80.旅の間の一幕
無事にミモザと合流した私たちは、そのまま王都を目指してのんびりと歩いていた。ここから王都までは徒歩でもほんの数日程度だし、路銀は十分にある。
もう私の目の届かないところでミモザが暴発する心配はなくなった。もし長の手の者が追いかけてきたとしても、これだけ人数がいれば問題なく追い払える。ミモザもいてくれるし。
そんな私の安心感がうつってしまったのか、みんなの間にはどうにものどかな空気が流れてしまっていた。列を組むことなく、適当に寄り集まってだらだら進んでいたのだ。
「それにしても、連絡をもらった時は驚いたよ。どうしてこんなところにいるの? 全然違う方角だよね」
てくてくと歩きながら首をかしげているミモザに、離れていた間のことを順に説明していく。
砦でシーシェと出会って、岩山に案内されて。そこで長に捕らわれて、でもさっさと抜け出して。
待っていたシーシェと二人で森を東に抜けたところで、今度は若手の魔術師たちと合流して。
「……思ってたより、ずっと大騒ぎになってたんだね……でも、一部だけでも魔術師が戻ってくるのなら、あなたの目的は達成できたよね」
気のせいか、ミモザの言葉にはちょっとだけとげがある。
「ちょっと……ううん、かなり魔術師の数は減ってしまうけれど、シーシェやメリナたちがいれば問題ないよね。めでたしめでたし」
「ミモザ様、だったら他の魔術師たちはどうするんだ?」
と、シーシェがすかさず口を挟んだ。他の魔術師たちはミモザの剣呑な気配にすくんでいるのに、シーシェだけは平然としている。その声はどことなく楽しそうですらあった。
「知らないよ。彼らは戻ってきたくないんでしょう? だったらもう放っておこう。うん、それがいいね」
やはりミモザは、長たちに対して思いっきり腹を立てているようだった。いつも以上に明るい声で、わざとらしくとぼけている。その明るさが、逆に怖い。
「……自業自得とはいえ、長にちょっとだけ同情します」
シーシェの隣で、メリナがそう言って苦笑した。そんな二人にくすりと笑いかけてから、腕組みして考え込む。
「私としても、もうあの石頭の長には関わりたくないんだけれど……ファビオのこともあるし、放っておく訳にもいかない気がするのよね……」
「そちらについては心配ないと思うぞ。最初に聞かされた計画によれば、ほとぼりが冷めた頃を見計らってファビオ様を王宮に帰す予定だった。もしかしたら、もう戻っている頃かもしれない」
「ほとぼりが冷めなかったら?」
「さあな。俺は知らない」
無責任にシーシェが言ってのけたその時、冷たいものがぴちょんと頬に跳ねかかった。
「また雨? 最近多いわね」
ここにいるのは私とミモザに、あとは全員魔術師だ。当然ながら、全員基礎の魔法くらいは使える。私たちはてんでに風の魔法を発動させて、雨を弾くことにした。
雨よけをかぶった旅人たちが、すれ違いざまに驚きの目を向けてくる。
それもそうだろう。一人二人ならともかく、これだけの人数が一度に魔法を使っているところに出くわすことなんてめったにないから。
「さすがに目立っちゃうね、この人数だと。と言うよりも、僕とジュリエッタが目立っちゃってるのかな」
「そうかもしれませんね」
肩をすくめるミモザに、他の魔術師たちがそろそろと答える。彼らも、ようやくミモザに慣れてきたらしい。
「私たちは揃いの制服を着ていますから、魔術師だと、あるいは何かの組織に属する者だと察してもらえるのですが……お二方はごく普通の服装ですからね」
「それでいて、私たちと同等に……あるいはそれ以上に魔法を使いこなしておられる。その様子が、一般の民からすると不自然に映るのかもしれません」
「魔術師たちだけで旅をすることもたまにありますが、ここまで視線を感じたのは初めてです」
彼らの言葉を聞いたシーシェが、たくましい腕を組んで何やら考え込む。その間も、旅人たちの視線はこちらに向けられていた。
確かに、主に注目されているのは私とミモザだ。みんな、誰だあれ? という顔をしている。
隣のミモザと目を見かわして、小声で話す。
「こうもじろじろと見られると、どうにも落ち着かないわね。あなたと二人なら、そこまで目立たないんだけど」
「分かるよ、僕も落ち着かないし。僕たちの姿が見えなくなるように、みんなに周りをきっちりと取り囲んでもらおうか? もしくは一度彼らと別行動して、王都で合流するとか」
「ううん、でもそれも面倒よね……あきらめて、このまま視線に耐えるしかなさそうね」
「そうだね、せいぜい数日のことだし」
その時、私たちのすぐ前を歩いていたシーシェがいきなり立ち止まった。
広い背中にぶつかってしまってよろめいた私を、ミモザが素早く抱き留める。ちなみにシーシェのほうは微動だにしていない。
「よし、いい案を思いついたぞ」
すかさず、メリナが口を挟む。
「あなた、また何かくだらないことを考えてるんじゃないの? これ以上、ジュリエッタ様たちに迷惑をかけないでよね」
しかしシーシェは、そんな言葉も耳に入っていないようだった。振り返って私とミモザを上から下までじっくりと眺め、それから他の魔術師たちを見る。
「……そうだな、メリナのだと大きさが合わないな。よし、お前とお前、予備の制服は持ってきているだろう? ちょっと貸してくれ」
そう言ってシーシェは、二人の魔術師に顔を向けた。中肉中背の若い女性と、少し背が高く細身の若い男性だ。
この頃には私とミモザも、彼が何をしようとしているのか理解していた。二人で顔をつき合わせてひそひそとささやき合う。
「あれって、僕たちに魔術師のふりをさせるつもりだよね」
「……まあ、悪目立ちしたくないのは事実だし、彼の案に乗っかってしまいましょうか」
そうしていたら、メリナが話に加わってきた。
「この制服って、一応私たちの誇りなんですよ。他人に袖を通させることなんて、まずないんです」
彼女は小さくため息をついて、集まっている魔術師たちを見渡す。
「ここにいるのは、そういったことを気にしない面々ではありますけど……長たちが知ったら、きっと怒ると思います。まったくシーシェったら、また火種を増やして……」
「いいよ、長なんて。勝手に怒らせておこう」
即座に言い切ったミモザの目に、不穏な光が一瞬よぎる。
「……正面切って喧嘩を売ってくれれば、僕としてもやりやすいしね」
その表情に、ミモザの怒りの深さと強さを思い知らされる。彼はあくまでも私のとりなしとシーシェたちの人柄を考慮して、一時的に大目に見てくれているだけだった。
そして機会があれば、彼の怒りはいつでも爆発して、長のところに突進していきかねないのだということを、彼の声音はありありと物語っていた。
メリナもそのことに気づいたらしく、浅黒い顔からすっと血の気が引いている。
ちょうどその時、たいそうのんびりとした声が近づいてきた。
「ジュリエッタ、ミモザ様、どこかその辺でこれに着替えてくれ。……どうしたメリナ、やけに深刻な顔をして」
少しも空気を読まずに朗らかな顔で割り込んでくるシーシェの存在が、今はとてもありがたかった。そこに、メリナが噛みつく。
「……半分くらいあなたのせいなんだからね」
「とすると、残り半分はお前のせいか?」
「もう、どうだっていいでしょ!」
辺りはすっかり元の、くつろいだ雰囲気に戻りつつあった。それを見届けて、私とミモザは渡された服を手に移動していった。
近くのやぶに身を隠し、魔術師の制服に手早く着替える。そうしてシーシェたちの前に姿を現すと、彼らは同時に目を見張った。
シーシェがひときわ大きく笑って、うなずいている。
「普段の清楚ないでたちも可愛らしいが、堅苦しい格好も似合っているな。元が良いからか?」
「ちょっとシーシェ、僕の前で彼女を口説こうだなんて良い度胸だね」
そう言いながら別の茂みから姿を現したミモザに、思わず目を奪われる。
彼はいつも、ゆったりとした服しか着ない。それも留め具のほとんどない、すっぽりかぶるような服ばかりだ。
竜の姿になると着ているものは全て脱げて落ちてしまうし、そこから人の姿になると、今度は全裸になってしまう。
だから彼は、服については『ぱっと着られるか、持ち運びしやすいか』といったことしか重視していない。あとは、動きやすいかどうか。
そんな彼が、かっちりとした細身の制服に身を包んでいる。体に沿った前開きの上着は腰のところから広がり、ふくらはぎまでを優雅に覆い隠している。胸元にずらりと並ぶ金色のボタンが、彼の目に良く映えていた。
いつもの素朴な服でさえ輝くような美貌を誇っていた彼は、今ではまるでどこかの貴公子といった様子だった。
いや、そんじょそこらの貴族たちではたちうちできないほど高貴で優雅で華麗だった。
「ジュリエッタ、どうしたの?」
普段とはまるで違う姿に驚くあまり、うっかりミモザに見とれてしまっていたらしい。ミモザが小首をかしげている。
そんな姿も、思わずため息が出そうなくらいに麗しい。服一つで、こんなに変わるなんて。
「あなたが、素敵すぎて……つい見とれてしまって。そういう服は初めてだけど、すごく似合うのね。とっても格好いいわ」
そう答えると、ミモザは満足げに目を細めた。ついさっき怒りを垣間見せていたとは思えないほどの上機嫌な笑みを浮かべて。
「そんなに? だったら、一度こういう服にも挑戦してみようかな。ちょっと動きにくいし、はっきり言って着るのがかなり面倒だけど……あなたがそこまで喜んでくれるのなら、我慢してもいいかも」
「だったら、後で一緒に城下町に行きましょう! お気に入りのお店があるのよ。あそこならきっと、いいものが見つかるわ」
ミモザは私の頼みなら大体は聞いてくれるけれど、一緒に服を買いに行くことだけは渋っている。服に関する熱意が、私と違いすぎるのだ。
そんな彼が、違った型の服に挑戦してもいいと口にした。この好機を逃すなんてもったいない。
せっかくの機会だし、普段あまり立ち寄らない、ちょっと高級なお店に足を運ぶのもいいかも。どうせなら装飾品も探しにいこうか。普段着にしようかな、それともおしゃれ着にしようかな。
城下町の地図を思い出しながら、うきうきと買い物の計画を練る。気のせいかミモザの顔がわずかにひきつっているようにも見えるけど、気づかなかったことにする。
「なあ、そろそろ進まないか? これで俺たちは、魔術師の一団にしか見えなくなった訳だしな」
シーシェの声に、思考が中断される。そういえば、私たちは王都を目指して旅をしている途中だった。ミモザの姿と言葉に浮かれたせいで、うっかり忘れてしまっていた。
全員で雨を弾きながら、足並みを揃えて街道を歩く。
その間も、私の目はミモザに釘付けだった。王宮に着いたらこの制服は返さなくてはならないのだし、今のうちにこの晴れ姿をしっかりと目に焼き付けておきたい。
ミモザも同じように考えているのか、優しく微笑みながら私を見つめ続けている。そんな私たちの様子を見て、メリナがそっと声をかけてきた。
「……お二人って、とても仲がいいんですね」
「ええ。だって私たち、こう見えてもう何十年も連れ添ってるんだから」
「そしてあと数百年は一緒にいるんだよ。もしかしたら、もっとかもね」
私たちは軽やかに笑いながら、声を揃えてそう答えた。メリナが目を丸くしているのが、なんともおかしかった。
王都に近づくにつれ、雨足はさらに激しくなっていった。
雨は全部弾いているし、足元は石畳なので靴もさほど汚れない。それでも、激しい雨音のせいで互いの声を聞き取り辛い。自然と、私たちの口数も少なくなっていった。
旅人たちは雨避けをすっぽりとかぶり、足元だけを見るようにしながら早足で進んでいる。集団で魔法を使っている私たちに注目する者は、もう誰もいなかった。
ほぼ無言で王都にたどり着いた私たちは、雨の城下町を通り抜け、まっすぐに王宮に向かっていった。
いよいよこれから、今まで何があったのかについてヴィットーリオたちに詳しく説明しなくてはならない。ミモザだけでなく彼らも、きっと私のことを心配していただろうから。
それに、シーシェたちが罪に問われないように頼むことも忘れてはいけない。私の口からきちんと頼み込めば、こちらもどうにかなるだろう。
私とミモザを先頭に、魔術師たちの一行は粛々と王宮に足を踏み入れる。
しかし私たちを出迎えたのは、びっくりするほど取り乱し、目の下にクマを作ったロベルトだった。
彼は私たちの顔を見ると、いつになく余裕のない様子で口を開く。どうしたのだろう、このただならぬ様子は。私が行方不明なだけで、ここまで取り乱すだろうか。
「あっ、ミモザ様にジュリエッタ様! やっとお戻りになられたのですね! ……ああ、良かった……」
ロベルトは、私たちが魔術師の制服を着ていることなど気にも留めていないようだった。 何か他のことで頭がいっぱいで、そこまで気が回っていないようにも見える。
「どうしたの、顔色を変えて」
「それが、大変なんです!」
「何が大変なのか、教えてくれないかなあ?」
ミモザがなだめるように笑いかけると、ロベルトは真っ青な顔をしたまま大きく息を吸い込んだ。
「ヴィットーリオ様が、さらわれてしまいました!!」




