≪1-29≫ ジャムレ燃ゆ⑧
戦いの場は凍り付いた。
一般人のように取り乱しはしないが、緊張と恐怖に身を固くしているマリアンヌ。
それを見て動けなくなったアニスとバセル。
マリアンヌの身体を掴んだオーガロードは勝ち誇るようにニタニタと笑い、掻き乱された魔物たちは体勢を立て直して二人を包囲する。
――≪念話≫。
アニスは魔法の名も言わぬ完全無詠唱で魔法を行使する。
声に出さず思考によって会話する魔法を、隣に居るバセルに繋いだ。
状況としてはだいぶマズい。
だが、まだ終わってはいない。なら諦めるわけにはいかない。
『……バセル、聞こえるか』
『うおっ、ビックリした。これテレパシーってやつか』
『あいつら人語は分かんねえと思うが一応な』
もし理解できなくても、目の前で声に出して相談していれば何かする気だとバレるだろう。
テレパシーなら気が付かれないし、言葉に出す必要が無い思考による会話は、思考の速度で交わされる。極めて効率の良い情報伝達手段だ。
『どうすんだ? あれ』
『魔物は人族皆殺しが目的。連中に人質を生かすっつー選択肢は無ぇ。普通はな。
俺らが武装解除して嬲り殺しにされたとしても、その後でマリアンヌは殺される』
『なるほどな』
『とは言え、俺らが手向かってもマリアンヌは殺される。
一旦武器を捨てて油断させろ。奴らが勝ったと思った瞬間に仕掛ける。合図したらお前を魔法で飛ばすから、ボスに一撃入れてマリアンヌを奪い返せ。狙いはできれば顔が良い、当たれば大抵怯む』
『分かった。
……ところでお前、テレパシーだとめっちゃ渋い声してんな』
この状況ではどうでもいいことだが、バセルの指摘にアニスはハッとする。
おそらく彼にはアニス……つまり器となったレティシアの声ではなく、ヴォルフラムの声が聞こえているのだろう。
『そー言えばそういう仕組みだったか、この魔法』
『なんかこの声、どっかで聞いたような……』
『気のせいか他人のそら似だ。お前も三人くらいは母ちゃんに似た人間に会ったことがあるだろ』
『いや、ねえよ』
とりあえずこの場を切り抜けたらテレパシーの使用には以後慎重になろうと心に書き留めるアニス。
アニスは剣を手放して落とし、手を上げた。
バセルも銃と剣を取り落とし、それに従う。
「二人とも……!」
それはいけない、と言うようにマリアンヌが何か懇願するような顔をした。
そうだ、いけない。ここで稚拙な策謀に引っかかって、言いなりになってしまえば結局全員死ぬだけだ。
だがアニスはもちろん重々承知。
武器を奪う気か無防備なところにトドメを刺す気か、二匹のオークが剣をぎらつかせてやって来たところで、アニスは活路を見いだす。
『今だ!!』
バセルが一度は手放した剣を蹴り上げ、手に取る。
その瞬間、アニスは魔法を使った。
「≪跳躍≫!」
「ウガッ!?」
推進力を与えて跳躍する魔法で、アニスはバセルをオーガロード目がけて発射した。
オーク二匹の間をすり抜け、肉弾返しとばかりに一直線に飛んで行く。
ところが、だ。
「げっ!?」
それは、おそらく。特に深く考えたわけではない咄嗟の行動。
オーガロードは、ちょうど掴んでいたマリアンヌを物理的に盾にした。
勢いを付けて空中で斬りかかろうとしていたバセルは、マリアンヌにぶつかりそうになった剣を投げ捨てて、オーガロードの手ごとマリアンヌを抱きしめ全身でぶつかることで衝撃を軽減した。
そのまま振り払われてバセルは尻餅をついた。
「畜生……!」
アニスはほぞを噛む。
成功が約束された作戦ではなかったが、見事すぎる失敗だった。
ほとんどまぐれの超反応。それが完璧すぎた。
眼前に迫るオーク二匹。ボスの目の前で無防備になったバセル。
絶望的な撤退の算段をアニスが立て始めた時、奇妙なことが起こった。
「フゴッ!?」
「あ!?」
オーガロードが、何故か突然、頭から袋を被せられていた。
「ああもう!」
巨人の肩の上が蜃気楼のように揺らぎ、虹色の外套を纏った赤毛の女が姿を現す。
「あんたらのバカが感染った! 裁判とかしていい!? するわよ!?」
「ジェシカ!」
いつの間にか居なくなっていたはずのジェシカが、そこに居た。
あれは戦利品入れとして彼女が持ち歩いていた巾着状の麻袋だ。
ジェシカは麻袋をひっくり返してオーガロードの頭に被せ、首の部分で袋の口を縛り上げていた。
アニスは即座に作戦を『撤退』から『救出』に切り替える。
剣を拾い上げつつ、状況の急転に付いて行けないらしいオーク二匹の狭間を猫のような身軽さで駆け抜ける。
「≪跳躍≫!」
魔法の強度を加減して踏み切ったアニスは、オーガロードの頭を越える程度の高さに飛び上がる。
そして、落下。
「受け止めろバセル! ≪震断付与≫!!」
ズン、と身体に倍の重力が掛かったような感触。
ただでさえ自分の実力を超えた魔法を詠唱破棄して使うのは重い負荷だ。
だがアニスは魔力を振り絞って発動することには成功した。
キィン、と耳をつんざき脳髄に響くような高い音がする。
アニスの剣は外見上何も変わらない。しかし付与魔法によって、目に見えぬほど早く細かい『振動』を与えられていた。
この状態になった剣は、魔法ではなく物理的なダメージとして高い切れ味を誇るようになる。
「たりゃあああっ!」
一閃。
アニスの剣はオーガロードの腕を前腕部分で輪切りにぶった切っていた。
「グオオオオオッ!」
オーガロードが苦悶の雄叫びを上げる。
斬り落とされて本体から離れた手は実体を保てず、塵となって消え、掴まれていたマリアンヌはすぐ下に居たバセルに抱き留められた。
「きゃっ!」
「失礼、管理官さん! その……大変結構な抱き心地です」
下着姿のマリアンヌの胸に、バセルは丁度顔を埋める格好になっていた。
「ちょっとあんた、馬鹿なこと言ってる場合!?」
暴れるオーガロードの肩の上から飛び降りたジェシカが、壁際に後ずさりつつ姿を消す。
「ウグ、ウグルルル……」
オーガロードは残った手で目隠しの袋をむしり取ると、怒りに任せて街壁に拳を叩き付けた。
それなりに堅牢なはずの石の壁が割れて、窪みができた。
マリアンヌを庇って立つ二人。
背後には壁。
それ以外には迫る魔物たち。
「……おいアニス、まずくねえかこれ」
「いや」
怒りに目を突かせたオーガロードは、片腕ながら大斧を振り上げ、迫り来る。
「俺たちの勝ちだ」
その首と腕が同時に、一直線に両断された。
「ブゴ 」
断末魔の欠片のような声を漏らしたきり、巨体が塵のように散っていき、巨大な斧と粗末な鎧が散らばった。
魔物たちのほとんどは、ボスが死んだという事にまだ気が付いていない。
それほどに速く、無駄の無い一撃だった。
「パーティー【竜心の剣】の者だ! 信号弾を上げたのは君たちか!?」
剛健な体つきの男が、雪のように白い剣を手にしてそこに立っていた。
その剣も、身につけた鎧も、纏う力と材質から推測して高価で強力なマジックアイテムと分かる。
それだけの装備を持てる冒険者だ。
「わたしです、救助感謝します!」
「子ども……? と言うか、なんだその格好は?」
「聞かないでくださいっ!!」
可愛らしくも奇抜な服装のアニスを見て、男は首をかしげていた。
突然の出来事に戸惑っていた魔物たちは、そこでようやく剣士に襲いかかる。
オークがそのでっぷりした身体の重さを乗せて、烈風の如く剣を振るった。
「おいおいテメーら」
そのオークの頭を、背後からの鉄拳が貫いた。
グロテスクな何かが飛散したと思いきや、それは塵となって吹き飛び、肉体も崩れ散る。
「寄ってたかって格好悪いぜ。そんなに戦りたきゃ、代わりに俺が遊んでやるよ」
冒険者はもう一人居た。
痩せぎすの狼みたいな雰囲気を纏った道着姿の男だ。
「救援のパーティー……! 間一髪だぜ、全くよぉ」
バセルが手足を伸ばして、どっと仰向けに倒れ込んだ。
だいぶ無茶なアクションをしていたからか、緊張の糸が切れて動けなくなったらしい。
「乱射、または信号弾を一発だけ撃つのはどんな色だろうと、『意味を伝える余裕が無いほどの緊急事態』だ。
覚えときな」
「あいつらが来てるって知ってたのか?」
「高位魔法の余波っぽいのを感じてた。街を襲った魔物に、ここまでやれそうなのは居なかったからな」
「ほへー……」
バセルは感心しているのか気抜けしているのか微妙な声を上げた。
大規模だったり強力な魔法を使うほどに、力として変換しきれなかった魔力の余波が舞い散るもの。
その特有の感覚をアニスはよく知っている。
おそらく救援のパーティーが何か強力な魔法で、魔物を群れごと吹っ飛ばしたのだろうと想像は付いた。
それらしき術士の姿がここに見えないことからすると、おそらくパーティーの半分はギルド支部に直行させたのだろう。
彼らの実力ならそれでも危険は少ない。まとまって行動するより救援の手数を増やす方が有効だった。
実際、合わせて10匹ほど残っていた魔物たちは、たった二人を相手に瞬く間に数を減らし、1分ももたずに全滅していた。
「管理官さん、これ着てください。本当は姿を消すためのマジックアイテムなんですけど」
「あ、ありがとうございますジェシカさん」
ほぼ裸のマリアンヌに、ジェシカは自分が着ていた虹色の外套を被せる。
幸いマリアンヌは特に怪我などもなく、擦り傷を負った程度だ。
「……あいつ、恩を売る機会には敏感なんだな。俺に貸すのも散々渋ったのに」
「はははは………………すぴー……」
呆れた調子のバセルの隣で、アニスは壁に背を付けて座り込む。
ここまで無茶な戦いを続けて疲弊していたのはアニスも同じだったようで、座り込んだ途端アニスは明かりを吹き消したように意識を失い、深い眠りへと落ちていった。




