第265話 つらぬき丸
暁の陽は少しずつその神々しい顔をのぞかせ始め、晩夏の匂いを漂わせる。
竜の姿は陽が昇り始めるとともに段々とあらわとなり、人々はより一層その恐怖に逃げ足を速めようとするが、前が進まぬので団子状態となり、もどかしさを募らせ続ける。しかしそれも仕方あるまい。
そもそもいったいどこに逃げようというのか。
今はまだその咆哮を響かせるのみの圧倒的破壊存在。それがもし彼らに本気で牙をむいたとして、いったいその巨体から来る侵攻速度に何者が逃げられるというのか。
人々は自らの行いを悔いていた。
―これはきっと、神が怒られたからに違いない。争い続け、自分の事しか頭になく、悲しみを生み出し続ける、そんな愚かな自分達に神が罰を与えようとしているのだ。
―ああ、やはり神はおられたのだ。我らの罪を見ておられたのだ。
人々は安堵した。
さて、一方のローゼンロットの町の中は大分人が少なくなっていた。
まだ町にいるのは火事場泥棒と、自分の家についた火を消そうとするもの、それに逃げる場所などどこにもない、とあきらめた人々と、そして正常化バイアスから自分に被害など及ばないさ、とタカを括っている者だけとなっており、まだ炎は燃えており、普段の明け方よりはまだ随分とうるさいものの、町は随分と静かになってきていた。
そんな、ほんの少しだけ、静けさを取り戻しつつある町の片隅で、誰にも知られることなく、決着はひっそりとついていた。
立ったまま折り重なる、二人の影。
一方の背中から、何やら尖った物が飛び出ていた。
その、飛び出ている部分の周辺には、赤黒く血で汚れており、ぽたりぽたりと垂れ、足元に血だまりを作っている。
「ラーラマリア……なぜ……?」
「これで、いいのよ……」
ラーラマリアは優しい笑顔を浮かべ、ゆっくりと、グリムナの頬を愛おしげに撫で、そして、その場に、血を吐いて倒れた。
グリムナは彼女の腹からレイピアを引き抜いて血がべっとりとついてしまった剣身を震えながら眺める。何が起こったのか、分かるはずなのに、理解できないような状態であった。
今にして思えば、ブロッズ・ベプトと二人がかりで戦っても手も足も出なかった相手、大司教メザンザ。そのメザンザを容易く倒したラーラマリアを相手にグリムナが善戦できていたことがまずおかしかったのだ。最初から彼女はこのつもりだったのだ。グリムナを殺すつもりなど……なかったのだ。
戦いの中で、たとえグリムナにそのつもりがなかったとしても、偶発的だったとしても、彼に殺されるつもりでその剣を振っていたのだ。だからこそ彼に受けられる攻撃しかしてこなかった。だからこそグリムナの対応力が及ばないようにすこしずつ、段階的に攻撃の早さと複雑さを上げながら戦った。
そしてグリムナの差し出した剣身に、自ら刺さった。
カラン、とグリムナはレイピアを取り落とした。
「そ……そんな……ラーラマリア……なぜ」
グリムナは倒れたラーラマリアの上半身を抱えて、回復魔法をかけようとするが、全く魔力が集まる感覚がない。メザンザとのギリギリの死闘を演じ、その後全力で町から逃げ、そしてまたラーラマリアを助けるために町へ戻ってきた。精神力も魔力も体力も、全てがもう限界に達していた。
「ゴホッ、ゴホッ……なぜって、そりゃ、私にグリムナを殺すなんて……できないもん」
血を吐き出しながら、しかし笑顔でラーラマリアは答える。ついで彼女は震える手で、グリムナの両頬を優しく包み込むように撫でながら話しかけてきた。
「ねぇ、グリムナ……私達と離れて随分長い事旅をしてたみたいだけど……人を殺した経験は?」
グリムナは彼女の問いかけには答えず……いや、質問の意図を測りかねてなんとも答えようがなかったのだが、ただ一筋の涙をこぼした。それを答えとして受け取ったラーラマリアは満足そうに笑みを浮かべる。
「ないよね。ふふ……じゃあ私がグリムナの……初めての人ってわけだ」
グリムナは彼女の手に自分の手を添えて、震える声で話しかける。
「ラーラマリア……お前は今、混乱してるんだ。大丈夫、今は魔力が枯渇していて回復できないが、数時間も休めばまた術が使えるようになる。……この傷なら、早く見積もっても1日は持つはずだ。苦しいかもしれないけど、必ず助かるから。だから……」
「だめよ、そんなの。私みたいなクズを生かしておいたら、そのうち自分の狂気に歯止めがかからなくなるのが……分かるの。私はここで……死ぬべきなのよ」
ラーラマリアは感情があふれ出るかの如く目から涙を流し、グリムナに縋りつきながら話す。
「でもグリムナはダメ。グリムナは、この先もみんなに愛されて……ずっと生きるの。この世界を救う英雄として……グリムナは、誰にも殺させない。ゴホッ……」
「しゃべるな! 安静にするんだ」
「私はね……どうしても、グリムナの『特別な人』になりたかったの。これなら……グリムナも私の事、忘れないでしょ? わたし……」
グリムナは、いつの間にか涙を流していた。
「わたし……すごく、幸せな、人生だったわ……」
そう言って、ラーラマリアは目を閉じた。
「ハァーッ、ハァーッ……俺がハァッ、俺が、ラーラマリアを……ッ! ハァーッ……」
大丈夫、大丈夫だ。まだ死んだわけではない。気を失っただけだ。その証拠に、最後に目を閉じた。体力を消耗しただけだ。グリムナはそう自分に言い聞かせ気持ちを落ち着かせようとするが、しかし荒い呼吸はなかなか元に戻ろうとしないし、全身からは嫌な汗が噴き出てきており、涙も止まらない。
「違う……ッ、ハァーッ、違う、こんな終わり方……ハァ、必ず、俺の回復魔法で、治すから……」
なぜ、なぜこんなことに……荒い呼吸をしながらグリムナは考えても仕方ない事をひたすらに考える。ラーラマリアは自分を殺しに来たはずだったのに。自分が考えるのはいかにラーラマリアに殺されないか。いかに彼女を説得してバカな考えをやめさせるか。それだけだったはずなのに。
まさかラーラマリアが死にたがっていたとは。
それもグリムナの手によって。
「落ち着け……落ち着け、グリムナ」
自分に言い聞かせるようにそう言った。
ラーラマリアは、『自分にはグリムナは殺せない』と言っていた。しかしそんなのはグリムナだって同じだ。グリムナだって幼馴染を殺すなどという十字架は背負いたくない。そもそも彼は幼馴染に限らず人など殺せる人間ではないのだ。その彼が、意図してではなくとも、その手でラーラマリアを剣で串刺しにしていた。
このままラーラマリアが死ねば、おそらく彼女の目論見は見事に成功するであろう。そう思わせるほどの取り乱し様であった。
「グリムナ……」
その時、背後から足音と共に少女の声が聞こえた。
それは、グリムナを追ってきたヒッテであった。彼女は最初は戸惑っていたようだが、しかし血を流して倒れているラーラマリアを見ておおよその状況は把握したようであった。しかし恐慌状態にあるグリムナは、表情だけで随分と取り乱していることが見て取れる顔のまま、ラーラマリアをその場に寝かせると、涙を流したままヒッテの方に言い訳するように話しかける。
「ち……違うんだ。これは……その……その、違うんだ」
何が違うのか全く分からない。そもそもヒッテはまだ何も訊ねていないというのに。
「あっ、いや、大丈夫です。グリムナ、大丈夫ですから」
ヒッテはとにかくグリムナを落ち着けさせようとするが、グリムナは涙は止まったものの、だらだらと汗を流している。
「いや、ち……違う。違うんだこれは本当に……大丈夫なんだ」
「ええ、ですからその……ヒッテはちゃんとわかってますから。その……大丈夫ですから」
「大丈夫じゃねーよ!!」
その時であった。二人がなんだかよく分からないやり取りをしていると、グリムナの後方、はるか離れた場所でダンッと何かがはじけるような音が聞こえた。
ドッ
何が起こったのか、一瞬誰もが反応が遅れた。
グリムナの鳩尾から、4本の、人間の指が生えているように見えた。
否、それもまた人間技とは思えないものであったが、グリムナの胴体を、貫き手がつらぬいていたのだ。




