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第80話 めんどくさい女の過去

 バッソーたちの頭上に現れた、巨大な『池』はますます大きくなっていた。


「いったい何を……っつ……唇が……」


 喋ろうとしたフィーが何かを気にするようなそぶりを見せる。口を開いたら唇が切れてしまったのだ。その異常に気付いたグリムナも自分の唇を触る。すると、自信の口がカサカサに乾燥していることに気付いた。一体何が起きているのだろうか。


「むぅん!!」


 バッソーが気合一発、手を振り上げると巨大な池はそのまま天高く飛び去って、空に霧散した。切れた唇を気にしながらもフィーはその意図を測りかねていたが、やがて周囲の異変に気付いた。


 先ほどまで周囲を埋め尽くしていたスライムが、からからに乾燥してひび割れた残りかすへと変貌していたのだ。


「何が起きたの……? これは……」


 その質問にバッソーが答える。


「神の御業のように人は振る舞うことは出来ぬ。足せば減り、減らせば満ちる。無から有を生み出すことなどできんのだ」


 フィーはその言葉の意味が分からず呆然としていただけであったが、グリムナは合点がいったようで、彼の言葉に答えた。


「なるほど、水の魔法を使うことで周囲の水分を吸い取ったのか」


「どういうことですか? ご主人様……」


 ヒッテがそう尋ねると、グリムナは彼女の方を向いて詳しい説明を始めた。


「今日、腕を欠損した村人に『今は治せない、そんなことをすれば失血死する』って言ったの覚えてるか? あれと同じだ。空中に無から水を発生させたように見せても、実際には周辺にある水分を集めて出現させたに過ぎないんだ。そして、周囲には魔法の影響を受けやすいスライムがいる……するとどうなる?」


「あ……スライムの水分を魔法で吸収したんですか……さすが賢者……ただの変態じじいじゃなかったんですね」


 理論上はそうである。しかし、あれだけの巨大な水球を発生させて、それを天に放つなど、尋常の魔導士にできる業ではない。やっと彼女らも合点がいったようで、ヒッテとフィーもバッソーの強大な魔力に感心しきりである。しかしグリムナだけが不満げな表情である。彼だけがその強大な魔力の代償を知っているのだ、無理もあるまい。彼が魔法を使おうとするたびに誰かが新鮮なオナネタを提供せねばならないのである。


「ま、理屈はともかく、今回はバッソーの魔法に助けられたってことね……」


「………………」


 微妙な空気が流れる。


「これからも頼りにしてるわよ、バッソー……」


「いや、何普通に会話に参加してんのよ、イェヴァン」


 フィーが微妙な表情で突っ込む。そう、先ほどのセリフはイェヴァンのものである。ずっと前から仲間だったかのような雰囲気を醸し出しているのだ。


「そうですよ、さっさと騎士団のもとに帰ってください、おばさん」


 ヒッテも容赦がない。彼女は経緯はよく知らないが、グリムナの首筋に無数のキスマークを付けたのがイェヴァンだということは想像がついている。これ以上頭のおかしい女をグリムナの手元に置いておきたくないのだ。グリムナもこのキチガイ女の傍にいたくはないらしく、彼女の言葉に同意した。


「そうですよ、あんたには帰りを待ってる、千人からなる可愛い騎士団がいるでしょうが。マジ勘弁してください」


「何よ! アタシが32歳だからって差別するの!? やっぱり若い女がいいのね、この浮気者!!」


 頬に涙を伝わせながらイェヴァンが叫ぶ。コイツこんなキャラだったか。しかし十代ならともかく30過ぎのおばさんの涙など危険物質でしかない。海に放水しようとしたら即座に韓国とドイツが激怒するレベルの汚染物質である。


「32歳なんてまだほんのガキじゃないの、私なんて62歳よ」


 フィーが即座に突っ込むが、そう言うことではない。なんでこの女はこうもいつもピントがずれているのか。


「え? 62歳? 儂と一緒じゃん。タメ? まあ、来月の3日で63になるけど……」


「来月の3日? 誕生日まで一緒じゃん! じゃあ、あれ? 7歳くらいの時にあった大地震とか覚えてる?」


「ああ~、覚えてる覚えてる! 儂ちょうどトイレできばってる時だったからマジでどうしようかと思ったわ!」


 どうでもいい話でバッソーとフィーが盛り上がり始めた。フィーはダークエルフで、長命種なので見た目よりも大分年を取っているのだが、ただでさえめんどくさい事態なのに他の人の分からない話題で盛り上がるのはやめていただきたい。グリムナは二人を放置して話を進めることにした。


「あのねぇ、イェヴァンさんは騎士団を率いて国をつくるんですよね? 俺たちとはまるで目的が違うじゃないですか、騎士団はどうするんですか?」


「そうだけど、騎士としての野望もあるけど、女としての幸せも掴みたいのよ……あんたとキスをした時、アタシの中で何かが目覚めたの……これが……愛?」


 彼女の『キス』という言葉にヒッテの視線がグリムナを刺した。「やはりコイツ、キスしやがったのか」という意思表示である。仕方なかったのだ、ヒッテよ。


「い、いや……色々あるけども……」


 思わずヒッテの迫力にグリムナがどもってしまう。ちらり、とイェヴァンの方を見ると、いわゆる『ぺたん座り』の状態で涙をぬぐっていた。かわいい……かわいくない……? どうなのか、よく分からない。仕草は間違いなくかわいいはずなのだ、巨乳であるし。しかし、身長187cmの大女で、32歳で、強靭なシックスパックを持つ……まあ、言ってみればちょっとした熊である。それが座り込んで涙をぬぐっているのだ。グリムナの本能が混乱領域を指し示し始めた。


「もう、十年も前の話になるんだけどね……」


 グリムナの顔が恐怖に歪む。なんとこの女、この期に及んで過去語りを始めたのだ。邪魔するものはぶち殺す、熊のような強靭な意思、サガリスの一撃で騎士団の男たちをなぎ倒す大熊の様な戦闘能力、そして燃える瞳は原始の熊である。……まあ、要するに、ほぼ熊である。その熊があろうことか過去語りを始めたのだ。


「その頃からアタシはそこらの男どもなんて軽くひねるような戦闘能力の持ち主で、近いうちに女性初の騎士団入りも確実視されていたの……そしてアタシには、将来を誓い合った、幼馴染みの恋人がいた……」


 しかしその口から紡ぎだされた過去は、当然のことながら冬眠の最中に叩き起こされてムカついて狩人をぶち殺しただとか、埋めておいた食べかけの鮭を盗まれたからぶち殺してやっただとか、そんな話ではない。この熊には恋人がいたらしいのだ。一体どんなオスなのか。


「彼は詩人として大成することを望んでいて……アタシは冒険者ギルドに登録してて、傭兵や用心棒の仕事をこなしながら彼を支えていたの。それが彼の夢をかなえるための投資になるんだ、って信じてたから……」


 話を聞いていてグリムナはなんだか目の前の熊のことが可哀そうになってきていた。どうやらその雄熊に随分入れ込んでいたようである。しかし、今ここにいる経緯を考えれば、その恋はおそらく悲恋で終わったのだろう。


「彼は忘れっぽい性格で、デートの時はいつも『財布を忘れた』って言ってて、私がお金を払ってたっけ……そんなところも可愛かったんだけど……」


「ヒモじゃねーか」


 思わずグリムナの口から突込みが漏れた。しかしイェヴァンは気にせず続ける。やはり熊のように見えても精神のタフな女である。これが騎士の強さか。


「その内お家デートの回数が増えていって、いつの間にか自分の住居を引き払ってアタシの家に転がり込んでくるように同居を始めたの……詩もほとんど書いていなかったみたいだし、都合のいい時にヤられるだけの関係になっていたけど、それでもアタシは彼を支え続けた……」


「完全にヒモじゃねーか! それもヒモの中でもダメな方の部類のヒモだよ! 身を持ち崩すタイプだよ!」


 だんだんとグリムナの突込みが追い付かなくなってきている。


「アタシもちらっとそう思ってたけど、こう思ったの。『さんざん投資したんだから、もう今更引けない』って!」


「ギャンブラーの思考だよ! なるべくしてそうなったんだよ、お前!!」


 最早グリムナは先ほどまで使っていた敬語も鳴りを潜めて、お前呼ばわりである。


「でもある時、傭兵の仕事から予定よりも早く帰ってきて、家のドアを開けたら、彼が別の女を家に招き入れていたの……」


 なんと、別の雌熊と浮気をしていたというのか。


「しかも、アタシのベッドで、事をいたしてる真っ最中のところに帰ってきちゃったのよね……アタシは、頭の中が真っ白になって……気づいたら、手に持ってたサガリスで自分の家のあった場所を更地にしてたわ……彼が瓦礫の中でどうなったのかは確認してないけど、連れ込んだ女は、まだ十代の小娘だった……結局みんな、若い女がいいのね……」




 こんな話聞かされてどうしろと言うのか

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