第60話 フィー・ラ・フーリ
ベアリスと別れたグリムナ達は賢者バッソーの住む村に向かう
「はぁ、それにしても大したことしてない割には台風みたいな存在感の女だったわね……」
アンキリキリウムの町を出て何日か経った後の野営、森の中で石を積み上げてかまどの準備をしながらフィーがそう言った。深い山の森の中、斜面ばかりが目立っていたが、ようやく休憩できそうな平地を見つけてグリムナ達は今日の寝床を設営している。あと一時間もすれば完全に日は沈んでいくだろう。保存食がまだふんだんにあるので食料の確保はしなくていいのが助かる。
かまどを作り終えると、ヒッテに火起こしを頼んで、フィーは懐から数枚の羊皮紙を取り出した。それには小さな魔方陣が描かれている。彼女は立ち上がってかまどを中心に半径20メートルほどの六ヶ所の円周上にそれを配置して石で重しを乗せ、さらに腰のポーチから小さな瓶を取り出して魔法陣の描かれた紙の周りにたらたらと少しずつ撒いた。そして両手で三角形の印を結んで呪文を唱える。
「かわいいかわいい蟲達よ。我らの寝床を守っておくれ。忍び寄りたる魍魎どもを、血に飢えたる獣どもを、我らだけには教えておくれ」
そう呪文を唱えると魔法陣がほんの少しだけぼぅっと光った。光は隣接する魔法陣の方に走り、一瞬だけ六角形の大きめの魔方陣のように見えた。
「よし」
と、呟いてフィーはかまどの場所に戻ってきた。
「ラツタラ レーララ リーライノゥ オゥーレ フィーライ ヒンララ ナイノウ」
かまどの場所に戻るとヒッテがメノウで火種を作りながら何かぶつぶつと呟いて、いや、歌っていた。
「ラツタラ レーララ リーライノゥ オーレィ フィーラ フーリ」
フィーはかまどのすぐ近くに座ったが、ヒッテは火種を扇ぎながらまだぶつぶつ歌っている。まだ12歳のヒッテの歌声は高音であるが、しかし耳につくような不快な甲高い声ではなく、とても落ち着いて聞こえる。まるでトンビの鳴き声のような澄んだ歌声だ。ヒッテはここ最近、具体的に言うとネクロゴブリコンと出会って自分が『歌い手の一族』であると聞いてから、歩きながら歌ったり、宿や、野営の時に寝る前に夜空を見ながら歌を歌うことが多くなった。
それは、いずれも澄んだ、美しい歌声で、ネクロゴブリコンが言ったような魔力の込められた歌ではなかったものの、それを聞くだけで二人は疲れが癒されるような感覚を覚えていた。
「オーレィ フィーラ フーリ……」
薪に火が付くと、沢に水を汲みに行っていたグリムナが戻ってきた。薪はたきぎ用のものを持ち歩いているのではなく、その辺の枯れ木を適当に拾ってきたものなので、十分に水が抜けておらず、もくもくと煙が上がっていた。
「あらら、魔法で水分抜いておけばよかったわね……」
立ち上がる煙を見ながらフィーがそう呟く。ヒッテはもう歌をやめて真剣に薪の火とにらめっこしている。
「今の歌さぁ……」
その様子を見ていたグリムナが静かに口を開く。
「歌詞の中にフィーの名前が入ってなかった?」
「んあ?」
グリムナの言葉にフィーが阿呆のような声を上げる。確かに歌詞の最後のフレーズがフィーのフルネーム、フィー・ラ・フーリと聞こえたような気がする。
「そうですよ。確か、古い言葉で『風の世界樹』って意味です」
「へぇ、私の名前そんな意味あるんだ……って、世界樹? 世界樹って意味なの!?」
フィーが急に血相を変えてヒッテに聞いてきた。
「そうですけど……それがどうかしたんですか?」
「え? いやあ、そんな意味だったんだなあ、って……あ、それよりグリムナ、ずいぶん北の方に来たけど、目的地ってまだ着かないの?そろそろピアレスト王国から出ちゃう、っていうか、北方の無帰属の領土に入っちゃうんじゃない?」
なんだかフィーの態度が急に慌ただしくなってきた。明らかに焦っているような、困っているような、そんな印象を受ける態度であるし、話の内容自体もとっ散らかっていてまとまりがない。一体どうしたのか、とグリムナが心配して問いただす。
「落ち着けよ、フィー、何かあったのか? 目的地のバッソー殿の住んでいるのはピアレスト王国の北の辺境だし、遺跡があるのはさらにもう少し北の、確かに周辺国家への帰属の決まってない土地だけど、それがどうかしたのか?」
「え、いやあ……別に何もないわよ? 何もないけど、あんまり北の方行くと冬支度が必要になってくるし……ほら、私ダークエルフだから! 寒いの苦手なのよね!!」
ダークエルフだから寒いのが苦手……
新説である。確かに褐色の肌からは日焼けしたような、南国のイメージを抱かないこともないのだが。しかしフィーの肌の色以外の特徴はどちらかと言うと北方種族のそれを色濃く受け継いでいるようにも見える。いずれにしろ本人がそういうならそれを信じるしかないのだが、フィーの様子が明らかにおかしい、これだけは確かなことだ。
「なんか怪しいですね……世界樹っていうものに何か縁があるんですか?」
ヒッテも彼女の様子を訝しんでおり、質問してみたものの、フィーはあわあわするだけでまともな答えは返ってこない。ヒッテはしばらくポリポリと顎のあたりを掻いていたが、やがて静かに口を開いた。
「北の方に何かあるんですか? そこに世界樹っていうものが? もしかしてそこがフィーさんの出身地、とか?」
「ああああ? な、なに言ってるのよ! 私は南のウェンデントート出身だって言ったでしょう! 世界樹なんて全然知らないし、関係ないわよ!!」
世界樹とは多くの民族や文化に共通して出てくる、世界を支える巨大な樹木の事である。枝葉は天を突き、大空を支え、その根は地中深くに伸び、冥界、死者の国に続いているという。多くの世界を内包し、一繋ぎに続く巨大な大樹、それが世界樹である。人よりもはるかに巨大で、長く生きる木というものは神聖性の象徴でもあり、進化の過程、人がまだ樹木の上で生活していた記憶、集合的無意識に基づく世界の象徴、ともいえるものである。
とはいうものの、それが死神信仰と繋がるようなことはない。世界樹は『世界』であって、『神』ではないのだ。
「前々から思ってたんですけど、もしかしてフィーさんって……」
「もうよすんだ、ヒッテ」
さらに問い詰めようとしたヒッテをグリムナが咎める。
「本人が話したがってないんだ、別にいいじゃないか」
グリムナが助け舟を出してくれたことに安心して、フィーが一息ついた時であった。
「あぎゃっ!」
突然フィーが変な声を上げてビクン、と跳びはねた。
その様にグリムナ達が驚いてフィーの元に駆け寄ると、フィーは慌てた様子で「し、侵入者……」と先ほど作った魔方陣の方を指さした。すると、火が落ちかけて薄暗くなってきた木陰の間から小柄な美少年が姿を現した。
「うわ、なんか踏んじゃった? 今の何?」
なんと、フィーが設置した結界にかかったのは、勇者ラーラマリア一行の斥候、レニオであった。
「レニオじゃないか! なんでこんなところに!?」
グリムナがそう言うと、レニオは彼の元に駆け寄っていって体を任せるように抱き着いた。「おほぅ……」と例の如くフィーがだらしない顔でニヤニヤしながらその様を観察している。グリムナが彼に落ち着くようになだめるが彼は離れようとしない。何かあったのか、ラーラマリアも一緒なのかと聞くが、どうやら彼は一人で来たとのことだった。しかしいつも通り愛情表現の激しいレニオであったものの、今日は随分としつこい。一体何ごとなのか、心配してグリムナが尋ねる。
「一人で来たのか? 何かのっぴきならない状況にでもなったのか?」
「ううん……違うの。上手く言えないんだけど、なんだかグリムナが遠くに行っちゃうような気がして……いや、違う……アタシ達が離れようとしてるんだ……」
そう言って、ようやくレニオはグリムナから離れた。
一行は荷物から鍋を出して、夕飯を準備しながらレニオの話を聞くことにした。
「ラーラマリア達は、ヤーベ教国の傘下に入って、聖剣を探すことに決めたわ……」
鍋の中身が煮えたか、確認しながらグリムナは静かにレニオの話を聞いている。別々の道を歩みながらも、ラーラマリア達とグリムナ達は同じものを目指していたのである。
「アタシには、ラーラマリアが、何か、良くない方向に向かっているようにしか思えないの……女のカンってやつね……」
男である。
「そろそろ煮えたかな……?」
レニオの不穏な発言には特に突っ込まずにグリムナはみんなの分の夕食を取り分け始めた。グリムナとレニオは隣り合って座っており、焚火を挟んで反対側にヒッテと、にやけた顔のフィーが座っている。
「なんとなくなんだけど、権力にすり寄るなんてラーラマリアらしくないし……アタシの杞憂ならいいんだけどね……」
「そんなことのためだけにわざわざ一人で、どこにいるかも分からない俺達を尋ねてきたのか?」
グリムナの疑問も尤もである。ここまでの話だと、ただレニオは話がしたくて来たようにも見える。もしかしたら風の噂で賢者バッソーを尋ねるために北上していると聞いてきたのかもしれないが、冒険者の行く先など風の向くまま気の向くまま、道が同じでも必ず会える保証などどこにもないのだ。
「まあ、実を言うとグリムナと話がしたかったっていうのが一番大きいんだけどね……えへへ」
レニオははにかんだ笑顔でそうグリムナに微笑みかけてからさらに続ける。
「情報交換、って奴かな。でも、もう聖剣の話はグリムナは知ってたんだね。これで聖剣を追ってるのは、グリムナにラーラマリア、それとベルアメール教会に、ヴァローク、か……」
「ヴァローク!?」
意外なところで出た名前に思わずヒッテが聞き返した。




