98 叡将戦 その1
やってきました叡将戦。
俺は朝からテンションアゲアゲだった。
「今日は遊ぶぞ!」
朝食の席で、高らかに宣言する。
使用人たちからもらったアドバイスの一つ、活躍して挑発して世界中の強者を夏季タイトル戦に誘い出す作戦。今日はその決行の日だ。
「遊ぶ? な、何だ、一体何をするつもりだ? 嫌な予感しかしないぞ!」
一夜明け、シルビアは表面上すっかり元通りとなった。本当に強いな、彼女は。
「派手にキメることだけ考えてやったり、試合中に指導してみたり、効率度外視で魅せに魅せたりする」
「……頭が痛いですね」
ユカリがこめかみに手をやって呟いた。飲み過ぎか?
「タイトル戦活性化のためだ。見とけよ見とけよ~、今季はともかく、夏季はきっと盛り上がるぞ~っ」
「そう上手く行くものだろうか……」
「行き過ぎるくらいだ。気分的には」
「いきすぎるー!」
「Yeah!!」
エコとハイタッチして、賑やかな朝食を終える。
昨日一昨日と殺伐としていたからな。今日は、ほんわか行こうぜ。
「あ。セカンド……一閃座。おはようございます」
「おお。チェリちゃん。久しぶりだな」
闘技場に到着すると、出場者用の観戦席に、背の低いこけしみたいな丸っこい黒髪の女、宮廷魔術師のチェリちゃんがいた。
ここには出場者の関係者も少数に限り出入りができる。つまり。
「誰かの応援か?」
「え、ええ、まあ、はい。大叔母様が出場するので」
へぇ、大叔母さんが……。
……んん? 何か、ぎこちないな? 前はあれほど毒舌だったのに。やはりアレだろうか。ぶん殴って泣かせた件がまだ響いているんだろうか。
「あの時はすまなかったな」
「え? ……あっ。いや、一閃座が気にされるようなことではありません」
チェリちゃんはまるで「今言われて思い出した」ような顔で反応した。どうやら違ったみたいだ。だとしたら何故ぎこちない?
というか、俺のことを一閃座と呼ぶのか。違和感バリバリだな。前は何と呼ばれていたっけ……「貴方」? そういえば名前で呼ばれたことなかった。ああ、そういうことか。
「俺がタイトル保持者だからって畏まる必要はないぞ」
「いえ、そういうわけでは……」
これも違った。じゃあ何なんだよ。もう分からんわ……。
「――照れてんのさ、この子は」
「お、大叔母様っ!」
首を傾げていると、通路の方からつば広の三角帽に大きなローブを纏ったイケイケな婆さんが現れた。
ワーオ、カッチョイイ。いかにも魔女って魔女だ。この人がチェリちゃんの大叔母さんか。
「どうも初めましてセカンドです。格好良いですね」
「あら、ご丁寧にこりゃどうも。あたしゃチェスタだよ。あんたこそ男前だねぇ」
「一閃座。私は照れてなどいませんから。絶対、照れてませんから。そこだけは訂正させていただきますから!」
挨拶の傍ら、顔を赤くして必死に否定するチェリちゃん。答え合わせみたいなもんだぞそれ。すぐムキになるあたり、変わってないなぁ……少し安心した。
「セカンド殿。チェスタ様は以前に宮廷魔術師団長を務めていたお方だ。失礼のないようにな」
シルビアがこっそり忠告してくれた。ありがたい情報だ。俺が臨時課長補佐代理だとして、ゼファー第一宮廷魔術師団長が課長だとすれば、このチェスタさんは差し詰め部長ってところか。
「宮廷魔術師団長だったんですか? 俺は臨時講師をやっていましたが、聞いたことのない役職です」
「今はないみたいだねぇ。この老骨の時代はあったのさ」
「大叔母様がお辞めになってから、宮廷魔術師の中に務めあげられるような実力の人が出てきていないんです」
おお。ということは、チェスタさんは相当に強いということだな。
……いや、違う違う。期待するのはヤメだとつい一昨日に決めたばかりじゃないか。
「うちのチェリが世話になったそうじゃないか。何かお礼を考えとかないとね」
「いえ、俺は講師としての仕事をしたまでだと」
「へぇ~っ、できた男だねぇ。チェリ、あんた見る目あるよ」
「やめてください! もうっ」
チェリちゃんは事前にチェスタさんへ俺のことを紹介していたようだ。その口ぶりから、恐らく褒めてくれていたのだろう。だから照れているんだな。なるほど可愛いやつめ。
「しかし実力の方はどうかねぇ? 色男」
「人柄は自信がありませんが、実力は誰よりも自信がありますよ」
「本当にな……痛っ」
余計なことを呟くシルビアの肘にこっそりデコピンする。
「そうかい。あんたが魔術でどれだけやれるか、見ものさね」
「初戦、よろしくお願いします」
「こちらこそだよ、新一閃座」
何やら期待されているようだが、本気ではやらない。今日は、遊ぶと決めたのだ。
相手がチェリちゃんの大叔母といえど、計画を変えるつもりはない。
さぁて、初戦はド派手にキメてやろうか……!
* * *
叡将ムラッティ・トリコローリ。彼は、今日という日を死ぬほど楽しみにしていた。
更なる【魔術】の深淵を覗けるような気がしてならなかったのだ。
そして、2日前――それは確信に変わった。
3つのタイトル戦に出場する異常な男セカンド・ファーステスト。彼が一閃座を獲得したのだ。それも、圧倒的というのも烏滸がましいほどの実力を見せつけて。
絶対に、自分がまだ知らないことを知っている!
そう考えたムラッティは大いに興奮した。叡将戦を待たずして今すぐにでも話を聞きに行きたいくらいであった。しかし、生来のコミュニケーション障害がたたって、行動に移せない。
翌日、エキシビションを見たムラッティは、更なる興奮に身を焦がした。もう絶対に絶対に面白い話が聞ける。それが分かっているのに、その無駄にふくよかな体は動かなかった。気持ち悪がられるだろうな、とか。上手く喋れないに決まってる、とか。どうせ明日会うんだしいいか、とか。いざ行動しようとなると、言い訳ばかりが浮かんだ。
彼は出不精なデブであった。幼少期から三十年以上部屋に引きこもって、大好きな【魔術】ばかりをひたすら研究していたのだ。そうなるに決まっていた。唯一まともに話せる相手は、従兄弟のサロッティくらいなもの。彼の幼馴染であり、同じヲタク仲間の男である。
そんな彼も、【魔術】に関することとなると非常にアクティブであった。経験値稼ぎ然り、新たな【魔術】の習得然り、魔物特有の【魔術】の調査然り、頻繁に独りで外へと出ていく。ただ、そこに他人が加わるとなると話は別。彼は他人が怖かった。
誰とも会おうとせず、誰とも話そうとしない。付いた二つ名は「孤高の叡将」――彼にとっては不名誉なものであった。
そんな彼が、今日、何年ぶりか、勇気を出そうとしている。
なけなしの勇気の種火へと必死に燃料を注ぎ、その巨体を何とか動かそうとしている。
「がんばれがんばれムラ様! 負けるな負けるなムラ様!」
友の声援を背に受けて、いざ、叡将戦へ――。
叡将戦出場者ニル・ヴァイスロイは、余裕の表情で観戦席に座していた。
今年で128歳。その余裕は年齢からくるものかといえば、そうではない。
エルフという種族は、個体差はあるが、やや晩熟。寿命は人間の約5倍であり、成長速度は人間よりも遅い。
即ち、128歳とは人間でいうところの25歳ほど。ニルの場合、その精神年齢は20歳にも満たないと言える。
ゆえに、楽観していた。
叡将戦挑戦者決定トーナメント準決勝、ニル・ヴァイスロイ対アルファ・プロムナード。この試合に勝てば、ニルは念願叶いアルファを自分のものにできる。これは、エルフ界における魔術の大家である『ヴァイスロイ家』と、エルフ界でも比較的新興の魔術家系『プロムナード家』、その両家間で取り決めた約束。決して覆ることはない。
ニルは欲に目が眩み、自分がアルファに負けることなど微塵も考えていなかった。ヴァイスロイ家の嫡男と、プロムナードなどというぽっと出の家の娘。それも叡将戦初参加、加えて自分より28も歳下とくれば、勝負になるわけがないと思って当然であった。事実、そう思えるだけの実力差もあると言えた。
「フン。あの男も図に乗りやがって」
闘技場の中央で向かい合っている二人は、先日ニルに絡んできたやけに失礼な男セカンド・ファーステストと、元宮廷魔術師団長チェスタ。
ニルはセカンドの顔を遠目に観察しながら、誰にも見られていないからか普段の丁寧な言葉遣いを忘れたように荒々しく、憎々しげに呟いた。しかし、その表情はすぐに余裕のあるものへと戻る。
「あれだけ僕を煽っておきながら、初戦敗退かな? はは、お笑いだ」
負けるに決まっている――そう思っていたのは、ニルだけではない。【魔術】を知る者は、皆そう思っていた。
セカンドは【剣術】に加えて【弓術】まで上げている事実が昨日明らかとなった。であれば、【魔術】を習熟する余裕などあるわけがないと、そう考えて然るべきだろう。
加えて、相手はあのチェスタである。キャスタル王国最強の宮廷魔術師として名高い『焔の魔女』が相手なのだ。
【剣術】に【弓術】に【魔術】にとあっちこっち手を出している者より、“専門”の方が強いに違いないと、誰だってそう思ってしまう。
「せいぜい頑張ってくれたまえ。セカンド・ファーステスト」
ゆえの、高みの見物。
憎らしい男は負けるし、好きな女は手に入れられるし、そして、あわよくば叡将も。
ニルは今、まさに前途洋々、順風満帆の気分であった。
「――始め!」
審判の号令がかかる。
いよいよ、叡将戦初戦が始まった。
さて、どうなるか……と。セカンドの様子を見た瞬間、ニルは思わず目を見開いた。
セカンドは何と、“伍ノ型”の魔術陣を展開していたのだ。
「は、はははっ! 馬鹿だ!」
ニルは嘲笑した。
誰もがこう思う。「詠唱が間に合うわけがない」と。
伍ノ型というのは、最強にして最弱。威力は頭一つ抜けて高いが、その詠唱の長さから、対人戦における使いどころは殆どない。
「どうしようもないな、あの男」
ニルの嘲笑は冷笑へと変化する。彼の目から見て、セカンドはどう考えても“雑魚”だった。「何をやっているんだこいつは」と、呆れざるを得ない。
チェスタも同様に思ったことだろう。彼女はセカンドの足元に展開された魔術陣を即座に見抜き、それが伍ノ型だと分かった瞬間、素早く接近した。
そして、間髪を容れず《火属性・参ノ型》を詠唱する。準備時間は短いが、威力は申し分ない【魔術】だ。
「決めに行ったか。これで終わりだろう」
ニルの予想は、この参ノ型でセカンドがダウンし、そのまま壱ノ型の連撃でなすすべなくやられるというもの。チェスタが接近した理由は、その壱ノ型の連打を見越してだろうと考える。
また、セカンドが伍ノ型の詠唱を途中で破棄して壱ノ型で切り返してきた場合、あえてその攻撃を受けることで自身の詠唱時間を作り出し、反撃するという狙いもあった。その際、接近していることは、チェスタにとって非常に有利に働くのだ。距離が短いため、相殺が難しくなるのである。
「この一瞬でそこまで判断するとは、流石は焔の魔女。決勝は手こずりそうか」
早くも、チェスタが勝った後の、そして自身がアルファに勝った後のことを考え始めるニル。
……しかし。直後、その予想は驚きの形で覆される。
「――っ!? 何だと!?」
チェスタの《火属性・参ノ型》が発動し、セカンドの腹部に直撃した。
確実に、直撃したはずだった。
なのに。
「何故ダウンしない!?」
誰もが驚愕した。
セカンドはダウンしなかったのだ。
対戦相手のチェスタも驚きの表情を隠せていない。
――そこには、この場において、セカンドとムラッティ叡将しか明確に認識していない、とある事実が存在した。
それは、ダメージとHPの比率とダウン効果の関係である。
【魔術】参ノ型におけるダウン効果は、“HPが1割以上削れるダメージ”でなければ発生しないのだ。
これは【魔術】がゲームとして細部まで解析されている世界で生まれ育った者か、趣味で【魔術】の細部の細部まで研究している者くらいしか、知り得ないだろう事実。
つまり。観客の常識では「参ノ型をモロに喰らってダウンしないのはおかしい」と。ムラッティの常識では「参ノ型を受けてもHPが1割すら削れないなんてヤベェ」と。そうなる。
……そして。
伍ノ型の準備が、完了してしまう。
「嘘だろ……」
ニルは恐れおののいた。
長い歴史を持つ叡将戦において、伍ノ型が行使されるのは、約百何十年ぶりのこと。それもそのはずである。発動しようとしても、詠唱中に必ずダウンをとられてしまうのだ。滅多なことでは発動できるわけもない。
「そ、そうか! よし、近付け!」
思わず声をあげたニル。
チェスタがセカンドとの間合いを限界まで詰めたのだ。
伍ノ型は非常に強力な範囲攻撃スキル。近付いてしまえば、その広すぎる攻撃範囲ゆえ、セカンドは自身を巻き込んでしまうため、発動できなくなる。チェスタはそう考えたのだ。
…………だが。
相手は、頭がおかしかった。
特に、今朝は、一段とおかしかった。
誰が何と言おうと「遊ぶ」と言って聞かなかったのだ。
そして。
セカンドは満面の笑みで、《雷属性・伍ノ型》を――自分の体へと撃ち込んだ。
「!?!?!?」
瞬間、闘技場全体が驚愕と困惑に包まれた。
皆が考えることは、ただ二つ。
「今あいつ自爆しなかったか!?」ということと、「あの魔術は一体何だ!?」ということ。
眩い閃光がビカビカと迸り、雷鳴の如き轟音が一帯に響き渡った。
闘技場の中心では、電撃が龍のように荒れ狂っている。観客は皆、その光の筋の一つ一つに身の毛もよだつほどの殺傷力を感じ取っていた。
火属性でも水属性でも風属性でも土属性でもない、見たこともない【魔術】、有り得るはずのない【魔術】。叡将ムラッティでさえ初めて目にする特殊な属性。精霊大王アンゴルモアと、その主人にのみ許された力――雷属性魔術。
「う……げほっ……」
次第に落ち着いていく稲光の奥から、一人の男が姿を現す。
男は全身が傷だらけであった。至るところから血を流し、その白く美しい肌には見るも無残に焼け焦げている部分もある。
……対して。その傍らに横たわり気絶している老婆は、ほぼ無傷であった。
それは、バリバリと範囲内に何度も放出された電撃の、その最初の数発が“致命傷”となったことを意味する。以降の電撃の全ては、決闘システムにより、全てが無効化されたのだ。
魔術師とは、それほどに貧弱なHPをしていた。
逆に剣術師は、近距離戦闘職ゆえHPが上がりやすい。加えて弓術師でもあり、召喚術師でもあり、何よりエコとの訓練のために【盾術】スキルを殆ど高段まで上げていたセカンドのHPは、チェスタと比べて何十倍にもなっていた。
ゆえに、セカンドは《雷属性・伍ノ型》を耐え切れた。強く長い痛みと引き換えに。
……即ち。彼は、パフォーマンスを取ったのだ。全身が焼け爛れるほどの電撃による激痛よりも、叡将戦を大いに盛り上げ、夏季タイトル戦へと強者を誘い出すための、パフォーマンスを。
それを遊びと言うのだから、誰も始末に負えないだろう。彼にとって、敗北より痛いことなど何もなかった。
「し……勝者、セカンド・ファーステスト!」
戸惑いながらも宣言する審判。しかし、判決は判決。
こうして。叡将戦、記念すべき初戦は。
セカンドの自爆攻撃による勝利という、仰天の結果に終わった。
お読みいただき、ありがとござます。




