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84.愚か者には鉄槌を

 ああ、これは死んだ。これでもう何回目になるのだろう。さすがに今回ばかりは、ミモザも私を呼び戻せないかもしれない。


 百年以上生きているせいか、それとも前にも死んだ記憶があるせいか、死ぬこと自体はさほど恐ろしくはなかった。


 ただ、どうしようもなく悲しかった。ミモザをたった一人で、置き去りにしてしまう。ずっと一緒だって約束したのに。彼がひとりぼっちで泣くことだけは、絶対に嫌なのに。


 泣きたくなるのをこらえながら、いつの間にか閉じていた目をそろそろと開ける。しかし私の目に飛び込んできたのは、なんだか良く分からない光景だった。


 目の前には真っ白な壁があった。とてもつややかなその壁には、うっすらと柔らかな虹色が躍っていてとても美しい。右を見ても左を見ても、同じような白い壁だ。


『ジュリエッタ、大丈夫!?』


 ミモザの焦った声がする。いやこれは、竜のミモザの声だ。頭の中に直接響く、柔らかく不思議な響きを帯びた声。


 その時、目の前の壁の正体にようやく気がついた。これは竜のミモザの体だ。目をぱちくりさせながら、自分の体を見下ろす。どこにも傷はないし、痛いところもない。


「大丈夫……だけど、いったい何が起こったの」


『とっさに竜の姿になって、あのつる草からあなたをかばったんだよ。うまくいったみたいで良かった』


 そう答えたミモザの声は、申し訳なくなるくらいほっとしていた。私がぼけっとしている間に、彼は動いてくれていた。


「ミモザ、それよりあなたが怪我をしたんじゃないの?」


『僕も大丈夫。僕の鱗は、そんじょそこらのものには貫けないからね。逆に、つる草を踏んづけてぺったんこにしてやったよ。頭に来たし』


 得意げにふふんと笑うミモザ。そうして彼は私を手に乗せて、そろそろと起き上がる。あっという間に私は、森の木々の遥か上まで持ち上げられていた。


 彼の指につかまったまま下を見ると、さっきのつる草や周囲の木が、地面にめり込み砕けているのが目に入った。ミモザの足や尾に踏まれたのだろう。


 後ろのほうに目を向けると、シーシェやメリナ、兵士たちの姿も見えた。よかった、全員無事だ。


 そうやって私が周囲を確認している間、ミモザは動かなかった。森の木々よりも大きな体を堂々とさらしてぺたんと座ったまま、森の奥をじっと見つめている。と、またミモザの声がした。


『……見つけたよ』


「見つけたって、何を?」


『ヴィットーリオ。あと、彼をさらったあげく僕たちを罠にはめた連中も』


 やけに明るいミモザの声には、そのくせはっきりと怒りがにじみ出ていた。まずい。なんとなく、これから大騒ぎになりそうな気がする。


「ミモザ様、彼らはどっちにいるんだ?」


 いきなりミモザが竜になったことにも全く動じていないらしく、シーシェが大声で呼び掛けてくる。というより、叫んでいる。


 座っているミモザの顔はかなり高いところにあるので、普通に話そうと思ったらそうするしかない。


 でも、こんなところで叫んだら追いかけている相手に私たちの存在がばれるんじゃ。いや、もうばれているか。ミモザがこうなってるし。


『あっち』


 私を抱えたまま、ミモザが指を一本だけ動かして森の奥を指さした。


 つられてそちらに目をやると、少し離れた森の中に人影らしきものがいくつか見えた。突然現れた竜に驚いたのか、腰を抜かしているようにも見える。


 と、中の一人がその場を離れ、こちらに向かって走り出した。金髪が木漏れ日を受けて、きらきらと光っている。他の人間よりも小柄で細身の……。


「いたわ、ヴィットーリオよ!! こっちに向かってる!!」


 私がそう叫んだのを合図にしたかのように、シーシェたちが一斉に走り出した。ミモザも。


 ミモザの体が木々を粉砕したおかげで、細い獣道は広くまっすぐで平坦な道に変わってしまっていた。そしてミモザは、さらに木々を踏みつぶしながらゆったりとした足取りで進んでいく。


『ねえ、そこの人たちに聞きたいんだけど』


 ヴィットーリオがシーシェたちと無事に合流するのを見届けると、ミモザはまた前を向いた。少し離れたところで腰を抜かしている連中に、いきなり声をかけている。


『明らかにさっきのは、僕とジュリエッタを狙ってたよね。しかも殺す気で』


 ミモザの声が、また剣呑な響きを帯びてきた。思わずぶるりと身震いして、ミモザの指をしっかりとつかむ。


『どういうつもりなのか、説明してくれる?』


 その時、いきなり魔術師の制服をまとった男性が飛び上がってきた。おそらく飛行の魔法を使っているのだろう。


 骨ばった顔をした、貧相な中年男性だ。その目だけがやけにぎらぎらと光っているのが、なんとも薄気味悪い。


 その人物は私たちの目の前までやってくると、ミモザの巨体をものともせずに高々と言い放った。


「我らはあの軟弱な長に代わり、邪悪なる魔女と竜を滅そうとしたまでだ!」


「本人を前にして『邪悪』だなんて、失礼ね」


 ミモザの手に抱えられたまま、肩をすくめてぼそりとつぶやく。すると目の前の魔術師は、私の言葉を鼻で笑い飛ばした。うわ、腹立つ。


 魔術師をにらみ返しながらも、頭の中では全く別のことを考えていた。口の中だけで、小さくつぶやく。


「……それにしても……なんだか、長がかわいそうになってきたわ」


 シーシェたち若手からは頭が固いといわれ、こっちの連中からは軟弱と言われ。


 あの偉そうな長にも、私の知らない苦労があるのかもしれない。だからといって、彼の行いをなあなあで許すつもりはないけれど。


 小さくため息をついたその時、見覚えのある小さな蜜蜂が飛んできて肩に止まった。メリナの使い魔だ。


『ジュリエッタ様、彼らは私たちの中でも一番過激で、一番古臭い考え方の連中です。おそらく、長に反発してこんな行いに出たのでしょう』


『俺達には遠慮せず、思いっきりぶちのめしてくれていいぞ。俺たちはヴィットーリオ様と共に、森の外まで出たからな』


 蜜蜂から、メリナとシーシェの声が聞こえる。二人の声には、はっきりとした安堵の響きがあった。


『ああそうだ、やっぱりヴィットーリオ様をさらったのは、俺たちが目星をつけていた人物で合っていたぞ。その目の前で飛んでいるのと、森の中で腰を抜かしているのはその仲間だ』


 そのシーシェの言葉に、ミモザがにやりと笑う。目の前でふわふわ浮いている男が明らかにひるんだ。それも当然だろう。


『分かったよ、シーシェ。じゃあ、遠慮なくやらせてもらうね』


「ええい、人心を惑わす竜め、我が魔法で」


 何やら魔法を発動させながら突っ込んでくる男性は、しかしその口上をみなまで言うことができなかった。


 なんとミモザは、口を大きく開けてその男性をぱくりと食べてしまったのだ。


「えっ、ミモザ!? そんなもの食べたら、お腹壊すわよ!?」


 驚きすぎて、とっさに口から出たのはそんな言葉だった。ミモザはしっかりと口を閉じたまま、いつもと同じように頭の中に話しかけてくる。


『食べてないよ。口の中に閉じ込めてるだけ。もぞもぞ動いて気持ち悪いけど、これなら悪さもできないでしょう』


 澄ました顔をしていたミモザが、残りの誘拐犯たちに向き直る。どうにか立ち直ったらしい魔術師が六人、呆然半分恐れ半分といった様子で、それでも必死に私とミモザをにらんでいた。虚勢を張っているのが丸分かりだ。


『僕たちのことが気に食わないんなら、真っ正面から正々堂々と挑んでくればいいのに。ヴィットーリオをさらったあげく不意打ちしてくるとか、最低だね、あなたたち』


 ミモザの巨体が、ふわりと舞い上がった。そのまま、魔術師たちの方に飛んでいく。


『僕、卑怯者って嫌いだよ。ジュリエッタを殺そうとした報いは、きっちりと受けてもらうからね。こんなことをしようだなんて馬鹿な気を、二度と起こさないように』


 そう言って、ミモザは口に含んでいた魔術師をぺっと吐き出す。魔術師は勢い余って地面にぶつかっていたけれど、怪我はしていないようだった。


 そうして七人になった魔術師たちを見て、ミモザはまた大きく笑った。それはとても不穏な笑みだった。ミモザ、こんなに悪い顔ができたのね。


 ここは人里から離れている。そしてミモザはこの上なく怒っている。魔術師たちにこれから降りかかる運命を思い、ご愁傷様、と心の中でつぶやいた。




 それからの大騒ぎは、ミモザと一番付き合いの長い私ですら初めて見るすさまじいものだった。


 ミモザは空中に浮かび上がると、長い尻尾を器用に持ち上げ、魔術師たちのすぐ近くの地面に振り下ろしたのだ。


 風圧で二人ほどが派手に転び、巻き上げられた土が彼らの上に容赦なく降り積もる。


 彼らが体勢を立て直すまで待ってから、ミモザはまた違う場所に尻尾を振り下ろす。今度は別の誰かが転び、さらに盛大に土が舞い上がる。


 ミモザはそれは慎重に、尻尾を振り下ろす場所を見極めているようだった。決して魔術師たちを傷つけず、それでいて十分な恐怖を与えられるように。


 それでも、迫力はすさまじいものだった。なんせミモザはこの巨体だから、尻尾の先の細いところでも王宮の大広間の柱くらいの太さがある。尻尾を振り下ろすたびに、強烈な地響きが轟いている。


 びったん、ごおん、びたん、ごおおん。こうやって上から見物している私でもちょっと恐ろしいと思ってしまうくらいだ。あのただ中に放り込まれている魔術師たちは、たまったものではないだろう。


 しかし、ミモザが本気で攻撃しているのではないということに魔術師たちも気づいたらしい。彼らはおびえながらも、様々な魔法で反撃し始めた。


 当然ながら、その程度でひるむミモザではない。彼は風の刃や炎の矢を全て真正面から受け止めて、楽しげに笑っていた。傷一つない体を見せつけるようにして。


 泥人形と見まごうくらいに土まみれになった魔術師たちが頭を抱えてうずくまり、震え声で許しを乞うまでそう長くはかからなかった。


「も、申し訳ありませんでした!」


 彼らの言葉を聞いて、ようやくミモザが動きを止める。それでも魔術師たちは地面に伏せたまま、遠くからでもはっきりとわかるほどがくがくと震えていた。


 そんな彼らを見下ろして、ミモザはあっけらかんと言ってのけた。


『ああ、すっきりした』

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