140 手繋ぐなって!
「大黒流?」
アカネコの口から出た単語が気になった。
大黒流。確か、初めてこの島に来た時に出会った三人の侍も、大黒流と名乗っていたか。
「大黒流家元トウキチロウが運営している大道場。刀八ノ国にて最も大きな流派だ」
「最もでかいってことは、そのトウキチロウは相当な実力者なのか?」
「否。トウキチロウは金のことしか考えておらぬ。門戸を広く開けることで多くの門下生を集め、宗教じみた集金をしておる」
「抜刀術は商売道具ってわけか」
「然様。家元とは名ばかり。奴は金の亡者だ」
「じゃあ期待できないなぁ」
「……安心しろ。門下にはそこそこの者がいる」
「へえ!」
安心した。アカネコが「そこそこ」と言うんだから、多分「かなり」なんだろう。こりゃ楽しみだ。
「なあ。ところで、この島にはいくつの流派があるんだ?」
道すがら、暇だった俺はアカネコに気になったことを聞いてみた。
まあ、多分、八つなんだろうけど。
「そんなことも知らんのか。全く呆れる。八つに決まっておろう」
「刀八ノ国だもんな」
「然様。しかし、元は五つ」
「マジかよ」
「南極流は天南流と樹老流に分離し、日子流と弁才流は新たに生まれた。そうして今の形となったのだが……日子流はもう継承者がおらぬゆえ、実質は七つと言えよう」
よくわからん。
「じゃあなんで残してんの」
「残さねばならぬ。島に伝わる伝承だ」
「伝承ねえ。どんな?」
「……続きは後だ。到着するぞ」
「おっ?」
どうやら大黒流の道場に着いたようだ。
……といっても、塀が広すぎてよくわからない。とにかく「でかい」ということだけはわかる。
辺りを見渡すと、100メートルほど先に大きな門を発見した。あそこから入るか。
「って、オイ! 門から入らないのか?」
つい声を出してしまった。
アカネコがこっそり塀を乗り越えようとしていたからだ。
「す……少し覗き見て、早う帰ろう」
「駄目だ。正面から入るぞ」
「なっ、このっ! 離せぇ!」
恰好が恥ずかしいんだろう。アカネコは塀の上からちらりと中を覗いて早々に帰るつもりだったらしい。
そうは問屋が卸しませぇん。俺はアカネコの手をぎゅっと握って、無理矢理に正門の前へと連れていった。
「頼もう! ここで一番強いやつはどいつだ!」
正門前に立ち、開口一番に俺は叫ぶ。
瞬間、だだっ広い敷地の中で木刀を振っていた大勢の大黒流門下と思われる侍たちが、一斉に俺たちに注目した。
「や、やめてくれぇ……」
握ったアカネコの手から、尋常じゃない熱を感じる。恥ずかしくて堪らないのだろう。
だが、ここで手を離すような俺じゃない。アカネコに逃げられては、刀を借りる相手がいなくなってしまうのだ。それだけは避けたい。
「あっ、貴様!」
「余所人ではないか!」
「何故ここに!」
数秒後、俺たちに近寄ってくる輩が三人。よく見れば、港で会った侍三人組だ。
「うるさい黙れ。雑魚に用はない。もっと強いやつを出せ」
「なんだと!」
「何様だ!」
「許せん!」
怒った。
侍の「何様だ!」という怒号にアカネコが「本当にな」と呟く。それについては俺も同意せざるを得ない。
「――まあまあ、そうことを荒立てずともよかろう」
三人組とぎゃーぎゃー言い合いをしていると、人垣を掻き分けて一人の侍が現れた。高い身長と甘いマスクの、爽やかな印象の二十代前半ほどの男だ。
「カンベエ殿!」
「この男、余所人に御座います!」
「そのうえ道場破りに御座います!」
三人組が即座にチクる。
「ほう、余所人。それに道場破り。なるほ――」
カンベエと呼ばれた男は、俺の方を向いて「なるほど」と言いかけ、ぴたりと動きを止めた。
男の視線は、俺の隣。アカネコに向いている。
「……あ、あ、アカネコさん。そ、その、恰好はっ」
「見るな。後でお前を殺さねばならなくなる」
「こ、これは失礼をっ!」
カンベエは顔を赤くして、ぎろりと睨むアカネコから顔を逸らした。
しかしそうは言いつつも、その目はチラチラとアカネコの太ももを追っている。
アカネコは「はぁ」と一つ、大きな溜め息をついた。
「あいつが大黒流で一番強いのか?」
アカネコに聞いてみると、彼女は暫しの沈黙の後「然様」と頷いた。
だと思った。あのカンベエという男、立ち居振る舞いが明らかに周りと違う。
「貴様、何をこそこそと話している。道場破りならば、このカンベエが相手を――」
カンベエは俺を見据え口上を述べようとして、再びはたと言葉を止めた。
そして、わなわなと震えながら俺を指さして口を開く。
「な、な、なぁっ!? き、貴様! その手はなんだ! 何故アカネコさんと、て、て、手を繋いでいるっ!」
今頃になって気付いたのか。こいつ太もも見すぎだろ。
……わかる、仕方ないぜそりゃあ。
「仲良しなんだ俺たち」
「戯け! 何を申すか!」
そこまで否定せんでも……。
「………………」
おおっと、挑発しすぎたか。
「アカネコ、刀貸せ」
「このうえ何をっ」
「いいから貸せ」
俺はアカネコの腰から刀をひったくると、すぐさま装備した。
「シィ――ッ!!」
――瞬間、目の前にカンベエの《桂馬抜刀術》が迫る。
おいおいこりゃあ……本気なやつじゃないか。
「カンベエ貴様ッ! 不意を突くなど!!」
直後、アカネコは激昂した。
不意打ちが気に食わなかったようだ。なんだそりゃ、アカネコの兜跋流には不意打ちがないのか? 確かに正々堂々という言葉がこれ以上なく似合う女だが……。
「――っ!」
俺とカンベエは、互いにスキルを繰り出し、すれ違った。
《桂馬抜刀術》は、大きな移動とともに抜刀するスキル。縮地にも似た瞬間の間合い詰めと、鋭い抜刀。実に不意打ちに適したスキルだ。
……だが、ウィークポイントも大きい。
「お前! 何処を斬られた! 見せよ!」
アカネコが懐からポーションを取り出し、慌てて俺に駆け寄る。口ではああ言いつつも、心配してくれるあたりが彼女らしい。
「危うく死んでたなぁ」
だが、心配する方が逆だ。
俺はアカネコを無視して、カンベエに笑いかけた。
「なんだと? 何を申して……」
アカネコは目を丸くして俺を見てから、ゆっくりと俺の視線の先を追う。
「……はっ……はっ……はぁっ……!」
そこには、刀を握りしめたまま目を見開き、息を荒くするカンベエの姿があった。その額には、大量の冷や汗がにじんでいる。
はらり、と。カンベエの着物がはだける。帯を斬ったのだから、当然か。
「な……何をした……何をした!!」
カンベエは着物の前をはだけさせたまま、俺を睨みつけて怒鳴った。
何をしたのかもわからないのか……論外だ。
「桂馬抜刀術は移動と抜刀の組み合わせだから、両方の動作が終わった瞬間の隙が大きい。ゆえに、外したら終わりだ。基本中の基本だな」
基本中の基本。この世界のやつらを相手に何回言ったかわからない言葉。
「抜刀術は溜めずに放つ銀将抜刀術が最速。これなら威力はなくとも、躱してからのすれ違いで簡単に一撃入れられる」
「然様な小手先の技で!」
「小手先も何も、あるもの全部使って勝つのが勝負ってもんだろう」
「それは……!」
「躱せるようなぬるい桂馬抜刀術で奇襲したお前が悪い。反省しな」
「…………っ」
「行くぞ、アカネコ。もうここに用はない」
俺はアカネコの手を引いて、大黒流の侍たちに背を向けた。
正門から一歩出たところで、背中に声がかかる。
「貴様、名はなんと申す!」
振り向くと、カンベエが歯を食いしばり、目を血走らせ、拳を握りしめながら叫んでいた。
……これまで幾度となく見てきた、俺の大好きな表情だ。人生において最も無残な敗北を喫した者が、悔しさのあまり必死の覚悟で崖を登らんと決意する前段階の表情。大勢の観衆の前でこの顔を晒し、その数年後にタイトル挑戦者となったプレイヤーを、俺は何人か知っている。
「セカンド・ファーステスト。覚えておいて損はないぞ」
そう遠くない将来、毘沙門戦で会おう。
その思いを込めて、俺はカンベエに再び笑いかけた。
* * *
セカンド・ファーステスト。
ようやくあやつの名前を知った。なんともハイカラな名前だ。
……まあ、それはいいとして。
驚いた。あやつの抜刀術だ。
この私でさえ見切れなかった。突然のこととはいえ、不覚。
まぐれか? 否、あのカンベエの反応と、当人の口振りからして本物。となれば、まだはっきりとはその実力を掴めはせぬが、セカンドの才覚たるや、父上に匹敵するやもしれぬ。認めたくはないが、刀ばかりは嘘をつかぬ。いよいよ、この男が本当にわからなくなった。
しかし、あの大黒流筆頭のカンベエを一太刀で戦意喪失させるなど……これがどれほど大きなことか、セカンドはまだわかってはいまい。
カンベエは確かに腕の立つ侍だが、私には遠く及ばぬ。無論、父上にも。
とはいえ、大黒流では最も優れた侍なのである。それが倒されたとあっては、看過できぬ者も多い。
ついに魑魅魍魎が動き出す。
父上も、他の家元も黙ってはおらぬぞ……。
「悲しいかな、あいつは習う流派を間違えたな。お前の所なら、いい線行くんじゃないか?」
「ふむ。その評価、なかなかに核心を捉えていよう。確かに、カンベエは才能を腐らせている」
「お前が教えてやったらどうだ? あいつ、多分お前のこと好きだぞ」
「……それを聞いて尚のこと嫌になった。私は兜跋流の跡取り。色恋に現を抜かす暇などない」
「年上は嫌いか?」
「いや、私はどちらかというと……何を言わせる!」
「さて、次は何処に案内してくれるんだ?」
「全く、この男は……」
一体何を考えているんだか。
「ここで暫し待て。厠へ行ってくる」
「カワヤ?」
「……厠は、厠だ」
「つまり?」
「用を足してくると申しているのだ!」
「あ、ああ、すまん、そういう……」
全く!
* * *
全く全く、とぶつぶつ呟きながらぷりぷり怒ってトイレに行ったアカネコ。去り行く太ももが実に艶めかしい。
俺は暇になったので、アンゴルモアを喚び出して雑談に興じることにした。
「ふむ、ほう! これはこれは」
召喚するや否や、アンゴルモアはニマァと笑って、俺に顔を近づける。どうやらまたろくでもないことを一体化して感じ取ったみたいだな。
「我がセカンドよ。女の趣味が窺えるな?」
「どういう意味だよ」
「あの刀の女、弓の女によく似ておるではないか」
「……ああー、言われてみれば確かに」
「フハハハ! 気のない振りをしおって。抱きたいのか? ン?」
「まさか。俺はああいうタイプが話しやすくて合ってるんだよ」
「嘘はいかんぞォ」
「ごめんなさい」
抱けるなら抱きたいですよそりゃあ。
「……しかしなんだ。お前、次第にオッサンくさくなるな」
「我がセカンドよ。言っていいことと悪いことがあるぞ」
「ほら見ろ、反論できないんだろうが、えぇ?」
「では逆に問おう。我が仮に乙女の如き口調で喋ったとして、我がセカンドは如何様に思う?」
「まあまあキモい」
「せ、精霊大王に向かってなんたる口をッ! 不届き千万ッ! 我が主とて許せん!」
「はぁ……お前、喋らなきゃなあ」
「溜め息をつくでないわ! 我は精霊大王ぞ!? 精霊界を支配する大王なのであるぞ!」
「そういうところだよなぁ」
「なっ、我がセカンドとて痴れ者ではないか! 女のケツばかり追いかけおって! 全くけしからん!」
「テメェ! 世界一位に向かって何を言う! 失礼な! 許さんッ!」
「…………」
「…………」
「英雄色を好むとも言う。よきかな、よきかな」
「なんだよ、お前こそ大王らしくてイケてるぜ」
「フハハハハ!」
「わはははは!」
「厠から帰ってきてみれば、何をやっているんだお前は……全く、頭が痛くなる」
お読みいただき、ありがとうございます。
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