案件112:オーロラを探して
「オホン。コホン、コホン」
アビスは扉の前で何度か咳払いし、喉の調子を確かめた。
「ごきげんよう、千夜子。ごきげんよう、千夜子。今日も可愛いわね……」
何度か予行練習を繰り返し、「高貴に、優雅に、麗しく」と黒百合から教わった挨拶の鉄則を胸に馴染ませる。
イトたちを抑えてまで受けた黒百合のガーデンリリー講義。前回はモンスター騒ぎの渦中で、しかもステラ――碧瑠璃が消えてしまったことで上手く注目を集められなかったが、次はしくじらない。
(だいたいみんな、あの子に見惚れすぎなのよ。千夜子だってイトだって可愛いのに)
ここで一度主導権を奪い返しておく必要がある。
準備万端整ったと意識が告げた時、アビスは〈ワンダーライズ〉のホームの扉を優雅に押していた。
「千夜子、皆さん、ごきげん何よこれえええええ!?」
彼女のシナリオ“華麗なる登場”は序章にて打ち砕かれた。
リビングのど真ん中に堂々と居座る棺桶に、完全に存在感を奪われたからだ。
しかも千夜子も誰もいない。どこかに出かけた後らしい。
「ちょっと何やってんのよ烙奈……。さすがにこんなの邪魔で仕方ないでしょ」
ここにはいない烙奈に愚痴をこぼしつつ棺に歩み寄ったアビスの耳に、ふと、小さな物音が届く。
「……その声……! ……様ですか……!? お助け……!」
「ん? 誰かいるの?」
周囲を見回し、ホームに常に駐在しているはずの人物が見当たらないことに気づく。試しに棺に耳を近づけてみると、はっきりとその彼からの声が聞こえた。
「アビスお嬢様! 申し訳ございません、お助けください! フタが閉まってしまって!」
「ペンギン? 何してるの?」
アビスは急いで棺のフタを開けてやった。すると。
シャキン!
「む!」
突然、顔に突きつけられた鋭利な光に、思わずヒュベリオンを取り出しかける。が、それは別にこちらに向けられた凶器ではなかった。
黄色と黒の混じった頭毛。スパチャのスーパーハードだ。
「おお! ありがとうございますアビスお嬢様。危うく一生閉じ込められるところでした」
「礼はいいけど……。何か調子良さそうね?」
さっきまで悲鳴を上げていたくせに、棺から救出したスパチャは何やら妙にツヤツヤしていた。燕尾服は下ろしたて、羽毛は生まれたて、そしてトサカのような頭髪は剣山のように勢いよくそそり立っている。
「はい。実は、碧瑠璃お嬢様の棺を調べるよう、烙奈お嬢様からお願いされまして」
「碧瑠璃? あの子、戻ってきたの?」
「はい。この中に入っておられました。ちなみにこの棺は、わたしが業務を開始した時にはすでにここに置かれていました」
ちゃんと戻ってきた、とアビスは少し安堵する。
どうやらゴーストライター側であることが濃厚な彼女。サイバネコートとは違った動きを見せているが、今のところ目的は不明。ただ、良き友人であることはイトや千夜子の顔を見れば疑いようもない。二人がいつも通りの笑顔でいられるように、帰ってきてほしいとは思っていた。
「それで、中を調べている最中にいきなりフタが閉まって閉じ込められてたってわけ?」
「おっしゃる通りです。しかしおかげで一つわかりました。この箱は棺桶などではありません。超小型のメンテナンスルームです」
「メンテナンスルーム? それってどうなるの?」
「メンテが始まります」
結果を示すように、スパチャはピシッと胸を張ってリフレッシュした自身を見せつけた。
「かなり強力な調整機能を持つようです。これなら、どれほど不安定なモデルであっても形を維持することができるでしょう」
「どれほど不安定な……」
アビスは、セントラルで碧瑠璃が幽霊のように消えたことを思い浮かべた。
ゴーストライターが作り出すアバターはどれも粗製だ。サイバネコートたちは個を持たない群衆であり、実際に測ったわけではないが初期モデルでの存在期間はかなり短い。
碧瑠璃には確かな個……どころか過去すら存在するようだが、こんな装置を必要とする以上、もしかして相当不安定な存在なのではないだろうか……?
(ん……?)
ここでアビスはふと違和感を覚えた。
もっと根本的な話題。目の前にいるこのツヤツヤのヤツ……。
「ねえペンギン」
「はい。何でございましょう」
「あなた、ここでメンテを受けてリフレッシュしたのよね?」
「はい。閉じ込められておいて何ですが、非常に快適でございました。すべてのゴミデータがゴミ箱ポイポイのポイでございます」
マスターリード側のコイツが、正しいサポートを受けられた……?
碧瑠璃はゴーストライター側のはずなのに?
(烙奈……これ、どういうこと?)
※
「約束の場所……」
先ほどの自分の言葉をそのまま繰り返したイトに、彼女は「うん」とうなずいた。
「そこだけ、はっきりとわかった。わたしはそこに行かないといけないの」
クラン〈キキ・トルト〉の通路に設けられた休憩スペース。ローテブルとコの字に置かれたソファーがあり、イトたちはサポートAI用のコスの前からここに移動してきていた。
「その場所がどこなのかはわかるのか?」
烙奈が問いかける。碧瑠璃は眉を下げて首を横に振った。
「わからない。でも、そこにはオーロラが……」
言いかけて、その先を唐突に見失ったように黙る。そこから「それでも、わたしは行かないといけない」と繰り返した声に、イトは碧瑠璃の切実な思いを受け取った気がした。
彼女は取り戻した。漠然としたイメージながら……約束の場所。オーロラ。
「イトちゃん」
「ええ」
千夜子に呼びかけられ、イトはうなずいた。
「大丈夫ですよ碧瑠璃ちゃん。その約束の場所を探しましょう!」
「ホント? いいの……?」
「もちろんです! わたしたちは仲間ですから!」
「ありがとうイト、千夜子、烙奈……!」
「で、でへへへ……」
涙ぐむ碧瑠璃の笑顔に、思わずだらしない顔になるイトたち。
「そ、それでだ」
ゴホンと咳払いした烙奈が、緩み切っていた空気をなんとか締め直す。
「どうやらその約束の場所とやらは、碧瑠璃のサポートAIが関係しているようだな」
サポートAI用のアレンジコスチュームの前で、碧瑠璃はその単語を口にした。無関係はあり得ない。
「やっぱり、その人の名前がオーロラだったのかな?」
千夜子の推測にはイトも同意だ。あの言い方なら、オーロラはサポートAIの名でほぼ間違いない。しかし当の碧瑠璃は慎重な姿勢を見せた。
「……わからない。何だか、それとは別に、本物のオーロラも頭に浮かんだ気がするの」
「名づけの由来か、名前か、それとも約束の場所か。あるいは、すべてが一つなのかもしれない」
「だとしたら、オーロラが見られる場所に行ってみるのが一番ですね」
オーロラが人名ならここで足踏みだが、約束の場所と繋がっているならまだ進む先がある。昨日の段階でオーロラが見られるスカイグレイブを黒百合から教わっているので、そこを虱潰しにしていけばいい。
「幸い、今はグレイブがバンバン飛んできてますから、お墓が飛んでくるまで何か月も待つ必要はありません。とりあえず、手近なところから行ってみましょう!」
『おー!』
これでまた一つ、先に進めた。
オーロラはサポートAI。それも人型の。
約束の場所。約束……。
碧瑠璃は、オーロラと一体何を約束したのだろう?
そんな考えを巡らせながら向かったのは、交流サイトでも話題になっている大人気グレイブ〈激憤の古老〉。
強化素材、ハウジング素材、果ては人気の装備までドロップする激ウマクソ難ダンジョンで、飛来するたびにリアル世界の用事が押しのけられることで知られる。
イトたちの目的はオーロラがよく見える地点に行くこと。ダンジョンに潜る気はもちろんないので、ライズ会場も素通りするつもりだった。
が。
エンジェルゴンドラを飛ばす途中、予想外の歓迎を受けることになる。
「あっ! 〈ワンダーライズ〉と一緒にいるの、あの女の子だ!」
「また来てくれると思ってたぜ!」
「や っ た わ !」
ゴンドラに向かって両手をかざす人、人、人。
人気の復刻グレイブそっちのけで、誰もが頭上を――碧瑠璃を見つめているのだ。
イトはその様子に鳥肌が立った。
こんな光景見たことない。
昨日たった一度、一曲、ライズをやっただけなのに。まるでソロリサイタルに登場したアイドル。これが神祖碧瑠璃の実力……!
すぐ隣でそれを見下ろす碧瑠璃の表情が変化するのを、イトは見逃さなかった。
「降りましょうか、碧瑠璃ちゃん」
「えっ、でも……」
「もちろんオーロラの場所はチェックしますよ。でも……演りたいんでしょう?」
「……!」
戸惑い、畏れ、逡巡、それらがまとめて少女の顔を埋め尽くし、すぐに「うん!」という極上の笑顔に押し流された。
エンジェルゴンドラを急降下させ、ライズ会場の端っこの空き場所へと向かう。が、途中で阻止された。他のアイドルユニットにだ。
彼女が親指をビッと示した先は、グレイブ入り口前の特等席。そこに一つ分の空きスペースがあった。きっと彼女たちがステージを構えていた場所。
「ありがとう!」
もうイトたちの案内も必要なく、碧瑠璃は一人でそのスペースへと駆けていった。
人々の注目を一身に浴びながら、空き地のど真ん中にジャンプで飛び込む。そのタイミングでドンと持ち上がった彼女のアレンジステージに、道行くシンカーたちから爆発するような歓声が上がる。
通路を挟んだ向かい側のアイドルたちが、驚きつつも気合を入れ直す。
「みんな、行くよ!」
イトたちが追いついた時には、もう彼女の世界は始まっていた。
このスカグフにアイドルを生み落とした原初のパフォーマンス。たとえ碧瑠璃の名を知らなくてもその力は無条件に人々を惹きつける。
ゴ……。
一周回って新しい、古のバフ曲。
煌めく碧瑠璃色の髪。キレッキレのダンスに、歌うように波打つ世紀のコスチューム。
「あっという間にとんでもない人だかりに……!」
「碧瑠璃ちゃんすごすぎるぅ……!」
呆気にとられつつも、イトたちも気づけばリズムに乗って体を揺すってしまっていた。他のプレイヤーたちもきっとそうだった。かつてのライズ会場も、こうだったのだろう。
ゴゴゴ……。
「ん? 何の音だ?」
初めにそれに気づいたのは誰だったか。
ステージ前は熱狂の渦。碧瑠璃のパフォーマンスに酔いしれ、異変に気付く余裕は微塵もない。しかし。
ゴゴゴゴゴゴゴ……!
周囲のライズステージは震え、大地は鳴き、風が渦巻く。
予兆は、もう間近まで来ていた。
「しまった……! イト!」
はっとなった烙奈の声に、イトもぎょっとして、
「そうでした! 碧瑠璃ちゃんのライズは――」
次の瞬間、ライズ会場は白い光に呑み込まれ――。
…………。
「みんな、ありがとー! 楽しかったよー!」
いぇーい……。
飛び入りで一曲終え、客席に手を振る碧瑠璃。
応えるシンカーたちはごくわずか。それもほぼ全員が地に伏している。
しかし全員が夢心地の満足顔だ。
「お待たせっ、イト」
「お、おかえりなさぁい……」
元気よく戻ってきた碧瑠璃に、イトたちはどうにかこうにか返事をした。
ガローラを地面に突き立て、三人で寄り集まってライズの衝撃に耐え切った。多分、他のシンカーたちのようにぶっ飛ばされた方が何倍も気持ちよかったのだろうが――さすがにどこかに飛んでいってしまうわけにもいかない。
「ごめんね。ワガママ聞いてもらって」
一ステージ終えた碧瑠璃は顔を上気させ、前にも増して艶めいて見えた。その姿にクラクラしつつも、
「いいんです。あんなに愛されたら、お返ししたくなるのがアイドルですから。ステージにいるあなたは間違いなく真のアイドルでした」
「ありがとう、イト。そこまで言ってもらえて嬉しいな……」
「ほあっ!?」
じっと見つめられ、イトの胸は1000発マシンガンの速射音を奏でた。今なら何でも言うことを聞いてしまいそうな気分――。
「ねえ、せっかくだからもう一回。今度は四人でやってこようよ!」
「あっそれは次の機会に」
ちゃんと生存本能が勝った。
そうしてグレイブ前を一掃した後、陸地の端へと向かい、当初の目的だったオーロラを見る。
群青の空で揺らめく碧のカーテンは、それはそれは美しい眺めだった。
「綺麗……でも違う。ここじゃない」
碧瑠璃は静かにそう言った。
決して悲しそうではなかったのは、きっとさっきのライズがあったからだ。
碧瑠璃には大切な約束がある。けれどそれにも負けないくらい、ライズが、ファンたちが大切だったのだ。好きだったのだ。
だけど彼女は、そんな好きなものの前からいなくなってしまった。
BANされた理由はわからないけれど……。
それは、もう一つの方を選んだからと……そういうことなのだろうか?
※
時間も遅くなり、碧瑠璃も何だか疲れたと言ったので、イトがパーティをホームへ引き上げさせる決定をした。烙奈はそれに素直に従った。
オーロラの手がかりはなくとも、碧瑠璃の顔に悲愴感はなかった。
ライズが楽しかったから。そして、イトたちが一緒にいるからだろう。イトも千夜子も、まるで古くからの友達のように彼女を支えている。この二人は本当に優しい。相手の素性がよくわからなくとも、人と変わらない接し方をしてくれる。
碧瑠璃とオーロラの約束とは何なのだろう、と烙奈は思った。
約束は一人ではできない。相手が要る。
人とサポートAIが約束を?
確かに……例えば友人と予定を合わせる程度の約束なら、サポートAIもできるだろうが……。
自分のことさえろくに覚えていない碧瑠璃が唯一すがる事柄が、そんな軽いものとは思えない。しかし一介のサポートAIがプレイヤーに対してそこまで踏み込んだ対応ができるとも、思えないのだ……。
赤レンガホームにたどり着き、イトが玄関の扉を開ける。
「おかえりなさいませ、お嬢様方」
いつものようにスパチャが出迎えてくれる。
いつ、どんな時でもそうしてくれる。それがアイドルにとっての日常。
しかし、その何でもない光景を前に。
「あっ……ああ……」
碧瑠璃は突然涙をこぼし、その場に膝から崩れ落ちた。
「オーロラ……。オーロラ、行かないで」
慌てて彼女をなだめるイトと千夜子を尻目に、烙奈は雷に打たれたように固まっていた。
わかってしまった。彼女が何だったのか。彼女がこの世界で何をしたのか。
碧瑠璃は、AIに恋をしたのだ。
そして彼女と約束をしたAI――オーロラもまた。
※お知らせ
12月2日あたりからまた少し中断期間が入る予定です。まだちょっと確定ではないので、判明し次第お知らせします。




