155 白銀に憧れ
「そうだなあ……ウラシマとマムシ、どうだ?」
俺は道場内を見渡して、二人を指名する。
樹老流家元の爺さんウラシマは険しい表情で、天南流家元のマムシは「イェイ」とノリノリで一歩前に出た。よかった、どうやら二人とも拒否はしないようだ。
「よし、じゃあ二人とも同時にかかれ。念のため木刀使っとけば、大事には至らないだろ」
二人に木刀を渡しつつそう伝える。直後、道場内の空気がピリリと緊張したように感じた。
「……待て。儂とマムシ、同時にと申したか? ミロク様は、それでよろしいのか?」
「チッチッチ、それは実にナンセンスな疑問ですよウラシマ先生。先程のお二人のバトル、ご覧にならなかったのですか?」
「なんだと? マムシ貴様、いつから儂に対して左様な口を利けるようになった」
「これは失礼。しかし事実は事実。ミーと先生が協力し合わなければ、一分と持たないでしょう」
「儂を愚弄するか!」
二人は犬猿の仲のようだ。
しかし、マムシは現実をよく認識しているように見えるが、ウラシマは全くもってわかっていないらしい。こりゃ、数秒が関の山だろうな。
「アカネコ、マサムネ、アザミ。準備しておけ。次は一分と経たずにお前らだ」
「何を申して……まさか、三対一か?」
「ボク、あんまり自信ないなあ」
「え、わ、私も? えぇ……?」
二対一の後、三対一。デモンストレーションとしては、これ以上ないだろう。
これで少しでも、島の外に出ようという気分になってくれたらいいのだが。
さて、どうなるか。
「互いに礼」
ウラシマとマムシをミロクと対峙させ、号令する。
礼の後、二人は少々の距離を取り、腰を落として構えた。対するミロクは、背筋を伸ばし直立したまま瞑目している。
「――始め」
さあ、試合開始だ。
* * *
道場内には異様な光景が広がっていた。
現人神とも呼ばれ畏怖される弥勒流二十代目家元ミロクと対峙するは、樹老流・天南流それぞれの家元。
家元とは歴史ある流派の頂点であり、刀八ノ国を代表する七人の侍のうちの一人。
その家元が二人がかりで挑むなど……前代未聞。
この日に至るまでの過去の何処を探しても、家元が二人出張ったことなどない。長い島の歴史の中、幾度となく余所人や魔物の襲来があったが、全てはいずれかの家元一人いればこと足りたのだ。
「始め」
セカンドによる号令で、稽古が始まる。
――――次の瞬間。
一人は、倒れ伏し。一人は、その手中から木刀が消えた――
一拍置いて、コンッ……と、畳の上に木刀が落下する。
「…………」
木刀を振り抜いた格好のまま硬直したウラシマの頬を、冷たい汗が一滴伝った。
「それまで」
……四秒。
それが決着までの時間だった。
「サ、サン、クス……ッ」
マムシが腹を押さえながら起き上がり、礼をする。
それに続いて、目の焦点が合っていないウラシマが、背中を丸めてとぼとぼと道場を後にした。
「……見えたか、今の」
「手前には、全く」
「拙者もだ……」
観戦していた侍たちが、口々に感想を話し出す。
彼らは、ここで初めて、此方と彼方との“差”を思い知った。
彼らが束になっても歯がたたない家元が、二人がかりでさえ手も足も出なかったミロクを、なんの危なげもなく破ったセカンド。
実にわかりやすい構図である。
強さの次元が違う。
そして、こう思う。
誰しもが、こう思ってしまう。
大陸へと旅立ち修行したならば、自分たちもああなれるのだろうか……と。
「次は、アカネコとマサムネとアザミだ。頑張れよー」
その上で。
セカンドは、追い打ちをかける。
兜跋流の次期家元が確定している超一流抜刀術師アカネコと、僅か十六歳にして独立し弁才流家元となった天才マサムネ、島内一の努力家である吉祥流家元アザミ。
この三人を同時に相手させようというのだ。
実質、この三人はウラシマとマムシより優れた侍であると言えた。老いに勝てず衰えだしたウラシマと、意外性ばかりを追求するマムシ。それに比べて、三人は若さもあり、実直で、才気に溢れ、修行に貪欲。既に侍として完成していて尚、更に大きな成長を見せようとしている。
そんな三人の侍が、同時にミロクへと襲い掛かる。
普通に考えて、勝てるわけがない。今までなら、侍たちはそう思っていたことだろう。
だが、現在は……真逆。三人でも、勝てるわけがない。こう思うようになってしまった。
そう。セカンドの狙いは、静かに成功していたのである。
侍たちは、この短い時間で、自然と視野を広く持つようになっていた。上には上と考えることができるようになっていた。
「――始め」
無慈悲にも号令が響く。
「ほう」
ミロクの眉がぴくりと動いた。
三人の気迫を感じ取ったのだ。
「主の前で恥をかくわけには参らん」
そして、初めて――ミロクが構えた。
……それからは早かった。
綻びは、マサムネとアザミ。二人の間にあるぎこちなさを突くようにして分離し、早くも二対一と一対一の構図を作る。
次の一撃でアザミを倒し、アカネコを跳ね返し、マサムネをあしらい、アカネコを倒し、マサムネを押し込み、そして倒す。
三人は人数有利をこれっぽっちも活かすことができず、そのまま畳に倒れ伏した。
「それまで」
二十秒。
セカンドはこれを「持った方」だと評価する。
彼は知っていたのだ。ミロクが兜跋流と吉祥流の極意を知っていることを。何故なら、彼女たちの祖先を、ミロクは吸収しているはずなのだから。ゆえに、マサムネ以外の二人の手の内はわかりきっていた。
彼女たちが勝つ道筋は一つ。手の内が明かされていないマサムネを中心とした戦略を立て、最大限に人数有利を活かすこと。
最初から勝負に出ず、慎重に安全に兜跋流と吉祥流が通用しないことを見抜きつつ、弁才流に対するミロクの反応を観察し、囮でもなんでも使ってここぞという場面にマサムネを出し、ミロクと刺し違えさせる。これができなければ、勝利はなかったのだ。
「甘いぞ」
勝負が終わり、セカンドが言う。
それは、アカネコたち三人に対してではない。ミロクに対して。
「つい滾ってしまいました。お許しを」
ミロクはその内容をわかっているようで、静かに頭を下げた。
「せ、セカンド君。何を、言っているんだい?」
何が甘かったのか。疑問に思ったマサムネが、よろよろと起き上がりながら口を開く。
「いやな、こいつ少し本気だっただろう? 兜跋流と吉祥流の弱点を突きながら、弁才流の粗を探っていた。それがいけない」
「手加減しろと、申すのか!?」
アカネコが怒りながら言う。
セカンドは「待て待て」と彼女を手で制しながら、言葉を続けた。
「馬鹿が、逆だ逆。あの戦い方なら、“弁才流の極意だけはまだ見抜けていませんよ”と言っているようなものだ。それではお前らに勝機が生まれる。そこが手ぬるい。少し本気を出すくらいなら、本気の本気を出せ。相手に勝機を与えるな。人数有利を封じ込める立ち回りは良かったが、詰めが甘い」
「主の仰る通りに御座います。余は中途半端に力を入れてしまった。其の方らにも失礼というものだ。申し訳なかった」
ミロクに頭を下げられる三人。しかし彼女たちは、セカンドとミロクが一体何を言っているのか、まだ理解しきれていなかった。
それは道場内の侍たちも同様。皆、目を点にしている。
「つまり……今のミロク様の太刀筋には、ご本人でさえ認める穴があったと……?」
誰かが何処かで呟いた。
そして、誰もが心の中でこう思う。
この場で、セカンドだけが、それを見抜いていたのか……と。
誰も嘘だとは思わなかった。事実、セカンドが三人の代わりに戦っていたとすれば、瞬時にそこを見抜き、同じく「甘い」とこぼしながら、ミロクをボロ雑巾のように扱っていただろう。
刀八ノ国を代表する三人の侍を僅か二十秒で倒したミロクに、駄目出しをする。それがどんなに途轍もないことか、道場内の侍たちは俄かに目眩に襲われた。
しかし、どんなに混迷を極めても、やはり最後はここに行き着くのだ。
自分もああなりたい、と。
世界とはこれほどまでに広かったのか、と。
皆、感動すら覚える。遥か高みにある強さに胸を打たれる。
「ネトゲは全て憧れから始まる」というセカンドの持論が、今まさに証明されようとしていた。
やはり、侍は侍。抜刀術に心の底から惚れ込み、より高みを目指さんと人生を賭して修行に身を入れる者たちの集い。それが刀八ノ国であり、侍と呼ばれる人間の性質。
だからこそ、誘う価値がある。
さっさと大陸に来い、と。彼は笑顔で勧誘する。
「以上でデモンストレーションを終了する。大陸に渡りたいやつ、後で俺に言いに来い。日子流の廃屋にいるからな」
セカンドはそうとだけ言い残し、ミロクを《送還》すると、道場を後にした。
星降る夜空が、一仕事終えた彼を出迎える。
雨は、とっくに、上がっていた。
* * *
「ここがあのメリケンのハウスか……」
日子流の廃屋に帰り、改めてその外観を見渡す。
かつてここにオカンさんが暮らしていたと思うと、なんだか感慨深い。
露骨に和風というかなんというか、最初に見た時は覚えることのなかった違和感が、今となっては凄まじい。
日本文化を勘違いした外国人が考える和風建築、とでも言うべきか。どことなく忍者屋敷のようにも見える。
「なんか仕掛けがあったりして」
ハハッと笑って、玄関から中に入った。
「…………」
いや、まさかな。
でも、万が一ということも……。
「………………」
考えれば考えるほど、辻褄が合っていく。
アカネコはこう言っていた。「誰も使っていない、近寄ろうともしない空き家だ」と。
理由はよくわかる。この島に流れ着き日子流を創始したオカンさん。きっと大天才と謳われたことだろう。順風満帆、誰もが彼の将来に期待したに違いない。それがある日突然、何者かによって命を絶たれたのだ。そして、【吸収】される。
【吸収】された対象がどうなるのか、俺は知っている。抜け殻だ。中身を吸われて、まるでミイラのようになる演出。通夜か葬式かでその変わり果てた姿を見た島の侍たちが「祟り」だと感じるのに十分な理由だ。
結果、日子流の屋敷に近付く者はいなくなった……と。
「……………………」
もしかして。
俺は廃屋の中をくまなく探し回った。
畳をひっくり返し、屋根裏を覗いて回り、壁を叩いて巡り……。
「あ」
そして、発見した。
一見して、単なる壁。
しかしそこは引き戸になっており、一度持ち上げて横へ力尽くでスライドさせると、なんと地下へ続く階段が現れたのだ。
「マジで忍者屋敷かよ……」
ベタ中のベタ。若干呆れながら階段を下りる。
その終点には、屈まなければ入れないほどの小部屋が存在していた。
俺はドキドキしながら小部屋の戸を開ける。
「ワーオ」
現れたのは、銀ピカの茶室だった。
言うなれば『白銀の茶室』だろうか。
もう数百年も経っているはずなのに、その輝きは見事の一言。手に持ったカンテラの光が反射して眩しいほどだ。
「ん……?」
茶室の中を見渡していると、ふと掛け軸が目に入った。
浮世絵風の人物画。そこに描かれた男に、俺はどうしても見覚えがあった。
肩まで伸びた銀髪、筋の通った鼻、切れ長の鋭い目、長いまつ毛。これは……
「……俺か」
セカンドではない。sevenだ。
白銀の茶室に、俺の掛け軸。つまりここは、俺のために用意された俺の茶室。
……あの野郎、やってくれる。ここまでするか? 普通。
「ワタシ、アナタのfanでした」じゃねえよ。大ファンじゃねーか!!(←嬉しい)
「……これ、貰っていくか……」
とても良く描けている。白銀の茶室が、この絵を引き立てるための脇役にすら思えるほどに。まさに彼の在りし日の憧れをそのまま具現化したような表現。眺めているだけで思い出す。あの熱く激しい赫々たる時代を……。
俺は掛け軸を壁から取り外し、丁寧に丸めて、インベントリに仕舞った。
「えっ」
掛け軸の後ろ。
これまたベタベタの仕掛けだが、そこは少し窪んでおり、一つのレバーが取り付けてあった。
オーキードーキー。ここまで来たら、引くしかない。
俺は一思いにレバーを下ろした。
ガチャン――と、何かが開く音がする。
数百年経っても仕掛けは健在のようだ。
「こっちだな」
俺は音のした方へと視線を向ける。
そこには炉があった。
なるほど、この下だな。
俺は炉を取り外す。すると、案の定、その下に空間が続いていた。
人一人分ギリギリ通れる隙間に身を滑り込ませ、ずりずりと下りていく。
暫く下りると、そこそこ広い空洞に出た。
灯篭に、鳥居。階段と、小さな社に、観音開きの戸。
どうやらここは祠のようだ。
「…………」
戸の奥、岩の台座の上。
そこに一振りの刀が置いてあった。
恐る恐る手に取る。
装備の耐久は、限界まで削れていた。壊れる一歩手前だ。これを使うには、相当な修理が必要である。しかし……
「凄いな。見たこともない刀だ」
俺の長い長いメヴィオン歴の中でも、一度たりとも目にしたことのない装備。ボロボロであろうとも、思わず目を奪われるほど美しい刀だった。
そう、恐らくは。
「……オリジナルか」
オカンさん作製の“オリジナル武器”。
【鍛冶】スキルの全てが九段の上、途方もない経験値と素材と時間を注ぎ込んで数%の確率でしか作製することのできない、上級者の憧れ。
そんな物が、何故、こんな所に。
俺はひとまずインベントリに仕舞い、それから刀の情報を見た。
刀の名称は、「七世零環」となっている。
そして、アイテムの説明文には――
『敬愛なるsevenへ、また共に戦えることを願って。0k4NNより』
…………。
つい、目頭が熱くなった。
俺は七世零環をインベントリへと大切に大切に仕舞い、暫しその場に立ち尽くす。
彼の最期の言葉を思い出した。
どれだけ後悔するかじゃない、どれだけ胸を張って死ねるかだ。
俺にとっては、もっともっと未来の話だと、そう言っていたが。
馬鹿言え。こんなものを貰っては、もう毎日そう思わずにはいられないじゃないか。
「……また、共に戦おう」
失った日々を取り戻すように。
俺たちの青春を再現するように。
今、確かに、あの頃の熱く眩しく鮮烈な輝かしい栄光の情景が、この胸に蘇った。
願わくば、この世界でも、もう一度。
世界に飛び出し、また共に戦おうじゃないか――。
お読みいただき、ありがとうございます。




