121 まさか災難ない逆さま
セカンドたちがレイスのテイムに四苦八苦している頃。
反教会勢力『ディザート』は、着々と革命の準備を進めていた。
そんな中、リーダーのブライトンを中心に、ディザートの主要メンバーたちが机の上に地図を広げて会議を開く。
「コンクラーヴェは早朝。ゆえに、奇襲は夜明けから早朝にかけて行うべきだろう」
「待て、コンクラーヴェ中を突く方が効果的ではないか?」
「いや、オルドジョーの警備が固まってしまう前に仕掛けた方が良い。明け方ならば士気も低いはずだ」
「他に意見は? ……では奇襲は夜明けとともに。ブライトン、奇襲の方法は?」
「北ルートで行こう。白銀作戦だ」
以前より、来る革命の日のために練られていた奇襲方法の内の一つ、白銀作戦。
これは、冬でのみその効力を発揮する。カメル神国北部、特にオルドジョー北側の山は、この季節になると雪が降り積もる。その地の利を活かし、ディザートの総員が白い外套を纏って、白雪に紛れて奇襲を仕掛ける作戦だ。
春夏秋冬、山の中で隠れて暮らしてきたディザートたちと、何十年間も戦争らしい戦争をしていない兵士たち。どちらの練度が上かは想像に難くない。
しかし、ディザートは総勢一千人にも満たない、虐げられた者たちの寄せ集め。万の兵力を持つカメル教会に敵うとは到底考えられなかった。
ただ……コンクラーヴェ中を襲えるとなれば、話は別である。
如何なる犠牲を払ったとしても、諸悪の根源である教皇と、それに媚びへつらう枢機卿どもを駆逐すれば、一発逆転が可能だと、彼らはそう考えていた。
その教皇と枢機卿が、一堂に会しているのだ。ここを狙えば、万に一つの可能性はある。逆に言えば、ここを狙う以外、革命を起こすチャンスはない。
ゆえに、捨て身の覚悟で、死にもの狂いで、今、まさに、蜂起せんとしている。
「…………」
ブライトンは、胸元にぶら下げたネックレスの先についた指輪を手のひらに乗せて、悲しげな顔で見つめる。
今は亡き、彼の妻の指輪。妻も、子供も、父も母も、皆――殺された。家族の中で生きているのは、ブライトンと、彼の弟のみ。
……目を瞑り、指輪をぎゅっと握る。そして一つ深呼吸をした。
ここディザートに辿り着く者は、その殆どが、ブライトンのように深く悲しい何かを抱いている。
彼らのためにも、己のためにも、亡き者たちの無念を晴らさなければならない。
なんとしても、革命を起こさなければならない。
時は、来た――。
「兄貴! あっちにもいるっすよ!」
古来、伝わる格言がある。
交通事故は運転に慣れてきたばかりの者が最も起こしやすい――と。
「プルム! 調子乗ってんじゃねェ! 出過ぎだッ!」
「へっ?」
これまで通りに《歩兵弓術》を構えるプルム。だが、これまでとは状況が違った。プルムが前方へと出過ぎていたのだ。
プルムが矢を射るより先に、魔物が二人の存在に気付く。マダラディアーという魔物だ。毒々しい斑点模様の体で大きな角の生えたシカのような姿をした、素早い動きが特徴の魔物である。
「ちッ……!」
舌打ち一つ、ジャストは即座に《歩兵弓術》を準備し、呆けたままのプルムより先に放った。レイスかどうかの調査など、行っている余裕はないと判断しての一撃。
「ギャウゥッ!」
命中。左肩に矢がクリティカルヒットしたマダラディアーは、標的をプルムからジャストへと変更する。案の定、マダラディアーは本物だった。
「プルム! 下がれ!」
「う、うっす!」
ジャストの命令で、走って後退するプルム。ただ、その命令の仕方が悪かった。「退け」と言うべきだったのだ。
「バカお前、そうじゃねェ!」
「えぇ!?」
プルムは馬鹿正直に、真っ直ぐジャストのもとへと下がったのである。ジャストとしては、射線から外れつつ下がってほしかった場面。射線を邪魔してはいけないというのは【弓術】に携わる者ならば常識だが、プルムにはまだその常識が備わっていなかった。ただそれだけのことである。
「クッソ!」
追撃がまごつく。
その隙に、マダラディアーはプルムとジャストの目前まで迫っていた。
プルムが横に退いた瞬間、ジャストは準備していた《銀将弓術》を放つ。
「あ、やっべェ」
マダラディアーは、飛来した矢をひらりと躱す。
動きの機敏な魔物が相手の場合、このようなことがあるため、弓術師は一時も油断できない。ゆえに、魔物との距離がとても大切なのだ。
「くっ……おらァッ!」
ジャストは次いで《歩兵弓術》を即座に準備し、ゼロ距離でマダラディアーへと射る。
マダラディアーはジャストの一撃を受ける寸前に体当たりを繰り出し、ほぼ同時に双方が双方の攻撃を喰らった。
《歩兵弓術》は頭部にクリティカルヒット、マダラディアーは即死した。だが、死の間際の体当たりの判定はしっかり残っていたようで、ジャストは直撃を受けて後方へ吹き飛んだ。
「兄貴ぃ!!」
ドサッと3メートル後ろの地面に落下したジャストに向けて、プルムが叫ぶ。
自分のせいだ、と。後悔が彼を襲う。だが、8割方は連れてきたジャストのせいである。ゆえに、今夜は二人並んでユカリに手酷く叱られることとなるだろう。
プルムは半泣きでジャストのもとへと駆け寄った。
ジャストは仰向けで大の字になって気絶していた。メヴィオンは、頭に強い衝撃が加わった際の6.25%でスタン効果が発現する。恐らく、吹き飛ばされ落下した際に強く頭を打ったのだろう。そして運悪くスタン抽選に当たってしまったのだ。
「兄貴! 兄貴! 大丈夫っすか!? そ、そうだ、ポーションを……!」
古来、伝わる格言がある。
ついていない時はとことんついていない――と。
「あっ」
プルムは自身のインベントリから、支給された状態異常ポーションを取り出した。
だが、その手が震えていたためか、ぽろりと落としてしまったのだ。
「ま、待てっ。こらッ」
ポーションは坂をころころと転がっていく。それを追いかけるプルム。
「うお!?」
――突如、足場がなくなった。
ポーションの転がっていった先は、崖になっていたのだ。
気付いた時にはもう遅い。プルムの体は完全に崖から投げ出されていた。
「うわああああああッ!?」
落ちる! プルムがそう直感した、直後――。
「……っ……」
「全く世話の焼ける、と申しております」
機嫌の悪そうな声とともに、プルムの体がグルグルと糸に縛られる。
半径4メートル以内の相手を糸で拘束するスキル、《金将糸操術》――イヴ隊所属の暗殺者ルナによる救助であった。
「う、ぐえッ……あ、ありがとうござ、いぎぎぃっ!」
糸でぷらりと崖に吊るされるプルム。非常にキツい拘束であったが、状況的にお礼は言えども文句は言っていられない。
「……ぁ……っ」
「ご主人様からいただいたポーションを粗末にはできません、と申しております」
一方でイヴは、崖から落ちたはずのポーションを糸で絡め取っていた。
自身の体は、崖からにょきっと生えている木に、これまた糸でぶら下がっている。
「おげぇっ! ……い、痛っ、ありがとうございますっ。痛てて……」
ルナはグイッと糸を引き寄せて、崖の上にプルムの体を乱暴に放り投げた。プルムは体じゅうあちこちを打撲したが、命が助かったと思えば大したことではないので、再度お礼を口にする。
次いで、イヴが状態異常回復ポーションを崖の上へと遠心力を使って投げた。パシッとルナがキャッチして、万事解決。ピンチは脱したかに思えたが……。
ミシッ……と。イヴのぶら下がっている木が、嫌な音をたてた。
「!」
状況を一瞬で理解したルナが、イヴを拘束しようと即座に糸を伸ばす。
イヴもまた、その木以外に掴まる場所を探した。
だが、間に合わない。
「っ……!」
メキメキメキ! と、大きな音をたてて、木が――折れた。
空中へ投げ出されたイヴは、なすすべなく落下していく。
……崖は、相当な高さだった。如何な序列一位といえど、この高さから落下すれば、ただでは済まない。
ゆえに。ルナは珍しく焦りの表情を浮かべて、イヴを助けるために、自身も崖の下へと飛び込もうと足を動かした。
そんな彼女の手を、プルムが引く。
「何を……!」
「大丈夫、っす」
ルナは怒りをあらわにする。散々迷惑をかけておいて、この上こいつは……と。だが、そんな非難の視線を受けて尚、プルムはルナを安心させるように言葉を続けた。
「呼びました。だから、きっと、大丈夫っす」
プルムは、木が軋んだ時、既に呼んでいたのだ。
イヴが今まさに崖から落下しそうだと、チーム限定通信で。
「……ぅ……っ……!」
地面まであと何秒か。イヴは、まるで一秒が十秒にも二十秒にも感じられるような、不思議な感覚の中にいた。そしてその間、如何にして着地の衝撃を和らげるかを必死になって考えていた。
だが、フッと、途端に思考が消え去る。久しく感じていなかった“恐怖”という感情が、彼女の心を支配したのだ。
きっと、とても痛い。最悪の場合、死ぬかもしれない。そう考え始めると、イヴは怖くて仕方がなくなった。
恐怖を感じることができないと言っていたルナなら、こんな時も冷静に対処できるのかな――と。全てを諦め、余計なことを考えた刹那。
ぶわりと、背後で影が膨らむ気配を感じ。
そして、イヴの体を、何かがふわりと包み込んだ。
「――舌、噛むなよ」
「…………ぁ……」
夢か、幻か。イヴの耳元でそう語り掛けたのは、彼女の仕える主、セカンド・ファーステスト。
その時の光景を、彼女は一生忘れることはない。
彼の胸の中から見上げたその顔に、後光がさして見えたのだ。
太陽を直視したことのない彼女が、生まれて初めて太陽を目にした瞬間であった。
なんて格好良い人なんだろう、と。心の底からそう感じたのだ。まさしく、姫のピンチに颯爽と駆けつける騎士そのもの。幼い頃、薄暗い座敷牢の中で読んだ騎士物語。甚く憧れ、そして諦めていた、あの物語の登場人物に、今まさに自分がなったかのような、甘い痺れを伴う美しき再現。
この時、彼女は確かに落ちた。落ちながらも、落ちたのである。
何に、と口にするのは、無粋であろうものに。
* * *
さて。
なんだこれ。
とんでもねえ状況だなマジで。
どうしよう。
このまま着地しても、まあクソ痛ぇだろうが、別に死にゃあしない。
だが、俺はまだいいとして、無辜の使用人が痛い目に遭うのだけは絶対に避けなければならないところだ。
ゆえに、二人分の落下ダメージを無効化する必要がある。
俺の知っている方法は、主に五つ。
一、装備品の付与効果で“落下ダメージ耐性”の値を最大にする。
二、《変身》の無敵時間8秒を利用する。
三、「発動後に特定のモーションが自動で開始されるスキル」を着地の直前に使用する。
四、着地の直前にログアウトし、その後ログインする。
五、着地の直前に“騎乗ユニット”の半径2メートル以内で《乗馬》スキルを発動する。
この中で、今この刹那に不都合なく選択できる手段であり、且つ二人分という条件を満たす方法は――五番目のみ。
「あんこ、変身」
「御意に」
以上の判断を1秒に満たない間に行う。
殆ど“直感”である。
崖から落ちてんなぁ、と思った直後には、もうあんこに《暗黒変身》の指示を出していた。人間の脳みそとは斯くも不思議なものなのかと、落下中にも関わらず少々の感動を覚える。
転移してきた瞬間もそうだ。あんこは崖の断面に映ったイヴの影に《暗黒転移》し、間髪を容れずに俺をイヴの背面へと《暗黒召喚》してくれたのだと、俺は今、感覚で理解している。よくもまあこの一瞬のうちにここまで把握できるものだと、自分で自分の脳みそに感心してしまう。
今思えば、プルプル君からの通信に「崖から落ちそう」と書いてあったことが、大変プラスに働いている。俺がこれほどすんなりと状況を飲み込めているのは、恐らく彼のお陰だろう。
「……っきゃ!」
慣れたもので、ひょいっとあんこの背中へ“乗馬着地”をキメると、お姫様抱っこ中のイヴから短い悲鳴があがった。
怖かったのかもしれない。いや、怖いよな、常識的に考えて。
だって、あれだけ凄まじいスピードで落下していたあのエネルギーは一体何処へ行ったんだと、突っ込まずにはいられないほど物理法則をガン無視した摩訶不思議な現象が、たった今、目の前で発生したのだから。いや、なんならその身を以て体験したのだから、悲鳴の一つや二つあげるだろう。
現在、俺たちは、つい1秒前まで崖から落下していたことなどまるで嘘だったかのように、狼型となったあんこの背中にまたがって平然としている。
仕組みは単純。《乗馬》スキルの発動と同時に、落下開始位置がリセットされた。ただそれだけ。
ちなみに、対象の騎乗ユニットが馬だろうが飛龍だろうが暗黒狼だろうが、それに乗って操るスキルは《乗馬》である。馬じゃないのに乗馬とはこれ如何に。
「あんこ、もういいぞ」
無事に崖の下へと着地できたので、あんこに再び変身を命令する。
あんこはボフッと人型に戻ると、そのままへなへなと俺の体にしなだれかかった。
「う……動けませぬ……」
日陰の少ない場所のため、陽光に晒されてしまったようだ。
俺は感謝とともに「暫く休んでな」と伝えて、あんこを《送還》する。実に素晴らしい働きっぷり。何かご褒美を考えておかなければならないだろう。
「災難だったな」
「ぁ……っ……」
「ん? ああ、気にするな。まあこういうこともあるさ」
「……っ……っ!」
「安心したのか? 泣くなら泣いていい。生憎とこんな場所しか空いていないが」
落ち着かせるように冗談を交えて言うと、イヴは俺の胸に顔をうずめて静かに泣き出した。
その間に俺はチーム限定通信で「救助成功」と送っておく。ルナとプルプルが心配しているだろうから。
……あれ? そういえば俺、イヴの言っていることが不思議と聴き取れたぞ。距離が近いからか?
「ぉ……ぁ……」
「え、もういいのか。復活早いなお前……って顔赤ッ!?」
落ち着きましたご主人様、と言って顔を上げたイヴだったが、頬も耳も首もよく見ると手まで白い肌が真っ赤っかに染まっていた。おまけにその細い体はふるふると小さく震えている。断言しよう、こいつ絶対に落ち着いてねえ。
「悪いこと言わんから暫くこのままでいろ、いいな?」
「……ぇ……っ」
「いいな?」
「……ぃ」
有無を言わさず、お姫様抱っこの状態をキープする。
使用人の中で最も戦闘力のある寡黙なメイドの彼女が、崖から「真っ逆さま」に落っこちただけでこんなに取り乱すなんて、「まさか」だな。
……あれ、なんだか急に寒くなってきた。
イヴもまだ震えている。もしかしたら安堵の震えというわけではなく、単に寒いのかもしれない。
この世界の良いところでもあり悪いところでもあるな、この体感温度。メヴィオンでは暑いも寒いもなかったからなぁ……夏季タイトル戦にはなるべく涼しげな装備を見繕っておいた方が良さそうだ。
「ん……? おっ」
周辺を見回しつつなんやかんや考えていると、向こうの方に冬の木枯らしをしのげそうな横穴を発見した。俺はイヴを抱えたまま歩いて移動する。
しっかし、こうも冬が寒いと、動物たちも大変だろうな。冬眠とかしているんだろうか。
「…………」
………………。
……………………冬眠?
まさか。いや、まさかなぁ。
魔物が冬眠? するか? 普通。
……待てよ。オオカラテザルとか、マダラディアーって、猿と鹿がモデルの魔物だよな? 猿と鹿って、冬眠するっけ?
というか、それ以外の魔物はどうした? ジュードーベアーは? ハンテンリザードは? そういえば、この六日間、一度も見かけていない。
レイスって、何がモデルだ? 幽霊? 都市伝説? ドッペルゲンガー? あっ……。
…………カメレオン?
「……イヴ、見てみろ」
「……っ……?」
「やったぜ、大発見だ」
俺たちの入った横穴の奥深く。
土と枯葉の積み重なった天然のベッドの中で、ハンテンリザードたちが身を寄せ合って眠っていた。
その中に。3匹、いや、4匹、5匹も。おかしなやつが交じっている。
オオカラテザルと、マダラディアー。何故だか、ハンテンリザードの横で、寝息をたてていた。
君たちさぁ……そうやって爬虫類みたいに冬眠する魔物じゃあないだろう?
「この5匹、きっとレイスだ。道理で見つからないわけだ。こいつら、こんなところで越冬していやがった……!」
お読みいただき、ありがとうございます。




