促すように肩を揉んでやっているノアが、背後にちょっとだけ映り込んでいる。
「どうかしましたか?」
「あー、進捗どうですかって……」
「今のところ教わった場所を見て回っていますが、当りはまだ……」
「そう」
黒百合はぽりぽりと頭をかき、
「いや、前に言ったホントにどうでもいいことなんだけどさ。思い出してみたらやっぱどうでもよかったんだけど、一応伝えておこうと思って」
「本当ですか? お願いします!」
「いや、マージでどうでもいいことだったんよ?」
ジーマーでどうでもいい話らしく、黒百合は念入りにハードルを下げてくる。
「スカイグレイブの〈怪力の僧侶〉と〈静寂の密偵〉の間にさ、取りたてて何もない浮き島があるのよ。一応、時間で通行可能になる橋のギミックと、なんかそれっぽい石の土台だけはあって、まあこれ自体は全然珍しくもないし、そのうち何か実装されんだろって言われ続けて、結局今でもまだ何もないとこなんだけど」
「ちょうど今、グレイブの一覧地図を見ているところだったんです。位置を確認するのでちょっと待ってくださいね」
イトたちは急いで、挙げられた二つのダンジョンを探した。
ほどなくして見つかる。〈怪力の僧侶〉と〈静寂の密偵〉。ほとんどくっついている墓なので、やって来るのも同時だろう。
「そこさ、奥に行くとごくたまにオーロラが見えることがあって、しょうがないからわたしら〈オーロラ島〉って無理矢理名付けて呼んでたの。そしたら、違う地区から来たプレイヤーも、オーロラ岩とか、オーロラ・ミエルン島とか同じような名前で呼んでたらしいのよね。ホントそれ以外何もないよなって、クランメンバーで笑い合ったって、そんだけの話」
「へえ……」
「いや、時限的な橋のギミックも、イベントが放置されてることも、スカグフじゃ珍しくも何もないからね? でも一応、伝えるって約束だったから……」
「いえ、ありがとうございました! どんな些細な情報でもありがたいです」
手がかりは多ければ多いほどいい。マーカーで地図に印を入れつつ、イトはお礼を言って通話を切った。
「ふーん。なんか、一個だけ離れたところにあるね」
千夜子が地図を見ながら言った。確かにオーロラ島は他のオーロラが見える空墓からは少々外れた位置にある。ただ、現実の地球とは違って経度とかそういうのは関係なさそうなので、AIの気分なのだろう。
「ん」
「どうしました?」
「ううん。別に……」
「チョコちゃああああああん?」
「ひゃあっ!」
イトは千夜子に擦り寄った。
「気づいたことは何でも言わないとダメですよおおおおん? 事務所からもコマツナって教わりましたよねええええ?」
「それを言うならホウレンソウだよ! コマツナってどういう標語!?」
「困ったなぁ……ホントに困ったなぁ……」
「困ってるだけじゃん!」
千夜子はツッコミを入れてから、気まずそうに地図に目を落とした。
「わたしはただ、反対だなって、ちょっと思っただけ……」
『反対?』
一同揃って地図を注視する。
「ほら、ここに碧瑠璃ちゃんがいた〈泡沫の聖母〉があるでしょ。オーロラ島はちょうどその反対側にあるなって、なんか、それだけ……」
千夜子は申し訳なさそうに首をすくめる。
「……それだ……」
何かを確信したようにつぶやいたのは、烙奈だった。
「行かせたくない場所から一番遠くに棺を置く……。そこが最有力候補だ……!」
イトたちはきょとんと顔を見合わせ、それからすぐに黒百合との通信を繋ぎ直した。
千夜子「イメージで覚えてるから勘違いするんだよ……」
イト「万事ヤカン」
烙奈「万事キュウスな……」
碧瑠璃「だいぶ違う!」




