42.民たちの悪だくみ
しばらくぽかんとしながら、バルガスの提案を頭の中で繰り返す。国境を封鎖している連中を追い払う? それって、王国の兵士をぶちのめすってことじゃないの。つまるところ、重罪。
もっとも、彼らはもう覚悟を決めているようだった。バルガスの周囲に民たちが集まり、みんなきりりとした顔で私を見つめている。
その熱い視線に戸惑いながらも、そろそろと口を開く。
「バルガス、あなたの言いたいことは分かったわ。でもそれなら、私がいなくてもあなたたちだけで何とかできるんじゃないの?」
「ああ。国境の橋は、頑丈だがそこまで幅は広くない。時々こっそり偵察してるんだが、あそこにいる兵士はせいぜい三十人前後だ。俺たちが本気になってかかれば、あいつらを追い払うことくらいはできるかもしれない」
「だったら、どうして私を巻き込もうとしているの?」
そう問いかけると、バルガスたちが一斉に悲痛な顔になった。
「……俺たちだけ頑張っても、意味がないんだよ」
そう言って彼は、辺りをぐるりと見渡す。薄汚れて活気のない、奇妙に静まり返った街並みを。
「今のこの街の人間は、みんな希望を失ってただ無気力になっちまってんだよ。ちょうど、春先の俺のようにな。ただの、生きるしかばねだ」
彼の言葉に、周囲の人たちが小さくうなずく。みんな貧しくて苦しい暮らしをしているのが見て取れる姿だ。でもその顔は、かすかな希望にきらめいている。
「隣国との取引禁止、重い税、過酷な刑罰……みんな、すっかりあきらめちまって、やつらに逆らおうだなんてとても考えられなくなってるんだ。けど、あんたがいてくれれば」
バルガスが言葉を切り、まっすぐにこちらを見る。その目の光が、どんどん強くなる。
「権力におもねることなく自由に暮らし、病人たちに平等に手を差し伸べている。そんな『魔女』は、俺たちにとってはおとぎ話みたいなもので、だが同時に憧れでもあったんだ」
ふと左を見ると、ヴィットーリオとロベルトがじっとこちらを見ていた。とても真剣な表情で。
そして右を見たら、ミモザも私を見つめていた。無表情のように見えなくもないこの顔は、明らかに笑いをこらえているものだ。
「今だって、あんたは病人たちを治してくれた。それも、何一つ対価をとることなく。みんな拝まんばかりにして喜んでただろう? 魔女は本当にいて、自分たちを助けてくれた。それが嬉しかったんだよ」
「それは、ヴィットーリオとロベルトを助けてもらったお礼なのだし……別にお金にも困ってないから……」
私の困惑にはお構いなしに、バルガスは続ける。
「いいんだ、それでも。今のあんたは、みんなにとっては希望の象徴みたいなものになってるんだ」
その言葉に、周囲の人間たちは力強くうなずく。みな、きらきらした目をこちらに向けていた。
「王都の連中にびびって縮こまっている男たちも、あんたが協力してくれればきっと動く。この東の区画が一致団結すれば、王都の連中なんて目じゃない。国境さえ開放できれば、俺たちはみんなで元気に生きていける」
そうして彼は石畳に両膝をつき、深々とひれ伏した。
「頼む、俺たちを救ってくれ」
それにならうように、周囲の人たちもかがみ込む。……落ち着かない。
どうしよう。私は罪なんてどうでもいいのだけれど、早くヴィットーリオたちを安全なところに連れていってやりたいし。
まごまごしていたら、ロベルトが静かに口を挟んできた。その目は、まっすぐにバルガスに向けられている。
「国境破り、ですか……それこそ重罪となりますが、覚悟はおありで?」
バルガスはロベルトに向き直ると、大きくうなずいた。バルガスの周囲の人間たちも、同時にうなずく。
「もちろんだ。どのみちこのまま黙っていたら、この街はじきに死に絶える。それくらいなら、街を挙げて王都の連中に反逆した方がましだ。少なくともここにいる俺たちは、そう思ってる」
「街を挙げて、か。……ねえジュリエッタ、隣国との取引が回復したら、この街も元気になって、王都以上に栄えていたかつての姿に戻るよね」
バルガスの言葉に思うところでもあったのか、ミモザが小首をかしげながらそんなことを聞いてくる。
「きっとそうね。元々、ここは王国内部の取引よりも隣国との取引の方が多かったって聞いているし」
「だったら、手を貸してあげようよ。僕は賛成」
「私からも、お願いいたします。ただ……そんなことをして、王都から軍を差し向けられでもしたら……」
おずおずと、ヴィットーリオも口を開いた。彼らを応援したい、でも大ごとになったらどうしようと、彼はそんなことを考えているらしい。
そんな彼に、ミモザがふんわりと笑いかける。
「この街が元気になったら、王都の兵にだって負けないよ。この街には独自の警備兵がたくさんいるって聞いたし、街を囲む防壁もとても立派だもの」
ミモザはそこまで語って、ふと視線をさまよわせた。その口元に、おかしそうな笑みがじわじわと浮かんでくる
「……だったらいっそ、王国から独立しちゃうのもいいかもね? これくらい小さな国だって普通にあるし、何とかなるんじゃないかな」
けろりとそう言ってのけたミモザを、バルガスが顔を上げて見つめる。
「あんた、きれいな顔して言うことが大胆だな……さすがは魔女の伴侶様だ」
「さて、どうされますか?」
腕組みをして考え込んでいる私に、ロベルトが小声でささやきかけている。
「そうねえ……乗り掛かった舟とも言うし。あなたたちだけどこか安全な場所に隠しておけば、問題ないでしょうし」
などと言ってはいたものの、実のところちょっぴり面白そうだと思ってしまっていたのだ。お気に入りのこの街を苦しめている王国の兵士を追い出せたら、きっとすっきりする。そう思えてしまった。
大げさに、ため息をついてみせる。それからゆっくりと、土下座している人たちを見渡した。
「……そうね、ひとまず話だけでも聞きましょうか。そんな頼みをするからには、多少なりとも作戦を考えてあるんでしょう?」
「ああ、もちろんだ」
「じゃあ、とりあえず全員立ちましょうか。ひれ伏されているの、落ち着かないのよ」
そうして彼らに小さく手招きすると、みんな立ち上がって寄ってくる。期待に満ちた、そわそわした顔で。
みんなが集まったのを見届けてから、バルガスが声をひそめて話し出す。
「俺が今考えてるのは、こんな作戦なんだがな……」
彼の方に身を乗り出し、耳を澄ませる。その時、どこか上の空のヴィットーリオが目に入る。私に見られていることに気づいたのか、何事もなかったかのように顔をひきしめた。
一瞬だけ彼が見せた辛そうな顔が、どうにも気にかかって仕方がなかった。
バルガスの作戦は、単純明快そのものだった。
まずは彼とその仲間たちが街の男たちに声をかけ、可能な限りの人手を集める。
その男たちの前で私が正体を明かし、鼓舞する。私がついてるわ、とか、みんなで頑張りましょう、とか、そんな言葉をかけて。
あとは全員で、橋になだれこむ。数にものを言わせて、力ずくで国境の封鎖を解く。
兵士は縛り上げて、ひとまず牢に放り込んでおくつもりらしい。おあつらえ向きに、東の区画にある軽犯罪者用の牢が空いているとかで。
「作戦……っていうには、かなり適当ね?」
「でも、そういう分かりやすいのも嫌いじゃないね。……最悪、僕がどうにかできそうだし」
呆れる私と、小声でつぶやくミモザ。確かに、分かりやすくはある。それに、そこそこ勝算もあるだろう。私とミモザが手を貸せば、まず失敗しようがない。
「できるだけ、それはなしでお願いね」
「そう? 僕が単独で突っ込むのが一番早くて安全だとは思うけど」
「それはそうだけど、それをやったらあそこが『魔物の出る橋』になっちゃうわ。今後の商売に悪影響が出てしまいそうだし、いざという時の最後の手段にしておきましょう」
「ふふ、了解」
私とミモザは顔を突き合わせて、こっそりとそんなことをささやき合う。すぐ近くではロベルトが、苦笑しながら目をくるりと回している。
「本当にお二人は、頼もしくていらっしゃる」
「褒めても何も出ないよ?」
そんなことを話していたら、ヴィットーリオがふらふらと歩いていった。バルガスを囲んでいる人ごみの中に、知った顔を見つけた。そんな様子だった。
あの子を一人にしてはいけない。私とミモザ、それにロベルトがあわてて後を追いかける。と、ヴィットーリオは男性の三人組に話しかけていた。
「もしかして、昨日の人さらいの方でしょうか。どうして、ここにおられるのですか?」
話しかけられた男性たちはびくりと震えると、気まずそうに視線をさまよわせた。周囲の人たちが苦笑しながら、そんな彼らを見守っている。
「『人さらいの方』なんてしゃれた言い方、初めて聞いたぞ。楽しい坊ちゃんだな」
バルガスが楽しげに笑いながらこちらに近づいてきて、男性たちの背中を遠慮なくばんばんと叩いている。
「確かにこいつらは、昨日とっ捕まえた人さらいだよ。ただよくよく聞いてみれば、暴政のせいで食うに困って、仕方なく犯罪に手を染めたんだとさ」
男性たちに向けられたバルガスの目は、ひどく優しかった。
「だからこれ以上下らねえことをしないように、俺たちの仲間に入れて監視することにしたんだよ。そうしとけば、悪さはしないだろうからな」
バルガスの話が進むにつれ、男性たちはどんどん縮こまっていく。穴があったら入りたいと言わんばかりの表情で、ぴったりと三人寄り添ってしまった。
どうやら、彼らも根っからの悪人という訳ではないらしい。街が豊かだったなら、彼らもあんなことはしなかっただろう。そう思える。
「……国がきちんと治められていれば、彼らも罪を犯すことなどなかった……」
ヴィットーリオは消え入りそうな声で、切なげにつぶやいている。その目は、ここではないどこかを見ているようだった。
この街に来てからというもの、彼は考え込むことが多くなっていた。彼は賢い。この街がこんなことになってしまったその理由についても、すぐに気づいてしまったのだろう。
そんな彼に、ロベルトがささやきかけている。
「ヴィットーリオ様……お気持ちは分かりますが、どうか今はうかつな言動は慎んでください。私たちの正体がばれてしまえば、どうなるか分かりません」
「ああ、分かっている。……何もできないこの身が、ただもどかしい」
この二人の正体は、当然ながらバルガスたちには明かしていない。今のところ、濡れ衣で追放された田舎の貴族とその従者ということにしてある。
「ヴィットーリオ、今は我慢よ。……生き延びて、力と知恵をつけて、立派な大人になるの。その頃には、あなたがこの国のためにできることが見つかるはずだから」
気休めにしかならないと知りながら、そんな言葉をかけてやる。ヴィットーリオは驚くほど大人びた微笑みを浮かべ、小さくうなずいた。




