案件111:本当の名前を教えて
結局その日、ステラ――碧瑠璃は戻ってこなかった。
ケンザキ社長から教わった情報はひとまず四人の胸に留め置き、一旦解散する。
そして翌日、落ち着かないリアルを過ごし、再びスカグフへとログインしたイトを、異様なものが出迎えた。
「ほあっちゃ!?!?!?」
ドオオオオオオンとリビングの真ん中に置かれた棺。
それと、その脇のソファーにて困り果てた様子で頭を抱える烙奈とスパチャ。
「なっ……何ですこれ……エンジェルキャスケット……!?」
「イト、来たか……!」
烙奈とスパチャが揃って顔を上げ、窮乏を訴えてきた。
「わたくしどもがここに来た時には、すでにこの棺が置いてあったのです」
スパチャ自慢のスーパーハードも萎びている。朝来たらソファを押しのけてこんなものがリビングの真ん中に置いてあったらそうもなろう。イトだってひとまずこの事態に頭の大半がフリーズしている。
「おはようございま~あああああ!?」
そうしているうちにログインしてきた千夜子もイト同様にのけぞり、被害者の一人として加わった。
「こ、これって……もしかしてステラちゃんのエンジェルキャスケット……!?」
千夜子の言葉にイトたちは「多分……」と弱々しくうなずくしかない。
他に考えられない。ここにステラ――碧瑠璃とは別のレジェンドアイドルが入っていたら、新バトルイベント『新旧アイドル血戦編』の開幕だ。
「中はまだ確かめていない。二人が来るのを待っていた」と烙奈が眉間に寄ったシワを指で伸ばしつつ言う。その判断は正しかったとイトは思う。この先起こることは、とても一人では責任を取り切れない。
「じゃ、じゃあ……早速やってみますか」
「も、もう? 待って、ここは一旦ガチャを引いて心を落ち着かせて……あ、ガチャ禁中だった……」
混乱を引きずる千夜子を励まし、全員で棺のフタに手をかける。
「せーの!」
一気に開く。するとそこには――。
「や、やっぱりステラちゃん!」
彼女が入っていた。初めて出会った時と同じ姿勢で。
改めて感じる、穏やかな色の花で埋め尽くされた棺の中の冷たさ。時が止まったような少女の顔。そのまぶたがゆっくりと開く。
「あれ……イト……?」
「はい。そうです。チョコちゃんも烙奈ちゃんもいます」
イトは慎重な声で応じた。目覚めたばかりの彼女は、繊細な氷の彫像のように脆く儚く見えた。
「わたし、何で……? ここ、どこ……?」
目をこすりながらゆっくりと体を起こす。辺りを見回し、すぐに「イトたちのホーム……」と自ら答えを出した。どうやらこっちほど混乱してはいなさそうだ。
「ステラちゃんは空中庭園から避難する途中、いきなり消えちゃったんですよ」
ひとまず棺から出し、ソファーに落ち着かせる。スパチャが持ってきた紅茶をそれぞれが口にしてから、イトは昨日の出来事を話して聞かせた。
「えっ、わたしが消えたの? 何で……?」
「それはこっちが聞きたいくらいで……。何も覚えてませんか」
「ううん」と、可愛らしく唸って彼女が言う。「急に体が重たくなって、気づいたら今だった」
「体が重く……」
つぶやきつつも、イトはその体験にさほど驚いてはいなかった。ログアウトに不慣れだった頃、そういう事態に遭遇していたからだ。ログアウトしてアバターからコントロールが離れたのに、意識だけがごく短時間こちらに残っていることがある。それが金縛りみたいに感じられることがある。が、今回の問題はそういうところにはない。
「体にどこかおかしいところは?」
烙奈に言われ、彼女は体をさわったり、腰をひねったりして調子を確かめる。最後に両手を頭の上でぴこぴこさせて古のウマウマダンスを披露すると、「うん、大丈夫そう」と笑顔で締めくくった。
「くっ……きゃわわ……!!」
「可愛すぎる……」
「何で無事を確かめるだけでこんなに可愛いを振り撒くのだ……」
イトたちは手で顔を覆い、意識が溶けるのをなんとか耐えた。
ひとまず彼女は無事なようだ。
果たして、なぜエンジェルキャスケットに戻っていたのか。なぜリビングに丸ごと現れたのか。わからないことだらけだが、それでも今一番に伝えなければいけないことがある。
彼女の、本当の名前。
イトは息を吸い、そして切り出した。
「ステラちゃん。実は、あなたの名前がわかりました」
「えっ、本当!?」
ステラはぱっと顔を輝かせ、それから少し不安そうな表情になった。
「変な名前じゃなかった……?」
不安の内容も可愛い。イトはぷっと吹き出し、
「ええ。もちろん。わたしが名付けたステラもなかなか的を射てましたが――本当の名前は、確かにあなたにぴったりのものでした」
「ごくり……。じゃあ、教えてくれる? イト」
目を閉じてお告げを聞くように姿勢を正した彼女に、イトは静かに告げた。
「あなたの名前は、碧瑠璃」
「へき……るり」
ここで。
ここでもし、彼女が「よくぞ我が真名にたどり着いた後輩たちよ!」と高笑いと共に宣言したら、この奇妙な物語は円満に終わっていたのかもしれない。
記憶喪失はお芝居で。
これは過去の偉大なアイドルがカムバックするセルフシナリオだった、で。
しかし、そんなネタバラシの代わりに碧瑠璃の瞳から溢れたのは、宝石のような涙だった。
「わたしは碧瑠璃……。碧瑠璃……!」
安堵と喜びの声。
こぼれた涙を受け止めた両手でそのまま顔を覆い、彼女はすすり泣いた。
イトはそんな彼女を優しく抱き寄せる。千夜子も烙奈も、優しい表情でそれを見守った。
明るく振る舞っていても、彼女は怖かったのかもしれない。名前すら思い出せない我が身が。正体がわからないまま、ひらすらに膨らんでいくコスチュームやスキルの価値が。
それが名前を取り戻したことで、彼女の中の何かと一致したのだろう。こちらに預けてくる彼女の肩からは、染み入るような温かさが伝わってきていた。
「話を続けても大丈夫ですか?」
碧瑠璃が落ち着くまで十分に待ってから、イトはそう切り出した。
「うん。お願いします」
彼女は少しおどけた態度で返してくる。まだ少し涙の残った瞳は、近くで直視してはいけないほど艶めいていた。全体的に直前よりもきらめきが増しているような気もする。も、もしかして、これまでは本気じゃなくて、ついに真の姿を取り戻してしまった……?
「え、ええとですね。まず碧瑠璃ちゃんは、シーズン2のスーパーウルトラムテキノアイドルでした」
「へえー、強そう」
「ほとんどのバフライズを網羅し、ステラーパピヨンを着こなし、今のグレイブアイドル――わたしたちの基礎を築いた偉大な先輩だったんです」
「そうなんだ?」
「というわけでわたしたちにとっては足を向けて眠れないグレートパイセンなんですけど……今の話を聞いて何か思い出したことあります?」
「えへへ……ないっ」
あっけらかんとしたものに、イトはほっとすればいいのか苦笑いすればいいのかわからなくなった。昨日と同じ彼女だ。碧瑠璃という名前が何かを大きく変えてしまった様子もない。
ただ、テンションが上がっているのか、前より距離感は近い。
しかもその、適切な人間関係のラインをぎりぎり踏み越えているような近さ。ともすれば相手を誤解させてしまいそうな……。
(でも、そっか……)
これでよかったのかもしれない。
彼女の謎が解けなくても。リアルがどうなってるかなんて確かめなくても。
碧瑠璃は名前を取り戻し、ここ十七地区で新しい生活を始める。楽しい毎日を再スタートさせる。
それで全然、いいのかも。だって彼女は、こんなにも楽しそうなのだから。
「わたしね、ステラっていう名前も好きだよ。可愛いし、すごく綺麗」
「えっ、そ、そうですか。よかったです!」
突然褒められてイトは喜んだ。
「うん。素敵な名前で呼んでくれてありがとう、イト」
「ぐふう!?」
ズキューン!!
イトは何かを撃ち抜かれる感覚を味わった。この心臓に抉り込むような笑顔。六花が頭上から平等に降り注ぐ陽の光だとしたら、碧瑠璃は一人一人に襲い来る流星のブローだ。そうか、近すぎる距離感はそのためのもの……。このままではやられる!
「そ、そ、それはともかくとして、今日はどうしましょう。一応、過去のことは少しわかりましたし、もし行きたいところとかあったら何でも言ってください」
「じゃあ、もう一度マツノさんのところに行きたいな」
妙に迷いなく要望を伝えられて、イトは少し驚いた。
しかし、〈キキ・トルト〉のホームは彼女の意識が途切れたところ。そこからまたスタートしたいという気持ちはわからなくもない。それにこの前はドタバタしていたので、まだ気になるところを調べ切れていないのかもしれなかった。
そうと決まれば善は急げ、いざセントラルへ向かおうとホームを出ようとする。
が、
「あの、イト……」
最後に玄関から出ようとした烙奈に呼び止められ、イトは振り返った。
彼女は伸ばしかけた小さな手を、自分で掴んで引っ込ませ、
「……いや、何でもない」
「? そうですか」
イトは前を向き直し、
「なあんて素直にスルーするとでも思っているんですかああああ?」
再び反転、スリイイイイイと烙奈に擦り寄っていた。
「きゃっ……こっ、これ、やめんか。こんな人前で……」
「そんな態度で呼び止めておいて、何でもないわけないですよね? どうしたんですか何でも話してくださいよぉ~」
執拗に頬ずりしていると、顔を赤らめた烙奈もついに観念したのか、
「う、うう……その……言おうとしたが、まだ自分でも上手く言葉にできていなかったのだ。すまない。後でちゃんと話すから……」
「そうですか、わかりました。待ってます!」
「ただ……」
烙奈は声を極小にして、囁くように言った。
「碧瑠璃がBANされたことについては、少しだけ気に留めておいてくれ……」
イトは注意深くうなずく。
さっき碧瑠璃には伝えられなかったことがある。彼女がある日突然姿を消し、ファンたちを大いに悲しませたこと。姿を消した理由は、恐らくBANを受けたからであること。そして始まった、彼女の伝説の抹消……。
碧瑠璃の言わば陰の部分だ。
それから、わからないことがもう一つ。
碧瑠璃はなぜBANされたのか?
こうして復帰している以上、永久BANではなかったわけだが、それでも彼女がこの世界のルールを破る姿が想像できなかった。
その答えがわかった時に備え、気構えをしておく必要がある、と烙奈はアドバイスしてくれたのだろう。
しかし、あんな素直で善良な少女が、一体どんな過ちを犯したというのだろう……?
※
「あら、また来てくれたのね?」
セントラル。クラン〈キキ・トルト〉のホーム。
入り口横の呼び鈴を鳴らすと、博物館の管理人マツノは昨日と変わらぬ笑顔でイトたちを出迎えてくれた。
「あなたたちならいつ来てくれても大歓迎よ。とは言っても空中庭園は修復中で、あそこで調べものをするにはちょっとまわりが騒がしいけれど……」
そんな挨拶を兼ねた説明の途中だった。傍らに佇んでいた碧瑠璃が「ごめんなさい」と一言言い放ち、一人ホームの中へと突入する。
「碧瑠璃ちゃん!?」
イトたちが驚き慌てて追いかける中、彼女は駆け足で昨日通った廊下を抜け、やがて一つのショーケースの前で立ち止まった。
その背中からひりつくような空気が膨らんだように思え、自然とイトたちの足も止まる。
碧瑠璃の前にあるのは、一着のタキシードだった。
派手にならない程度のささやかなアクセサリーと装飾が施され、自然と着る者の麗しい姿を想像させる、そんなコスチューム。
「マツノさん、あれは……?」
立ち止まったまま一言も発さない碧瑠璃に代わり、イトは小声でたずねる。
「あれは、今となってはとても珍しく……そして使い道のないものよ」
「使い道がないって、普通のコスじゃないんですか?」
マツノは深くうなずく。
「あれは、プレイヤー用のコスではないの。今で言うサポートAIのための服なのよ」
「えっ……」とイトたちは小さな声を揃えた。
「いやでも、あのサイズって人用ですよね? でも、うちのマネージャーはペンギンだし、他の人のだって何かの動物で……。あっもしかして、今はああいう形をしてるけど、実際に使えば動物用に変形するとか?」
「いいえ。まぎれもなく人型用。シーズン3まではね、あったのよ。人型のサポートAIが。それからなぜか廃止されてしまったけれど……」
「何ですって……」
そんな話をしているうちに、碧瑠璃がショーケースに近づき、ガラス面にそっと手を触れさせた。
愛おしそうに、大切そうにそれを見つめる顔が、ガラスに反射して見える。
「オーロラ……。約束の場所で、待ってる……」
彼女は確かに、そうつぶやいた。
後半戦の始まり始まり……。




