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第210話 自然権

「いや~、一時はどうなることかと思いましたよ」


「いやほんと、どうかしてると思いましたよ」


 笑いながらちょっとした失敗談程度の語り口調で話すベアリスをグリムナがたしなめる。流砂の危険性を伝えるためにベアリスは実際に流砂にグリムナの目の前ではまってみた。そこまでは良かったのだが、いや全然よくないのだが、結局自力では流砂から逃れることができずに、グリムナ達にロープで引っ張ってもらってようやく脱出することができたのであった。

 服は灰色の泥でごわごわに汚れている。


 グリムナは呆れた顔でため息をついているが、ベアリスはそんなこと全く気にしていない様子で、おもむろにワンピースを一気にたくし上げた。


「ちょっ!? 何してるんですか、ベアリス様!?」


 しかし彼女は気にする様子もなくそのままワンピースを脱ぎ捨ててパンツ一丁になってしまった。ヒッテとバッソーもあんぐりと口を開けて驚愕している。あまりにも天真爛漫、そしてその振る舞いは野生動物のような彼女であるが、じっとしていれば見目麗しい貴人というにふさわしい外見、そして、年のころは17歳、花も恥じらう乙女である。花も恥じらう乙女は自分の尿をがぶ飲みしたりしないかもしれないが。


 しかしともかくベアリスはそんな周囲の視線など全く気にすることなくワンピースをぶんぶんと振り、泥を落としている。そのたびに小ぶりな胸が揺れていることに気まずくなってグリムナは思わず目をそらし、バッソーとの間に立って、彼の視線からベアリスを守った。


「終わったら……言ってください……」


 しばらくバサバサをワンピースに着いた泥を落としていた彼女であったが、やがて終わったようで、ワンピースを着なおしてからグリムナ達に自分の方を向くように促した。


「それでですね、泥ではありますけど、ここに水源があるっていうわけですよ。それも、このウニアムル砂漠を取り巻くスカラウ山脈、そこから流れてくる清浄な湧き水です」


 パンツ一丁の痴態からあまりにもシームレスにつなげるトーク。一瞬グリムナはあっけにとられてしまったが、その意味するところはすぐに気づいた。

 水源。水源があるのだ。目の前に。彼女の股間ではなく彼女の足元にだ。


 グリムナがそのことに気付いた時にはすでにベアリスは流砂を愛用のスコップで掬い始めていた。


「そうか、これを布で絞って水分を出せば、安全な水が飲めますね」


 グリムナの表情が一転明るくなる。以前にベアリスの住処を訪れて泥水をふるまわれた時は激しい腹痛に襲われたが、しかし高山から流れてくる湧き水ならその恐れもないだろう。すぐさまグリムナは自分のマントの中にその流砂、泥を包み、天高く自らの顔の上に掲げてそれを絞った。


 びちゃびちゃとグリムナの顔を濡らしながら清浄なる水がのどを潤す。まさに命の水である。


「ああ、うまい。なんてうまいんだ。水ってこんなにうまかったのか!」


グリムナに続いてヒッテとバッソーも同様に布で泥を絞って水を得ていく。しばらくそうやって大喜びで水分の補給をしていたグリムナであったが、何か思いついたのか、急に暗い表情になってうなだれてしまった。


「……おしっこ飲む必要……なかったじゃん……」


 しかし一行はこの水源の獲得により一気に明るくなった。少なくとも喫緊の課題であった水分の確保は成ったのだ。水源を持ち運ぶことはできないものの、水筒にはある程度詰められる。これで飲み水に関しては万全の状態まで回復してから次に進むことができる。



 その後グリムナ達は水筒と蛇の皮に水を集め、十分に自分の体にも水分補給をしてから、休みを取り、また夜に移動を始めた。空腹による虚脱感からなかなか歩みは遅いものの、しかし砂漠に置き去りにされてからほとんど移動の出来ていなかった彼らの閉塞感はもはや過去のものとなり、目的地に向かって進んでいることによる明るい希望の光が全員に見えていた。やがて空が白み始める前に日よけになる岩陰を首尾よく見つけ、簡単なスネアトラップを仕掛けてからまた休憩に入った。


 作業が終わり、ひとしきり清浄な飲料水を一行が堪能すると静寂が訪れる。あとは夜までひたすら体力を使わないように、汗をかかないように、体を休め、寝る。それぞれが楽な姿勢で休んでいると、ベアリスの横に座っていたヒッテが彼女に話しかけた。


「ベアリス様は、不思議な方ですね……」


「不思議? 何がですか?」


 どうやら自覚はないようである。


「行動に迷いがないというか……どうしたらそんなに前向きに生きられるんですか? ヒッテは……今はもうそんなことなくなりましたけど、少し前まで自分は生きる価値のない人間のように思えて、前向きになれませんでした……」


「生きる価値なんて誰にもありませんよ?」


「ふぁ!?」


 人が人にものを尋ねるとき、純粋に分からないところを聞くこともあるが、ある程度答えを予測していて、もしくは自分の中で答えは出ていて、後押ししてほしいだけの時が意外に多いのだ。しかして、今の問答を振り返ると、ベアリスの回答は完全にヒッテの虚を突いたものであった。

 ヒッテはベアリスが『あなたは価値のある人間だ』とか、『価値のない人なんていない』だとか、そんな答えを言ってくれることを期待していたのだが、ベアリスの答えは全く逆のものであった。彼女は『この世界に価値のある人間などいない』と言い切ったのだ。


 面食らった表情のヒッテにベアリスは逆に質問をしてきた。


「じゃあ聞きますけど、ヒッテさんはどんな人が『価値ある人』だと思うんですか?」


 改めてそう言われると考え込んでしまう。『価値のある人』とは、なんなのか。ヒッテにとってのそれは間違いなくグリムナであるが、それはあくまで彼女の個人的な感情である。心優しく、他人に対し気遣いのできる人、社会的地位が高く、人々に貢献している人、と次に彼女は考えたが、考えれば考えるほどに分からなくなってきた。その様子を察してか、ベアリスはさらに話し続ける。


「組織の上に立つ人、軍人や政治家、大商人は価値ある人でしょうか? 組織に貢献している人は、それに敵対する別の組織から見れば、価値があるどころか有害な人間です」


 言われてみればそうである。そう思ったからこそ、ヒッテは言葉に詰まってしまったのだ。


「じゃあグリムナさんみたいに他人に優しい人間はどうでしょうね? 心構えは立派ですが、結局『価値がある』とはその優しくされた人が、自分に得があったから評価したってことです。その時にたまたまタイミング悪く助けられなかった人、力及ばなかった人は、もしかしたら逆に恨んでいるかも……」


 ヒッテはトロールフェストでのことを思い出していた。あの町での騒ぎでは多くの人が力及ばず助けることができなかった。目的のヤーンも結局死なせてしまった。助けられなかった人々はすでに物言わぬ死体と成り果てたが、その人たちがもし口を聞けたなら、グリムナのことを悪し様には言わないだろうか。それは誰にも分からない。


 また、以前ラーラマリアから助けた国境なき騎士団のイェヴァン。グリムナのキスにより少しはまともな人格になったように感じられたが、傭兵である以上彼女が生き続ければ人を殺し続けていくことだろう。すると、『人の価値』とはなんなのか、所詮は相対的なものでしかない、となる。ヒッテは完全に黙り込んでしまった。


「ですから、価値があるとかないとか、気にする方が間違ってますよ。誰にも生きる価値なんてないんですから、生きてる間は自由にやっていいんですよ」


 そこまで言うとベアリスはすっくと立ちあがって、両手を広げ、空に向かうように言葉を続けた。


「人は、自然状態にあっては自らの能力を無制限に行使し、生きる権利があります。それはたとえ悪人だろうとクズだろうと同じです。殺人鬼でも詐欺師でも、同様に人は生きている間は生きる権利を持っているんです。これを制限することは誰にもできません」


 それはまさに一年弱の間、法の庇護を受けず、人の世の理の外で生きてきた少女だからこそはっきりと言える結論であった。


「で、でも……死刑とか、ありますよね? あれは法律が生きる権利を認めないってことなんじゃ?」


 ヒッテが思った疑問をすぐに口にしたが、しかしベアリスは言い淀むことなくこれに応える。


「それは法律の話です。自然法は人間社会の法よりも上位の存在です。死刑が嫌なら犯罪をしなければいいし、捕まりたくないなら逃げればいいんです。そういうところまで含めて人間は自由なんですよ」

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― 新着の感想 ―
[良い点] ベアリス様に完全同意です。 飲尿健康法からちゃんとした水にたどり着いてよかった…。 グリムナさん乙やで(´;ω;`)
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